2◆婚約は回避いたします
父であるカーン公爵と母は別に悪人でもなく普通の貴族だ。家族の事も自分の負担にならない限りは普通に接しているし、一般的な範囲で愛情も掛けている。だけど自分の保身と家族を天秤に掛けたら迷うことなく保身に傾くくらいにはペラペラの家族愛なので、セシリアは一回目のようにいい子でいる必要性も感じていない。
今回の人生をどう生きるかはまだ決めかねているが、アレス王子の婚約者はノーセンキューである。だけど婚約話が来てしまえばカーン公爵にNOと言っても意見が通るとも思えない。だとしたら抵抗は無駄な稼働である。
そんなわけでハナから選ばれないようにしなくてはならない。
「さあセシリア行っておいで、アレス王子と仲良くするんだよ」
「はい、お父様」
そう良い子に返事をしてセシリアはトコトコと子供たちの集まりに加わる。そして父母の目が離れたとたん、持参したキツネのぬいぐるみを出して延々と人形遊びに興じた。貴族のレディならどんなに小さくてもみんなできるご挨拶など無しだ。
どこへ出しても恥ずかしくないよう育てられた貴族の娘たちの中でセシリアの奇行はとても目立つ。悪い意味での注目を一身に浴びるが、前回の人生で悪役令嬢無双をしてきたセシリアには痛くも痒くもない。
「やあ、僕はアレスだ。きみの名前を聞いていいか?」
そんな彼女に歩み寄る少年が一人。婚約者であった王子のアレスだ。まだ子供なだけあって困惑した表情は隠し切れないが、それでも笑顔で声を掛ける。その声にくるりと振り向き、セシリアはキツネのぬいぐるみをアレスに向かって突き出した。
「こんにちは、わたしはフォレックスちゃんよ、コンコン!コンコン!」
キツネのぬいぐるみを向けて挨拶だ。子供とは言っても10歳なのだから幼児ではない。教育を受けた貴族の娘としてどう考えたっておかしい。
「人形ではなく、きみのなまえを聞きたいな」
それでも臆せず、こんな風に言うアレスにセシリアは心の中で舌打ちをする。
「フォレックスちゃんよ、コンコン!」
「………」
王子はさすがに王子なので、公式なパーティーという場で笑顔を崩さない。が、その笑みに力は無い。子供たちを見ている大人たちがヒソヒソ話して、何やらノートに書き記している。王と王妃に指示された者たちが親元を離れた子供たちに点数を付けているのだろう。気付いたセシリアの人形遊びはいっそう盛り上がる。
「フォレックスちゃんは紅茶が大好きなの、くんくん、くんくん、いいにおい!」
セシリアが用意された紅茶の匂いをキツネのぬいぐるみに嗅がせているうちに、アレスはその場からいなくなっていた。これで今後どんなに学業の点数が良くても、美しく育っても「知能に難あり」となって王子の相手に選ばれることはないだろう。そう確信したセシリアは『やったね』と一人でガッツポーズを決めた。
そうしてその目論見通り、セシリアはアレス王子の婚約者となることはなかった。
茶会からしばらくしてセシリアはカーン公爵に呼び出され、茶会の様子を根掘り葉掘り聞かれたが「普通にしてたわ」で押し切った。普通にしてれば賢く美しい子供だ。そして王と側近たちの間では茶会の前にセシリアが婚約者に内定していたのだろう。それが覆った理由を「知能に難あり」と王家が言わないものだから、差し障りのないふんわりした理由に父は納得いかないのだ。
「ウケる」
父の部屋から足取りも軽く自室へ戻る最中、セシリアが思わず零した。顔のニヤけが止まらない。計画を立て実行し、それが上手くいくのは最高の気分である。
これで婚約破棄はなくなった。婚約者じゃないのだから破棄もできまい。あとは冤罪を逃れなくてはいけないが、あれは王子の婚約者だったから嵌められたのだし、そのイベントもやって来るかどうか。だけど用心するに越したことはない。
(本当ならこれを二回目でやるべきだったんでしょうね)
恨みを晴らすためにセシリアを嵌めた女や、信じなかった者たちをどん底に突き落としてやることを目標にしていたので、自分の幸せとかは全く考えていなかった。
じゃあ今「今回は幸せになってやる」と思うかと言えば、そういうこともない。
(幸せって、何)
一度目の人生で冤罪を掛けられる前の自分は幸せだっただろう。父が敷いた道の上を歩いていけば幸福になれると信じていたし、毎日何をも疑わずに暮らしていた。ではその無知の状態を「幸せ」と呼ぶのなら。
「無用ね」
あっさり答えは出た。
自分がどう生きたいとか、どうなりたいとかはまだ見えないし、もしかしたらまた同じ時に死んでしまうのかもしれない。だけどそれまではとにかくトラブルは避けて生きて行こう。王子の婚約者にならずに済んだので、それはきっとできるだろう。