綺麗な二人
世の中には、綺麗なものが沢山あります。
ただ、それらの美しさの全てが万人共通ではないということは、
忘れてはならないでしょう。
両腕に痺れるような疲労感を覚えて、ミルフィは深いため息を吐いた。それを聞いた町民たちが驚いた様子で自分のほうを見つめたので、慌てて笑顔を装う。
この弓、重い。
いくら両端を折り畳んで、両手で持ったとしても、やっぱり木の弓のようにはいかない。
鉄の矢も、貰った五本のうち三本をあの魔物に撃ち込んだため、ほとんどの残っていないのに、ずっしりとした重みを腰に感じさせていた。
いや、正直、物の重さよりも、あの弦を引き絞ったことへの片腕の負担のほうがとんでもない。
フォージが囃し立てたせいで、今回の騒動を収めた立役者のように町民からは見られているようだったが、燐子の、というか自分のために動いただけだったので、かえって居心地の悪さを感じてしまう。
しかも、そのせいで、迂闊に文句を垂れることすらできなくなっている。
それに、肝心の犯人が捕まっていない。
丘を下って数メートル、大通りに出てから歩くこと三十秒足らずで、本物の骸と化した魔物の姿が見えてきた。その足元に何人かが集まって何か喚いている。そこには燐子の姿も混じって見えた。何故かシュカは地面に寝転がっていた。
自分の目は、確かにあの骸骨の大振りをまともに受けた燐子を捉えた気がしたのだが、どうにかこうにか躱していたらしい。よく分からないけれど、彼女ならあり得る。
動かなくなった燐子を遠目に見ていた間、口の中はカラカラに渇いて、呼吸もまともにできなかった。
彼女の砂土で汚れた背中を見て、段々と胸の鼓動が高鳴ってくる。
思えば、燐子を明確に『助けた』と言い切れるようなケースは、今回が初めてではないだろうか。
坑道内では自分のことを邪魔だ、と言って邪険に扱った燐子だ。それに対して見返してやりたい気持ちも当然あったが、純粋に彼女の力になりたい、役に立ちたい、ひいては対等になりたいという願いが強かった。
願い、なんて綺麗な言葉ではないかもしれない。
もっと、こう、濁ったもの。
欲求?欲望?そんな感じだ。
次第に、その凛と真っすぐ伸びた背筋が近づくにつれて、ミルフィは何と声掛けするかで悩み始めた。
『全く、手間を掛けさせるわね』とか?それとも、『どう?邪魔扱いした人間に助けられる気分は』とか?
いや、どちらもちょっと傲慢さが過ぎる。
そもそも燐子は死にかけたのだし、実際、死人が出ている以上、あまりふざけた態度はしたくない。
ならば、『大丈夫?』なんて言うのか?その挙げ句、『もう、心配したんだから』なんて言って目を潤ませるのか?
思わず想像してしまった上目遣いで涙を滲ませる自分の姿に、口の中が苦いものでいっぱいになるのを感じた。
そんな恥ずかしい真似、絶対に御免である。まるで、夫の身を案じる妻ではないか。
結局、納得できる案が浮かばないうちに、燐子がこちらの足音に気が付いて振り向いた。その白い頬は擦り傷だらけで、思わず顔をしかめてしまう。
「またあんな無茶して、死んだらどうするのよ」
とどのつまり、自分は可愛げのない女なのだ。
いつだって、危険に身を晒して弱い者を守ろうとしてくれている彼女に、こんな無愛想な言葉しかぶつけられない。
ほんの少しの自己嫌悪を胸に、目をしばしばさせている燐子の顔を見つめ返す。
言い返す気力も、今の彼女には湧かないのだろうか。本当に大丈夫なのか、ついつい心配になってしまう。
燐子はそのまま呆然とした様子でじっとこちらの顔と、両手に抱えた鉄のロングボウを見比べると何とも言えない表情に変わって、素早く目の前までにじり寄った。
その行動に驚きながら、小さく愚痴っぽく「な、何よ」と尋ねる。
「まさか、お前がやったのか」
あまり名前を呼んでくれないことを今更ながらに拗ねながら、その問いに肯定する。
「そうだけど、何」自分の悪い癖だと自覚していながらも、さらに余計な一言も付け加えてしまう。「これに懲りたら、もう二度、私を邪魔者呼ばわりしないことね」
その強気な発言に、首を傾げた燐子が言う。
「何の話だ。私がいつお前のことを邪魔者扱いした?」
「したじゃない…。坑道で、それから逃げるとき」
顎で示した骸骨は、未だにかすかに微動しており、その類まれ無い再生力を町民や騎士団の面々に晒していた。
先程まで砂の上に倒れ込んでいたシュカの姿が、その中にあった。
どうやら粉々にしても元の姿に戻ろうとする骸骨が気に入ったようで、破片を集めては足で踏み潰すという行為を繰り返している。どこか、心の貧しさを感じさせる行為だ。
ミルフィの指摘を受けた燐子は、小さく相槌を打つと、横目でシュカを睨みつけながら吐き捨てるように答えた。
「それはあの小娘に言ったのだ。ああ、そうだ、何故にあいつを寄越したのだ?シュカのせいで死ぬ目にあったぞ」
後半は少しの文句が混じっていたが、今のミルフィの耳には、前半の否定の言葉しかまともに入ってきてはいなかった。
何だ、自分のことを邪魔だと言ったわけではなく、ずっときゃんきゃんふざけているシュカに怒っていたのか。それならば多少は納得できる。
自分の勘違いだったことを悟り、羞恥でほんのりと頬を赤く染めた彼女は、ぶっきらぼうな様子で、「ああ、そうなのね」と口にした。だが、後を追うようにして放たれた燐子の言葉に、更に顔を紅潮させることとなった。
「何を怒っているのか知らないが…。私はな、ミルフィ。お前のことを邪魔だと感じたことなど一度もないぞ」
「え?」
それからもう一度口を開けて、続く言葉を口にしようとした燐子だったが、ふと、何かに気づいたように視線を周囲に巡らせると、一歩、二歩とこちらに近づき、耳元に唇を寄せて言った。
「この世界に来てから、ミルフィには助けてもらいっぱなしなのだ。カランツでの生活の世話、大トカゲと戦ったとき、そして帝国と刃を交えたときも、いつだってな」
一息に言い切った彼女の吐息が聴覚を刺激して、思わず、燐子を真似たように吐息が漏れてしまう。それから、周囲の目線も気になって体を離そうとする。
「ちょっと、近いってば…」
「おい、周りに聞かれるだろう」
そう言って肩を抱くようにして自分の身を寄せた燐子に、ミルフィは石膏像のように硬直してしまった。
悪気はない。そう、悪気はないのだが…。
周囲から、ほんの少しだけ冷やかすような声が上がっている気がする。それに、ハッと目が合ったシュカが、小賢しいにやけ面を向けてきていたこともあって、羞恥が加速度的に増大していく。
「おおかた、私がいつもまともにお礼を言わないから、気が立っているのだろう。まあ、その、ちゃんと感謝はしているのだ。ただ、それを口にする習慣がないものでな…」
ぼそぼそと低いトーンで吐息混じりに囁かれる彼女の言葉に、ぞくりと鳥肌が立つ。
これでは、意識しないということのほうが無茶な話だ。
「流れ人の世話など大変なことばかりとは思うが、これからも、この調子でよろしく頼むぞ、相棒」
最後の言葉は自分でも相当恥ずかしかったのか、彼女も頬を林檎のように真っ赤にしていたのだが、ミルフィはというと、もちろんそれどころではなかった。
鼓膜を打つ、魅惑的な囁き声。
自分の心を揺さぶる数々の言葉を紡ぐ、艶めかしい唇。
それから、恥じらいながらも、実直にこちらを見つめるその黒曜石の瞳…。
列挙したそれらに包まれながら、燐子の口にした、『相棒』という言葉を脳内で反芻する。
熱に浮かされたように再生されたその言葉に対して、燐子が少しおどけた様子で、「からかうのは無しだ」と言った。
その瞬間、ミルフィの胸に筆舌に尽くしがたい感情が波のように押し寄せ、ぎゅっとロングボウを持つ両手に力が入った。
そもそもが、そもそも見た目が良すぎる、いや、自分のタイプど真ん中すぎるのだ。
そのうえで、こんなふうに色んなことを共に経験して、共に命を預けあうとなれば、もうそうなるのが自然というものなのではないだろうか。
さらに、そこに来て、この殺し文句である。
これを何の含みもなくやっているのだから、恋愛経験が皆無だというのは、かえって恐ろしいものだ。
(お、落ち着くのよ…この馬鹿の言うことに、深い意味はないんだから)
身悶えする心をどうにか落ち着かせ、深呼吸を繰り返し始めたミルフィから体を離して、燐子がどこか誇らしげな様子でミルフィの肩に手を置いた。
「それに、私の太刀とお前の弓、互いに足りない部分を補い合うことができそうだしな」
その言葉が照れ隠しで言っているのか、本心から言っているのかははっきりしなかったが、少なくとも、皮肉で言っているわけでも何でもないことだけは分かった。
周囲の人間が指笛を吹く音で我に返り、慌てて燐子から体を離す。
「わ、分かった」これだけでは、何かおかしいだろうか。「私も、感謝してるし。こ、こ、これからも、よろしく」
顔が熱を帯びて火を吹きそうだ、と考えていたミルフィと、それを怪訝そうに見つめていた燐子の間に、小さな影が割り込んでくる。
「いいなぁ、二人とも。羨ましい」口を尖らせたシュカだ。
「べ、別に、何も羨ましがられることなんてないわよ」
絶対に揶揄されると身構えていたミルフィの耳に届いたのは、意外な言葉であった。
「ううん、二人とも、とっても綺麗」
「綺麗?」と首を傾げる。「シュカめ、仕置が足りないのか」
そう言って拳骨を握った燐子に、その握り方じゃ拳を痛めるかもしれないと、謎の感想を抱いたミルフィだったが、彼女に染み付いた表向きの謙虚さが自動で反応して言葉が出る。
「砂だらけだし、綺麗じゃないわよ」
すると、シュカはどうでもいいように首を振った。
「綺麗だよ、とってもぉ」
その濃いブルーのガラス玉が、一瞬自分の知らない色に染まったような気がして、無意識のうちに息を飲む。
(何だろう、この感じ…)
自分の第六感が告げる声に、耳を傾けようとするも、町民に危機が去ったことを伝えて回っていたフォージが姿を現したことで、それに名前を与える機会はなくなってしまった。
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