赤く照る、夜の帳 壱
いよいよ、最後の戦いが始まります。
みなさんも、最後までお付き合いください!
「以上が、我々帝国第三陸上部隊からの勧告である!」
そう言って書状を読み終えた男は、余裕たっぷりという顔つきであった。
「我らが隊長の慈悲だ、有り難く思え!」
降伏勧告の書状を手に降りてきた男の口調は傲慢で、野卑で、なおかつ滑舌の悪い聞き取りにくい喋り口であった。
燐子はその滅茶苦茶な要求を聞いて、慄くようにあちらこちらでざわめき声を上げている村人を横目にしてから、男の一番直ぐそばに立って様子を窺っていた。
それにしても、いちいち鼻につく喋り方だ。
もう少しはっきりと口を動かすがいい、と内心毒づき、それぞれの顔を見渡した。
無理難題を突きつけられて、苦渋の面を浮かべる初老の村人たち。
自分たちの受ける下卑た扱いが脳裏に浮かんでいる若い女たち。
そして、高台の上から今にも弓矢を構え射殺しそうなミルフィ。
歳に似合わぬ憎悪を浮かべるエミリオ。
思慮深い瞳の奥に、憤りを宿らせたドリトン。
どうやらサイモンは姿を消したようだ。
元々帝国と王国の両者を相手に商いをしている男だ、別に責めはしない。
それどころか、そんな難しい立場にいながら助力してくれたことに深い感謝しかない。
「当然、これに従わねば、今直ぐにでもこの村を焼け野原に変える所存である!」
悩む必要などあるまい、などと付け足した男の顔からは、邪悪な笑みが絶え間なく零れ出していた。
ちらりと、村の全権を委ねられているドリトンが燐子のほうへと視線を送った。
その目つきから、自分の意見を求められていることが察せられたが、燐子はあえてそれを無視した。
村の命運は、村の者たちが決めるべきだ。所詮はよそ者である自分の出るべき幕ではない。
少なくとも、今は、まだ。
しかし、そのドリトンの目線を追った兵士は、じぃっとこちらに焦点を当てると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らして言った。
「ふん、女風情が剣など差して男の真似事をしよって」
瞬間、全身の血液が沸騰しているのかと錯覚するほどの怒りが込み上げて、燐子のこめかみに青筋が走った。
灼熱の激憤が、今すぐ抜刀して目の前の男を斬り捨てろと命じるが、どうにか一歩踏み止まり、重い息を静かに漏らす。
燐子がその激情を抑えたことが、いかに奇跡的かを知る者たちは、固唾を飲んで彼女の動きを見守っており、燐子が、ギラギラと光らせていた瞳を閉じたことで、ぐっと怒りを堪えていることを悟った。
周囲は剣呑とした雰囲気で、高台の上には下からは見えないが、無数の矢と、いくつかの弓、それから予備の剣が置かれている。
弓矢はミルフィだけではなく、ドリトンの足元にも置かれていた。
篝火に誘われた羽虫たちが、自ら身をその火中に投げ出し命を散らす。
塵も残らず燃え尽きた仲間たちを追って、次から次へと虫たちが飛び込んでいく。
ドリトンは、燐子のそんな表情を見て、覚悟を決めたように頷いた。
「帝国のお方」重々しい声である。「何だ、ご老人」
「故郷は、遠いのですか?」
「何を言うか、気でも狂ったか」
ドリトンは小さく首を振る。
「生まれ育った故郷を失う辛さ、どうかご想像頂きたい」
「ふん。降伏すれば、別に殺しはしないし、焼きもしない」
そう吐き捨てた後、男は大層愉快そうに笑いながら、「ただ、帝国の将兵たちの『手伝い』をしてほしいと言っているだけだ」
村人たち皆は、一様に顔をしかめて男の話を聞いていたのだが、何とか誰も足並みを乱さず、村長であるドリトンの言葉を粛々と待っていた。
私には分かる。今まで怯えていた村人たちの心が、次第に戦士のそれに変わっていくのが。
きっとこの男のお陰で多くの村人たちが弓を手に、あるいは村中を駆け回り戦の支援に回ってくれるだろう。
ある意味で感謝しなければならない、ここに来て、ようやく村人たちの総意がその顔つきに示されたのだから。
ドリトンは、男のこれ以上我慢ならない横柄ぶりにも落ち着いた声で応じていたのだが、とうとう断固たる口調で降伏拒否の意思を告げる。
「私たちの家族はここで育ち、ここで生きているのです。断じて、そのような暴力に屈するわけにはいきませんな」
これには男のほうも驚きを隠せず、吃りながら何度もその返答を確認したが、結局返ってくる答えは全てノーだった。
そのため男は、屈辱に顔を赤らめ、口汚く唾を吐き散らしながら相手を罵った。
「お、お前たち!後悔するぞ、俺が合図をすれば丘の上の隊が駆け下りてくる!そうなったら、直ぐにでも皆殺しだ!こんな木の柵や門が何になるか!」
「とっと帰れ!クソ野郎!」
一際幼い声が罵声を浴びせると、村人たちが口々に男を罵る言葉を吐いた。
「見とれよ!お前ら!」
そう言って男が丘の方を振り返った瞬間、彼の眼前に、憤激を放つときを今か今かと待っていた燐子が、亡霊のように立ち尽くしていた。
思わず男は間抜けな声を上げて後退ったのだが、彼女は氷のように冷たく、無感情な声で告げた。
「その必要はない」
「え、お?」
男が言葉の全てを発し終わる前に、頭上に煌めく月に似た白い軌跡が描かれて、静かに首が地面へとずり落ちていく。
首と胴が離れ離れになって、血の噴水を巻き上げながら土に倒れ込むのを見向きもしない燐子が、小さく、しかしはっきりと言った。
「私が、『手伝ってやる』」
刀を振り払い、付着した血と脂を飛ばす。
「消えろ、下種が」
予備の剣を用意してはいるものの、どういう仕組みか、スミスの手元から戻ってきて以降、刃の消耗をほとんど感じさせない。
ほんの少しだけ溜飲の下がった燐子は、明らかに空気が変わりつつある丘の上を見上げ、不敵に微笑んだ。
激しく拍動する心臓は、まるで歓喜に打ち震えているかのようだ。
白月と星々が煌めく天空は、この戦を讃えている。
私は、私が戦う理由が欲しかった。
それが、この戦いの中でなら見つけられる気がしていたのだ。
参ろう、それを今すぐにでも確かめなくては気が済まない。
私はここにいると、叫ばなければ。
例え、この異世界が私を村八分にしようとも。
抜き放った切っ先を、丘の上に向けて構える。
「いざ、尋常に参る」




