暗闇に響く羽音
道の先には鬱屈とした暗闇だけが広がっていた。自分たちの背後では、ランタンの光を吸収していくように延々と闇が後をつけてきている。
ところどころ壁を支えるように立っている木製の柱は、随分と古びてしまっていて、今にも折れてしまいそうな印象を受けた。
ほとんど密閉に近い状態の息苦しい空気が辺りに充満しており、仕方がないとはいえ呼吸をするだけでも、何か塵のようなものが体に蓄積しているのではないかと不快になる。
歩けども、歩けども、似たような景色が広がっている。すなわち、暗闇か土かの二択だ。
シュカと名乗った少女が案内したのは、シュレトールの地下に迷路のように広がった古い坑道であった。
彼女曰く、あれだけ町の中を探したのにどこにも見当たらず、そのうえ、まだ町から出ていないということは、ここにコア泥棒が潜伏しているに違いない、ということだった。
確かに理に適っている気もするが、このような場所に隠れるだろうか。
そう初めのうちは考えていたのだが、歩いていると、人が潜むには格好の場所とも言える空間も少なからず存在しているのが分かった。
元々隣接する鉱山との通路として使われていたものらしいが、あまりに掘り過ぎたことで、鉱山から魔物を逆流させてしまったり、地図無しではまともに歩き回れないほど入り組んでしまったりとあって、今ではほとんど利用されていないらしい。ご丁寧に入り口には簡易的な鍵までしてあった。
さすがに町への出入り口付近には魔物の気配はなかったが、30分も進めばそこら中、魔物の気配だらけになった。
今のところ襲ってくる様子はないものの、闇のベールの向こう側から狙われている感覚がして、どうにも落ち着けない。
初めは物珍しさから興奮気味であった燐子も、次第に口数が減り、今喋っているのはほとんどシュカだけになった。
彼女の突飛な発言に、時折ミルフィが指摘を入れるぐらいのもので、坑道はほとんどシュカと魔物の独壇場とも言える状況だ。
先頭を行くシュカは、絶え間なくお喋りを続けていたかと思うと、突然鼻歌を歌いだして二人を驚かせていたのだが、すっかりそれに慣れた燐子は死んだように口を閉ざしたまま足だけ動かしていた。
対してミルフィは、少女の発言にいちいち苛立ったり怒ったりして、こちらをからかいたいだけのシュカを喜ばせている。
どこから持ってきたのかは秘密であると一点張りだった坑道の地図も、入る直前にシュカが数分間黙々と読んでいただけで、今ではすっかり彼女の懐の中から出て来なくなった。
思えば、彼女が沈黙と呼べる静寂を作ったのはそのときだけである。
まさか一度見ただけで暗記しているはずはないと疑ったのだが、今まで一度も足も止めず、かといって行き止まりにぶつかっていないことを考えれば、シュカにはその手の才能があると認めざるを得ない。
本職は別だと言っていたが、どう考えても生粋の泥棒である。もちろん、ただの盗人かどうかはまだ判断つかない。
不意に、気持ちよく鼻歌を歌っていたシュカの足が初めて止まった。
あまりに急に立ち止まったものだから、丁度真後ろを歩いていたミルフィが少女の背中に思い切りぶつかり、二人して体勢を崩しかける。
「急に止まらないでよ」とシュカを咎めるミルフィだったが、「止まらないなんて言ってないよぉ」と屁理屈を捏ねられて、顔をしかめる。
じっと暗闇と土の境界線を見つめていたシュカが、バッと燐子のほうを振り返った。その菫青石の瞳には変わらず好奇の光が瞬いている。
シュカの言いたいことを悟って、数歩、暗闇のそばへと進んで彼女の前を塞ぐように立つ。
「燐子」ミルフィが小声で囁く。「何かいるわ」
本当に暗闇でも良く見えるのだな、と感心する。
「何匹だ」
「ん、はっきりとは分からないけど、5、6匹かな」
「多いな、本当にそんなにいるのか?」
暗黒に閉ざされた道の先のことは、わずかな気配でしか分からない。
「多分ね」ミルフィが頷いたので、それを信じて心の準備をする。
静かに太刀へと手を伸ばし、ゆっくりと引き抜く。
鞘を滑る金属音が、狭苦しい坑道に反響して余計に大きく聞こえた。そのせいか、暗闇の中の気配が一際強く蠢いたのを感じる。
スミスがこしらえてくれた、私だけの一振り。
漆黒の鞘。
透けるような黒い刀身。
それから、牙や爪といった装飾で暴力的な色を見せる峰。
これでは、殺さぬための峰打ちはできそうにない。
普段よりも少し重みのある感覚が慣れないものの、戦えないというほどではない。むしろこの新鮮さこそ、自分があの夜を生き延びた甲斐に繋がっているというものだ。
先頭にいたシュカが、ご機嫌な足取りで燐子たちの背後に回り込んでランタンを置いた。隠れる仕草こそしているものの、そこには一切の恐怖心は感じられない。
ひょっこりとミルフィの後ろから顔を出し、愉快そうな口調で告げる、
「それじゃあ、お手並み拝見だね!」
シュカの言葉を合図にしたかのように、暗闇から魔物が一斉に飛び出して来る。
「コウモリ!?」
ミルフィが大きな声を上げながら、番えた矢を放つものの、狭い坑道を縦横無尽に飛び回る相手にはかすりもしない。
ミルフィの舌打ちを背中に聞きながら、敵との距離を測るために真っ直ぐ水平に切っ先を構える。
大きな口を開いてこちらに向かってくるコウモリから目を離さず、タイミングを図る。
幸い一匹目は真正面からだったので、ほとんど最小限の動きだけで仕留められる。
ただ、両断したつもりだったのに、中途半端に切り裂いただけに過ぎなかった。
スミスの言ったとおり、オリジナルの日本刀よりも格段に切れ味は落ちているようだ。しかし、重さがある分、叩き切ることと切り裂くことの中間の技が自然とできる。
(見事だ、スミス)心の中で呟く。
振り下ろした刀を、返す形で下から逆袈裟斬りを放つ。
二匹目は被膜を狙ったためか、簡単に切断できた。
「すごぉーい」と無邪気に拍手をするシュカの口調が鬱陶しい。
「っ!」しかし、三匹目が勢いよく自分に噛み付いてきて、紙一重でそれを何とか躱すも、前衛を突破された形となり、焦燥の声が上がる。「ミルフィ!」
ミルフィは小さく悲鳴を上げると頭を下げてそれを回避し、振り向きざまに早撃ちする。
「もう!的が小さくて、当たらない!」
直ぐにフォローしたいのは山々なのだが、残りの二匹が波状攻撃を仕掛けてきて、辛うじて刀身で防ぐので精一杯になってしまう。距離を離した二匹が、再び弧を描いてこちらに向かってくる。
「大丈夫か、ミルフィ!」振り向かず、問いかける。「こっちはいいから、さっさとそっちを始末して!」
「分かった!」一先ず、自分の相手に集中するべきだ。
飛んでくる矢を払い落とす経験はあっても、変則的な動きで宙を舞い迫り来る相手を切り落とす経験は、残念ながら一度も無い。
どうするべきだ。
また引きつけて斬り捨てるか。
しかし、そのやり方では二匹目が仕留められない。最悪、一撃貰うかもしれない。
ならば――。
素早く小太刀を逆手で抜き、流れるような動きで順手に持ち替える。
息を浅く強く吐き出すと同時に、勢いよく小太刀を振りかぶり投擲する。
直線軌道を描いた銀の矢は、思いのほか的確に先頭のコウモリの皮膜を貫き、撃墜する。
忍の訓練は受けていないが、これぐらいなら見様見真似でできる、と燐子は少し得意げになって続く二匹目に狙いを絞って、横薙ぎに太刀を振るった。
しかし、直前の慢心によるものなのか、その一閃は想像より一拍遅く空間を薙ぎ払い、最後の一匹の頭上を掠めただけとなってしまった。
「しまった!?」慌てて体を捻り、その牙を躱す。
少しだけ刀身が重くなっていることを計算できていなかった。戦う直前まではその小さな差異を覚えていたのに、自分としたことが迂闊だった。
コウモリはそのまま真っ直ぐ飛んで、一匹仕留めたらしいミルフィの背後に迫っていた。
「ミルフィ!後ろだ!」
間に合わないか。
思考と同時に駆け出すも、滑空するようにスピードを上げるコウモリの背中に全く追いつけず、声を荒げて彼女を呼んだ。
ミルフィが振り向く動きがとてもゆっくりと燐子の網膜に映るが、どう考えても間に合いそうにない。
反射的に顔の前に両手をかざし防御の構えを取ったミルフィだったが、まともに受ければ怪我では済まない牙の大きさだ。
その悲惨な光景を覚悟した刹那、突然、コウモリ型の魔物が地に墜落した。
初めは何が起こったのか分からなかった。しかし、右手を肩の高さまで上げたシュカと、魔物の脳天に突き刺さったミルフィのナイフを見て、彼女が何かしたのだと直感した。
「パンパカパーン、真ん中ずどーん」
自分のナイフが腰の鞘から消えているのに気づいて、ミルフィは困惑した様子で声を上げ、何度も自分の鞘と刺さったナイフとを見比べていた。
何をした、と聞きそうになったが、状況からして、シュカがナイフをミルフィの腰から抜き去って投擲したことは間違いない。
「ふんふふんふーん」
少女は、鼻歌を口ずさみながらミルフィのナイフを魔物の遺骸から引き抜くと、くるりと手元で回転させて逆手に持ち直した。
持ち主に返却するのだろうかと様子を観察していると、シュカは何故か燐子に近づいてきて追い越し、燐子が皮膜を貫いたコウモリの元へと歩み寄った。
「おい、何を…」全て言い切る前に、シュカが思い切りナイフを振りかざして瀕死のコウモリへ深々と刃を突き立てた。
「止めを刺しておかないと、可愛そうだよぉ」
苦悶に満ちた断末魔が坑道にけたたましく響き渡り、思わず耳を塞ぐ。それを無感情な瞳で見つめていた少女はつまらなさそうに鼻を鳴らすと、ミルフィのほうへとナイフを放って言った。
「ばっちいから、返すね」
放物線を描いて地面に落下したナイフを、恐る恐るといった手付きで彼女が拾い上げる。
見えなかった。いや、予想もしていなかったというのが正しいか。
それにしても…正確無比な一撃だった。
あまりに見事な手際だったためか、自分の目の前に崩れ落ちたコウモリの死骸を、幻でも見るかのように目を擦りながらミルフィが見つめる。
「今の、シュカがやったの?」
分かりきったことを聞いているが、それを尋ねたくなる気持ちも分からないでもなかった。
「うん、そうだよ」
シュカはどうでもよさそうに肯定すると、また先頭に立って歩き出した。何でもないことのようにしている風体が逆に不自然だ。
「おい」こちらを振り返りもしない彼女に口調を険しくして問いを重ねる。「お前、本当にただの盗人なのか」
するとその質問にシュカは、大儀そうに両手を頭の後ろに据えてから反応した。
「その前に、私の名前は『おい』でも、『お前』でもないんだけどぉ」
「そんなことはどうでもいい」明らかに話題を逸しているように感じ、苛立った様子の燐子。「えぇ?良くないんだけどぉ」
やたらに間延びした口調が、段々こちらを嘲っているように思えてくる。燐子の顔つきは元々シリアス気味なのに、より殺伐とした表情に変わる。
それを見かねてか、ミルフィが代わりに尋ねた。
「ねぇシュカ、どうしてそんなに強いの?」
「別に、普通だよ。燐子ちゃんだって、私と大して変わらないのに強いじゃん」
シュカの金色の髪に付着した赤い血液に目が留まる。とても鮮やかな赤だ。
「私はお前ぐらいの歳には戦場にいた」あくまで白を切るつもりらしいシュカに続ける。「お前も、そうなのか」
自分が戦場に出ていた頃を思い出す。
周りより、ずっと幼い頃から大人たちの戦いに加わっていたものだが、それでも自分と変わらない年齢の子どもも確かにいた。
だが、彼らは自分と違って『戦わなければならない』子どもたちだった。
そうでなければ、生きられないから。
幸い、父が治めていた領地ではそのような人間はほとんど出さずに済んでいた。
では何故、自分がそういう子どもたちのことを知っているのか。
一度たぐりよせてしまった記憶の糸が自分の意思から独立して、勝手に見たくもない過去の情景を蘇らせてしまう。
それを完全に知覚してしまう前に、今度は自分の意思でその糸を切断する。
ぬらりと赤く光る、嫌な糸だ。
燐子は眉間の皺が普段の数倍濃くなるほど、強く目を瞑った。
思い出したくもなかった。
兵士ではない相手を斬ることほど、反吐が出るものはない。しかも、子どもなら尚の事。
兵力の不足した軍というのは、民草から徴兵を行うことがままある。しかし、明らかな素人であっても、敵は敵だ。
明日の糧を得るために必死で向かってくる以上、斬るしかない。
窮鼠猫を噛む、そうした素人に殺されてきた仲間だって、少ないもののゼロではないのだ。
シュカは燐子の問いには答えず軽く肩を竦めると、再び闇の奥へと足を伸ばす。
いつの間にか拾い上げていたランタンを片手に進む少女の後ろ姿を見て、まるで黒い何かに呑まれるようだと燐子は胸をしめつけられた。
燐子は自分でも想像できないほどに弱々しい口調で、その背中に独り言のように投げかける。
「すまないが、一度戻ろう」
その発言に後方のミルフィが「どうしたの?」と呟く。
「燐子ちゃん何で?まだいけるでしょ?」
「あぁ、いや…それはそうなのだが」
珍しく煮え切らない言い方をする燐子に、ミルフィが心配そうに近寄り声をかけるも、彼女は瞳を伏せたままで、しばらく何も答えなかった。しかし、シュカがくるりとターンして二人のそばに戻ってくると、かすかにほっとした様子で言った。
「思っていた以上に敵も手強そうだ。しっかりと準備がしたい」納得していなさそうな二人に続けて言う。「それから…少し、気分が悪くてな」
その言葉に対し、二人の反応はそれぞれであった。
単調な口調で直ぐさま承諾したシュカと、渋々といった雰囲気ではあったが、眉をひそめて自分を心配しているミルフィ。
準備が必要だと言ったのも本心であるし、気分が悪いというのも本当だ。ただ、もっと別のことが頭に張り付いて離れなかった。
悪寒のようなものが手の甲の火傷の痕に走って、ぎゅっと燐子は自分の左の手の甲を、右手で握りしめるのだった。
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