極悪人の流れ人
一節が5000字近い文章構成となっていますが、
もしも、読みづらいということであればご報告ください。
半分程度でアップする工夫を致します!
旅に必要な道具をあらかた買い終わると、燐子とミルフィは一息つく間もなく、馬の元へと向かった。
いつまでも二人乗りでは可哀そうだとは思うが、今はまだもう一頭買う余裕はない。
ミルフィに馬を引いてもらい、アズールの北門へと移動する。幸い騎士団とすれ違うこともなく、目的地に到着した。
門には二人の番兵が立っている。彼らが騎士団員だというのは、まず間違いない格好である。
黒髪は隠すべきだというミルフィの助言で、新しく購入した外套のフードを被る。新しいとはいっても、最早ぼろ切れだ。
段々と門のほうへと近づく。別に通行の管理を行っているわけでもないので、呼び止められる可能性は低いと思うが、注意するに越したことはない。
懸賞金がかけられそうだということだったが、まだ末端まで行き届いていないのか、どうなのか。
人の数は多くはないが、少なくもない。流れに乗じて出ていくには丁度良いシチュエーションだ。
いよいよ見張りの前を通り過ぎるというとき、唐突に馬が動かなくなって、足止めを食ってしまう。
「マロン、どうしたの?」何とかミルフィが声をかけて、ご機嫌斜めになってしまった馬を移動させようとする。「ほら、行くよ」
嫌なところで止まったな、と自分も馬の尻を軽く叩いて動くよう念じるのだが、効果は無く、未だ踏みとどまったままだ。
門のど真ん中で立ち往生している自分たちの横を、迷惑そうな顔で人々がすり抜けるようにして歩いていく。
そうこうしているうちに、とうとう番兵の目に止まる。一人の兵士が声をかけながら近づいてきた。
「お困りですか?」
とても紳士然としていて、以前立ち寄った詰所の騎士団とはまるで違う印象を受ける。
日の光を遮る門の外壁の下で、ミルフィが普段よりも二つくらい高い音階の声で返事をする。
「申し訳ございません、騎士様。突然馬が機嫌を悪くしたようで、直ぐにどかせますから」
「いや、そう申し訳思わずとも構いません。たまにはこういうこともありましょう」
猫撫で声で頭を下げられた彼は、馬とは対照的に機嫌を良くしたような様子で笑った。
一体、あんな声どこから出しているのだ、と燐子は不思議でたまらないものの、今は寡黙さを守り、事の行く末を見守る。
そこから一分もしないうちに馬は動き出し、ゆっくりとした歩調で門下から日の当たるほうへと進んでいく。
「ご迷惑をかけました。ありがとうございます」
「いえいえ、自分は何もしていません。失礼ですが、旅のお方ですか?」
ぴくりと、その問いに燐子の眉が反応する。
怪しまれているのだろうか。騎士団を相手にするとなると、さすがに慎重にならなければ。
自分は良くても、ミルフィの大事な家族は王国で生きる住人なのだ、彼女の立場を悪くするような真似はしたくない。
だが、捕まえようとしてくるなら話は別。
殺しはしないにしても、追って来られないように痛めつける必要はある。
燐子は無言で刀の柄に手を伸ばし、そっと指先で触れた。
その不穏さを感じ取ったのか、それとも偶然なのか、ミルフィが燐子の体を隠すように一歩横にずれる。
「ええ、そうです。今からシュレトールまで行くつもりなんですよ」
「シュレトールまで…」
騎士は深刻そうに相槌を打つと、今度は明らかに燐子を怪しむような視線で見据えた。
「そちらのお方、フードを外して頂いてもよろしいでしょうか?」
チッ、と小さく舌を打つ。
「何故だ」
その態度を見た兵士は、もう一人の番兵のほうへと目配せすると重々しい口調で告げる。
「できませんか?」
後方からもう一人の兵士が近づいてくる。その表情には確かな緊張感が見受けられた。
つい数分前までは紳士然とした空気をまとっていた男だったが、今ではひりつくような警戒心を漲らせていた。
彼の視線は隠れていてよく見えない燐子の顔から、すっと流れるように腰に佩いた二本の刀へと向いた。
疑いが確信に変わりつつあるのを肌で感じて、太刀は三本とも馬に持たせるべきだったかと少し後悔した。刃こぼれした一本だけを持たせていたからだ。
「できないと言ったら」鞘を握り、親指で鍔を押し上げて少しだけ刀を抜く。「どうするつもりだ?」
「ちょっと、馬鹿!」さっきまでの上品な様子が嘘であったことを露呈したミルフィが、燐子のほうを背中越しに睨んだ。
どうせもう、気づかれている。
仕事熱心な人間は大好きだ、しかし、今はその勤勉さを忌まわしい。
いつの間にか周囲から人々が消え去り、少し離れたところに人だかりができていた。
燐子は彼らに見せつけるように左手で、刀を抜くと、ゆっくりと肩の高さまで掲げて両手で構えた。
「コイツ!」後ろから来ていた騎士が、直ぐさま剣を抜いてもう一人の男の横に並んだ。
「もう一度言います。フードを、取ってください」
一触即発の様相を呈する中、男が未だに丁寧な口調で、フードを取るよう繰り返し警告した。
しかし、そんなことに今更意味を感じなかった燐子はそれを無視して、太刀から両手を離さなかったのだが、そばに駆け寄ったミルフィが無理やりフードを外したことで、燐子の艶やかな黒髪が日の光に晒される。
「おい」と燐子が威圧するような低い声で咎めたのだが、ミルフィはひたすら顎で門の壁のほうを指し示すばかりであった。
よくよく見ると、貼り紙が貼ってある。
「私には読めん」と小声でミルフィに伝える。「いいから剣をしまって!」
そのようなことを言われても、向こうが敵意を剥き出しにしている以上、油断するような真似はできない。
そう考えてもう一度二人のほうを見やると、男たちは何事かを話し合う素振りをして、それから直ぐに剣を納めた。
一体どういうことだ…?
眉間に皺を寄せ、その様子を睨みつけるように観察していると、突然男が頭を下げて言った。
「も、申し訳ありません、我々の勘違いでした」
「何?」こちらの油断を誘うつもりなのかと一瞬疑ったが、明らかに敵意を失くした様子だったので、燐子も構えを解いて様子を窺った。
「いえ、てっきり、その…指名手配中の流れ人なのかと思いまして」
本当に申し訳なさそうに顔を曇らせ、しきりに頭を下げる男を見て、燐子は違和感を覚える。
いや、だからその流れ人が自分ではないのか…?
心の中で呟いているうちに、隣に立っていたミルフィがいつもの気味の悪い猫撫で声で、男を真似るように頭を上下させた。
「いえいえ、とんでもない」いつまでも刀を納めない燐子を肘で小突く。「いつまで出してんのよ、しまいなさいよ」
本当にこいつは、と何かと手が出るミルフィを横目で睨みながら、仕方がなく納刀する。
「これで満足か」とぼそりと嫌味を垂れると、ミルフィはムッとしたような表情を浮かべたかと思うと、即座に輝かしい作り笑いをして燐子の頭を無理やり押さえつけた。
「ぐっ…何をする!」その圧力に逆らおうと体に力を入れるも、まるで対抗できず上体が折り曲げられる。「アンタも頭を下げるのよぉ?」
「何故、私が頭を下げなければならない。勘違いしたのは、コイツ等だろう…!」体を反らして、何とか彼女の手から逃れる。
「アンタが言うこと聞かず急に剣を抜いたんでしょ、馬鹿!」
確かにそれはそうなのだが、あのような状況では仕方がないのではないか。
明らかに疑われていたし、何故にミルフィが勘違いだと気が付いたのかが不思議だ。
二人のくだらない言い合いを苦笑しながら見つめていた騎士は、彼女らが少し落ち着いたのを確認すると、宥めるように優しく穏やかな声を出した。
その仲裁の声に、燐子とミルフィは互いに顔を見合わせると、どちらからともなく顔を背けた。
「疑われて気持ちの良い人間などいません。こちらの落ち度なのです」
非常に紳士的な姿勢に、ミルフィが両手を前にして手首だけで手を振った。
「あの、本当にこちらこそ申し訳ございません」
ミルフィが、未だに不服さを露わにした燐子を一瞥する。それからまた騎士のほうへと視線を戻すと、儚げに微笑んで告げた。
「彼女は、遠い山奥からやって来た田舎者なのです。そのせいでちゃんとした常識も知らず、迫害を受ける日々を過ごしておりまして…」
唐突に話が変わったのを不審に思った燐子だったが、直ぐに自分の話をしているのだと察して、歯ぎしりをした。
「それでこのような、野蛮な振る舞いをしてしまい…本当に、私の監督不足で申し訳ございません」
許さん、と侮辱の限りを尽くされたと思った燐子が一歩前に踏み出たとき、ミルフィの肩が震え出した。
ほろりと涙を流したミルフィにぎょっとした燐子だったが、それ以上に騎士たちは狼狽し、そういうことであれば、全く二人に責任はないのだと慰めの言葉を唱える。
いや、しかし、どう見ても嘘泣きだろう。
何故こんなものに騙されるのだ、と呆れた燐子であったが、それは中身を知っているから分かるのかもしれないと考えを改めて沈黙を維持する。
「ですが、気を付けたほうがよろしいかと思います。その、変わった武器をお持ちのようですし、言いにくいですが、顔を隠すようにフードを被っていては、今のご時世疑われかねないかと」
そういえば、自分以外にも騎士団に追われている流れ人がいたな、と燐子は以前、アズールに来た時のことを思い出した。
これは運が良かったかもしれない。きっとそいつの印象が強すぎて、自分は気づかれなかったのではないだろうか。
スミスの耳に入っていた情報が、騎士団に届いていないとは些か考えにくいからだ。
「あのぉ」と泣き真似をやめて、偽りの間抜けさで装飾した声をミルフィが発する。「お尋ね者の流れ人って、どんな人なんでしょうか?」
「ああ、そこの手配書にも書いてあるが」と前置きして、騎士は丁寧な説明を始めた。
ははぁ、ミルフィはあれを読んだのか、と納得すると同時に、この位置から手配書が読めたミルフィの視力の高さに驚いた。野蛮人はどっちだ、と閉口する。
騎士が羅列するように告げた情報は以下のようなものであった。
まず、女か、細身で小柄な男であるとのこと。
それから、鮮やかな赤い髪の持ち主であるとのこと。
さらに、特筆すべき点として、反り身の片刃の剣を振り回していたというものが挙げられた。
それを聞いた途端、燐子が驚きの声を上げた。
「刀だったのか?」騎士は目をぱちぱちさせる。「これだったのか?」
燐子は太刀を持ち上げると、二人の前に見せつけた。そんな彼女の軽率な行動に目くじらを立てたミルフィだったが、今更遅いと思ったのか、眉間に皺を寄せたまま黙った。
だが、二人の反応は曖昧で、要領を得ないものだった。
「いや、我々も実物を見たわけではないから、はっきりとは分からないんだ」
「何?」燐子が苛立たし気に呟く。「ちっ、そもそもこいつは何をしでかしたのだ」
その問いに対して、言いづらそうに返ってきた答えは思っていた以上に極悪なものだった。
殺人、婦女暴行。しかも一人や二人ではない。分かっているだけで、この場にいる人間の両手の指以上の数を殺しているらしい。
「おい、そんな奴を野放しにしてどうする。さっさと見つけ出して、打ち首にしたらどうだ」
珍しく意見が合ったのか、ミルフィも不快感を隠しきれない様子で頷く。しかし、騎士は力なく首を振って、ため息を吐いた。
「そうしたいのは山々なんですが、情報も少なく神出鬼没なうえ、見つけても、そのぉ…」煮え切らない語尾に、燐子が先を催促する。「返り討ちにあってしまうのです」
「返り討ちだと?素人が追っているのか?」
「いえ、騎士団です」非常に言いづらそうだ。
燐子はあまりの情けなさに鼻を鳴らした。それを咎めるように睨みつけたミルフィが、深刻そうな調子で尋ねる。
「そんなに強いのですか?」
「はい。騎士団も被害が増えてからは、捜索隊の数と質を増やしているのですが…。十人がかりでも全滅する有様で」
「そんな化け物みたいな人間が――」と言いかけたミルフィが、ハッと何かに気づいたように燐子を横目で見て、顔をしかめ、「いるんですね」と尻すぼみで呟いた。
ミルフィの奴、何が言いたい。
門の影に入っているせいか、春も終わりの時期だというのに少し肌寒くなって、無意識のうちに燐子は片腕でもう片方の腕を擦った。
騎士団の腕前を推測するに、本当にその流れ人が腕の立つ人間かどうかは分からなかったが、少なくとも弱くはないのは確かだ。
そしてもう一つ、確かなこともある。
「男だろう」燐子の冷めた声色に、その場にいた全員が顔を向けた。「婦女暴行。女のわけがあるまい」
そんなことを女がする意味がない。
「しっかり狙いを絞って探すのだな」
紳士的な対応を繰り返していた男も、さすがに燐子の偉そうな態度が鼻についたらしく、苛立った顔つきを見せたが、直ぐに元の穏やかな顔に戻って首を振った。
その意図が分からず、問い返そうとした刹那、ミルフィが呆れたように息を漏らした。
「いや、別に珍しくもないでしょ、女性が好きな女性なんて」
「え?」つい間抜けな声が出て、恥ずかしさから顔が赤くなる。「女が、女を?」
軽くミルフィが頷く。心なしか怒っているような気がする。
「女同士でか?」同じ質問を繰り返す燐子に、ミルフィが語気を荒くする。「いつまで言ってんのよ」
何だか知ってはいけないことを知ってしまったような心地になって、バツが悪そうに燐子は視線を泳がせた。
まあ確かに衆道があるのだから、何ら不思議ではない。
…不思議ではないのだが、何故だかそわそわする。
色恋沙汰となると、昔からそうだったが、今回は特別居心地が悪い。背徳感、というか、襖の向こうを覗いたような、というか。
「せ、世界は…その、広いな」
まだ、一歩も未知の場所へ至っていない段階で、このような言葉を使うことになるとは思ってもいなかった。
取り乱したように刀をカチャカチャ鳴らして、重心を右へ左へと移動させる燐子に、男が重々しい口調で告げる。
「それに、暴行の痕跡はあるのですが、その、男の犯行だとはっきり分かる証拠がなく…」
…ああ、なるほど。
彼が何を言いたいのか分かって、ますます話は不可解さを極めた。
「しかも、騎士団との戦闘を目撃した者がおりまして…」
「ちょっと、目撃者がいるんじゃないの」とミルフィが素の口調で責めたせいで、二人の騎士は驚きに目を丸くして硬直してしまう。
「あ、い、いるんじゃないですかぁ?」
慌てて言い直したミルフィを見て思わず笑いが零れるも、じろりと睨まれてしまったので、咳払いをして誤魔化す。
そこで、今までずっと黙っていたもう一人の男が暗い声でぼそっと口を開いた。
「そいつは、お前たちより若いぐらいの女だったそうだ」
お目を通して頂き、ありがとうございます。
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