這い出る、鉱山の主
この章における中ボス戦、スタートです。
前を行くランタンの光を目で追いながら、昨日引き返した地点に、もう辿り着いたのかと燐子は考えていた。
坑道探索も二日目に入って、この見通しの悪い暗がりにも目が慣れてきた。ランタンに関しても、追加でもう一個持ってきていたので、前と後ろが明るい。
他にも、何度か前日襲われたコウモリと出くわしたのだが、今度はある程度戦い方も分かっていたし、新しい太刀の重量感にも手が馴染み始めていたので、そう苦戦することはなかった。
本当は前を行くシュカにも戦列に加わってほしいものではあったが、小生意気にも別料金を請求してきたので、鼻であしらった。現金な奴だ。
どのくらいの深さまで潜ったのか分からないが、これ以上進めば、二度と陽の光の当たる場所まで戻ってこられないような錯覚すらも覚える。長いこと陽に当たっていないと、どうしても精神が後ろ向きになってしまうのかもしれない。
ぎゅっと太刀の柄を握り、気を引き締める。
ここから先は袋小路を虱潰しに当たって、誰も潜んでいないか確認する、とシュカが宣言したので、単調だった道のりがかすかに変化することになった。そうは言っても、行き先が闇か壁かに変わっただけに過ぎない。
二回、三回と小部屋に突き当たったあたりで、燐子は段々と気持ちが萎えていくのを自覚した。
まさかとは思うが、この先ずっとこんな単調作業を繰り返した挙げ句、何も見つかりませんでした、という結末ではあるまいな。
ぞっとするほどの閉塞感の中、文句の一つも言わずに無心で周囲に手がかりがないか目を光らせているミルフィを見ると、自分が内心愚痴でいっぱいなのが多少恥ずかしくなる。
しかし、つまらないものはつまらないのだ。
例の大太刀使いは見つからなくとも、せめてフォージが言っていた鉱山の凶暴な魔物には出会いたい。さらに欲を言えば手合わせしたい。そんな、最早目的から乖離してしまった自分の願望が頭の中に充満する。
何も考えられなくなるくらいの刹那を、待ち焦がれている。
自分のそういうどうしようもない部分を、最近、ようやく認められるようになった。
だが、そんな彼女の願いも虚しく、どこをどう歩こうとも一向に強敵の気配は感じられなかった。それどころか、同胞の死を敏感に感じ取ったのか、コウモリの魔物すら見当たらなくなってしまった。
これでは本当にただの坑道探検だ、と燐子がこっそり肩を落としてから一時間ほどして、ようやく事態に動きがあった。
突然、先頭を歩いていたシュカが足を止めて蹲った。てっきり何か踏んで怪我でもしたのかと思ったが、彼女が再び立ち上がり、その指先で示していたものを目視したとき、反射的に燐子とミルフィは声を上げてしまった。
それを聞いたシュカは満足そうに口元を三日月状にして微笑むと、愉快そうに鼻歌を歌った。
「足跡か?」二人もしゃがみ込んでその跡を観察する。「随分と綺麗に残ってるわね」
ミルフィの言葉に頷く。
確かに、はっきりと残りすぎている気もする。
「罠かも」
「そうか」燐子は興味なさそうに呟く。
そんな燐子に正気を疑うような眼差しを向けたミルフィは、燐子にどうするのかを問いかけた。
ただ、それでも彼女は淡々と一定のペースで歩き、前のシュカを追いかけただけで、その問いに答えようとはしない。
駆け足で燐子の隣に並んだミルフィがもう一度同じ質問をしたことで、ようやくまともな返答をよこした。
「どうもこうもない。ようやく見せた尻尾だ、追わないわけにはいかないだろう」
「たとえそれが毒の針の付いた尻尾であっても」、と付け足した燐子はじっと闇の奥を見据えていた。
見る人が見れば、彼女が滾らせ始めた闘志に気が付くのだろうが、今それが分かる者は、残念ながらその場には誰もいなかった。
痕跡を発見してから十分弱歩いたところで、ようやく開けた場所に出た。
永遠に続くと思われた閉塞感から途端に解放されて、逆に居心地の悪ささえ感じてしまうも、向かいの壁際に置かれた木箱を目にして、そんなものは容易に霧散した。
坑道に残されていた人工物はいくつか見たが、その箱だけは明らかに最近まで使われていた形跡があった。
その中身を想像して、一度止めた足を前に進める。シュカもそれに伴い、自分の横について箱に近寄る。
この中に、鉄竜炉のコアがあるのだろうか。
一見して、鍵が掛かっているようには思えない。
しかし、こんなにも不用心なのは不自然である。本当に中身が、自分が想像している通りなのだとすればだが。
及び腰になってもしょうがない。今は一先ず、警戒しつつも蓋を開けるしかあるまい。
ミルフィに視線で合図を送り、入り口のほうを見張ってもらう。彼女も中身を確認したかったのか、少し不満げな表情を覗かせた。
ただ、ミルフィのほうも魔物に追い詰められる危険性を考慮したのだろう、黙って入り口のほうへ向かった。
しゃがみ込み、隣で瞳を輝かせるシュカに頷く。
シュカは熟練の盗人のようだし、罠があれば何か言うだろう。少なくとも、生死に関わる罠ならば。
蓋に手をかけ、慎重に開ける。いつでも飛び退ける体勢を整えたままぐっと上蓋を押しのける。
開けた瞬間に何か起こるかとも予測したが、杞憂であった。一つ、燐子の息が深く吐き出された以外には何も起こらなかったのだ。
中を覗き込むと、かすかに異臭がする。だが、悪臭ではなく、むしろ、何か甘い良い匂いのようなものがした。
黒々とした重厚な鉄塊。最初の印象はそのようなものであったが、よくよく観察してみると、もっと技巧を凝らした、『作品』とも言うべき物であることが分かる。
どこがどう動くのかはさっぱり分からなかったが、素人目に見ても並ではなかった。
「これが、鉄竜炉の核」
漏れた呟きなど聞こえないのか、シュカが箱の中に手を突っ込み、その金属の塊に見えるコアを持ち上げた。
ふわりと甘い匂いが鼻先をくすぐった。どうやらこの核から匂いはしているらしい。
「うぅん、別に綺麗じゃないや」
頓狂な声を上げたシュカに、「落とすなよ」と念押しする。ここで壊されでもしたら、たまったものではない。
思いのほか簡単に手に入ってしまったと思ったが、ここ数日間駆け回ったことを考えれば、一概に容易だったとは言い難い。
シュカの両手に抱えられたコアをまじまじと見るが、とてもこれが生き物の体の一部で出来ているとは思えなかった。それほどまでに、完成された宝石のような美しさがあった。
「盗んだ人間はどこに…」
はたと思い出して呟くも、周囲に人が隠れられるような場所は見当たらない。
「そんなことどうでもいいよぉ。早く帰って熱いシャワー浴びたぁい」
状況が分かっていないとしか思えないほど、呑気な声を上げるシュカを横目に、再び周囲へ意識を向ける。
逃げたのか?いや、そんなはずはない。どこへ逃げるというのだ。自分たちはシュレトールの町からほぼ真っ直ぐ坑道を進んできたのだぞ。途中で脇道に逸れて、袋小路にぶつかったときにでも町へ抜けたのだろうか…。
そうして視線を四隅に向けていると、ふと、ミルフィの姿がないことに気が付いた。
さっきまで入り口に立って見張りの役割を果たしていたと思うのだが、そこには彼女の影一つ見当たらない。
一体どこへ、と眉をしかめたところで、燐子が見据えていた入り口の奥からミルフィが早歩きで戻ってきた。何か慌てているようにも見える。
ミルフィはさっと自分のそばまで来たかと思うと、押し殺した声で早口に告げた。
「奥の方から何か来るわ。まだ遠いけど、近づいて来てる」
「魔物か?」燐子が目を細める。「それとも、人か?」
彼女は首を振ってどちらか判断がつかないことを示すと、早く町へ戻ろうと提案した。それに両手を上げて賛成したシュカが、自分かミルフィにコアを持つように言った。
自分が持つべきかとも思ったが、魔物と遭遇したときのことを考えると、自分が直ぐに動けるほうがいいと判断して、ミルフィに核の運搬を任せた。当然、シュカに一度頼んだのだが、また別料金を請求してくる始末だったので諦めた。
開けた空間から、また細い坑道のほうに引き返す。
ミルフィが言う何かの気配は自分には感じられなかったが、幼い頃から猟師をしていた彼女が言うことだ、警戒しておいて損はない。
背後を警戒しながら、来た道を引き返していく。相変わらず遠足気分で鼻歌を口ずさんでいるシュカを先頭に、物を持って動きが鈍くなっているミルフィ、それから殿を自分が務める。
しきりに背後を振り返るミルフィに、まだ気配がするのか尋ねると、彼女は無言で頷いた。その表情にはかすかな怯えが見られる。段々と近づいてきているらしい。
ミルフィの珍しい感情の発露に、こちらも気が引き締まる。
来た道の半分ほど引き返したところか。そう燐子が壁の凹凸を見つめながら足を動かしていると、不意に、ミルフィが飛び上がるように自分の顔を振り返ったことで思わず足を止めた。
何だ、という言葉が喉まで出かかったが、その視線が自分ではなく、自分の後方の闇に向けられていることを感じ取り、ミルフィ以上の勢いで体を反転させる。
今なら、自分でも分かる。
木の虚の奥に続くような闇の中、蠢く邪な気配。
爪弾けば襲いかかってきそうな、強烈な殺気。
急速に感覚が研ぎ澄まされていくのを感じながら、太刀を素早く抜刀し、二人のほうを肩越しに振り返り叫ぶ。
「早く行け!」
「でも」躊躇するミルフィ。「本当にだいじょぉぶ?」
シュカの危機感の一切ない声音が、張り詰めた神経を逆撫でして、つい荒々しい語気になって返す。
「邪魔だ!」
燐子の怒号に、逡巡していたミルフィの表情が今にも泣き出しそうに歪んだかと思うと、弾かれるようにして彼女は駆け出した。
落とさないか心配だが、今はもうそれどころではない。
両手で抱えている荷物の重さを感じさせない俊敏な走りだ。その後ろを、一度こちらを振り向き、両手を手首だけ回転させて笑ったシュカが追いかける。
人を苛立たせるために、わざとしているとしか思えない行為の数々だ。ただ、ランタンを一つだけ置いていったのは褒めてやろう。
暗闇から這い寄る気配が段々と強くなる。一切の唸り声を上げずに忍び寄ってくる不気味さが、いっそう自分の中の闘志に薪をくべる。
分かる、こいつはただの雑魚ではない。そして人間でもない。きっとフォージの言っていた凶暴な魔物だろう。
強敵との戦い、再び巡ってきた千載一遇の好機。
どんな相手であろうと、自分を研ぎ上げる研磨剤になってもらう。
呼吸を整え、太刀を握る指先に全身の神経を集中させる。
「さあ、来い…ッ!」
フォージは危険な相手だから手を出すなと忠告していたが、どんな強敵だろうと、相手が生き物である限り葬る術はある。
死ぬまで刻むか、首を落とす。
そうすれば、殺せる。
ぬっと暗闇から影が這い出てくる。その姿を万全の体勢で迎え討つ。刀を斜めに構え、いつ襲撃されてもいいように防御の姿勢を取る。
だが、ぬるりと現れた敵の全貌を見たとき、燐子の思考は停止した。
ランタンの頼りない光で作った円の中に、紫に光る二つの目玉が聖域を侵す毒のように浮かび上がった。
普段はこの坑道を通らないのか、奴は人間の倍の背丈、いや、それ以上にある体をくの字に折り曲げ、上から自分を見下ろしている。
前情報通り、その両手には明らかに刃こぼれしきっているだろう大きな剣と、盾と呼ぶにはおこがましい鉄塊が握られていた。
ああ、そうだ。それは確かに耳にしていたのだが…。
燐子はゆっくりと、奴の爪先から額までを観察した。それから、その想像を越えた姿に思わずごくりと喉を鳴らした。
「ほ、ほとんど、骨ではないか…」
相手の体は人間とほぼ同様の作りをしていたものの、肉はことごとく削ぎ落ちていて、最早、骨と剣盾で出来ていると言っても過言ではなかった。もちろん、サイズ感は人間など比べ物にならない。
骸骨が、どういう絡繰りか意思を持って動いている、そんな風にしか考えられない。
殺気の込もった視線が自分に向けられて、燐子は直ぐさま戦いに意識を戻し、相手の出方を窺った。
相手は、見るからにこの狭い坑道では戦いづらそうだが、逆に言えば、あちらの攻撃を躱す隙間もほとんどないのだ。
いや、というか斬ったらちゃんと死ぬのか?こいつ。
どう見ても、斬撃による出血が見込めない体の作りをしている気がするのだが。
そんなことを考えていた燐子に対して、再び妖しく紫の目玉が光った。
来る。
こちらの都合など、奴には関係ないのだ。
みなさん、お疲れさまです。
みなさんのちょっとした楽しみになれればと、執筆しておりますが、
一ミリくらいはそうなれているでしょうか?
何はともあれ、ご覧になって頂きありがとうございました!




