3.息をするように最初の過去改変
その日の生徒会の午後は、上機嫌に始まった。
「ふんふふんふふーん。ヘイ、『グミー』。コーヒー・ぷりーず」
ソファに身をうずめた副会長が命令したのは、仕留めた暗黒竜たちの牙を素材にして自作した魔法生物『竜牙兵』。
ちなみにグミーとは、ドラゴントゥースに命令をするために組み込まれたコマンドワードである。
「ギ……」
スケルトンに似た高級魔法生物は絨毯の上を音もなく歩き、コーヒー豆をがりがりとひいて、湯を入れたサイフォンの前でじっと待機。コーヒーを淹れ終わると、誰に文句を言うでもなく捧げ持ち、ツェルペティータがカップを受け取ると、直立不動で次の命令を待機する。
スケルトンのような下等なアンデッドなどと違い、竜牙兵はある程度複雑な命令を理解するし、ゾンビと違って臭ったりもしない。ドラゴンが絶滅種に指定されている現代では、なかなかお目にかかることもない高級召使である。
そんなものを、コーヒーを入れるためだけに利用する。しかも総勢30体。直立不動で居並ぶ姿は壮観といっていい。
まさに魔王的な生活。
カウチポテトな生活にぼんそわーる。まさにこの世の天国がここにあった。
「ふぅ。このままこの生活が続けばいいのに――あいたっ。何をするの、会長殿。痛いわ、会長殿。というか、どこからそのハリセンを出したの、会長殿」
「何をするの、じゃねーよ。いまのオレたちが置かれた状況がわかってんのか」
「いまの状況? ……。邪魔者もいないし、モンスターもいるし、ありていに言って、楽園? わたしはずっとここにいても――あいたっ! 今度は本気でしばいたわね!? 正直に言ったのに何が不服だったというの!?」
ツェルペティータが唇をとがらせて、ハリセンを食らった頭をおさえながら抗議してくるが、
「いまのはどう考えても、副会長が悪いと思うのです」
「なんと。ならしかたないわね」
ルルフェットの言葉にうなずき、何事もなかったように、再度、ソファに沈み込むツェルペティータ。魔王様は人間の文化に寛容であらせられるのである。
そして、クロトとルルフェットがやっている作業を見て、首をかしげる。
「そう言うあなたたちは、どうして教科書を分解しているの?」
「これは教科書じゃなくて歴史書だよ」
聖アリシア記念学園は歴史ある学園であるため、生徒会室には分厚い歴史書が収蔵されている。
分解、というのは、埃をかぶった本はそのままめくると破れてしまいそうだったので、綴じていたひもを解いたものである。そのため現在、生徒会室の床には歴史書の紙片が1ページずつ、床を踏む間もなく敷き詰められていた。
「オレたちが巻き込まれた転移の術式を改めて解読したんだが、どうやら過去に飛ばされた可能性が高いようなんだ。それで、なにか手掛かりがないかなって」
クロトとルルフェットがその1枚ずつを確認していく作業を見て、ツェルペティータが心底から不思議そうに首をかしげる。
「過去? なら、暗黒竜がいたということは、ここは500年以上前ということよね? そんな大昔のことがまともに記録されているとは思えないのだけれど。それに場所も――ああ、なるほど。移動したのは時間だけで緯度経度は変わっていないというわけね」
クロトは感嘆のため息をついた、
さすが魔王。転移したときの魔導術式を思い返しただけで、言いたいことに思い当たったらしい。
「そう。ダークドラゴンの本来の生息地は遥か西。こんなところにあれほどの群れが出現したなら、なにか記録に残っているはず――ああ。ちょうど見つけた。なになに……」
『1582年3月。エンジュの森に、ダークドラゴンの群れが出没す』
「せんごひゃくはちじゅうにねん?」
1582年といえば――
中等部の歴史の授業で学んだことを思い返し、すぐに思い出す。なぜなら、人類ならだれでも知っている、超有名な事件の前年だったからだ。
歴史上にはこう記述されている。
『1582年4月。暗黒竜の群れと魔王が西方より飛来。エンジュの大森林に隣接する村々を焼き、その後、ピエタの街を襲う。その際、18歳になった王女アリシアが神の声を聞き、聖女の血に目覚め、聖剣をもってドラゴンたちを打ち倒す。』
『同1582年4月。聖女と魔王の第一次直接対決が発生。互いに深手を負い、痛み分けとなる。』
『1583年5月。暗黒竜の襲撃を魔族の仕業と看破した人間は、傷の癒えた聖女アリシアを先頭に大兵団を従え、魔族領に侵攻。史上最大にしてもっとも苛烈な、人と魔族の大戦、通称『第二次 人魔大戦』が勃発。』
「……」「……」「……」
クロトたちは暗黒竜の変わり果てた姿――魔法生物『竜牙兵』たちを見た。
総勢30体。一匹残らず駆逐されたドラゴンたちの、変わり果てた姿である。
額をつーっと冷たい汗が通っていくのを感じた。
「やべえ。」
聖女が目覚めなくなったかもしんなかった。
「どどどど、どうするんですか、これぇぇぇっ!!! だから、わたしは言ったんです! ほどほどにしときましょうって!」
「嘘つけぇっ! 会計が一番やる気満々だったろうがぁっ!?」
「生徒会長が末端に責任をおしつけないでくださいよ!? 生徒会のやらかしたことは会長の責任なんですぅーっ! なんのために生徒会長がいると思ってるんですか。ちゃんとトカゲのしっぽとして切られてくださいよぉっ!」
「バーカバーカ! 歴史改編、オレだけの責任ですむわけねーし! 地獄に落ちるなら会計も道連れにしてやるからな!?」
「やーだーー! わたし、ぜったい現代に戻りたくないんですけど! どんな現代になってるか、すっごく怖いんですけど!?」
クロトとルルフェットが、醜い責任の押し付け合いをしていたそのときだった。
「静まりなさい。過ぎてしまったことは致し方ないでしょう」
威厳ある姿でトンと床を鳴らしたのは、生徒会副会長、ツェルペティータ・マグニヴ・ラヴラ。
その落ち着きのある姿はまさしく王。
さすが魔王。生徒会長ごときでは太刀打ちできない威厳をかもしだし――
「1582年で聖女覚醒。授業で習った語呂合わせが思わぬところで役に立ったわね!」
ふふん、ドヤッ。
「副会長、ぜったいにパンツって言いたかっただけだよな?」
クロトがジト目で言うと、ツェルペティータは「何を馬鹿なことを言っているの」と肩をすくめた。
「まあ、落ち着きなさい。何もすぐさま問題が起きるというわけでもないでしょう。時空転移関連の論文を読んだことがあるけれど、過去改変をしようとしても『歴史の修正力』が働く、と書いてあったわよ」
「つまり、副会長はまだ修正力とやらでなんとかなる範疇だと?」
「そういうこと。わたしたちが母と見立てるこの星は――その歴史は、たかだかトカゲが死んだくらいでどうにかなる脆弱なものではないわ。……とはいえ、テコ入れくらいはしておいたほうがいいかもしれないけれど」
「テコ入れですか? 具体的に言うとなにを?」
ルルフェットが問うと、ツェルペティータは「ええ」と大仰にうなずいた。そして、ドヤっとサムズアップ。
「要は、ピエタの街なるものを壊滅させに行けばいいのでしょう? 無辜の街を壊滅させるのは多少心が痛むけれど、歴史を守るためなら仕方ないわよね。ぎりぎりセーフ!」
「セーフじゃねーよ、アウトだよ! ぎりぎり要素なんてどっこにもねーよ!? 何をどう考えても倫理的にアウトだよ!!!!」
「会長!? この人、本気ですよ!? 本気で街一つ壊滅させる気満々ですよ!?」
「ついに馬脚をあらわしましたね、魔王! 成敗します! お兄さんどいて! そいつ殺せない!」
生徒会室がにわかに騒がしくなった。