スミス 壱
この町に、鍛冶場は一つしかないらしかったが、その規模は日の本にあった工場よりも数段大きなものだった。
工場独特の臭いが辺りに漂っているが、別に嫌いではない。
それどころか、ここには技術者達の神聖な魂があるようにすら感じられてしまい、思わず目を閉じ黙礼せずにはいられなかった。
「燐子?」
「ああ、今行く」
大きな門構えの下をくぐり、奥へと進む。
明らかにこの場にはそぐわない若い女二人が珍しいのか、作業をしていた技術者たちが、あちこちで動きを止めて、こちらを観察するような目を向けてくる。
「ミルフィはよく来るのか?」と燐子が尋ねる。
「まさか、私が来るのはナイフの新調を依頼するときぐらいだから、一年に何回かしか訪れないわ」
その割には、色んな人から顔見知りのように声をかけられている気がするのだが…。
やはり若い女性というだけあって、記憶に残りやすいのかも知れない、と燐子は自分を納得させて、一番奥の作業場へと足を踏み入れた。
そこには顔を煤だらけにした女が一人いた。炉の前に座り込んで鍛冶の準備を整えているようだった。
おそらくは、この鍛冶場の棟梁に当たる人物の手伝い役なのだろう。
彼女はちらりとこちらを見たかと思ったら、おもむろに立ち上がり、ミルフィと一言二言言葉を交わした。
そばから見ていて、同年代か少し上ぐらいの女性だと分かったが、見た目に比べてかなり落ち着いており、どこか違和感を覚える。
落ち着いている、というと語弊があるかもしれない。
むしろ、機械的である、という言葉のほうがしっくりくる。
自分としても、感情の制御については日頃から心がけているものの、彼女のような無感情ではいられないものだ。
自分のことでさえ自分で制御しきれないのが人間だと、そういうときほど実感できる。
ふと、自分を見つめる視線に気がついて、燐子も相手を見つめ返したのだが、互いに愛想というものが欠落しており、見ている者に不安感を与える時間が流れた。
その状況に慌てたようなミルフィが、早口で言葉を挟み、燐子のことを紹介した。
「彼女は燐子、理由あって私の家で世話しているの」
まるで家畜か、飼い犬かのような言われようだ。
「おい、世話などされていないぞ」
「うるさいわね、ご飯の準備をして、服を用意して、それから寝る場所まで用意することを、こっちじゃ『世話をする』っていうのよ」
それを言われてしまっては、一切の反論の余地がなくなってしまう。
手も足も出せなくなった燐子は、精一杯の抵抗として、無言で肩を竦めて視線を逸した。
それからミルフィは、女性のほうを掌で指し示すと、一度燐子の名を呼んで注意を引いてからつらつらと続けた。
「彼女はスミス、信じられないかも知れないけど、ここの鍛冶場の棟梁なの」
炎に照らされてなのか、彼女の肌は小麦色で健康的に見える。
しかし、しっかり意識して見てみると、ところどころに火傷の痕があり、鍛冶師の仕事がいかに危険なものかが伝わってきた。
長い修練と、繊細さ、器用さの才覚が必要だという印象のある鍛冶師であるが、これほど大きい鍛冶場の棟梁ともなれば、きっと歴戦の戦士のような、年配の大男が務めているのだと燐子は思い込んでいた。
それなのに、姿を見せたのは、自分と大して歳も変わらないような女であったのだ。
燐子は、自分がからかわれていると思い、不愉快そうに目元をきつくしながら言った。
「相変わらず、つまらない冗談が好きだな」
「いや、本当だって」間髪入れずに返す。「嘘を言うな、女ではないか」
そして、嘘を吐くなら、もっとそれらしい嘘を吐けとミルフィのほうを見て、腕を組んだときだった。
「君も女だ」
激しく踊るようにして燃える炉の火炎が、一段と眩しく火の粉を上げた。
初めは何を言われているのか分からなかった燐子だったが、直ぐに自分のことを指摘されているのだと気が付き、スミスと呼ばれた女鍛冶屋に視線を戻した。
スミスは先ほどからずっと変わらず、無感情な瞳をミルフィにでも自分にでもなく、ただ虚空に向けていた。
だが、その意思のないガラス玉のような目に、燃え盛る炎が反射することで、まるで意思を与えられたかのように一瞬だけ、スミスは確かにこちらを見た。
彼女の言葉にどう反応したらいいのか戸惑っていた燐子の、黒い頂上から足のつまさきまでさっと視線を巡らせる。
「あの魔物を倒したと聞いて、どんな人間かと楽しみにしていた」
あの魔物、とは当然大トカゲのことだろう。
サイモンから貰った報奨金のことを含めて考えたら、ここら一帯では、名の知れた魔物だったのかもしれない。
「あのトカゲを倒したんだ、相当に腕の立つ剣士のはず――」
そこで言葉を区切ったスミスは、途端に興味を失ったかのように作業に戻ると、燐子の怒りの炎を滾らせる一言を吐き捨てた。
「だが、女だった」
「…何?」
二人の間に立ったミルフィが場を収めようと声を上げたが、スミスの直ぐそばまで足早に近寄った燐子の口は塞げない。
「貴様、どういう意味だ」
「自分で考えてはどうだ」
「ほう」と青筋を立てた燐子は、ゆっくりと太刀を鞘から滑らせスミスへと向けた。
さすがにこれは止めなくては、と燐子の肩に手をかけようとしたミルフィは、自分に向けられていたスミスの静かな瞳に制されて、その手を止めた。
「つまりそれは、斬られても文句はないということだな」
彼女の真剣な殺気に、止めた手を再び動かしたミルフィだったが、下手に燐子を刺激したら自分も斬られそうな気がして、一瞬気が退ける。
「何故そうなる?」問いはするものの興味はなさそうだ。
「女というだけで、私の腕を侮辱することは許さん」
「そう」
「言いたいことはそれだけか」彼女の無関心さが癪に障る。
「もう一つだけ」
最低限の単語だけでやり取りをしようという態度が、いかにも怠そうで、ますます腹が立つ。
スミスは一度だけ、自分を見下ろす燐子へと顔を向けた。
「自分の発言を、帳簿にでも記載しておくことをオススメする」
燐子はその言葉の意味が分からず、数秒間だけ沈黙したが、直ぐに自分が彼女に対して働いた無礼に思い当たり、顔が熱くなった。
鍛冶場にて、臓器のようにあちこちで活動している炉心たちのせいだと考えたかったが、それが羞恥によるものだということは疑いようもなかった。
さすがの燐子もこれは自分に非がある、と思い至ったのだが、次にどうするべきか思いつけずにいた。
素直に謝罪するべきとは思うのだが、刀まで抜いてしまった。
普段なら直ぐに自分を咎めるミルフィも、こういう肝心なときに静観を決め込んでいるのはどういうことだ。
そう考え後ろのミルフィを首だけ動かして確認したところ、何が面白いのかニヤついた表情を浮かべていた。
次第にあちこちで小さなざわめきが広がり始める。どうやらこの只ならぬ状況に、スミスの部下たちも慌て始めたようだ。
これでは恥の上塗りになる。早々に謝罪したほうが自らの名誉のためにもなろう。
燐子は抜いた太刀をゆっくり鞘に納めて、スミスのそばに置いた。
「先に無礼を働いたのは私のほうだったようだ…真に申し訳ない」体を直角に曲げて謝罪する。
「別にいい、気にしていない」体を折り曲げた燐子を、ガラス玉のような瞳で見つめて言う。「私も大人気なかった」
「いや、すまん、そう言ってもらえると有難い」
後方で、「燐子ってさ、謝れるんだね」と冷やかすように呟くミルフィは無視して、もう一度体を半分に折り曲げた。
自分がされて嫌なことは、相手にもしてはいけない。
口にするのは容易いが、その黄金律を遵守することは、存外難しいものである。
頭を上げるように促され、面を上げた燐子に、スミスは口元を数ミリだけ動かし言った。
これがもしも笑顔を作っているつもりなのであれば、絶望的に下手くそである。
「ちなみに、楽しみにしていたというのは本当だ。よろしく、燐子」
「…あぁ、よろしくスミス」




