37◆夜の密会
「うーん…上手くいかないわね」
セシリアは借りてきた魔導書を手にキツネのぬいぐるみに術式を組んでみるが、うんともすんとも言わなかった。別にオートで延々火を吐かせ続けたいわけではない。目的は子どもたちに勉強を教えることだ。あらかじめしゃべるテキストはセットしておいて、それをいかにもぬいぐるみが自分で教えてますよ、というように自動で動いてほしいのだ。今のところその動きはセシリアが都度魔法で動かしている。最近はずいぶん細かい動きもできるようになってきた。
すっかり夜も更けてセシリアは寝間着に着替えており、本当ならもう眠っていてもいい時間である。借りてきた魔導書の術式を試している間にこんな時間になってしまった。
コツ
セシリアがはたと動きを止める。何か聞こえたと思うが、なんだろうか。
コツ
音の発生源は窓だと気づきセシリアは恐る恐る開いてみる。生徒たちの部屋はみんな二階にあり、下を見ても真っ暗で何も見えない。
「セシリア」
とても小声だが、確かに自分を呼ぶ声だ。声の主は目で確認ができないが、あの声は間違いなく。
「マリウス殿下?」
セシリアも小声で答える。
「出てこれるか?」
マリウスがこんな呼び出し方をするとは、きっと急ぎの用だろう。そうでなければ明日の朝にカフェで話せばいいのだから。
「…そこでお待ちになって」
セシリアはガウンを羽織り、靴だけブーツに履き替えた。わざわざこの部屋を出て管理人や警備の者に咎められるような真似はしない。
セシリアは窓に足をかけると勢いよく蹴り出し、物体浮遊の魔法を掛ける。落下する時は上に飛ぶ時よりも魔力の出力を強くする必要がある。重力を相殺しなくてはいけないからだ。しかし今のセシリアはそんなものはお手の物である。
「そんなに見事に物体浮遊で飛ぶことができるのは羨ましいよ」
浮いた状態で姿勢を保つのも、自在に動くのも、魔力だけではなく体幹もいる。マリウスは成長期でまだ筋力が追いついておらず、どうしても物体浮遊で自分を浮かせると芯がぶれるのだ。
「訓練あるのみですわ。で、今日は突然お帰りになりましたけど、何かございましたの?」
「察しがいいね。ここでは誰かに気づかれるかもしれない。庭園のガゼボへ行こう」
夜の学園は光が行き届いているわけではないが、常夜灯は所々に設置されている。なるべく暗がりを選び、警備の者に見つからないように目的のガゼボへ向かった。
ガゼボを取り巻くのは春の花で、昼間であれば目を楽しませてくれただろう。
向かい合って座ると、マリウスは一つ息を大きく吐いた。
「まずは落ち着いて聞いてほしい」
「はあ…はい」
「明日、君のお父上の使いの者が君を迎えにやってくる。そうしたらこの話をされるだろう」
王家と父上、婚約の件だろうかとセシリアは考えるが、それだけならわざわざこんな呼び出しなどしない気がする。とりあえずはマリウスの言うことを聞こうと口は挟まず、セシリアは言葉を促す。
「一つ目、アンデッド・ドラゴンが現れた」
これはセシリアも思わず「え」と声を上げる。今のこの国が形作られる切っ掛けとも言えるアンデッド・ドラゴンのことはカーン公爵家でも王子妃教育でも叩き込まれる。なので事がいかに重大であるかはすぐに理解した。
だけど、これが一つ目とは、まだあるのか。
「二つ目、アレスが立太子され、君とアレスの婚約が決まった」
「…おやまあ」
「アンデッド・ドラゴンと戦い国を守るのは王族の役割だ。そんなわけでまずは僕がアンデッド・ドラゴンと一戦交えてくる。次鋒は父上になるだろうね。君はアレスと結婚し早急に子をなさなければならない」
子どもはそんな思った通りに生まれるものでもないだろうに、とセシリアは思ったが、まあ正妻にセシリアを据えてアレスには他の側室とも頑張ってもらうのだろう。
種馬、という言葉がセシリアの脳裏に浮かんだが、口には出さない。きっと誰もが思っただろうけど言っていないのだろう。
それにしても、どうしても自分はアレスの婚約者に収まるようになっているのだとセシリアは思った。もしかしたら側室にメリーナがやってくるのかもしれない。この危機的状況なら王族に聖女の血を入れたいとも思うだろう。
「マリウス殿下、とりあえず以上ですか?」
「伝えるべき事はざっくり今の二点だ」
「では、マリウス殿下が父から知らされる前に言いたいことはなんでしょうか」
それが無ければこんな真夜中に向き合って話しているはずがない。セシリアなど寝間着にガウンという淑女らしからぬ外出着だ。
マリウスは月明りでようやく見えるセシリアの目をしばらく見つめていたが、視線を下げると背もたれにもたれかかった。
「…僕が失敗をした。メリーナに王家を潰される未来を変えようとして、更に大きな厄災の未来を引いてしまった」
今マリウスを支配するのはこのことだ。
全身から力が抜けていくような気持ちではあるが、どうにか気力で立っている。自分が起こしたことの責任は果たさなくてはいけない。
暗がりの中、更に背もたれにもたれて顔を天井に向けているマリウスの表情はよく見えないが、その声はかつて聞いたことがないほど疲れていた。
セシリアはマリウスからの求婚を断り続けているが、彼を嫌ってのことではない。自分がどう生きるか考えた時に、誰かの都合に振り回されるのは御免だと思っているが、彼自身についてはいつも感心している。マリウスとしては別に感心されても嬉しくはないのだが。
それに彼はこの一年一緒に学んできた仲間で、友人であるのは間違いない。
そんな彼がどんな気持ちで失敗と口にしたのか。
それを思うとセシリアは胸が痛むのだ。