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竜星の流れ人  作者: null
二部 四章 骸返し

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そうして竜は、息を吹き返す

炎の煌きは、時に恐ろしく、時に人を魅了するものですね。

「うわ、まだ動いてる」


 隣を並んで歩いていたミルフィが、嫌悪感を剥き出しにして両手に抱えた木箱の中身を覗き込んだ。


 中には、降り積もった細雪のような白い粉がなみなみに入っている。あの骸骨の骨粉だ。信じられないことに、まだ元の形に戻ろうと蠢き、幾筋のもの細い線をその雪上に描き出していた。


 本当は自分が持とうとしたのだが、擦り傷だらけの体を心配してか、抱えた木箱ごと彼女に奪い去られてしまい、手持ち無沙汰のまま列に続いた。


 目の前に整然と並んでいる人々の手元には、ミルフィと同じような箱が抱かれており、みんなが等しく同じ場所を目指していた。その場所は、鉄竜炉の鍛冶場である。


 どれだけ砕いても再生しかねない魔物の様子を見て、この町の代表者のような役割を担っているらしいフォージが、いっそのこと灰にしてしまおうと提案したのだ。


 必死になってハンマーを振るっていた騎士団は、盲点だったと肩を落としながら笑っていたのだが、その表情の裏には空元気が見え隠れしていた。


 仲間が死んだのだ、無理もない。しかも、どう見ても犬死だった。


 燐子は、布に包まれていく兵士の遺体のことを思い出して、少し口元をへの字に歪めた。


 だから言ったのだ、近づくなと。

 力のない人間が戦ったところで何になる。

 余計な感傷に浸らなければならなくなる者が増えるだけではないか。


 自分はその限りではないが、残された者たちの嘆きや涙は見るに耐えない。


 自分が斬った者の死にも、そうした悲しみがついて回ることをあまり考えたくはなかった。


 特にミルフィのような、親を戦争に奪われた人間と話すようになってから、その感情はより強くなっていた。


 誰もが私のように、戦いたくて戦っているわけではない、か。


 以前、ミルフィにぶつけられた言葉が脳裏に蘇る。


 まるで爪の中に入り込んだ土のように、思い出したときに、自責の念のようなものが忍び寄って来るのだ。しかも、土とは違って、簡単には取り除けない。


 記憶はいつも、勝手に自分の血液の隙間に入り込んでいるくせに、呼んでもないときに姿を覗かせる。


 ずくんと、こめかみが痛んだ。

 何の脈絡もなく、兄弟たちの顔が浮かんだ。


 こうして全く関係のない記憶が、時折、思い出したように自分に話しかけてくるのだ。


 自分の中の深い部分に潜っていた燐子は、ふと肩を叩かれて我に返った。そちらを驚いたように振り向くと、同様に、あるいは、もしかすると彼女以上にびっくりした顔をしたフォージが動きを止めて燐子のほうを見ていた。


「あ、悪い」


 心の底から漏れたような謝罪の声に頭を振って答えると、一体何の用なのかと尋ねた。


 それに対して、「聞いてなかったの?」とミルフィに咎められ、自分が思っていた以上に、考え事に没頭していたことに気が付いた。


「もう、しっかりしてよ」言葉とは裏腹に、優しい響きが含まれている。「鉄竜炉の着火を特等席で見せてくれるんだって」


 その話に、「ほう」と感嘆の声が漏れる。


 この町そのものだと彼に言わせるほどの技術の結晶である、鉄竜炉。


 それが蘇る瞬間は、非常に価値があるものだと容易に想像できる。


「是非、見せてくれ」

「だからぁ、見せてくれるんだって」


 幼子にするような微笑みを浮かべるミルフィは、先ほどからどこか機嫌が良さそうであった。


 フォージはそれを改めて快諾すると、鉄竜炉から離れて、ドーム状の鍛冶場から出て行った。


 どんどん目的の炉から遠ざかっていくその背中を追いかけ、疑問を口にする。


「む、鉄竜炉の着火を見せてくれるのではなかったのか?」

「まあまあ、いいから来い」


 発した言葉自体は粗暴なものであったが、そこには子どもっぽい響きが内包されていた。


 そう、悪戯の種明かしを今か今かと待っている子どものようだ。


 同じように不思議そうにしていたミルフィと顔を見合わせながらも、大人しく彼の後についていく。


 一度建物を出て、裏に回る。ドーム状の背面に沿うように備え付けられた階段を上に登っていく。


 頼りのない手摺に手を掛けて、地上から段々と距離を離す。地表は遠ざかるのに、空は大して近づいて来ないから不思議だ。


 三十秒ほどで頂上に到着し、自分の胸ぐらいまでの高さの壁に囲まれた空間に出た。


 中央には開閉式の大きな丸い穴が空いており、それをぐるりと囲むように小さな穴が並んでいる。


 彼に促されて、その小さな穴の一つに近づいていく。


 どうやら、鉄竜炉の真上辺りまで来たようだ。


 それから少しの間黙って、フォージが何か言うのを待っていた。明らかに何かを待っているようだったので、もうこれ以上は何も急かさないし、尋ねない。


 五分も経たないうちに、足元のほうから大きな声で、準備完了の報告が上がってきた。骨を全部放り込むのを待っていたようだ。


 フォージはいくつか念入りに確認を繰り返すと、ようやく二人に声をかけた。


「待たせたな」眉間の皺が濃くなる。随分と気合が入っているようだ。「よぉく見ておけよ、この町が目覚める瞬間だ」


 その声に、静かに心を躍らせながら穴の中を覗き込む。


「中央の穴には近づくなよ」と笑いながらも真剣な眼差しで警告すると、それから大きく息を吸い込み叫んだ。「よぉし!着火だぁ!」


 獣の咆哮のような声に驚いてしまうが、直後、広がった光景に意識の全てを奪われた。


 鉄竜炉の底のほうから赤い炎がぽつりぽつりと現れて、炉の内側に沿うように連続して紅蓮の螺旋を描かれる。


 初めは、幻想的な光景ではあるものの、そこまで言うほどのものかと内心がっかりしていたのだが、本番はここからだった。


 炉の中央が青白く輝いたかと思うと、大きな青の炎が浮かび上がり、赤い炎を追うように昇っていく。


 天に昇る龍のようだ。


 次第に、赤と青の奔流が円筒内で互いを食い合うようにうねり始めた。やがて、円筒の中が炎でいっぱいになったかと思うと、フォージが少し下がるように呟いた。


 何故だろうかと疑う暇もなく、次の瞬間には、二色の炎が大きな穴から天を貫くようにして、いや、翔け上がる様にして放出された。


 隣で下を覗いていたミルフィが、短い悲鳴と共に燐子の右腕にしがみついた。


 あまりの出来事に声も出なかった燐子だったが、その目は炎の輝きと同じくらい強く感動で光を放っていた。


 目の前に突如現れた極太の炎の柱が、曇天に風穴を空け、青空と太陽を呼び戻す。


 数秒も経つと消えてしまった炎の柱だったが、小さな穴から見える炉の中心は、未だに煌々と燃え盛る二重螺旋があった。


 曇天を裂き、炎の母とも言える太陽の元に帰っていく二頭の龍。


 こんなにも壮大で、美しく、人智を軽々と凌駕するような存在がこの世にあろうとは思いもよらなかった。


 ――これが、竜の遺産か。


 自分は結局、知っていることしか知らないのだ。


 今ほど燐子は、その当たり前の事実を痛感したことはなかった。


 本や見聞で博識になったつもりになっても、それはおそらく本当に知っていることとは全く性質を異にするものなのだ。


 似ているようで、全く違う。二つはきっと赤の他人だ。

 人の気持ちだって、きっと。分からなくて当然なのだ。


 戦うばかりの人生であったために、自分はそうなったのかもしれないと思ったこともあるが、多分違う。知ろうとしていなかっただけだ。


 他人の気持ちも、自分が本当にしたいことも。


 だが…知らないならば、知ればいい。単純なことではないか。


 不意に、自分の直ぐそばで声が上がる。


「凄いわぁ燐子、こんなの、今まで見たことがない!」


 子どもみたいに目を輝かせてはしゃぐミルフィ。


「ミルフィ」気づいたら名前を呼んでいた。「やっぱり、お前と旅に出て良かった」


 鉄竜炉の炎に当てられたように、熱っぽい声が喉から零れ出る。


 本当に自分のものなのか、つい疑いたくなるほどの熱い想いがそこにはあった。


 本人さえそんな調子なのだから、もちろん声をかけられたミルフィは、さらに気が動転した様子で燐子のほうをちらちらと見ていた。


 何か言おうとしているのに、何も思いつかない、そんな感じだった。


 鉄竜炉の火炎にも負けないくらいに赤い髪と、頬。

 何かを期待している一方で、何かを恐れているみたいな表情。

 さっきの私の声みたいに、沸騰しそうな想い。


 どうして、こんな顔をしているのだろう。

 どうして、こんなに息苦しそうなのだろう。


 知りたいと思った。

 初めてこんなにも、他人のことを知りたいと。


 自由になった私のまま、この先、色んなことを学んでいくことができたならば。


 いつか彼女の気持ちも、自分の想いも、理解することが出来るだろうか。


「私もよ、燐子」


 何とか声を振り絞って告げられたミルフィの言葉に、頷きながら微笑んで見せる。


 小さな火の粉みたいな彼女の瞳に、吸い込まれそうだった。


 吸い込まれたら、鉄竜炉に投げ込まれた骨粉のように跡形もなく、灰となって消えられるのだろうか。


 ごほん、とわざとらしい大きな咳払いが燐子とミルフィの意識を現実に引き戻す。


「あ」と小さく声を上げたミルフィが、勢いよく両手で燐子を跳ね飛ばしたため、彼女は尻もちをついてしまった。


「あー…お邪魔だったか?」

「別に!全然!」


 瞬時に冷却された燐子の思考が、こんな人間のことが理解できる日など、永劫に来ないのではないか、と数秒前の自分に問いかけているのだった。

これにて四章は終わりとなります。


お読み頂き、ありがとうございました!

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