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竜星の流れ人  作者: null
一部 六章 黎明は遥か遠く

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髪結の儀 壱

 作業は想像していたよりも順調に進み、日が暮れる頃には大枠が完成しており、今夜中にはかなりそれらしい形になるものと予測された。


 燐子は、黄昏の残光がカランツの村を美しく照らすのを、女児のように瞳を大きく見開いて眺めていた。


 広がる河川の水面が、蜜柑色にキラキラとした光りを放って、とても郷愁的な気持ちにさせられる。


 いつものような商品ではなく、砦を作るための木材がひたすら往復している大通りには、黒い影と、橙色の道がどこまでも伸びていた。


 静かな虫の音が春の夕暮れに響いて、とても雅だ。


 それでついつい子どものように、感嘆の声を漏らしてしまったのだが、隣で座り込んでいた彼女はわざと聞かなかったふりをしてくれた。


 その気遣いがかえって恥じらいを増加させ、それを誤魔化すように一度だけ咳払いをして、自分も草の上に腰を下ろした。


「どう、この景色は」


 こちらの返答が分かっているような自信満々の笑みに、「まあ、風情があるな」と素直半分、誤魔化し半分で答える。


「そうでしょう、燐子が好きそうだと思ったのよ」


 両膝を曲げて抱きかかえるようにして座り込んでいたミルフィが、少し子どもっぽく笑った。


 何気なくそれを脇目にしながら口を開きかけたところで、ミルフィは、「やはり美しいな、この世界は」と燐子の口調を真似て、低い声でニヤニヤ呟いた。


 丁度自分が言おうとしていた言葉を先回りされ、ムッとした顔になった燐子だったのだが、その顔を見てますます楽しそうに、声を大きくして笑ったミルフィに毒気を抜かれて、力なく口元を緩めた。


 そうして二人は、しばらく眼下に広がる景色を見つめていた。


 もうだいぶ暗くなってきたわけだが、それでもあちらこちらから作業を続けている音が、絶え間なく響いてくる。


 金槌で釘を打つ音、鋸で木材を切る音、野太い掛け声…。


 現実に今起ころうとしていることは逼迫したものだったが、景色から滲んでいるものは、安穏とした木漏れ日のような時間だった。


 作業の休憩を告げる鐘の音が木霊したのを契機に、燐子は両腕と膝の間に顔を突っ込むようにしていたミルフィへ、自分をこんなところに連れてきた理由を尋ねた。


 すると、ミルフィは口の形を『え』の形に変えて、それから一層深く顔を埋めてもごもごと何事かを呟いていたものの、全く聞き取れなくて燐子は小首を傾げた。


 そんな仕草を見てか、ようやく彼女は両膝の間から顔を出した。


 天岩戸から顔を出した天照、というほど神々しいわけでもないが、宵の口の暗い光を顔に受けたミルフィは、少しだけ奥ゆかしく感じた。もちろん、感じただけである。


「まあ、そのぉ…森ではごめん、っていうか、んー…ごめん」


「…いや、謝ることはあるまい。私だって、そうだな…気が、利かなかった」


 互いに素直に謝られるとは思っていなかったからか、奇妙な居心地の悪さを感じて押し黙る。


 だがそんな時間が十秒ほど流れてしまえば、段々と気を遣っているのが馬鹿らしく思えてくるものだ。


 別に、今更取り繕う必要もないか、と考えて口を開こうとするも、自分のこういう考えなしに発言する癖のせいで、人と衝突するのではないかと省みる。


 こういうときに何と口にすれば良いのかが分からない、経験不足が過ぎるのだ。


 実際向こうにいたときも、特筆して親しいと表現できるような仲間はいなかった気がする。


 話すにしても戦いの話ばかり。そのせいで、歳若い友人はいなかった。


 女で戦場に出る物好きなんて、自分以外見当たらなかったし、寄り付く男性も手合わせを頼まれるだけで、恋愛沙汰なんてまるで縁がなかった。


 父からは刀と婚姻しているのかと何度もからかわれ、私が結婚しているのは戦ですと冗談交じりで言い返すと、哀れみを含んだ目つきで閉口されたのをよく覚えている。


 友達か、と何となくミルフィのほうを一瞥する。すると、偶然彼女もこちらを見ていたようで、視線が正面から交差してしまった。


 普段なら小言の一つでもぶつけてきそうな状況だったが、彼女は二度三度素早く瞬きしてから、目を背けただけであった。


 もう一刻もすれば、背後に広がる林からは夜鳥の囀りが、雨の降り始めのようにぽつぽつと響き出し、月と星の光が淡く辺りを浮かび上がらせることだろう。


 宵の明星が、空の果てで輝いているのをぼんやりと目を細めて眺める。


 こんなにも穏やかな夜なのに、次に日が昇り、月が沈み、そしてまた日が昇ろうというときには、この村は戦地になっている可能性が高い。


 自然とこの場から動きたくなっていることに、燐子は意外な驚きを自分に感じていた。


 それは別に戦いのことを思ってではない。むしろ戦いについては、普段と同じ適度な緊張感をもって臨むつもりでいた。


 それよりも、こうして形容し難いふわふわとしたきまりの悪さを感じつつも、自分がこの場を離れないことに驚いていたのだ。


 その感情が我ながらおかしくて、無意識のうちに苦笑を浮かべてしまったのだが、それを見ていたのか、ミルフィが小さく笑って声をかけた。


「燐子って、不思議ね」


「そうだろうか」とあまり感情を込めないよう意識して呟く。「どの辺が?」


 そう問われたミルフィは、少し困ったように声を出したが、短い間唸って考えていたかと思うと、「全部?」と投げやりに思える解答を行った。


「何だ、それは」


「いいじゃない、別に」その明るい笑顔を見て、今日は本当にミルフィらしくないな、と思った。


「星が綺麗ね」とミルフィが続けて言う。


 燐子はあえて彼女のほうへ顔を向けずに、一番星を見つめていた。


 遠く、小さい星が必死で輝いているのを見ると、物悲しくなるときがある。


 一際強く輝く星でもこの有様なのだ。


 あまりにも矮小過ぎる瞬きに、憐憫に似た感情を覚えるのは、父が言っていた話を思い出すからかも知れない。


 天命を尽くした人間は、ああして夜空を彩る星になるのだと、父は私に教えてくれた。


 その真偽などどうでも良かった。


 ただ、仲間が大勢死ぬ度に夜空を見上げた。


 そうしていつもと変わらない星空を睨みつける度に、やり場のない憤りを感じていた。


 信念の、誇りの、誉れの――それらのために戦うのが、侍に与えられた天命だったのではないのか。


 仲間の死を嘆く者たちに檄を飛ばしながら、私は怯えていたように思う。


 彼らのように縋り付く身分も無い私には、父の与えてくれた形の無い信念と、誇りしか支えてくれるものはなかった。


 それらを、変わらない夜空に奪われたような気になっていたのだ。


 だが、ここにはそれすらもない。


 日の本で見られた星空とは、全く違う景色が仰いだ頭上に広がっている。


 例え星の数が変わらないように思えても、もう気にする必要はない。


 形のないものを、守りようのないものを奪われないよう、必死に掻き抱く必要もない。


 ここでは、誰もその価値を知らず、奪おうともしないのだから。


 もしかすると、私は…。


 ふと、ミルフィが声を上げた。


 どうやら心の中で呟いたつもりの声が、意図せず口に出ていたようだ。


 適当に誤魔化そうかとも考えたが、結局、続きを語ることにした。


 もしかしたら、今日という日は、友と呼べそうな同性と星を見上げて語り合える、最初で最後の日になるかも知れないのだから。


「私の信じた形のないもの。それが揺らぐこの異世界で、その正しさを…いや、そうじゃない、そうじゃないな。どう言えばいいのか」


 こちらを案ずるように眉を曲げたミルフィが何かを言う前に、「待ってくれ、まだ何も言わないでくれ」とその言葉を制止する。


 そうは言っても、自分の今の気持ちを、上手く言葉にして表現することができず、再び無言の時間が流れるばかりであった。


 痺れを切らしたのか、それとも助け舟を出したつもりなのか、ミルフィは優しい口調になって言った。


「そんなに焦らなくても、思いついたときに教えてくれればいいわ」


 思いついたとき。そのときにちゃんと伝えられるかも分からない。


 理由のない焦燥感に襲われて、反射的にミルフィのほうへ身を寄せ空気を吸った瞬間に、頭の後ろのほうで、何かが弾ける音が聞こえた。


 それと同時に縛り上げていた後ろ髪が急に緩み、重力に引かれるままに下へと落ちた。


 ミルフィが小さい声を上げ、こちらの顔をまじまじと見据える。


 手を背中にやって、何が起きたのかを確かめる。


 どうやら髪をまとめていた紐が千切れてしまったようだ。


 その紐は、昔父から貰った年季の入った一品だった。


 別に高価なものでも、特別なものでもないが、太刀、小太刀に加えて元の世界から持って来た数少ないものだった。いや、持ってきたというのは語弊があるか。


 それが今千切れてしまったというのは、何か良くないことが起こる予兆に他ならないのではないかと、心がざわついてしまう。


 壊れた宝物を抱きしめて、泣き出しそうな子どものようだった。


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