【REGULATION】《15話》「Iam a hotel man」
『──ガチャ』
ロッカーの扉を開き、制服へと着替える。
久しぶりの出勤…。
…ではない。何故か長期間休んで居た様な気がするが、実は暦は一日しか進んでいない。
確かに、一昨日の仕事終わりに彼女に会ってから、色んな事が起きたし、色んな事を知った。
幼い頃の遠足で〝行き〟の道のりより〝帰り〟の道のりの方が、短く早く感じるあの現象と恐らく同じだろう。
何年も同じ毎日を繰り返して居た俺にとって、ここニ日間の情報量は、優にその数百倍はあった。
「あれぇー?これはこれは、きょーすけさんじゃぁないですかぁ」
「黙れ。喋りかけるな」
眞武幸助。
こいつは同僚であり同期である男。
俺は高校を卒業し、別の会社で働くも上司と揉め、二年足らずで退社。今の会社には二十歳から中途採用と言う形で入社した。
つまり俺には同僚は沢山居ても、同期はほぼ居ないのだ。
そしてこいつは、その数少ない同期の内の一人。
女好きで、〝悩みなんて一切ありません〟と言わんばかりにいつも明るい男だ。
「何だよぉ。冷たいなぁ」
「……」
「なぁ!なぁ!聞いたぜぇ。きょーすけお前…警察のお世話になったんだってぇ?」
「はぁ…。何でお前が知ってんだよ」
「いや!多分もうみんな知ってるぜぇ?昨日食堂で飯食ってたらさ、みんなその話ばっかり!」
──最悪だ。あんな場所で、事情聴取を受けていた所を誰かに見られていたとすれば、この会社での俺の生活に未来は無い…。
「あれは事故だったんだ。それ以上は聞くな。いいな?」
「へいへい。どぉーせ、女っ気が微塵も無いきょーすけの事だ。そんな所だろうと思ってたよぉ」
「女っ気が無いは余計だろ」
俺達は着替えを済ませ、男子ロッカーを出た。
「それでな、こないだの合コンに来てた女が、みんなバリバリ可愛いくてさ!ただ、俺には全く興味なしって感じでよぉー。何で俺って女にモテないんだろ…」
「まずはその〝女性〟を〝女〟って言う所から直してみれば?」
「女…?何でダメなんだよぉ」
「はーい。私もきょんさんに同意しまーす」
背後から会話に割って入って来た、1人の女性。
「さとみちゃんかぁー。えー、何でだよぉ」
本城聡美。
着物を羽織ったこの子は、俺の同僚であり同期であるもう一人だ。彼女の年は俺と幸助のニつ下。
人懐っこく、小動物みたいな容姿から、お客さんからも人気がある子だ。
「おー本城。おはよう」
「おはようございます♪」
そしてこのニ人が、俺の数少ない同期って訳だ。
え?中途採用なのに同期が三人も居るのがおかしいだって?
これは普通の会社なら考え難い事かも知れないが、人の入れ替わりが激しいホテル業界では、そこそこある事なんだ。
「──ん?本城お前何笑ってんだよ。もしかしてあの事…」
「ふふーん♪知ってますよ」
「はぁー。本城…。あれはな、事故なんだ。信じてくれ」
「ふーん。事故ですか…。ふむふむ」
「絶対信じてねぇだろ!」
「あははっ♪それじゃ私は遅刻しちゃうんでお先でし♪」
パタパタと草履の靴音を残し、彼女は小走りで去って行った。
「可愛いよなぁー…さとみちゃん。あ…そうだ。きょーすけ今日暇?終わったら久しぶりに飲み行かねぇ?」
「今日?あー今日は無理だ。予定あるわ」
「つれねぇなぁー、いっつもそれじゃん。どうせパチンコだろ?」
「ちげぇよ。俺は忙しいんだ」
「へいへい。そうですかい…。じゃ、また行こーなぁ。グッパイ青春!!」
「じゃあな」
そう。俺達三人は同じ屋根の下、同じホテル内には居るものの、本城聡美は和食、眞武幸助は中華、そして俺は洋食と、全員配置は異なる。
だから同期で同僚とは言え、いつも一緒にいる訳ではない。
会社の同期と言えば、互いにライバル意識を持ち、我先へと出世争を繰り広げたりするものだが、俺達はそうギスギスはしてはいない。
変に近過ぎない所がまた良いのかも知れない。
長い従業員通路を抜け、俺は職場の裏口へと到着した。
店内とは比べ物にならない程、安っぽくペラペラの扉を開けると、そこには巨大な冷蔵庫や食器、ワイングラスなんかが所狭と並べられたパントリーへと繋がる。
さらにその奥には、シェフ達の声が飛び交う大きな厨房が広がる。
そう。ここが当ホテル一番有名な洋食レストラン〝Le meilleur〟の裏側だ。
表と裏を繋ぐ、コの字型に形成された通路を通り、お客様の居る店内へと出る。
出勤後まず初めにする事は、入り口に突っ立っている…元い、お客様をお出迎えしているマネージャーへの挨拶だ。
「おーい、かーなーどーめー…」
──ほら、いたいた。
「おはようございます。支配人…」
「お前聞いたぞ?」
──挨拶くらい返さんかい…。
笹木謙三。
コイツは…元い、この人は俺の直属の上司。
この役職の人間の事は〝マネージャー〟と言う名称で呼ぶのが一般的である中、コイツは何故か自分の事を支配人と呼ばせている。
確かに一昔前までは、そんな呼び名もあったようだが、今ではほとんど耳にしない。
俺の中では、死語同然だと思っている。
大体、俺は支配人と言う言葉が嫌いだ。
お客様が勝手にそう呼ぶのは別に構わないが、俺ら社員全員に、強制的に呼ばせる事が気に食わない。
会社と言う組織の中で、上司と言う名目だからこそ部下として、指示に従っているだけであって、コイツに支配された覚えは微塵も無い。
「は、はぁ…。昨日の事ですか?」
「そーだよ。そーだよ。当たり前だろ?それ以外なんかあるか?頼むから迷惑はかけるな…」
──確かに、このホテルのホテルマンが、警察沙汰を起こしたとなれば、ホテルのイメージダウンに繋がり兼ねない。
理由ともあれ、そこは反省すべきか…。
「おい。聞いてるのか?俺の出世に関わるだろが?」
──笑止。少しでもコイツの言葉に耳を傾けた俺が馬鹿だった。
「すいませんでした」
その後もたらたらと説教を垂れていた様だが、ほとんど覚えていない。俺は嫌いな人間の事は〝そういう動物〟だとして見るようにしている。
そうする事で変にイライラする事も無くなり、無駄な労力を使わなくて済むからだ。
──昼時。
「ちょっと貴方!これは何!?冷めてるわよ!」
「申し訳ございません」
「おい、君。この雑な盛り付けは何だ?客を舐めているのか?」
「申し訳ございません」
「今日のスープ、味が濃過ぎるわ。シェフを呼びなさい」
──黙れ、成金マダム。お前が注文したそのくそ安いスープは、市販品だっつーの。壊れてんのはお前の舌の方だ。
とは、言える訳もなく…。
「申し訳ございません…」
俺の使命は、ただただ謝罪ロボットへと化す事だ。
そう。ホテルマンは弱い。圧倒的に弱いのだ。
こちらに落ち度が無くとも、毎回の様にウエイターを怒鳴りつけ、それを生き甲斐にしている化け物のような客がいる。
そんな客には〝御〟も〝様〟も付けなくて良いと個人的には思っている。
勿論、そんなお客様ばかりでは無いが、そう言う客も一定数存在するのは事実なのだ。
──十九時三十分頃。
そろそろ退勤の時刻だ。
俺は笹木マネージャーに挨拶を済ませ、サービス残業をせがまれながらも軽く受け流し、定時きっちりに地下の男子ロッカーへと向かった。
前からニ人の女性が歩いて来る。
「お疲れ様でーす」
従業員通路では、色んな社員やアルバイトの人とすれ違う。
「お疲れ様です」
「聞いてよ!うちの所の田中がほんっと使えなくてさ!」
「あー噂のね。どうせすぐ辞めるでしょ?」
「そうね。はははははっ…」
──そんなに大声で他人の悪口を言わなくても…。
俺は男子ロッカーの扉を開き、自分のロッカー前に着くや否や、すぐに着替え始めた。
「アイツまじでムカつくよな?」
「それな。大体何様だってんだよ」
何処からか会話が聞こえて来る。
──また愚痴か…。
何処に行っても不平不満、罵詈雑言のオンパレード。いくら表ではニコニコしていようとも、これがホテルの裏側だ。
そう。そして俺もその内の1人…。
正直、俺は元々口が悪いし、ホテルマンと言うニコニコとした仮面を被っているが故に、よく腹黒いと言われる。
それもそのはず。俺は極論、他人がどうなろうとどうでもいいし、自分さえ良ければそれでいいと思っている…。
これに関してはみんなそうなのかな?
結局、自分が一番可愛いんだ。
俺が人の喜ぶ姿を見るのが好きなのも、厳密に言えば他人の為、他人を喜ばす為にと言うよりかは、俺がその顔が見たい。見て自分が満足したい。と言う言わば私欲を満たす為だ。
とは言え、頭の中ではこうは言っているものの、実際は自分の考えと行動が食い違う事は多々あるのが現状だ。
もしかすると、〝冷血非道〟そんな自分が好きなだけであって、実際は演じているだけに過ぎず、どっち付かずの中途半端な人間なのかも知れない。
まーそんな俺でも一つ確かな事は、仮に心の中で思ったとしても愚痴を溢したり、他人を貶めたりする様な発言は、控える様に心がけている。
何故か?
結局、それらは自分の弱さが具現化した物に過ぎないからだ。
そう。そんなダサい真似はしたくない。こんな俺でも、そこら辺の〝信念〟みたいな物は持ち合わせている様だ。
俺は着替えを済ませ、ロッカーの扉を閉めた。
「それならそれで先に言えっつーの!」
「アイツはそう言う奴なんだよ」
「死ねよ、マジで…」
──まだ続いてたのね。ご苦労様。
俺は男子ロッカーを後にし、出口へと向かう。
だけど、この閉鎖的でどんよりと曇った環境に身を置いていると、時々自分を忘れてしまいそうになる事もある…。
だからこうして、自分と向き合う時間を作ったりしている訳だ。
…と言っても行き先と言えば、ただのパチンコ店。
自分と向き合う時間を作るどころか、下手すれば何も考えていない。あれやこれやと理由を付けてはみるが、結局の所の、何も考えなくて良い時間を求めて通っているに過ぎない。
〝物は言いよう〟って事だな。
俺は、薄暗い従業員出入り口から外に出た。