無策上等 参
燐子は近寄ってきたミルフィの姿を確認すると、思い出したかのように、「門の上に弓兵も欲しい。できればミルフィほどの実力があるといいのだが」と答えた。
ミルフィはその言葉を聞いて、不覚にも少しだけ嬉しくなってしまった。今の発言は、自分の弓の腕を、多少は認めている趣旨の発言に違いなかったからだ。
自分の少し上向きになった気分を押さえつけ、布切れを手に燐子の隣に並び立った。
その様子を見ていたサイモンが、小さな声で自分を呼ぶのが分かったので、軽く頭を下げる。
周囲の視線が自分に集中したことで、かすかな息苦しさを覚えながら、よくこんな中で堂々としていられるな、と感心して燐子を見つめる。
当然、その視線に咎めるような意味を添えるのも忘れてはいない。
「そんな人、この村にはいないわよ」
「ミルフィ」
微妙な表情だ、どうやら先ほど私と揉めたことを少しは気にしているようだ。
「誰の服だと思ってんのよ」と小声で咎めると、意外なぐらい素直に謝罪の言葉が返ってくる。
彼女にしては殊勝な心掛けだ。
だが、だからといって、何のお咎めもなしというわけにはいかない。
ミルフィは露出した彼女の二の腕を強く摘まむと、悲鳴を上げる燐子を脇目にしながら、周りを見渡した。
「無茶な話だけど、村を守るためにはやるしかないわ。どうせ、今からみんなでアズールに逃げても絶対に間に合わない」
燐子一人で耐え凌ぐにしても、門が完成していなければ無理な話だし、浅瀬を渡られないための防護柵だってまだまだ必要だ。
「みんなでやらないと、どれもこれも中途半端で終わる。そうなれば、絶対に私たちの中から死人が大勢出るし、村も壊される」
ミルフィはいつになく真剣で、厳しい口調になって村人たちを説得していたかと思うと、唐突にニヒルな笑みを浮かべた。
「幸い上手く行けば、死にそうなのはコイツぐらいで済みそうだし」
コイツ、と呼ばれた燐子は不機嫌そうに顔を曇らせたが、ミルフィにつねられたところがじんじんと痛んだことで、余計な口を挟まないでおこうと思ったようだった。
私もつくづく馬鹿な人間だ、と不安そうにしている村人たちを励ましながら思った。
こんな数週間前に知り合っただけの、未だに得体の知れない女に、村や自分の命運を賭けるなんて。
白い顔をこちらに向けて、燐子が小さく口を動かした。
「いいのか」急に真剣だ。「人が大勢死ぬぞ」
「仕方がない、なんて絶対に言わないわよ」
横目で覗きながら、彼女に合わせて小声で返す。
それを聞いた燐子も堂々とした顔つきのままだ。
たまには焦ったり、怯んだりしてくれれば面白いのに、とミルフィは思ったが、それを見られたのは王女と話したときだけだったのを思い出して、急に面白くなくなった。
「でも、みんなやお祖父ちゃん、エミリオの命には代えられない。それに私だって、死にたくはないもの」
ふ、と燐子が笑ったような気がした。
くそ、やっぱり顔は良いな、と無性に敗北感を感じてしまう。
「それでいい」
「何よ、偉そうに」
未だに納得していなさそうなサイモンだったが、そんな彼に駆け寄って来た女性(多分燐子と助けたサイモンの妻だったと思う)が「時間を稼ぐ、ということなのでしょう」と告げたことで、ほんの少しだけ眉間の皺が減ったものの、それでもやはり普段の柔和さは戻っていなかった。
「やはり、賛同しかねます」
かといって感情を荒げるわけでもないサイモンの冷静さに、確かに商団の長なだけはある、とミルフィは改めて好感を抱いた。
しかし、その妻も冷静で、夫に対し、「ならば代案を出すべきでは?」と答えた。
そんなものあるわけがない、既に今の案でも苦肉の策なのだ。
これ以上マシな策など、村を放棄して可能な限り遠くへ逃げることだろうが、それは村と仲間を見捨てられるならの話である。
「しかしだなぁ…とても騎士団が来るまで耐えられるとは思えん」
「貴方は燐子さんの戦いを見ていないからそう言えるのよ」
そう告げる彼女の言葉には共感せずにはいられなかった。
「燐子さんの戦い方は、まるで…」
そこで言葉を止めたサイモンの妻は、はっと、燐子がいることに今気がついたと言わんばかりに目を泳がせたのだが、彼女が何を言いたいのかも、ミルフィにはこれまた分かってしまい、代わりにふざけた調子で付け足した。
「死んでもいいみたい?」
滅相もない、と頭を何度も下げる彼女の過剰なまでの反応が、図星だったことを如実に表していた。
彼女の後ろ髪を束ねている銀色のリングが、暁光を吸い込んでいく。
腕を組んで黙って聞いていた燐子が、ちらりとサイモンの妻を一瞥したところ、ばったり目線が合ってしまって、もの凄い勢いで顔を逸らされてしまう。
嫌われたものだ、と小さく呟く声が聞こえた気がするも、サイモンの大きなため息にかき消される。
「分かりました。本当は無理にでも止めたいですが、本人がそう望まれるなら致し方ありません。幸い騎士団も、セレーネ様のお言葉があっては直ぐに動かざるを得ないでしょうから、遅くはならないはずです」
「せれーね?」と燐子が首を傾げたので、そんなこと知らないのかと睨みつけて、件の王女であるということを伝えた。
すると燐子は少し遠い目をして、「そうか、セレーネか…」と感慨深そうに、または恋人の名前を呼ぶかのように優しく呟いたので、もう一度二の腕をつねった。
先ほどつねった場所が青痣になっているのを、良い気味だと笑いながら「決まりね」と唱えた。




