白い刀
本日は休みなので、昼夜更新します。
よろしければ、お楽しみください。
そもそも、根本の問題が解決していないことに気が付くのは、鉄竜炉が息を吹き返してから、一度月と太陽が入れ替わってからだった。
ミルフィのお陰で骸骨を討伐し、鉄竜炉の火力で再起不能の黒灰にまで消し去ったところで、ようやくフォージが燐子のボロボロになった太刀を打ち直してくれると約束した。今朝方のことである。
代金は、鉄竜炉の核を取り戻した報酬とは別でサービスしてもらえ、これでまたしばらく安心して旅ができる、と意気込んでいたところで、忘れていた問題が浮上してきた。
その問題は最も忌むべき形で、シュレトールに住まう者たちの前に姿を現した。
つまりそれは、燐子たちの前にもその影を落とすことを意味する。
昼頃、フォージの元に燐子の太刀を取りに戻ったところで、どうにも鍛冶場の様子がおかしいことに気が付いた。
「何かあったのか」と近場にいた騎士団に尋ねる。彼は酷く憔悴しきった顔つきで二人の顔を交互に見比べると、重々しい口調で事態の説明を行った。
「まただ、また…奴が出たんだ」
「奴?」と燐子が難しい顔をすると、横からミルフィが口を挟んだ。「もしかして、赤髪の流れ人のこと?」
苦々しい顔つきで肯定した兵士は、一瞬、作業場の奥に目をやった。
燐子は会話の流れを切って、ずんずんと奥に歩みを進める。その背中に兵士は、「見ないほうがいい」と不安そうな顔をしながら告げた。
鉄竜炉の前では、何人かの人間がしゃがみ込んで手を合わせていた。見覚えのある兵士もいれば、フォージの姿もあった。
誰もが皆一様に深刻な面持ちをしている。
彼らの中央に置いてある布の下からは、真っ赤に染まった二本の足がはみ出ていた。血で濡れていない肌は青白く、明らかに死人のそれであるということが分かるものだ。
ぴたりと動きを止めてそれを見つめていた燐子の影に、フォージが気づいて顔を上げた。それから、彼は何かしら声をかけようと口を開いたが、それよりも早く、燐子が声を発する。
「焼くのか」冷徹で無感情とさえ思える口調だ。「鉄竜炉で」
「ああ、そういう習わしなんだ」フォージが瞳を閉じて告げる。「鉄竜炉によって生きてきた人々を、鉄竜炉で焼いて、灰に変える。そして、その灰をこの町に撒くんだ」
「それがこの町に住む人々の…魂の拠り所になるのか」
「そうなってくれれば、せめてもの救いだと思っている」
ぽつりぽつりと祈るような言葉に、目を瞑った。
思考を切り替える。
今は情報を収集して、可及的速やかに事態の収束を目指さなければならない。
誰の許可も得ずに、そのまま自分もしゃがみ込み、被さっていた布を勢いよくめくる。多少非難するような声も聞こえたが、燐子はそんなことよりも目の前に横たわった女性の遺体に集中した。
「この女性は、確か…」
自分が今泊まっている宿屋のウェイトレスだ。明るく派手だが、丁寧で人好きのする雰囲気の女性だったと思う。
断言できないのは、今やもうその明るさは見る影もなく、死の匂いに押し潰されてしまっていたからだ。
首元を一突き、傷という傷はそれだけで、ほぼ即死だったようだ。しかし、そんなことよりも、服を破り捨てられ赤みを失ってしまった裸体についた、噛み跡のほうに視線がいく。
執拗に噛み付いているようにしか思えない。
胸元、乳房、足の付根、太もも、とりわけ首筋に無数の噛み跡が残っている。
滲み出た陰惨たる狂気を感じ、燐子は背筋に走る悪寒に俯いた。
――…酷いな。
さすがの自分でも哀れみを感じずにはいられない惨状である。
しかし、自分がしたかったことは別にこうして哀れみに酔うことでも、亡くなった女性を無為に辱めることでもない。
大太刀の痕跡はない。
傷口の大きさ、狙っている箇所からして別の武器なのは間違いないだろう。そもそも、わざわざあの大振りの得物で首元を刺突することはない。
「女の場合はいつもこうなのか?」顔を見上げ、誰に聞くでもなく尋ねる。
「ああ、そうだ」
少し答えづらそうに顔を逸したフォージを見据え、小さなため息を吐く。それから布を掛け直し、すっと立ち上がる。
目をつむり、乱れる心を目蓋の裏に宿る暗闇に投影する。
どこまでも、深い、暗がり。
目蓋の裏に広がる闇は、誰の心にでも巣食う狂気と似ている。
いつもそばにあって、いつも見ているのに、見えないふりをしている。
それはきっと、私も。
その黒壇の闇に、駆け抜けてきた戦の炎が瞬いた。
死んでいった仲間たち、殺してきた兵士たち。
彼らはこんな死に方はしなかった。でも、苦しまなかったわけでもなく、望んでいた結果でもない。
しかし、しかしだ。
少なくとも、こんなモノ扱いするような死に方はさせなかったし、しなかった。
(…最早、是非もない)
燐子は閉じた目をゆっくり見開くと、火葬の段取りを話し合っていたフォージのほうを、顔は動かさずに目線だけで見つめ言った。
「私の刀はできているか」
こんなときに、と周囲の兵士の誰かが呟いた声が聞こえたものの、彼は何の文句も言わず一定の調子で肯定した。
「ああ、直ぐにでも渡せる」
「分かった」
後ろから遅れてやって来たミルフィは、自分の顔を一瞥した後、吸い込まれるように布からはみ出した女性の足を一瞥して口元を抑えた。
息を止めて小刻みに瞳を震わせた彼女は、俯いて目を瞑ると、両手を重ねて祈る仕草を取った。
何に祈る。
仏か、異教の神か。
彼女たちが真の安寧を得るためには、誰かの祈りがなければならないのだろうか。
そうでもしなければ、神は安らぎを施してはくれないのだろうか。
…どうでもいいことだ。そもそも自分は信心深いほうではないのだから。
フォージに近づいて、できるだけ周囲には聞こえないよう、小声で今直ぐ刀を返してもらいたいと頼んだ。
「別に構わないが…」不審がる様子のフォージが続ける。「もう行くのか?」
その問いには答えようとしない燐子へ、肩を竦めた彼は作業台のほうへ移動し、がさごそと何かしらの用意をしていた。
その様子を腕組みして見つめていた自分の肩を、いつの間にか近くに寄ってきていたミルフィがやんわりと叩いて、どうするつもりなのか問いかけた。
ほとんどフォージがした問いの内容と同じだったが、隣で横たわる遺体が気になるのか、少し要領を得ない質問にはなっていた。
「まだ、出立はできない」
「そ、そうよね。こんなことがあったんだから」
「だが、いつでもこの町を発てる準備はしておけ」ミルフィが首を傾げる。「どうして?」
「シュレトールに来て、もう一週間近くが過ぎようとしている。そろそろ私のほうも危ういかも知れない」
指名手配されている流れ人を捕らえても、自分まで騎士団に捕まってしまっては目も当てられない。
こんなところで、二人の旅を終わらせるわけにはいかない。
「それもそうね…。あの様子じゃ姫様、地の果てまで追って来そうだったし」こちらを少し責めるような口調に、燐子は低い声で「それはもういい」と答えた。
「だけどさ、だからって犯人を捕まえる良い案があるの?」
「無いこともない」
「何よ、それ」呆れた様子だ。
「とにかく、用意だけはしておいてくれ。私はこんなところで、お前との旅を終わらせたくはない」
「そ、そう…いい心がけじゃない」
口を尖らせた彼女は、どこか満更でもない顔つきで頷くと近寄ってきたフォージの顔を真っ直ぐ見据えた。
自然と、彼の手に握られている太刀へと目線が向かう。
フォージは最低限の装飾を施した鞘を掴んで、燐子の胸の前に出す。一度だけその目を確認するように覗くと、彼は軽く頷いてからこう言った。
「燐子嬢、あんまりその武器、信頼できない人間には見せるなよ」
何故か、と尋ね返す必要もなく首を縦に振る。「さすがに気づいていたか」
フォージは、「当たり前だ」と心外そうに口をへの字に曲げた。
それから彼は、背後の鉄竜炉のほうを振り向かないまま親指で示すと、コアを取り戻してくれたお礼だと前置きして話を続けた。
「ほとんど、手入れが要らないようにしてある」
「何?」何も変わっていない風にしか思えない刀に視線を落とす。「どういう意味だ?」
すると、フォージが刀を鞘から抜くように指示したので、大人しくそれに従って左手でゆっくりと抜刀してみる。
燐子はその刀身を見て、思わず声を上げた。
「まさか、打ち直したのか?」
「まあな、いい素材も手に入ったからよ」
鉛色だった刀身が、真っ白に染まっていた。
まるで新雪のように穢れを知らない刀身は、その無垢さを惜しむことなくその場にいる全ての者に晒している。
――…何と美しいのだろう。
それにしても、この世界の技術者の力には恐れ入る。
一見しただけで太刀を一から製錬したスミスに、打ち直しまで行えてしまうフォージ。これでは、世の中に太刀が出回るのも時間の問題ではないだろうか。
燐子は、彼が口にしていた手入れ不要の言が気になり、それについて問い質す。すると彼は、自慢気に目を細めながら地鳴りのように低い声で告げたのだ。
「多少の刃こぼれぐらいなら、鞘に突っ込んでりゃ自然と元の形に戻るようにしてある」
「は?」あまりにも聞き捨てならない話が聞こえてきて、燐子は即座に聞き返した。「戻る?戻るとは何だ」
フォージは燐子の問いかけの意味がよく分かっていないのか、再び同じ説明を繰り返したものの、そんなことではとても納得できなかった燐子が、もう一度強い口調で尋ねた。
「だから、どういう意味なのだ。戻る、とは。おかしいだろう」
「ああ?そういう素材を使ってんだから、別におかしなことではないだろ」
少し苛立った声で返されて、思わず刀を見つめた。
「そのように馬鹿なことがあるものか」
いつまで経っても信じる様子のない燐子を見かねて、ミルフィがため息を吐き出しながら太刀を奪い取った。
「いつまで同じこと聞いてるのよ、そんなに気になるなら、確かめればいいじゃない」
片目を閉じて、刀を一瞥した彼女がそれを高く掲げて振りかぶった。
これは…酷く、嫌な予感がする。
「おい、お前、何をする気だ」と燐子が呟く。
「決まってるじゃない、こうするのよ!」ミルフィが一気に太刀を振り下ろす。「ば、馬鹿者!やめろ!」
高い金属音がして、床と太刀の間に眩い火花が散った。ある意味では美しい輝きとも言えなくはなかったが、今の燐子はそれどころではなかった。
即座にミルフィから太刀を取り上げて、太刀の刃に顔を近づける。
つい数秒前までは、すらりとして、一片の欠けも見当たらなかった美しい白刃がアンバランスに削れてしまっていた。
それを目にした燐子は、今まで彼女が上げたこともないような悲鳴を喉の奥から絞り出して、ミルフィを振り向いた。
「あああぁっ…!この馬鹿者!お前、前々から頭が足りない奴だとは思っていたが、ここまでだったとは…本当に、どうしてくれる!」
「ちょ、待ちなさいよ、直るんだって言ってたじゃない」
「直らなかったらどうするつもりだ!」
フォージに太刀を取られたことも気づかぬまま燐子が続ける。
「これはな、私の命と同じくらい大事なんだぞ!いや、それ以上と言っても過言ではない」
普段はどちらかというと抑揚に乏しい喋り方をするタイプの燐子が、唐突に早口で、はきはきとした口調になったためか、はたまた単純にその勢いに呑まれたのか、ミルフィが体を後ろに逸して燐子との距離を取った。しかし、燐子の瞳がうるうると涙を抱え始めたことで、ぎょっとした表情に変わった。
「も、もしかして泣いてるのぉ?」反省するというより、ほとほと呆れかえっているといった様子だ。「勘弁してよ…」
「泣いてなどいない!」
「いや、泣いてるじゃん。というか、命より大事なもの、取られたけど」
周囲にいた騎士団もフォージも、火葬の直前だというのにそれも忘れて苦笑いしていた。
燐子は未だに顔を怒りか悲しみかで歪めて、責任が云々だとか口にしていた。
そのあまりの執拗さに、ミルフィはほんの少しだけ、セレーネ王女に追われる燐子の気持ちが分かった気がした。
あんまり同じことを繰り返されると、素直に反省する気が失せるようで、ミルフィは目を細めて口を真一文字に閉じていた。
「信じられぬ」と怒りを露わにしていた燐子だったが、フォージが「ほれ」と口にして差し出した太刀を見て、仰天した。
確かに中央部分辺りが窪んでいたのに、もうすっかり元に戻っている。どんな絡繰りか、呪術なのか。
「直っている…?」
「だから言っただろう」フォージが深い溜め息を吐く。
「よ、良かったじゃん、直ったなら」
ミルフィのその言葉を聞いた燐子はジロリと彼女のほうを睨みつけたが、一度咳払いをしたかと思うと、もう普段の調子に戻っていた。
「凄まじい刀だ。刃こぼれを自己再生するとは…。夢のような技術ではないか」
見事だ、と怜悧さを印象づける表情を見せた燐子だったが、その場にいる人間の誰もが、もう彼女のことをクールな人間だとは思いようがなかった。
「まあ、俺の腕も確かにあるが。お誂え向きな素材があったからだよ」
不敵な微笑みを浮かべていた燐子だったが、一瞬で怪訝そうな表情に変わり、フォージの言葉をオウム返しした。
お誂え向き?まさか…。
「待て、…何を使った」
「何って、お前さんたちが倒した――」
その言葉の続きを聞かずとも理解できた燐子は、手にとった太刀の刃紋をじっと見つめた。
ざらりと、刃紋が蠢くように揺れる。生きているようだ。
…いや、生きているのだ。あの骸骨の魔物が。
私の命ともいえる太刀の中で。
額に手を当てたまま、ふらりと姿勢を後ろに崩した燐子を、ミルフィが何とか素早く受け止める。
「あ、ありえん、このような、私の…私の太刀が…」
ぶつぶつと何かを呟いている彼女を、ミルフィは可哀想なものを眺めるような目で見下ろしていた。
燐子には、刀を二本、小太刀一本を持たせていますが、
武士は基本的に太刀と脇差らしいですね。
最近は時代小説や時代劇で勉強しておりますが、
至らぬところが未だ無限にあると思います。
その辺りは、フィクションとして楽しんで頂きつつ、
なにかアドバイスがあれば、浅学な私にこっそりお教えください…。
なにはともあれ、ありがとうございました。




