32◆子どもたちの勉強会withフォレックスちゃん
「シスター・ライラ。ちょっと授業を変えてもよろしいかしら?」
「あら、提案なら大歓迎よ」
セシリアの言葉にライラは特に何をするかを問わず許可を出す。了承を得たのでセシリアは立ち上がってみんなに声を掛けた。
「みんな一旦お庭にでませんか?」
そう庭に促され、子どもたちは何が始まるのかと笑いながらセシリアへ着いていく。マリウスとメリーナは顔を見合わせ、何が始まるのだろうかとその後ろから様子を見ていた。
そうしてやってきた庭で取り出したのは、セシリアの相棒のキツネのぬいぐるみだ。
(この重量ならしばらく大丈夫)
セシリアは先日授業で習った物体浮遊の魔法をキツネのぬいぐるみに掛けた。物体浮遊の魔法は魔法力が重量と体積に比例して必要で、更に継続して掛けるのであればそれに時間分を掛け合わせる必要がある。授業では予め重さがわかっている石で練習し力を測るが、軽いものならすぐにできた。
「みんな初めまして、フォレックスちゃんよ!」
セシリアが慣れ親しんだ裏声で言うと子供たちから歓声が上がった。
「お人形が飛んでる!」
「すごい!」
「でしょー、フォレックスちゃんは魔法使いなの!」
最近はフォレックスちゃんの役もすっかり板についているので、何の思考もなく自然に言葉が出るセシリアである。
物体浮遊の魔法の応用でフォレックスちゃんの手もパタパタと動かしてみると成功した。
「みんな計算のお勉強してえらいわね!フォレックスちゃんもできるのよ。ん〜っと、ほら、そこのどんぐりとか」
そう言ってセシリアはどんぐりを魔法でぬいぐるみの前まで引き寄せる。ちょっと勢いがついてセシリアのおでこに当たってしまったが、笑いが起きたので良しとした。
「10個のどんぐりから、2個なくなると、8個よね」
地面に置いたどんぐりを8個と2個のグループに魔法でキツネのぬいぐるみがそうしているかのように分ける。
「これが、10ー2=8ってことよね」
そう言いながらセシリアはちょうど分けたどんぐりの下に数字を書き、その数字を繋げる計算式を書く。
先ほど勉強に身が入らない様子だった子供もじっと見ている。この際理解しているかどうかは気にしないでおこう。
「どんぐりをわざわざ数えなくても、数字を使って計算をしたらすぐにわかるんだから」
胸を張ってそう言ったキツネのぬいぐるみに子供たちは大喜びだ。どんぐりを使ってみたい子供たちが僕も私もと寄ってきた。
気持ちを掴んだとセシリアは心でガッツボーズをキメる。あとはこの押し寄せる子供をどうにか捌かなくてはいけない。その時、子どもたちの後ろから声がした。
「じゃ、じゃあ教えてほしい子は来てね、私も教えてあげる…っぴ!」
目を向けると小鳥の人形がふよふよ飛んでいた。子どもたちはまた歓声をあげる。メリーナがセシリアがやったのを見よう見まねでやってみたのだ。
「すご~い!ねえ、学校に行けばそんな風にお人形を動かせるようになるの!?」
さっきまでいくら言ってもやる気を見せなかった子が目をキラキラ光らせながら聞いた。
「あれができるかはわからないけど、あの魔法を使う方法を考えたりすることはできるよ」
それに答えたのはマリウスだ。貴族にも魔法の適性が低い者はいるが、研究職であれば自身が魔法が使えなくてもいいので、魔法研究の第一線で活躍していたりする。
ここにいる子供たちは全員が平民で、お金に恵まれているわけでもない。学園の門を叩くことは難しいだろうが、だけどもし万が一のチャンスが訪れた時、そこへ入ることができる切符は手にしておいてもいいだろう。それが勉強なのだ。
それからはお人形遊びを交えて計算の練習をしてみたり、少し上級なことを教わりたい子はマリウスのいるテーブルへ集まり勉強をした。
いつの間にかやってきた学生三人だけで子供たちへ勉強を教えていて、それをライラは口出しせず見守っていた。
ライラはそれをキラキラと眩しい時間だと思う。自分の時もこんな場所があれば、死んだ仲間たちもこんな笑顔でいたのだろうかと考えるほどに。
この輝く時間が今と未来の子供たちのために続きますように。
ライラは小さく祈りの印を結び目を閉じた。
***
セシリアたちは結局夕暮れ近くまでたっぷりと教会に滞在した。勉強がひと段落し、再び教会が行う慈善活動について聞いたりしたのだが、一番熱心に聞いていたのはマリウスだった。難しい話になってきたのでセシリアとメリーナは子どもたちの元へ戻り、一緒に人形遊びなどしていた。ここでいくら人形遊びを全力でやっても頭の残念な令嬢扱いはされないのである。
日が傾き、子供たちが一人、また一人帰っていく。帰れない事情のある者はこの棟で過ごすらしいが、その場合は五時からは夕食の支度の手伝いをしなければならない。
バイバイと手を振ってその部屋に残ったのはセシリアとメリーナだけだった。
「あの、セシリア様」
妙に上ずった声でメリーナがセシリアを呼ぶ。こんな風にメリーナから呼ばれることはかつてなかった。不思議なものだとセシリアはゆっくりとメリーナの方へ振り向く。
「なんでしょうメリーナ様」
「あの、どうでした?今日」
「とても有意義に過ごしました。思った以上でした、ご招待くださって本当にありがとうございます」
セシリアの言葉にメリーナはほっとしたように息を吐く。自分のホームがどう見えたのかが気になっていたのだ。
「よかったです!ライラは口は悪いし強引なんですけど、本当にみんなのこと考えてるんです!」
「ええ、あなたのこともね」
きっとライラは昔救えなかった仲間たちをまだ愛し足りないのだ。だから同じ境遇の子供たちを愛さずにいられないのだ。
セシリアにそんな風に言われたメリーナは一瞬変な顔になり、すぐに顔が真っ赤になった。
「もう私は子供じゃないんですけどね~」
照れてわざとぶっきらぼうに言うメリーナは、本当に自分を陥れて笑っていた少女と同じものなのだろうか。
違う、以前までのメリーナは「救われなかったメリーナ」だ。
瞬間、セシリアは気が付いた。
それならば同じメリーナであっても違う人間だ。
そう思った瞬間、セシリアの中のメリーナへの警戒心が解けていった。
今のメリーナを理解するほどにデリア公爵の罪が色濃く見える。不幸な生い立ちの少女を自らの楽しみのための道具に育てた成れの果てが、マリウスの見た未来だ。
「あの、セシリア様…私、こんなんなんですけど」
「はい?こんな、とは?」
「えへへ…学園じゃお上品ぶってるんですけど、本当は口も悪くて…頑張ってるんですけど、でもやっぱり根は平民です。あの、でも、ですね。私はセシリア様と、仲良くなりたいなって思ってるんです!」
思い切ったようにメリーナは言う。きっと今の彼女には裏なんてないだろう。しかしメリーナの心はいつの日もセシリアへ向かうようになっているようだ。善きにしろ、悪しきにしろ。
「まあ、嬉しい。では私のことは是非セシリアとお呼びください」
そう言ったセシリアの言葉にも嘘はない。そうして相棒のキツネを取り出した。
「よろしくねメリーナ♪」
ご挨拶をするような動きをさせて高い声で言ったセシリアの顔は淑女の微笑みを湛えている。そのギャップがあまりにも大きくて、メリーナは思わず噴き出した。
「もう!それ反則ですセシリア様!」
「セシリア様?」
「…セシリア!」
単純なメリーナは距離を詰めてくれたセシリアの提案にすぐに乗っかる。ちゃっかりしているのだ。それこそ、セシリアの言葉に裏があるとも思わずに。
ここにいるのはかつて出会ったことのない少女。セシリアはそんな風に思う。
そうやってセシリアは過去のメリーナのことを手放したのだ。