連行
旅支度を整えた格好で、大太刀を自分の目の前に突きつけてきた燐子に、フォージは目を丸くし、その刃と燐子の顔を何度も見比べた。
彼は押し付けられるように、その大太刀を受け取る。
「燐子嬢、こいつは…」
「約束は果たした」
燐子はぽかんとした表情の彼を、凪いだ瞳で見つめた後、ちらりと燃え盛る鉄竜炉へと視線を移した。
手を合わせるか否か逡巡したが、結局は無言のままで目を伏せた。
ここで朱夏のために祈るのは、自己満足が過ぎる。
斬った幼い命のことを、祈り一つで忘却の彼方に追いやるつもりはない。
諸々の報酬をフォージから受け取ると、踵を返して作業場を後にしようとすると、「おい」、とそのまま去ろうとする燐子の背中にフォージが声をかけた。
「行くのか」何も語ろうとしない燐子に合わせるかのように、必要最低限の単語だけで問いかける。
軽く頷き、背を向けたまま肩越しに振り返る。
「もう、犠牲は出ない」
やったのか、と彼の部下らしき職人がぼそっと聞いたものの、燐子は変わらず無愛想な態度で無反応のままだ。
「あの、色々とお世話になりました」
去りゆく燐子の代わりに、ミルフィがきちんと頭を下げて礼を告げた。それに対して礼を言われた職人、町人たちは口々に彼女の謙虚さを褒め称えた。
「みんなの言うとおりだ、二人には感謝してる…が」背を向けたままの燐子を一瞥しながら、フォージは続ける。「燐子嬢、お前、大丈夫なのか?」
「無論だ」
どう見ても無論ではないだろう、とその場にいる全ての人間が思ったが、燐子の心情を代弁するようなミルフィのフォローを耳にして、仕方がないというふうに肩を竦めた。
あまりに淡白な別れになるな、と思いつつも、このぐらい丁度良い気もする。
ミルフィは別としても、自分は英雄ではないのだ。
讃えられる賛辞の全てが、自分には不相応なものでしかない。
鉄竜炉のある作業場から離れる直前に、一つだけ思い出したことがあったため、立ち止まって振り返り、フォージに向かって声を発する。
「頼みがある」
「言ってみろ、俺らにできることは何だって聞いてやる」
彼は同意を求めるように周囲に目配せした。もちろんフォージと目が合った人々は一様にその意見に賛同したのだが、それを確認したフォージが、騎士団の姿がまるでないことを小さく愚痴った。
「薄情者め」
そんなことはどうでもいい。
…自分は、さっさとこの場を離れたい。
「その大太刀の持ち主のことだが、出来れば供養してやってほしい」
「え?何でよ」あまり関係のないミルフィが即座に尋ね返すのを耳にして、燐子は躊躇うように口を閉ざすも、しばらくすると、ぽつりぽつりと答え始める。
「誰にも見送られぬまま土に還るのは、寂しいからな」
「ふぅん、珍しいこともあるのね…」
あまり納得いっていない様子のミルフィだったが、何かを察したようなフォージが荘厳な口調でその提案を了承した。
鉄竜炉が一つ轟音を響かせて火柱を上げた。
それを合図にしたかのように、短く別れの挨拶を告げて燐子が姿を消す。そして、慌ててその場にいる人間に頭を下げたミルフィが後を追った。
直ぐに燐子の背中に追いついたミルフィはその隣に並ぶと、気を遣うようにその肩に片手を置いた。
その優しさが、今の自分には少し眩しすぎる。
そのような気遣いを受けられるほど、行いの良い人間ではないのだ。
本当は、朱夏と同じで、まともにお天道様の下を歩いてはいけない存在なのかもしれない。
ふぅっと鼻から長息を漏らした。
苛々する。
朱夏を、子どもを殺したという自分の行為に対する嫌悪感と、弱い者を守り、未来の犠牲を減らした正しい行為であったという感情とがぶつかり、上手く消化できない形の歪な気持ちが胸の中を渦巻き続けていた。
眼尻が吊り上がり、眉間の皺がより濃くなる。
それが苦しみの発露だと考えたのか、ミルフィは肩に置いた指先をシャツの裾に持っていき、軽く引っ張った。
興味なさそうに彼女のほうを向く。すると、ミルフィは明らかな作り笑いを浮かべており、落ち込んだ燐子を励ますように言った。
「今度はどこの町に行くの?王国内には、もっと素敵な場所が沢山あるのよ」
早く次の目的地を決めましょう、といやに明るい声がドーム状の天井に響く。
元気の付け方が、下手くそな女だ。
そんな女に、これ以上、似合わない真似をさせるわけにはいかないだろう。
「ああ、そうだな。近くにはどんな町があるのだ?」
そう尋ねると、ミルフィはいくつかの町を列挙してみせた。
年中霧が立ち込めている町、砂漠の中に佇むオアシスの町、それから、王国最大の首都。
どれも大変興味深い話だったが、さすがに首都は不味いと彼女に断りを入れる。
「あぁ、王女様に見つかったら旅どころじゃないものね」
「そうならないうちに、できるだけアズールからも、首都からも離れた場所に行くべきかもな」
「だったら、霧の町かな」とミルフィが声を弾ませて言う。
どこだって良い。
ここじゃないどこかで、気のおけない仲間が隣にいるのであれば。
「決まりだな」と二人が声を合わせて宣誓するように言った。もちろん、ミルフィの語尾は自分のように男口調ではない。
貰った報酬金で、もう一頭馬でも買おうかとも思ったが、まだミルフィ一人に乗馬させるには少し不安が残っている。
次の町まで練習しながら進んで、その後でも構わないか。
ドームの外に通じる出口から漏れる光に目を細めて、足を進める。作業場自体が朝でも昼でも薄暗かったため、陽の光がまるで刺激物のように感じられた。
ぎらつく太陽光を避けるように手をかざしていた二人だったが、光に慣れ始めた瞳が捉えた光景にぴたりと揃って足を止めた。
「…遅かったようだ」と燐子が苦笑と共に言う。
「燐子、裏口に回って――」
「無駄だ。この様子なら、そちらももう手が回っておろう」
二人の前に広がっていた光景。それは、翼の生えた生き物――今なら分かる、きっと、ドラゴンのシルエットに、星をいくつか散りばめた意匠の旗が、無数に掲げられているというものだ。
「ふん、どうりで騎士団が鍛冶場にいなかったわけだ」
肩を竦め、呆れたようにそう呟いた燐子に対し、ミルフィは、「何でそう余裕なのよ」と目くじらを立てた。
そうしているうちに、有象無象の騎士団の群れが、二つに分かれた。
燐子は、統率の取れた見事な動きに感心していたのだが、海を割るような動きの先頭にいた女性の姿を見つけて、やはり、という気持ちと、面倒だ、という気持ちが湧き起こった。
陽の光を浴びて輝く、波打つ金糸。
聡明さを宿す、灰色の瞳。
その端正な顔立ちの裏には、どこか、秘密めいたものが隠されているように思えてならない。そうでなければ、ここまで執拗に自分を追って来ることに関して、説明がつかない気がしたからだ。
女性は、どこか慈しみさえ感じさせる儚い微笑をたたえて歩み寄って来ていた。しかしながら、彼女の隣に並んで歩く青髪の従者は、その限りではない。
今にも斬りかかってきそうな表情だ。ただ、何度も会う中で、従者が自分にとって危険な存在と成り得ないことも、燐子は理解していた。
警戒するという意味で、燐子も腰に刷いた白の太刀に手をかけた。それを見て、ミルフィも、従者も緊張した面持ちになる。
「無礼だぞ、流れ者風情が」ふてぶてしい口調で、従者が言った。
「腰巾着め」燐子は、苛立ち混じりにカチャリ、と左手の親指で鯉口を切った。「…礼節を知らんと見えるな。斬ってもよいのだぞ」
「な、何を…!」
冗談ではないことが伝わっているのだろう、従者は口でこそ強気で応じていたが、硬い動きで歩みを止めた。
「やめなさい、ローザ」ぼそり、と女性がローザと呼ばれた青髪の従者を窘めた。
凛とした、澄んだ声だった。
やはり彼女は、支配者としての品格をその身に所持している。
女性はローザに続いて足を止めると、ふわり、と微笑んだ。あまりの完璧な微笑に、それが作りものだということがありありと分かる。
「探しましたよ、燐子さん。ええ、本当に探しました」
「…セレーネ王女」
それは手間を取らせましたな、という皮肉はどうにか引っ込めて、燐子は王女の顔を見返した。
片手を添えた太刀の柄を離すか、燐子は思案した。
彼女としても、敵意があるわけではない。とはいうものの、このまま何も知らないままに連行されるのは耐え難くもある。
考え抜いた結果、燐子は鍔を親指で押し上げて、日輪に白刃を晒した。
「無礼者め!王女の前で、何と愚かな真似をする!」
従者が騒くと同時に、方々から人が集まって来た。騎士団連中はその囲いを小さくしたし、鍛冶場からは怒鳴り声を上げながら、フォージを筆頭とした職人たちが顔を出していた。
「り、燐子…」と今回ばかりは、不安さを隠せないミルフィが、鉄の長弓を抜くかどうか迷いながら燐子に目を向けていた。
その視線に答えようともしないままに、燐子はセレーネのほうをじっと見据えていた。
黒曜石を通して、王女の意図を図るかのように、あるいは、己の眼差し自体を刃にして斬りかかるように。
鉄竜炉が、一際大きく火炎を立ち昇らせる。ごうごうたる火柱に慣れていない騎士団は、一部を除いて驚いたふうに天を見上げていた。
驚いていない連中は、きっと、シュレトールに駐在している者たちなのだろう、不安に揺れる表情をたたえていた。
ややあって、燐子が口を開いた。
「分かっている」その呟きは、深い溜め息と共に発せられた。
カチン、と刃が陽の光を嫌うようにして、再び岩戸の向こう側に隠れる。
一同はそれを見て、安堵しているふうだったが、ただ一人、セレーネ王女だけは初めから分かっていたかのように表情を変えなかった。
「分かって頂いたようで、なによりです」セレーネはそう告げると、無警戒にも燐子の近くに歩み寄った。「ひ、姫様!」
従者の言葉も振り切って、コツコツと、王女は燐子の数歩先までやって来て、立ち止まった。
そこは、十分に私の間合いだ、と斬りもしないのに考えてしまう自分に呆れる一方、どこか誇らしい。
私はまだ、侍の娘だ。
たとえ、あのような子どもを斬ろうとも。
「そう言いますが、この物々しさ…。初めから、行くより他はないのでしょう」
燐子も、表情こそ涼しいままだったが、口調からは不服さが滲み出ていた。そんな彼女に、騎士団たちはいっそう囲いを狭くした。
そちらを振り向かないまま片手を上げた王女のおかげで、彼らは足を止めたものの、警戒心をかき立てられた燐子は、凛とした細い眉を曲げたまま、ミルフィを庇うように一歩前に出た。
「その気になれば、押し通ることだってできる」
苛立ちを露わにした言葉からは、とうとう相手を敬う雰囲気は失われていた。それを聞き逃すわけもない青髪の従者は、今度こそ怒り心頭といった感じで声を大きくした。
「この数相手に、戯言を言うな!」
セレーネが何か言おうとしているのを肌で感じつつも、それより早く、冷徹に、淡白に、燐子は答える。
「ほほう。戯言か」ジロリ、と青髪の従者を、それから、騎士団連中を睥睨する。「ならば、試してみるか?私は、どちらでも構わないのだがな」
ちょっとした冗談のつもりだったが、半分は本気だった。
この程度の囲いを突破するぐらいならば、不可能ではない。
…私一人ならば、だが。
「いい加減になさい、ローザ」と短く従者を窘めた王女は、燐子の心中を読み取ったかのように、「それをなされない理由もあるのでしょう?」と首をわずかに傾けた。
その言葉を聞いて、燐子はぎゅっと唇を固く結んだ。
そうだ、口ではどう言っても、そんな強硬手段は選べない。
ちらり、と後ろのミルフィを見やる。すると彼女は、緊迫した面持ちでありながらも、驚いたふうに目を丸くして視線を返した。
私はどうであれ、ミルフィは王国の領民だ。つまりそれは、故郷や家族、友人を人質に取られているに等しい。
もちろん、聡明さと慈愛を感じさせるセレーネ王女が、そんな無粋で非道な真似をするとは思えない。
しかし、権力者の事情というのは、時にそういった気高さを焼き払うこともあるのだ。
そして、セレーネの澄んだ灰色の瞳からは、その禍々しい炎の燐光が見え隠れしているように思えてならない。
はぁ、と燐子はため息を吐いて、再びミルフィや、鍛冶場のほうから心配そうにこちらを見つめている職人たちを見渡した。
流れ人の事情に、彼女らまでも巻き添えにするわけにはいかない。
「最早、是非もないか」力なく吐息混じりに答える。「承知しました。何処へなりともお連れください。…しかし、ミルフィらを巻き添えにするのはご勘弁を」
「燐子!」ミルフィが大きな声で相棒の名を呼んだ。
臙脂色の瞳を丸く見開き、怒気を孕んだミルフィの様相は、その場にいる臆病者たちを震え上がらせるには十分なものだった。
「何よ、それ!勝手なこと言わないでよッ!」
「致し方あるまい。これは私の事情だ」冷たい物言いに、ミルフィが絶句する。「私のって…」
誤解があってはならないと、急いで燐子は言葉を付け加える。
「私のせいで、お前の旅路まで阻まれては堪らんのだ。折角、村の外に出られたのだろう?ならば――」
「それじゃあ、意味ないじゃないのっ!」
怒号と共に、がっしりと腕を掴まれる。相変わらずの馬鹿力が、今日はどこか心まで握り潰されるようだった。
意味がない、とはどういうことだろう。
彼女は、カランツの村を出て、旅に出ることを夢見ていた。それなのに、旅を続けることに意味がないとは、おかしな話である。
きょとんとした燐子の表情に、彼女が何を言いたいのか悟ったらしいミルフィは、怒りと動揺を半々にしたような顔で視線を逸らした。
だが、ややあって、こらえきれなくなったように小さくかすれた声で続ける。
「…二人の、旅でしょ」
懇願に近い響きに、燐子はハッとした。
「やっぱり…意味ないじゃない…」ぼそりと力なく告げられた言葉に、燐子は胸が熱くなる想いを感じて頷いた。
「すまない…そうであったな」
くるりと顔の向きを変え、セレーネのほうを見やる。
「言葉を翻して申し訳ありませんが、やはり、彼女も同行させて頂きたい」
後ろから、嬉しそうに、あるいは、驚いたように息を吸う気配が感じられて、燐子も妙に肩へと力が入った。
燐子の申し出に、ふっと子どもにするみたいな微笑を浮かべたセレーネは、抑揚のない調子で、「元よりそのつもりです」と答えたのだが、それがまるで、初めからミルフィを人質に使おうと画策していたように思えて、燐子は奥歯をぎりっと噛み締めるのであった。
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