彼女に足りないものを
四章スタートです。
ちょっとでも楽しんで頂けると、私も嬉しいです。
先刻から度重なる地鳴りに、ミルフィは地下に置き去りにした燐子のことを思って背筋が寒くなった。
姿は見えなかったけれど、ただの魔物のようには感じなかった。きっと、とても恐ろしく凶暴な相手なのだ。
鉄竜炉のコアを両手に抱えたままフォージの元まで走ると、彼は驚愕と歓喜に満ちた目をこちらに向けて、全身を使って感情を表現していた。しかし、ミルフィが切羽詰まった様相で事情を説明したところ、その喜びの表情を崩した。
「さっきから聞こえる地鳴りはそいつのせいだったのか。近づくなって燐子嬢には忠告し
ておいたのにッ…!」
まるで燐子が悪いかのような物言いに、苛立ちと焦りをミックスにした調子で言葉をぶつける。
「向こうから追いかけてきたのよ!仕方がないから、燐子が足止めしてるんじゃない!」
こんなことを彼に怒鳴りつけても無意味だということを、頭のどこかでは理解していた。しかし、こんなことだからこそ言わずにはいられなかった。
隣で退屈そうにしていたシュカが欠伸を噛み殺しながら、ミルフィの剣幕を茶化した。
「こわぁい」
「アンタは黙ってなさい!」
ぴしゃりと言い放った彼女の言葉を聞いて、シュカは真面目な口調に戻ってから「本当に怖いんだけど」と呟いた。
フォージはその会話を気まずそうに聞いていたかと思うと、「悪い」と呟いた。それから、このままでは燐子が危険だと語った。
火の点いていない炉が、炎の宿る瞬間を今か今かと待ちわびているようにも見えたが、今はそれどころではない。
「分かってます。だから、迎えに行かないと」
「いや、それも危険だ」彼は腕を組んで重々しく口を少しだけ開いて告げた。
「じゃあ何ですか、まさかコアさえ戻れば、燐子は見殺しにしても良いって言うつもりですか?」
「違う」わずかに気分を害した口調だ。「そんな薄情な真似、するはずないだろう」
氷のように冷たい口調のお陰で、いくらか自分のヒートアップした感情が収まっていく。
二人が来るまでは作業場の掃除をしていたようで、片手にはモップが握られていて、彼はそれを机にもたせかけた。
きっと、いつ火が灯っても良いように、こうして毎日炉や作業場の整備を欠かさずに行っていたのだろう。
本当は今直ぐにでもコアを鉄竜炉にはめて、眠りについた町をその暖かな火で起こしてやりたいはずなのだ。
それを我慢して、燐子のことを考えている。当然と言えば当然だが、それが当たり前にできるかどうかは全くの別問題だ。
「俺も爺さんからしか聞いたことがないんだが、そいつはまともなやり方では倒せないらしい」
「どうして?」
「分からない。だが何十年も昔、町中の人間で討伐に行ったときは、結局は倒せずじまいで、怪我人と死人だけ出して逃げ帰ったらしい」
そんな危険な相手なのに単身残してしまったのか、とミルフィは歯噛みした。すると、その後悔を感じ取ったのか、シュカが珍しく真面目な様子で告げる。
「大丈夫。まだ地鳴りがしてるから、生きてるよ、燐子ちゃん」
「だが、それも時間の問題だ」
シュカのフォローに元気を取り戻す暇もないまま、彼の言葉に息を呑んだ。
「早く、燐子嬢を地上まで戻すんだ」
「でも、そんなことをしたら町が」
「住民は可能な限り避難させる」フォージがこちらの言葉を遮るようにして言った。
そのわずかにくすんだ目には、決然とした意志が感じられる。
「建物が壊されても、鉄竜炉さえ動けばすぐに修理できる。それに、戦うにしても、あんな狭くて暗い場所じゃあ、勝てるもんも勝てないだろう」
彼は戦うつもりなのだ。まともにやっても勝てないと言いながらも、勝つ方法を模索している。
深刻な顔つきになっているミルフィとフォージをよそに、シュカが楽しそうに片手を高く上げて口を開く。
「はぁーい!私が燐子ちゃんを迎えに行って来まぁす」
「え?アンタが?」
「うん。さっさと行ったほうが良くない?」
確かに、なるべく早く彼女を迎えに行ったほうが良いに違いない。
そう判断して、二つ返事で承諾し、彼女を送り出す。遊びにでも出かけるかのような軽快な走りにため息が零れる。
燐子とて、無敵ではない。
この世界に来て、無茶とも言える戦いを生き残ってきた彼女だったが、その実、いつだって死と隣り合わせであった。
カランツで帝国と戦ったときなどは、王女の力が無ければ死んでいたはずなのだ。
いつも、いつも、彼女ばかりが危険な目に合っている。
自分はずっと、燐子の後ろから矢を放つだけだ。
…燐子の足手まといになっていないだろうか。
燐子と対等でいたいはずなのに。
ベットするものの重さは、いつだって不平等だ。
だけど、と自らが背負っている弓矢の重みに意識を向け、そっと片手でそれを掴む。
『お前は猟師なのだから、戦いは私に任せておけばよい』
かつて、燐子が無力を嘆いた自分に向けて放った言葉が思い起こされる。
私と同じで、励ましや慰めが下手くそな女性なのだ、燐子は。
あの言葉が、今でも私と彼女を隔てている。
その分厚すぎる壁に風穴を空けたいと願いながらも、彼女の戦いを間近で何度も見ている手前、それが今のままでは叶わないとも分かっている。
すると、そのくたびれた弓を覗き込んだフォージが、呆れた声を出して尋ねた。
「おい、お嬢ちゃん。まさかそんなボロい弓で奴と戦う気なのか?」
「え、えぇ…これしかないですし」
ミルフィとしては、自分には弓の腕しかないというつもりで告げたのだが、彼は全く違う意味で捉えたらしく、「それは駄目だな」と声を上げて、自分についてくるように言った。
「え、どこに行くんですか、早く住民の避難を…」
彼は曖昧に頷きながら奥の作業場へと姿を消してしまったので、仕方がなく、その後を追う。
フォージは鉄竜炉のある部屋まで進むと、いくつか積み重なった箱を引っ張り出して、乱暴にそれらの蓋を開け始めた。
一体何をしているのだろうかと不審に思い、いい加減住民の避難をするべきだと伝えようとした瞬間、お目当ての箱が見つかったらしい彼が「あったぞ」と声を上げた。
フォージが手招きしながら箱の中を示し、「好きなものを選べ」と言ったので、何事かとそばに歩み寄る。
「これ、全部弓?」中を覗き込むと、色んな形の弓が入っていた。
彼の顔を振り向いて確認すると、「サービスだ」と唸るように返事をされる。
「少なくとも、どれもその弓よりかはまともなはずだ」
思い出の詰まった弓だったので、馬鹿にされるのは多少不愉快だったが、正直、正論でしかないと思う。今は有難くその好意にあずかることにした。
金属製の弓がずらりと並び、一見して耐久性、威力共に申し分無さそうだ。
その中でも、一際目についた一本があった。
掴み上げてみると、想像以上の重さで、つい息が漏れる。
両端が折り畳み式になっているロングボウだ。引き絞るだけでも一苦労しそうに見えるが、放たれる矢は絶大な威力と射程を持つことになるだろう。
「あー、それはおススメしないな。威力はお墨付きだが、大の男でも弦が引けないんで、お蔵入りになった代物だ」
フォージの言葉を上の空で聞きながら、大トカゲと戦ったときのことを思い出す。
自分の矢は一発たりと外れはしなかったが、硬すぎる外殻に阻まれて、ほとんど役には立たなかった。
当然、燐子の太刀だって外殻を断てず、結果として敵の口腔を狙わざるを得ないという危険な状況を生み出した。
もしも、自分にその貫通力があれば。
燐子の刃が通じない相手を射抜ける力が、自分にあれば。
きっと、燐子の役に立てる。
彼女と、対等でいられる。
「お嬢ちゃんじゃ、多分構えることも――」
ぐっと右腕に力を込めて、弓を持ち上げる。水平に維持し、狙いを定めるイメージを行う。
重いけれど、構えられないほどではない。ただ、長時間こうしていられるかというと微妙だ。
「お…マジかよ」
「あの、これ、試し撃ちがしたいんですけど」
初めは無理だと呟いていた彼も、ミルフィの真剣な眼差しを見ているうちに気が変わったようで、適当な鉄板を壁に重ねてから「撃ってみろ」と呟いた。
腰に括った矢筒から一本矢を取り出す。それから流れるような動作で弦に矢を番え、引き絞るために力を入れるが、あまりにも重くて失敗する。
「ほら見ろ」と呟いたフォージにムッと目くじらを立てる。そして、その苛立ちを腕に注ぎ込んで矢を構え直し、勢いよく引き絞った。
一度限界まで張りつめられた弦は、高い金属音のような音を鳴らしながら、放たれるそのときを今か今かと待っていた。
その様子を妙な声を上げながら見守っているフォージの声を遠ざけるように、意識を集中していく。
渾身の力を保ったまま、狙いを絞ろうと試みるが、どうにもブレが生じてしまう。
ゆっくりと息を吐きながら、少しずつ照準を定める。
――…いける。
ブレが収まる瞬間を待って、左手を離す。
雷電のように空間を駆け抜けた矢が、鉄板のやや上の壁に突き刺さり、貫通する勢いでそのままへし折れた。
凄まじい威力だ。
自分でも愕然としている最中、壁にもたれかかっていたフォージが声にならない叫びを上げている。
何の叫びかはっきりとは分からないが、おそらくは、作業場の壁に風穴が空いたことへのショックからのものだろう。
「ミルフィ嬢ちゃん!的はあっちだ!何てところに穴を開けてやがるんだ」
何事かを叫びながらこちらに近づいてくる彼のことも忘れ、手に残った痺れに酔いしれるようにミルフィが呟いた。
「戦える」
「あぁ?」
「これで燐子の役に立てるわ、やっと」
爛々と目を輝かせる彼女に毒気を抜かれたフォージは、こめかみを片手で掻いた後、苦笑いを浮かべた。
「金属製の矢もいくつかあるかもしれねぇ。用意してやるから待ってろ」
素直な感謝の気持ちを胸に、ミルフィが健やかな笑顔でフォージを見上げた。
「ありがとう、おじさん!」
被っていた猫を脱ぎ捨てた真っ直ぐな口調に片眉を下げた彼だったが、ミルフィがあまりにも嬉しそうに見つめてくるものだから、しまいには肩を竦めて苦笑いした。
「おじさんは余計だ」
足りないものを埋め合う…。
物語の中でなくとも、最高に素敵なことですよね。
まあ、似た者同士というのも、素敵ではあるんですけど。
何はともあれ、ご覧頂きありがとうございました。




