【REGULATION】《16話》「糸引く方へ…」
従業員出入り口を出ると、いつものようにパチンコ店と自宅のある、右方向へと曲がる。
そこから五十メートル程歩けば大きな交差点に差し掛かり、その横断歩道を渡れば、お目当てのパチンコ店はすぐそこにある…。
…はずだった。
「……」
──あれ?
ふと顔を上げると、俺の目の前に広がるあまり見慣れない光景。
居酒屋が転々と立ち並び、その先には駐車場の無い小さなコンビニが見えている。
なるほど…。どうやら俺は、ホテルを出ていつもの右ではなく、反対の左に歩き出していた様だ。
そうだった…。俺はパチンコなんかに、時間を浪費している場合では無かった。
無意識とは言え、何かに引っ張られるように俺が向かった先は、そう。ネットカフェ〝GOKURAKU〟だった。
時刻は十九時五十分。
明日も仕事なのだから、今日はあまり遅くなる訳にはいかない。
俺は競歩とまではいかない、早歩きでネットカフェに向かっていた。
──よし。看板が見えて来た。
やはりここまで徒歩十五分と言った所だろうか。
こう言った中途半端な距離を移動する際は、自転車を持っていれば良かったと思う事もある。
俺はネットカフェ〝GOKURAKU〟の前に到着した。
地下へと続く細い階段を降りようと、一歩踏み出した、その時…。
「おらぁ、こっちに来い」
「痛ってなー、触んじゃねー!!」
数メートル先で、乱暴な荒げた声がした。
俺は声の方向へ振り向くと、そこには体格の良い三人の男と一人の男子学生。そして金髪の女性が一人、後ろを着いて行きながら、路地裏へと入って行く姿が見えた。
ここから見るに、一人の男子学生が三人の男に絡まれているように見える。
──可哀想に…。
彼には悪いが、俺には関係の無い事だ。
君子危うきに近寄らず…。
面倒事は嫌いだ。
俺は見て見ぬふりをして、階段を降り始める。
…はずだった。
──あれ?
気がつくと俺は、彼らの後を追って路地裏へと向かっていた。
今日の俺はどうかしている。
「おらぁっっ!!」
『ボコッ!』
『バキッ!』
『ドゴッ!』
「ぐっ…」
路地裏に入ると、既に事は始まっていた。
──やれやれ…。神様、ちゃんと見てるか?
俺は今から、リンチされてる哀れな学生を助けてやるんだ。良い事の一つやニつ、くれても良いんじゃねぇか?
…ふっ。我ながら呆れる程、下心満載だな。
偽善者もいい所だ。
三人の男の内一人が、地面に倒れ込む男子学生の胸ぐらを掴み、持ち上げた。
「テメェ…。大人を揶揄うのも良い加減にしろよ?」
「そーだよ。全く、そいつの言う通りだ」
俺は、ワイシャツの袖ボタンを外し、腕を捲る。
「──!?」
突然背後から聞こえた俺の声に、三人の男と男子学生、そして下を向いてスマートフォンを扱って居た女性も、一斉に振り返った。
「誰だ、テメェは!!」
「よぉ、調子良さそうじゃねぇか。御上…」
「おっちゃん…!?」
そう。さっきの男子学生は、見覚えのある白髪だった事から、大凡見当は付いていた。
「おい、テメェも知り合いか?」
三人の男の内一人が、こちらへ向かって来た。
──にしてもコイツら揃いも揃って不細工だな…。
「知り合いって言うか…被害者だな」
「何だテメェ…。何者だ?まさか同業か?コイツは俺達の獲物だ。引っ込んでろ」
「同業だ?何の事だか知らねぇが、子供相手に寄って集って、リンチする様なお前らと一緒にすんじゃねぇよ」
「一般人か、だったら失せやがれぇ!!」
男は罵声と共に、俺の顔面目掛け右の拳で殴りかかって来た。
俺は軽く膝を曲げ、体勢を下げ男の拳を避けた。
「──!?」
そのまま驚き、目を見開いている男の顎を目掛け、俺は体勢を起こすと同時に、強烈なアッパーを食らわせた。
「っっっっっつつ!!」
男の口から出た血が、辺りに飛び散る。
『──ドサッ』
男はそのまま、地面に仰向けで横たわり、白眼を向いていた。
「おーってぇー…やっぱ素手で人なんて殴るもんじゃねぇな」
俺は右手を振って見せた。
「テメェ…!!」
それを見た手前の男は走ってこちらへ、そして奥の男は御上の胸ぐらを離し、ゆっくりと歩いて向かって来た。
「覚悟しやが…」
手前の男が殴り掛かって来た。
『ドスッッ!』
俺は、その男の溝打ち付近を目掛け左足で蹴り込んだ。
「がはっ…」
そのまま体勢が下がった男の頭を掴み、顔面へ膝蹴りをお見舞いする。
『バタッ』
男はうつ伏せに倒れ込む。
「ほい、あと1人っと」
最後の男は額から汗を垂らし、慄きながら、震えた声で話し始めた。
「おい、兄ちゃん…。こんな真似してタダで済むと思うなよ?俺達は黒龍会の…」
『バシッン!!』
俺はそんな、最後の1人の不細工な顔面に、後ろ回し蹴りをクリーンヒットさせた。
『バタッ』
「…こくりゅうかいだぁ?知るか、んなもん。不細工会がなんかの間違えだろ」
学生時代以来だろうか。しばらく身体を使っていなかったが、割と動けた様だ。
「ひっ…」
後をついて来ていた女性が、離れた所で怯えていた。
「お姉さん…コイツらとどう言う関係かは知らないけど、付き合う相手は選んだ方が良いですよ」
『カツ、カツ、カツッ…』
女性はハイヒールの足音だけを残し、無言で走り去って行った。
「さてと…、大丈夫か?御上…」
御上は地面に倒れ込んだまま、空いた口が塞がらないと言った様子で、唖然としていた。
「お前の事だ、まーた大人を揶揄ってたんだろうけど、どうだ?これで少しは懲りただろ?」
俺はそんな御上の前にしゃがみ込んだ。
「ち、ちげーよ…」
我に返った御上は、口を開いた。
「じゃ、なんであんなイカつい奴らに絡まれてんだよ」
「それは…」
「あ、分かった!さっきのギャル…。さては美人局だろ?」
「ちげーって!ただ…」
「ただ…?」
「──ハンカチを拾っただけなんだよ!」
「…は?」
「だーかーら!さっきの女の人が、俺の目の前でハンカチ落としたんだ!だから拾って渡しただけなんだって!そしたらあのおっさん達が急に出てきて、俺の女に何してんだ的な事言い出したんだよ!」
御上は口元に着いた血を手の甲で拭った。
「ぷっ、それを美人局って言うんだよ。手口がいかにも頭悪過ぎるのと、ターゲットが子供のお前ってのが、くそ笑えるけどな」
「子供、子供言うな。俺は大人だ!」
「へー、じゃあお前いくつだよ」
「十七歳…。」
「ふんっ、どの口が言ってんだよ。弁解の余地無く子供じゃねぇか」
「うるせっ」
体が痛むのだろうか。御上は眉間に皺を寄せ、ゆっくりと立ち上がった。
──あ、そういやコイツは訳ありって感じだったよな。コイツには悪いが、少し探りを入れてみるか…。
「そう言えばお前、今から学校じゃねぇのか?」
「今日は行かねぇ。疲れた」
「良いのか?サボってっと親に怒られんぞ」
俺はわざとらしく揶揄って見せた。
「親は…俺なんかに興味ねぇよ」
御上は背を向けていた為、表情までは確認出来なかったが、その背中はやけに寂しかった。
「……」
「──じゃ、俺は帰る」
御上は黒い傘を引きずりながら歩き始めた。
「御上。お前さ学校行かねぇなら何すんだよ」
「だから、帰るんだって」
御上は歩みを止める事無く、背を向けたまま答えた。
「暇ならさ、家に来ないか?」
御上は足を止め振り返った。
「はぁ?何で…」
「いやーこうして会ったのも、何かの縁かも知れなねぇし?俺もちょうど暇だったんだ」
「……」
「あ、そう言えばお前の好きなこないだのお姉さんもいるぜ?」
「は!マジで!?あ…いや、だから何だよ…」
「ぷっ…分かりやす過ぎな。そんじゃ行こうぜ…」
「あ、あのさ…」
「──ん?」
御上は下を向いて居た。
「…は…りが…と…」
「は?何だって?」
御上は小さな声で、ボソボソと何かを言っている。
「あーも!何回も言わせんなよ!」
御上は深呼吸をした。
「今日は…ありがとうございました…」
御上の素直な言葉に、自然と笑みが溢れた。
「気にすんな。この借りはまた別の機会にでも、きっちり返してもらうからな」
「何だよ!べ、別に助けてなんて言ってねぇし、俺一人でも十分だったんだよ!!」
「ははっ。冗談だって。行こうぜ」
十二月二十三日。
こうして御上は、初めて狭い我が家へと来る事となった。