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竜星の流れ人  作者: null
一部 六章 黎明は遥か遠く

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黎明は遥か遠く 壱

 人が変わったように激しく斬り結ぶ燐子に、思わず番えていた矢が地面に落とす。


「燐子…?」


 二本の刀を手に、敵の囲いの中で激しく乱舞する彼女は、見るからに楽しそうで、帝国兵の決死な表情と反比例するように、口元には歪んだ微笑みが浮かんでいた。


「燐子さん、何だか様子が変だよ」エミリオが新しい矢筒を両手にぼやく。


「あんなの、たまたま死んでないだけじゃない…!色々限界が来て、おかしくなったんじゃないでしょうね?」


「分からないよ…、そんなの」


 初めに立てていた作戦を度外視した勝手気ままな動きのせいで、敵兵に向けて矢を射ることすらままならない。


「燐子ったら、勝手なことを…。遊びじゃないのよ!」


 そう言うとミルフィは縄梯子を拾い上げて、門の外側に下ろそうと移動した。


「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!どうするの?」


「ここからじゃ援護できない、下に降りるしかないでしょ!」


「危ないよ!」エミリオがミルフィの袖を掴んでそれを引き止める。「死んじゃうよ」


 涙目になって自分を見上げるエミリオを見て、逡巡するように目線を彷徨わせたのだが、やがてミルフィは、無理やり作った優しい笑顔を浮かべると、その両肩を掴んでしゃがみ込み、目線を合わせた。


「馬鹿、死なないわよ、エミリオ」


「嘘だ」


 ずっと昔に戻ったみたいに、幼児のような仕草で頭を左右に振る。


「お父さんは、そう言って帰ってこなかったじゃんか」


 その言葉にチクリと胸が痛んだが、ぎゅっと瞳を瞑ってそれに耐え、覚悟を決めて目を見開いた。


「燐子を死なせたくないの」


「そんなの、僕も同じだよ」でも、とエミリオは俯く。


「お姉ちゃんがいなくなるほうが、もっと嫌だ」


 私にはこんなはっきりと言えないな、とミルフィは小さく笑った。


 私は、どちらか片方だけを選ぶなんてできなかった。


 父と母が喧嘩しているときも、好きな人の恋人になる努力も、友達を続ける努力も、できなかった。


 あぁ、何でこんなどうでもいい、関係のないことを今になって思い出すのだろうか。


「二人で帰って来る、約束よ」こつんとエミリオの頭に自分の頭をくっつける。


「お姉ちゃん」


「燐子は、村のために死に物狂いで戦ってる。それなのに自分は安全なところから援護だけなんて、格好悪いと思わない?」


 最後にほんの少しだけ笑って、冗談っぽく告げる。


 するとエミリオも、ついに彼女を止められないと悟ったのか、同じように笑って目元の端に宝石のような涙の珠を浮かべた。


 夜を照らす炎、星、月、それからミルフィの瞳に宿った紅を吸収した雫がつぅっと少年の頬をつたって、地に落下していく。


 彗星のような落涙。


 それが自分の頬にもつたっていることに気がついたのは、縄梯子を下ろして、不安な表情をしたドリトンにアイコンタクトを済ませた後だった。


 上から覗き込む二人の姿を、あえてもう振り返らず、ミルフィは半ば飛び降りるような勢いで高台から下に向かい、両足が地面に着いたところで、縄梯子を上から巻き取るように頼んだ。


 帰り道なんていらない。


 燐子と騎士団到着まで耐え凌ぐか、二人まとめてやられるか、もう二つに一つしかない。


 私たちが村に帰るときは、この門が内側から開くときだけだ。


 少し前方で、燐子が多勢に無勢なりに奮戦を続けている。いや、押していると言っても過言ではないかも知れない。


 しかし、だいぶ燐子の動きに疲労感が滲んでおり、最初のうちのキレのある無駄のない動きは見る影もない。


 勢いだけで相手を圧倒してはいるが、次第に押し込まれるだろうことは、火を見るよりも明らかだった。


 燐子から一番距離の離れた相手に狙いをつける。


 まだ自分が降りてきたことに気づかれていない様子だ。


 矢筒だって予備を持ってきてある。弾切れの心配はないだろう。


 十分に引き絞った右手を離すと、一直線に矢は帝国兵に飛来し、喉を横から串刺しにした。


 さすがに上から射るよりも、ずっと狙いも正確で、なおかつ急所を貫きやすい。


 何が起こったのか想像もつかない帝国兵たちは、目を白黒させて突然倒れた仲間を見つめていたのだが、その隙を見逃すわけもない燐子が、片手で脇腹を引き裂いて、振り向きざまにもう一人の片腕を切り落とした。


 辺り一面は血の海だが、勢いを増しつつある炎のせいか、直ぐに黒く渇いてしまっていた。


 苔のように地に張り付いている血液の上に、さらにまた新たな血が流れる。


 それをたった一人で繰り返していた燐子が、ゆらりと体を起こして幽鬼のように立ち尽くしていた。


 呼吸は荒く、肩を上下させて苦しそうにしているが、まだ瞳は生気を失っていない。


 彼女のそばに近づきつつも、次の矢を番え、再び燐子に注意が戻った敵兵を、息を殺して射抜く。


 もう、初めのような躊躇はなかった。


 必死だった、なんて言い訳はしない。


 戦いの始まりに敵兵を焼き払う一矢を放った時点で、抗いようもない罪業を背負ったも同然である。


「燐子、大丈夫?」


 後ろに下がった兵士を横目にしつつ、燐子の背中に近づく。


「無茶しすぎよ」


「ミルフィか…」と燐子は夢見心地のように呟いた。「どうして、ここに」


「どうしてもこうしてもないわ。アンタが人の話を聞かずに、敵の中に突っ走るからでしょう」


「そうか」無気力に呟いた燐子の体がかすかに揺れる。


「ちょっと、大丈夫?」


「寄るな、敵に疲れを気取られる」と酷く冷えた口調で突き放すように告げた。


「そうは言っても、まだ丘の上には兵士が残っているわ。一旦門まで下がって、体を休めなさい」


 とうとう燐子の肩に手を置いたミルフィは、その手を激しく払われたことで尻もちをついて倒れ込んだ。


「な、何を…」


「手出しは無用だ、ミルフィ。ここで死ぬならそれだけの人間であったということ、問題はない」


 ミルフィが思ったとおり、燐子の目は確かにバイタリティに満ちていた。


 だが、彼女の想像していたものとは全く違う、ある種、狂気的とも呼べる輝きが宿っていた。


 あの独特な美しさを放つ日本刀とやらに似た燐子の空気に、一瞬だけ気圧されたまま起き上がれなかったミルフィは、その孤独と死を厭わぬ背中に、ぐっと喉を押し潰されたような感覚を覚えた。


 彼女は、ここで死にたがっているのか。


 違う世界からやってきて、ずっと寂しさという亡霊に付きまとわれていた燐子。


 ここで、死なせてあげることが、彼女のためになるのかもしれない…。


 ふと、燐子の後ろ髪をまとめている安物の髪ゴムが目に止まった。


『お前との時間は、新鮮で興味深い』


 そう告げた、あの夜の燐子の真剣な表情が脳裏に蘇る。


 あの顔は…、心の底から、いつ死んでもいいと思っている人間のものではなかったはずだ。


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