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竜星の流れ人  作者: null
二部 六章 常在戦場の身

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常在戦場の身

 地下通路を抜けた先は、煤だらけの暖炉だった。誤解がないように言っておくと、暖炉のある部屋に移動したのではなく、暖炉の内側から出て来たのだ。


 一見して、部屋の主がやんごとなき身分の者であることは窺えた。


 触れずとも、布地の質の高さが分かる赤のビロード生地でできたカーテン。


 背の高い円卓の上にぽつんと置かれた、白い花瓶。そして、そこに挿してある一輪の見事なバラ。


 他にも、重厚な材質で作られた大きな執務机、天蓋付きの大きな寝台、沈み込むような絨毯、振り向けば見える石の材質の見事な暖炉。


 その暖炉の上に飾ってある、大きな人物画に視線が吸い寄せられる。


 金色の髪に、灰色の瞳、そして、憂いと朱を帯びた頬。

 とても、セレーネに似ていた。彼女の数十年先の未来像と言われれば、納得してしまうほどには。


「母です」と燐子の視線の先を追ったセレーネが、片手でローザに指示を出しながら呟いた。「似ているとよく言われるんです。燐子さんも、そうお思いですか?」


「まあ、そうですね」


 答えることに大した意味などないと分かりながらも、他愛ない会話に応じる。


 さっ、とビロードのカーテンを閉めたローザが、セレーネのほうを見やり、軽く頷いた。


「それでは、ローザ。外に出て、見張りをお願いします」

「外に出て、ですか?」ローザは疑わしそうに燐子とミルフィを一瞥した。「しかし、よろしいのでしょうか?その…」


「構いません。誰かに盗み聞きされることのほうが、ずっと恐ろしい」


「承知しました」伏し目がちになってそう答えた王女に、ローザは深く頷き、足早に扉から出て行った。


 直後、品のある沈黙が息づいた。部屋の中央に佇むセレーネの、憂いを帯びた横顔が呼んだものだ。


(やはり、雰囲気のあるお方だ。私など比べ物にならないぐらい、支配者然としている)


 そうしてセレーネの横顔に見惚れていた燐子だったが、突然、不機嫌そうな声で静謐を破ったミルフィのせいで、ハッと我に返った。


「どうやら、やっと話してもらえそう。ですよね、セレーネ王女?」


 嫌味を多分に含んだ台詞に、思わず、彼女の横腹を小突く。


「よせ。品がないぞ」

「はぁ?うっさいわね、気安くつつかないでよ」


 さっきまで手を繋いでいた相手の言葉とは、到底思えない。


 傍若無人とも取れる態度を咎めようかとしたところで、セレーネが、ミルフィの嫌味など相手にもせず、話の口火を切った。


「お二人は、『竜王祭』というものをご存知でしょうか?」


 横顔を向けたまま、独り言のように尋ねた王女の言葉に、「竜王祭?」と顔をしかめて、燐子はオウム返しをした。


 王女はその問いかけに答えることはなく、佇まいを直してからミルフィのほうへと体を向ける。


 貴方はどうですか、と灰色の瞳が言葉なく尋ねる。


「もちろん、知ってますよ。王族の代替わりのときに催される、大きなお祭りのことですよね」


「そうです」こくり、と王女が頷く。「今年は、竜王祭が急遽この夏に執り行われることとなりました」


「夏って…もう直ぐじゃない。どうして、そんな急に…」

「母の容態が芳しくないのです」


 間髪空けずに放たれた返答には、どこか他人事めいた冷たさがあった。


 答えに困っているミルフィを尻目に、セレーネは淡々と続けた。


「燐子さんはご存知ないと思いますが、竜王祭とは、次の王国の支配者となり得る権利を賭けて、王族が選んだ代表者同士を戦わせるものなのです」


「ほう、腕比べか。面白いな」

「まぁ、そう言って頂けると嬉しいですわ」


 急に声を高くしたセレーネに、燐子とミルフィは顔を見合わせた。やがて、ミルフィが、何かを察したかのように表情を変えた。


 臙脂色の瞳が不安や驚愕に揺れ、燐子の意思を確認するように真っ直ぐ彼女へ向けられた。ただ、事態を微塵も理解していない燐子は、不思議そうに小首を傾げるばかりであった。


「何で分かんないのよ」と苛立ちを零したミルフィは、一歩前に出てから、未だに真冬の湖面のように静まり返った王女を睨みつける。


「まさか、燐子をその代表者にするおつもりですか?」

「何?」ミルフィの言葉に、燐子も驚きを露わにする。「それは本当ですか、セレーネ王女」


「…ええ、そのまさかです」王女はゆっくり瞬きをすると、上品な足取りで二人のほうへと近寄った。「燐子さん。貴方の力を見込んで、改めてお願い申し上げます」


 背筋をぴんと伸ばし、両手を前に重ねたセレーネの体の右半分に、穏やかな陽光が降り注ぐ。

 美しい西日に漂う埃が、小さな雪のように光の中を漂っている。


 燐子が目で追っていた一粒の塵が、セレーネの伏し目がちになっていたまつ毛の上に乗りかけたとき、弾かれたようにその目蓋が上げられた。


「どうか、私、セレーネ・リル・ローレライの剣となって、王国の未来を照らしては下さいませんでしょうか」


 よく透き通る声だ、と燐子は場違いに考えていた。


 彼女の声には、不思議と背筋を正させる力がある。支配者たらんとする者の強い想いが、聞く者にそうさせるのかもしれない。


 しん、とした空気が流れた。水底のような静寂。


 隣でひりつく気配をまとい始めたミルフィとは打って変わって、燐子は、内心でほっとしていた。


(どうやら、思っていたより何倍も、話は単純だったらしい)


 ようは、私に勝って欲しいのだ。血分け云々などが重要だったのではなく、ただ、純粋な『力』として私を望んだ。


 てっきり、王女に仕えることを強制されるとばかり思っていたので、事実を知ってしまった今では、むしろ、さっさともったいぶらずに本題を話しておけば良かったのだ、と王女に対して呆れが込み上げた。


 しかし、どうやらミルフィは、燐子とは全く違う感情に襲われていたようで、両手の拳を握り締めながら、怒気を孕んだ言葉を口にした。


「ふざけないでよ…!燐子を、アンタたち王族の権力争いの道具にしようっていうの!?」


 じろり、とセレーネの眼差しにも力強い光がきらめいた。どうやら、王族としてのプライドはしっかりと持っているらしい。


「道具ではありません。剣となってほしいのです」

「どっちだって一緒よ!馬鹿にしてるの!?」


 ミルフィの怒鳴り声を聞いて、慌てた様子でローザが室内に戻って来た。当惑しかけると同時に、憤りだけは原始反射のように顔に浮かべた彼女だったが、セレーネが、「口出し無用ですよ」と制したことで、踏み留まった。


 それから王女は、芯から冷え切ったような眼差しで、窓の外を眺めた。何のつもりなのだろうかと観察していると、何の前触れもなく、彼女がこちらを見やった。


 灰色の瞳に、一瞬だけ、悲愴の色が映った。それはどこか、燐子が故郷を想うときの色と似ていた。戻らぬ何かを偲び、忘れるべきか迷っている…そんな色だ。


「一緒ではありません。少なくとも、燐子さんたちのような人間にとっては」桜色の唇が、小さく動く。


 美しく、毅然とした眼差しが燐子の体を貫いた。そこには、先程までの悲愴を刃に変えたような響きがあった。


 誰かへの怒りをぶつけられている、と直感して、応じる言葉が固くなる。


「いかにも。剣として欲されることと、ただの道具として扱われることには、雲泥の差があります」


 しかし、と前置きして、燐子は続けた。


「口では、なんとでも言えます。貴方がただの道具として利用しようとしているのか、それとも、一振りの剣として欲しているのか――私には、皆目見当がつきません」


 その場にいた他の三人には、燐子が遠回しに断っているふうに聞こえたことだろう。しかしながら、本当のところは、燐子も決めあぐねていた。


 紆余曲折があったとはいえ、セレーネ王女には命を救われている。あちらが果たさなかった責任の尻拭いの結果ではあったものの、何かしらのお礼はしなければ、とも思っていたのだ。


 ただ、それで求められるものが、『仕官する』ことというのであれば話は別である。


 私は、もう仕える先を持ちたくない。

 そうなれば、再び私は檻の中。

 木や鉄の格子では、私という刃を満足に研ぎ上げることはできない。


 自由の味を知った獣は、もう二度と檻の中に戻ることを望まぬように。燐子も同様だった。


 燐子の手厳しい意見を受けたセレーネは、今にも自分に噛み付いてきそうなミルフィをさっと一瞥し、「仰るとおりです」と呟いたかと思うと、流れるような仕草で両膝を床についた。


「姫様!なりません!」事態を飲み込む前に、ローザが大声で王女の行動を咎めた。「このようなよそ者相手に、姫様のような身分の高いものが簡単に頭を下げては――」


「黙りなさい、ローザ!この国が落日の憂き目に遭おうというときに、何が身分ですか!」


 ぴしゃりと言い放たれた一言に、ローザだけでなく、ミルフィも肩を震わせて硬直した。


 高い身分の者特有の、有無を言わさぬ口調だ。いや、口調と言うよりかは、雰囲気、立ち居振る舞いによるものだと考えるべきか。


 唯一、王女の物言いに動揺しなかった燐子は、じっと下から見上げてくるセレーネを見返した。


「燐子さん、どうか、お力添え下さい。あのような男たちに、この国と、この国の民は任せられないのです!」


 誇りのない女性ではない。ただ、それ以上に優先するべきものがあったに過ぎない。


 それが、落日の憂き目、というものに関係があるのだろうか…。


 足元やや前方で、何度も自分の力になるよう懇願している王女のことを頭の隅に追いやりつつ、そう考えた。


 ならば、聞くしかあるまい。


 すっと、燐子のほうもしゃがみ込み、セレーネと同じ目線に合わせる。


 正座をすると、自然と心が静まる。添えるように置いた両の掌には、剣の鍛錬によってできたマメが潰れた痕が残っている。


「セレーネ王女、一先ずは、詳しいお話をお聞かせ下さい。決めるのは、その後です」


 それでいいな、とミルフィにも一言かける。そうすることで、多少は彼女も安心した様子で絨毯の上に腰を下ろした。


 どうでもいいが、あんな豪奢な椅子があるというのに、揃いも揃って地べたに座るものだ。


 王女は、燐子とミルフィの言動に目を丸くしたものの、やがていつもの彼女らしく穏やかに、気品あふれる様子で微笑むと、事の次第を語った。


「分かりました。燐子さん、そして、ミルフィさんも。私の話を聞いた上で、この国で生きる一人の人間として、ご意見をお聞かせ下さい」


 それは、次のようであった。


 この国において、統治者の入れ替わりは竜王祭における一対一のトーナメント戦で決定される。もちろん、優勝者が士官している王族が統治者となる。


 竜王祭への出場権を持っているのは、末っ子で長女であるセレーネ王女。そして、女好きで有名な次男のヘリオス、さらには、武者修行で出て行ったきりだった長男、アストレア。


 少なくとも、セレーネの見立てでは、どちらの兄が支配者となってもろくなことにはならないだろうとのことだ。


 たちが悪いのは、ヘリオスもアストレアも腕に覚えがあるということだ。特にアストレアのほうは、武芸の腕を磨くと言って国を放り出しただけあって、かなりの武芸ものらしい。


「そいつらに対抗するため、私に白羽の矢が立ったということか」話を聞き終えた燐子は、腕を組み、低い声でそう言った。「ミルフィ、どう思う」


 不意に話を振られたミルフィは、話を聞いている間ずっとそうだったのだろう、眉間に溝を刻んで、難しい顔をしていた。


「…確かに、王子たちのいい噂は聞いたことないし」チラリ、と王女を一瞥する。「セレーネ王女のことは、まぁ…」


「遠回しな物言いをするな。この国の民として、お前はどう思うのかと聞いているんだ」


 要領を得ない返しに、燐子の語調がきつくなる。もちろん、それに萎縮するようなミルフィではない。むしろ、目くじらを立てて噛みつき返してきた。


「何よぉ、戦うのは燐子じゃない!そっちこそ、私に委ねないでよ」

「委ねるつもりなどない」正座をしたまま、呆れたように燐子が言う。

「で、でも…危険な目に遭うのは、燐子なんだよ…?」


 不安に揺れるミルフィの瞳に、燐子はくすぐったい気持ちと、ちょっとした苛立ちを覚えた。


 気付けば、ローザも主のやや後方に足を揃えて座していた。やはり、机と椅子があるのに、全員が床に座っているのはかなりシュールだ。


 全く、統治者が民草の声を直々に聞いてくれているというのに、どうしてこうも曖昧な態度でいられるというのだ。


 元々は統治者側である燐子は、セレーネの国を案ずる想いに深く感銘を受けていた。彼女が腰に佩いた太刀と小太刀を抜き、床に置いて見せたのも、そうした感情からだった。


「ご無礼」と一言添えてから、白の太刀を顎の高さまで持ち上げる。


 眼前に構えられた太刀に、慌ててローザが片膝を上げるも、例によって王女に制されて、気もそぞろな様子で固まっていた。


 右手で鞘を持ち、左手でゆっくりと太刀を引き抜く。


 独特な鞘滑りの音が室内に広まると同時に、純白の刀身が息をした。


 何度見ても見事な一振りだ。

 あの骸骨が姿を変えたとは思えないし、少女を斬った刀とも思えない。


「ミルフィ」彼女を視界に入れず、燐子は小さく名を呼んだ。「私は、この一振りと同じだ。どこまで行っても、戦うことしか私には能がない」


 燐子、とミルフィの口元だけが形を変える。誰も口を挟まないうちに、燐子は静かに、しかし、気迫の籠もった口調で続ける。


「――常在戦場。私の道とは、常に危険と共にある。心配無用だ」

「燐子、アンタは別にいいの?こんなことに巻き込まれてさ…」


「分かるだろ、私の道は既に一度途絶えている」


 流れ人と察せられるかもと思ったが、大事なことなので言うべきだと判断した。


「そんな言い方しないで、馬鹿」どうしてか、ミルフィのほうが悲しそうな顔をしていた。「話は最後まで聞け、相棒」


 燐子の言葉に、ミルフィはほんのり紅潮して視線を逸らした。続けても構わないという合図と受け取る。


「…新たな道は、お前と共にある」


 何度目か分からない言葉を、燐子は続けた。


「二人の旅、だろう?」


 ハッとした表情になった後、ミルフィは頷いた。


「だからこそ、ミルフィ、お前が決めてくれ。この国に関わることは、お前やドリトン殿、そして、エミリオに関わることなのだから」


 燐子がそう言うと、ミルフィはごくりと生唾を飲んだ。それから、臙脂色のおさげを自分の胸の前まで持ってきて、指で毛先をいじり出した。


 悩んでいるのは分かったが、口出しするべきではないとも思った。異世界からの流れ者が決めることではないからだ。


 やがて、ミルフィは彼女らしい強気な表情を取り戻した。


 やはり、彼女はこうでなくてはならない。


 曖昧だったり、迷っていたりといった姿よりも、こうして意志の強い姿のほうが、ミルフィらしい。


「私は――」


 強い語気で話の行く末を決める一言を告げようとしているミルフィの声を聞きながら、燐子は口元を綻ばせるのだった。

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