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竜星の流れ人  作者: null
二部 五章 ルナティック・キャンディ

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鬼子

 何の前触れもなく、燐子は弾けるように駆け出した。


 小手調べなど不要である。

 ただ全力でぶつかり、斬り伏せるまでだ。


 こちらの攻撃を受けてから反撃するつもりなのか、朱夏はいつまでも脇構えの姿勢のまま動き出さない。


 どれだけの自信があるのかは分からないが、それで余計なことに思考を割くつもりはない。


「斬るッ!」


 間合いの寸前で飛び上がり、全力の袈裟斬りを朱夏の首筋目掛けて振り下ろす。


 本来なら空中に飛ぶ、というのは姿勢の変更ができないので危険なのだが、一対一、しかも、相手の攻撃の方法を予測できる状態なら先制の攻撃として有用である。


 この姿勢の脇構えからは、下段始動の振り払いしか出せない。切り上げようが切り払おうが、まずは真っ向勝負だ。


 瞬間、朱夏の大太刀に動きがあった。


 叩きつける燐子の太刀筋に合わせるように、下から払い上げる、一筋の銀閃。


 それらが一つに重なった刹那、闇を焦がすような火花が散り、二人の顔を一瞬だけ明るく照らした。


 拮抗したかに思えた剣閃は、直ぐに片方の力が押し切り、もう片方はそのまま押し戻され、勢いのまま弾き飛ばされる。


 押し負けたのは、燐子のほうだった。


 反動を利用して、くるりと空中で姿勢制御をした燐子は、駆け出した位置よりも少し手前程度の場所に着地した。


「くっ…」


 燐子は悔しそうな表情で、大太刀を振り払った姿勢のままこちらを見据えている朱夏を睨みつける。


 何という力だ。こちらは全体重を乗せて、身長よりも遥かに高い打点で斬りつけたというのに、容易に弾き返されてしまうとは…。あの細腕のどこにそんな力があるのだ。


 とにかく、思考を切り替える。


 このまま、少女相手の戦闘と考えていては、直ぐに押し切られ両断される。

 相手は大人、それも豪腕の男として想定するべきだ。


 どうして自分の周りには、馬鹿力の女ばかりが集まるのか不思議に思えた。


 余裕の笑みで再度構え直した朱夏に、地を蹴って接近する。

 先刻とは違って、多少の変速軌道の後、間合いに入る。


 既に明らかに大太刀の間合いのはずなのに、彼女のほうは自分が攻撃するまで動く気はないのか、微動だにしない。


 後の先を突くのが得意なのか。だが、それなら自分だって同じだ。相手の考えることは比較的簡単に予測できる。


 朱夏が大太刀を構えているのとは、反対の方向から飛び込む。同時に、左薙ぎを繰り出す素振りを見せる。


 もしも、自分が朱夏の立場で、この攻撃を目で追えていれば、横薙ぎにして力任せに吹き飛ばすはずだ。確実に、腕力の点で差があることが証明された今なら尚の事。


 案の定、朱夏はほんの少し剣先を引いて力の溜めを図った。


 思考が読まれるということが、どれほど危険なのか知らんと見える。


 同じ戦法は二度も通じない。普通、一度勝てばそれで良いというのが真剣勝負。

 戦国の世では、二度同じ相手と戦うことはほぼあり得ない。

 勝負の結果は、往々にしてどちらかの死をもって迎えられるからだ。


 つまり、一斬必殺の技さえあれば十分。


 そして朱夏の技は、それには届かなかった。


 ――勝機。


 急速反転。左薙ぎを止めて、右回転から相手の背面に向けて右薙ぎを振るう。


 完全に取った。


 朱夏の瞳が驚きに満ちるのが分かる。一テンポ遅れて引いた大太刀を更に深く引いて背中を守るが、そのような無理な受け方ではとても凌げるものではない。


 再び、剣閃が交わり火花が散る。


 切り裂ける。

 そう確信するが、思った以上の頑固な抵抗に合う。


 歯を食いしばり、必死な形相で燐子は両腕にぐっと力を込め、体重をかけた。対称的に、朱夏は楽しそうにふっと笑う。


「…やるじゃぁん、燐子ちゃん」

「いつまでお遊びのつもりだ!」

「お遊びじゃない…っよ!」


 今度は、朱夏が体を回転させた。その拍子に競り合っていた刀が弾け、かすかによろめく。


 体を独楽(こま)のように反時計回りさせる朱夏が振るう大太刀の薙ぎ払いが、真っ直ぐ自分の胴体を狙う。


 生じた運動エネルギーを余すことなく乗せた一撃。

 これこそ、脇構えの大きな利点の一つだ。


 無茶な姿勢からでも、自分の攻撃を受け止めたその剛力。まともに受ければ、どうなるものか。


 反射的に姿勢を低くして、ほとんど地面すれすれまで屈み込む。


 それだけでは危険なので、左手に持った太刀で頭上を掠める剣筋を流し、大太刀の軌道と力を入れるベクトルを重ね、空振りの勢いを後押しする。


 後はそのまま立ち上がり、喉元へ逆袈裟に一太刀叩き込む。


 勝負は一瞬だ。

 いつだって、その刹那のために膨大な時間を注ぎ込んでいる。


 寝る間も惜しんで磨き上げた技術も、崩れるときは、費やした時間の何万分の1にも満たない間に瓦解する。


 邪魔をするもののない一撃が、飛びかかる獣の牙のように朱夏の首筋に食い込もうという瞬間、ぴたりと静止した。


 この斬り合いが始まって、二度目となる朱夏の驚きの表情。


 それをじっと至近距離で見つめた燐子は、濃いブルーの瞳が綺麗だと場違いに考えてしまい、直ぐさま気を引き締めた。


 それから、この町の空気と同じ、乾いた時間が数秒ほど流れた。かと思うと、驚きに目を見開いていた朱夏が、ふっ、と目を細め、呼気混じりに尋ねた。



「どうして止めたのかなぁ、もしかしてぇ、こんな可愛い子は殺せなぁいとか思った?」


 呆れを多分に含んだ朱夏の声は、言葉や口調だけを鑑みれば、子どもがふざけてからかっているようにしか聞こえなかった。とはいうものの、細められた目から零れる眼光には、確かに、いっそう強まった殺気が宿っていた。


 情けをかけられて、屈辱を覚える感情はあるらしい。


 刀を首元から引き、朱夏に背を向けたまま距離を取り、その質問に答える。


「今のは、坑道でミルフィを助けてくれた礼だ」肩越しに、間抜けな表情をした朱夏を振り返る。「これから殺す相手に、借りを作ったままだとやりにくいからな」


 今度は体ごと朱夏を振り返り、太刀を一度納める。


 まだどちらとも息が上がる様子はなく、まさしく勝負はこれからといった空気である。


 今度は、左の太刀の柄を握る。

 逆手に持ったままの太刀をくるりと掌で回し、それから、雲の占める割合が高まった空を貫くように両手で構えた。


(これだ、これなのだ…)


 燐子は内心、不敵に笑った。


 この重さ、しっくりとくる持ち手の感触。

 これこそ、私が長年戦場を共にした一振りの感覚だ。

 最早、一心同体。己を写す鏡と言っても過言ではない。


 抑えていた歓喜が、自らの顔の皮膚を突き破るのが分かる。それに引きずられるように、あるいは征服されるようにして口元が勝手に緩んでしまう。


「はは、バッカじゃない?ほんと」言葉に反比例しているかのように、表情はどこか嬉しそうだ。「パパにそっくり。嫌になっちゃう」


「何…?」言葉の意味が分からず、思わず聞き返してしまう。「パパ、とは誰のことだ」


 しかし、朱夏は返事もせず、大振りの太刀をぐんと頭上に振りかぶり、新たな構えを取った。


 最上段の構え、か。

 どうやら、こっちが本命のようである。


 こちらもそれに応じるように構えを変える。


 左手を鍔側に、右手を柄側に添える。霞の構えだ。


 朱夏の構えが攻撃一辺倒なものだとすれば、こちらは非常に防御へと重点を置いた構えである。


 互いが戦闘態勢に入ったところで、空に昇った半端な月に叢雲がかかった。

 辺りからは光が奪われ、かろうじて互いの顔が見えるといった薄暗さであった。


 チラリ、と見上げた上空は、ほとんどが雲で覆われていたので、しばらくはこの状況下での戦闘を余儀なくされそうだ。


 燐子が相手から目を逸らしていたのは、時間にしてほんの一、二秒ほどであったのだが、そうして視線を再び相手に向けたときには、朱夏は稲妻のような前進を始めていた。


 低い姿勢のまま、得物の柄が後頭部に来るほどまで振りかぶっている。弾力性のある道具を限界まで引っ張ったような張力を感じ、全神経をその白刃に集中させる。


 直後、痺れるような衝撃と共に、少女が高らかに告げた。


「私は、帝国軍特師団所属、天地朱夏(あまつちしゅか)!」

「帝国だと!?」


 磁石の反発のように体を離した二人が、間を置かず、次は互いに呼び合うように勢いよくぶつかる。


 凄まじい威力だ、まともに受け続けるのは危険である。


 頭の一部は戦闘に集中している一方で、残りの部分は先程の名乗りのことを考えていた。


 意図しないものとはいえ、こうも短い期間に、二度も帝国軍とぶつかる形になってしまうとは…。


 いや、それよりも、帝国の流れ人の話はジルバーから聞いていたが、男だと言っていたし、総大将だとも言っていたはずだ。


 帝国には二人もいるのか、日の本の人間が?


 歓喜か、それとも狂気か。

 見極めの難しい感情に染まった顔にその言葉の意図を探ろうとするが、とてもではないがそんな余裕はない。


 高い打点から振り下ろされる一撃を、刃の反りで受け流す。


 そのまま逆袈裟に斬り上げ、続く刀で水平に左薙ぎを仕掛けるも、一撃目はほんの少しの後退で避けられ、二撃目は軽々と頭を低くしてやり過ごされる。


 上段への薙ぎ払いは身長差もあって、効果は薄い。

 やはり、身躱し斬りを最も効果的な一瞬で繰り出すしかあるまい。


 屈んだ体勢から起き上がる際に、体のバネを利用して大太刀が振り上げられるのを何とか受け止める。


 体が浮き上がりそうな衝撃に歯を食いしばるも、繋ぎの唐竹割りを受けて体勢が崩れた。


 自身の体から地面へと、電流のように流れた振り下ろしによる衝撃が、次の行動を遅らせる。


 その隙を見逃さなかった朱夏は、執拗にもう一撃、唐竹割りの構えを取って、全力でその長大な大太刀を燐子へと叩きつけてきた。


(間に合うか)


 構えを解き、体を開いてその力任せの追撃を躱す。

 ギリギリのところを刃は通り過ぎ、鉄の地面に衝突して火花を瞬かせた。


 完全に避けることはできなかったようで、かすかに肩が熱くなる。かすったようだ。おそらく、出血もしている。


 ――強い。油断すれば、確実に殺られる。


 朱夏の顔が歪む。あんな勢いで硬い地面を叩けば、その衝撃は計り知れない。


 むしろ折れなかった太刀が不思議なくらいだ。きっと、あの大太刀も特殊な錬成法で作られているに違いない。


 危なかったが、明らかな好機だ。


 今度は、あちらが燐子の攻撃に一拍遅れて反応する。


 狙いの粗かった袈裟斬りは躱されてしまうも、二撃目を避ける余裕はなかったようで、朱夏はとっさに刃で防いでいた。


 そこから繋げた本命の渾身突きは、朱夏の剥き出しの肩をほんの少しかすめただけで終わった。


 さすがに仕切り直そうと考えたのか、朱夏は大きく後ろに跳躍した。だらりと両手を後ろに下げて、再び脇構えの形に戻る。


 互角だ、と燐子は渇いた唇を舐めながら思った。


 まさか、自分より幼い女が、これほどまでに卓越した剣の腕を見せるとは思ってもいなかった。


 高揚感で体中が熱くなって、ついつい笑みが浮かんでしまうも、我ながら不謹慎だと思い、素早く目を瞑り打ち消す。


 私も馬鹿なものだ。つまらない貸し借りなどにこだわらず、即刻斬り捨ててしまえば良かったものを。


 何が一斬必殺の技だ、身躱し切りをこれ見よがしにしてみせて、下らない意地や形にこだわって、止めを刺さなかったくせに。


 そこまで考えて、ふっと失笑してしまう。


(どうせ、私にはそのような真似はできない)


 例え相手が、どんなに礼節を失った狂人だったとしても、私はそれを捨てられない。


 武士とも侍ともつかない、ただの流浪の剣士に成り果てた自分だが、そういうものを軽視できない人間であることに変わりはないのだから。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


読んでいて疑問に思った点、もっとこうしたほうが読みやすい、などありましたら

是非、お申し付けください!


評価やブックマーク、感想をくださっている皆さんに力を貰っております。


いつも本当にありがとうございます。


また、そうではない方々も貴重なお時間を使っていただいて、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] > 体を独楽のように反時計回りさせる朱夏が振るう大太刀の薙ぎ払いが、真っ直ぐ自分の胴体を狙う。 > 遠心力を余すことなく乗せた一撃。 誤用されている例はよく見ますし、あまり気にする人…
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