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竜星の流れ人  作者: null
一部 五章 深夜からの呼び声

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深夜からの呼び声 壱

 月が天に昇って、だいぶ久しかった。


 このまま夜が明けないのではないかと思えるほど、深い夜だ。


 月明りははっきりとしているのに、そう感じてしまうのは、きっとこの森が酷く黒々としているからだろう。


 空を覆う樹木で、折角の月光も立ち入りを禁じられているようだ。


 初めてこの森を訪れたときと同じような暗闇の中、あのときとは多くのものが違っていることを、自分でも気づいていた。


 妙な因果だ。


 あのとき出会った少年の姉と、数週間前は名前も知らなかった村の為に行動を起こしている。


 つい奇妙な笑いが零れてしまい、慌ててせき払いをして誤魔化す。


 ああは言ったものの、と前置きをして、燐子は隣を歩くミルフィに顔を向けた。


 まだ少しだけ目の周りが赤く、時折鼻もすすっているので、あの後また泣いてしまったらしいことが想像できる。


「今、本隊がこちらに向かっているとは考えにくいな」


「どうして?」


「たかが寒村一つ潰すのに、兵士を疲弊させて夜戦を仕掛ける必要などない。まあ、一人哨戒に出た人間が戻ってこないのだから、数人ばかりは捜索に出るだろうが」


「そういうもの?」とミルフィが首を捻るので、「そういうものだ」と繰り返した。


 つまり、今回私たちはそれを叩くのだ。


 こんな老人か女しかいない村の哨戒に出た連中のことなど、しばらく戻らずとも本隊は放っておくだろう。


 当然それもリスクのある賭けだ。


 騎士団の駐屯兵が来たのだと思われれば、本隊が動き出す。そうなれば、何の準備もしていない現状では、赤子をひねるように容易く壊滅する。


 だからこそ、その時間を少しでも稼ぐのだ。


 村のほうでは今、その準備をみんなが必死にやっている。


 まともな防護柵は作れないだろうが、幸いあの地形は川さえ上手く利用できれば天然の要塞ができる。

 蜘蛛の巣のように張り巡らされた水流は、騎兵では突破できない。

 水深は深くもないが、浅くもない。歩兵が突破するのもリスクがないわけではないのだ。


 そして、村一つ焼くだけに、そのような危険は普通冒さない。


 敵の侵攻を一点に絞られれば、活路はある。


 そうなれば後は、アズールの騎士団がさっさと駆けつけてくれるのを待つだけだ。当然、自分の大仕事は抜きにして。


 念の為に私の馬を貸して、村の者にアズールまで遣いを送っているが、既に一日走りっぱなしだった馬が、どれほどまともに走ってくれるかも分かったものではない。


 帰ってきたらたっぷりと労ってやらねばならない。それに、名前も必要だ。


 森はますます闇を濃くしていき、一寸先も見えないほどの暗闇が辺りには広がっていた。


 辛うじて隣を歩くミルフィの影だけは見えたものの、猟師というだけあって気配を消すのが上手だったため、時折彼女に手を伸ばして確認しなければならなかった。


 だがその度に、彼女に触れる前に手を叩き落されて驚いた。


 こちらからは全く見えぬのに、ミルフィのほうからは見えるというらしい。夜目が効くようだ。


 しばし沈黙が続いた後、ミルフィが思い出したように口を開いた。


「燐子って、こっちの世界に来る前は何してたの?」


 わざと目線を合わせないようにして、正面を向いているような気がしたが、気のせいかも知れない。

 何にせよ、夜目の効かない今の燐子では確かめようもなかった。


「ずっと聞こうと思ってたのよ」


「ただの用心棒だ」


 正直に答えるべきか迷ったが、今はそんなことを言って彼女との不和を呼びたくはなかったので、朧げな言葉で誤魔化そうと試みた。


 戦争を憎んでいるミルフィにとって、戦争を生業に、いや、生き甲斐にすらしていたことが知られれば、また喧嘩するはめになりそうであったからだ。


「ふぅん、それにしては随分強いのね」


「そうだろうか」


「そうよ」足元の木が折れる渇いた音が響く。「それって、燐子が侍って奴だから?」


 その言葉を聞いて、燐子は自分が呼吸できる生き物であることを忘れたかのように、息を止めた。


 そうすることで、ミルフィに何も悟らせないよう努めているかのようにも見えた。


 やがて彼女は、何かを諦めたかのようにして、力なく首を左右に振ったかと思うと、ほぼ無意識のうちに腰に佩いた太刀に手を伸ばしていた。


 刀は、侍の魂だと父が言っていた。


 常に太刀と向き合い、その声に耳を傾け戦場を駆け抜けてきたが、結局、どれだけ経っても私の呼び声に応えてくれる日は来ていない。


 私が、侍ではないからだろうか。


 それとも、所詮は道具に過ぎないのか。


 どれほど鋭利に研ぎ澄ましていったとしても、資格のない私には、何も応えてはくれないのだろうか。


「私は、侍ではない」


「えぇ、あれだけ侍、侍うるさいのに?」


 ふっと自嘲気味に笑いながら、「そうだ、私にその資格はないのだ」と告げた。


 その普段とは様子の違う様子に、何かを察したふうにミルフィも口を閉ざしたものの、あえて明るく装った燐子が無理やり言葉を続けた。


「本当は、ああして偉ぶってエミリオを叱る資格もない」


 森に繰り出す前に、自分もついてくると言って聞かなかったエミリオに告げた言葉を思い出す。


 私は、エミリオの行動の勇敢さを褒め称えた。


 しかし、それと同時にエミリオがしたことの本当の意味も教示した。


「『怒りや憎しみをもって殺めれば、それはただの人殺しだ』」


 はたと、ミルフィが足を止めて呟く。


「『そして、大義のため、誇りのために殺めれば、戦士である。』だったわよね」


「よく、覚えているな」燐子が苦笑いすると、「意味はよく分からなかったけど」と曖昧に笑って返すミルフィ。


 感の鋭い彼女のことだ、いや、そうでなくとも気づいただろう。


 私がエミリオのことをどっちだと言ったのか。


 それがどれほど彼女とエミリオ、ドリトンにとって残酷な宣告だったのかも分かっているつもりだった。


 父に教わった言葉を、こんふうに誰かに伝える日が来るとは、思ってもいなかった。


 森の深部を抜けたのか、天蓋の代わりを果たしていた木々に隙間が生まれ始め、天から降り立つ青い月光が、ようやくこの森にも届くようになった。


 そんな淡い光に髪を照らされて、ミルフィがくるりと燐子のほうを振り返る。


 その表情の深刻さ、悲壮さから彼女が何を言わんとしているのかが、大体理解できてしまう。


「ねぇ」と小さく囁くように言う。「あの子、人を殺してしまったわ」


 ちゃんと、自分の顔が彼女からも見えているのを確認してから、ゆっくりと頷いて答える。


「これから先、あの子がどうなっていくのか、怖いの」


 不安そうな顔つきをしたミルフィが、目に見えぬ何かを恐れるように、足早に燐子の近くへと寄り、彼女のシャツの袖を掴んだ。


「案ずるな、どうもならない。エミリオはエミリオのままだ」


「そんなわけないじゃない…!」


「大丈夫だ、きっと。お前さえそばにいてやれれば、エミリオは変わらない」


「でも、魔物を殺すのとはわけが違うのよ」


「大して違わん」そう告げた刹那、ミルフィの顔がみるみる歪んでいく。


 それが何を意味しているのか、自分の迂闊さを悟りつつもよく分かっていた。


 さらにもう一度、「違わんのだ」と呟いた燐子の袖から、静かにミルフィは手を離した。


「燐子も、人を殺したことがあるのね」


 彼女はその質問には答えず、「どうせ、直ぐそうなる」と自分たちの進む先を一点に見つめた。

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