深夜からの呼び声 参
辺り一帯が血の海と化し、動かなくなった六つの屍が、冗談のように静かに転がっている。
草木や土に染み込んだ赤は、直ぐにその色を変容させて元の色を失わせた。
いや、元の色などないのかもしれない。
命が宿っていたから赤かっただけで、それが消えれば無色透明に変わっていくのではないか。
そんな彼女の背中に、酷く怯えた声が力なくぶつかり、そのまま勢いを失ったかのように語尾は萎んでいった。
「燐子…」
その続きを待とうかとも考えたが、どれだけ待ってもそれ以上はない気がしたので、燐子は太刀に残っていた鮮血を眺めて言った。
「見ろ」ミルフィのほうへ刀身をよく見えるよう傾ける。「魔物と変わらない」
そう、流れ出る血の色は同じだ。
魔物を斬るのも、人を斬るのも、命を斬ると言うことには変わりはない。
とどのつまり、そこに行き着く。
ドロリとした血液が刀身をつたい、鍔を辿り、そして柄を通して掌に至る。
ズボンのポケットから懐紙を取り出して、その血液を拭い、最後に刀身を拭き取って、深く息を吐いた。
自分の神経がまだ昂ったままなのが、分かる。
恐怖でも緊張でもない、名も知らぬ感情によって、指先が小刻みに震えていたが、燐子は自分がどこか物足りなさを感じていることにも気づいていた。
あのトカゲのほうが、もっと戦い甲斐があった。
そんな燐子の気持ちを知ってか知らずか、ミルフィは強い口調で相手の正気を疑うように罵った。
「こんなの、どうかしてるわ」
転がる死体から目を背け、吐き気を抑えるためか、胸元を片手で押さえつけるようにして喋る。
「帝国兵も、騎士団も、みんないなくなればいいとは思ってたけど、こんな死に方はあんまりよ…」
「あんまりではない死に方があるのか」
戦いの後の、心地良い高揚感に水を差された燐子は、苛立ちを込めた声で尋ねた。
ミルフィは顔を曇らせて、燐子を哀れむように「あるわよ」と答えたのだが、それに対して燐子は嘲るように鼻を鳴らした。
「こいつらだって、人を殺しているのだ、殺される覚悟はあろう」
「そんなの分からないじゃない!まだ誰も殺してないかもしれないわ」
「お前だって、今、殺した」
その一言に明らかに動揺を見せたミルフィだったが、キッと直ぐに目力を強くした。
そんなことを考えて何になるのか。
初めは小さな苛立ちだったが、道理の通らない綺麗事を並べるミルフィに段々と怒りが募って、自然と強い口調に変わってしまう。
「仮に殺していないとしても、こいつらは武器を手にした。つまりは殺されることに同意しているに等しい!」
「滅茶苦茶よ!」
「何が滅茶苦茶だ!お前の言っていることのほうがよっぽどおかしいだろう!敵兵が武器を手に近づいてきても、殺す気があるかどうか尋ねるのか?今まで何人殺したのか問うのか?そんなものは無意味だ!」
怒声をまき散らしながらずんずんと近寄って来る燐子から目を逸らさず、真っ向から勝負するミルフィは、目の前で自分を睨みつける燐子の胸倉を掴んだ。
「誰もがアンタみたいに死にたがってるわけじゃないのよ」
話が通じないどころか、自分のことを、自分にとっての戦いを自殺願望による行動だと指摘された燐子は、ますます怒りで顔を紅潮させ、ミルフィがしたように胸倉を掴み返して言った。
「私は、信念と誇りのために戦っている」
「そんな目に見えないものが、何になるの」
「それ無しで死んでは、犬死にではないか」
強く言い切った燐子は、ミルフィの唇が震えていることに気が付いて、息を呑んだ。泣くのではないかと考えたのだ。
「お父さんに」とミルフィは途端に声を小さくして、噛み締めるように続けた。
「そんなものは無かった」
燐子は、はっと自分が言ってはいけないことを口走ってしまったことに気が付いて、目を逸らした。
徴兵されて戦争に駆り出された兵士に、そのような信念や誇りがあるはずもない。
そうか、そのような兵士もいて当然なのか…。
不意に、自分が無残に斬り捨てた兵士のことが気になって視線を彼らに向けた。
もしも、彼らがそうだったならば?
私のしたことは、何だ。
ぞっとする恐ろしい答えが背を這い、激しく頭を振った。
こうしなければ、直ぐにでも村が襲われたのかもしれない。
あるいは谷底の兵士の死体が見つかるかもしれない、またあるいは、防護壁を建設しているところを見られ、本隊に報告されるかもしれない。
「同情した?」
どこか他人行儀な声音に変わったミルフィのほうへと、再び視線を向ける。
確実に傷ついた顔を覗かせていたミルフィに、何か伝えようと口を開いたのだが、そもそも傷つけた側である自分に、何を言う権利があるのか不安になって、結局首を前に倒して俯いてしまう。
それから直ぐに強烈な力で自分を弾き飛ばしたミルフィは、尻もちを着いた燐子を見下ろして「舐めんじゃないわよ」と吐き捨て反転し、元来た道を戻り始めた。
彼女に追いつけるだろうか、と加速度的に遠ざかっていく背中を呆然と見つめた燐子は、意識して自分のやっている行為について考えるのをやめた。
そうしなければ、自分が自分ではいられなくなる気がしたのだ。