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竜星の流れ人  作者: null
一部 四章 水の町にて
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橋の上の幕間

この章では、戦いも一先ず終わりとなります。


みなさんも、適度な休憩を忘れないでくださいね。

 一つ大きく荷台が浮き上がったことで、まどろんでいた頭が唐突に覚醒を強いられ、燐子は、もたれかかっていた壁から背中を離した。


 少し眠りこけていたようだ、と首の骨を鳴らしながら、外との仕切りとなっている白い布のそばまで屈んだ状態で移動し、それを払いのけた。


 馬車の後方に凄まじく長い橋が伸びており、燐子はほぼ無意識的に荷台から身を乗り出して辺りを見回した。


 湿地とは違った、澄んだ水の香りが周囲に充満しており、その匂いの元であろう大きな湖が、橋の左右に果てしなく広がっている。


 時折飛び跳ねる魚や、それを狙って空を急降下してくる鳥たちを目で追っていると、突然馬車の死角から例の馬に乗った商人の長が現れて、穏やかな笑顔で燐子に声をかけた。


「燐子様、アズールは初めてですか?」


 そう問われ、アズール、と脳内を検索した燐子は、数秒かかってドリトンの言葉を思い出した。


 それによって、自分が目的地に着いたことを察しながら、「ああ、そうだ」と風に負けぬよう少し大きな声で言った。


 流れ人であることは、不用意に口にしないようにとドリトンに忠告されている。


 別に何の問題にもならないだろうが、時には悪人に騙されてしまう流れ人もいるらしかったので、大人しくその忠告は守っていた。


「そちらは違うのだな」と燐子が何気なしに尋ねると、彼は、「自分たちは行商なので、いたるところに行きます」、と苦笑いを浮かべて言った。


 正直、初めは情けの無い男だと思ったものだが、落ち着いてからこうして話してみると、中々に話の分かる男だということが分かった。


 商人一座の長ともなれば、確かに他の組員の人生も背負って立っているわけで、向こう見ずな行動ができないというのも、言われてみれば分かる。


 自分の一方的な考えを押し付けていたかもしれない、と反省はしたものの、気恥ずかしさもあって、改めて謝罪を口にすることはできなかった。


 そもそも、あんな化け物が相手では、戦えない人間が助けに向かったとしても、それこそ無駄死にだ。


 それにしても、と燐子は気を取り直して、辺りに広がる水面の美しさに見惚れた。


 それでついつい上機嫌になって、商人に向かって高い声を出す。


「美しい湖だな」


「ええ、皆さん必ずそう口にされます。燐子様は、こうした風景がお好きですか?」


 好き、とその言葉を頭の中で反芻させるが、結局、彼女が出した答えはよく分からない、というものであった。


 それを耳にした男は特段驚く様子もなく、何度か頷くばかりである。


 美しい場所は誰でも好きだと思うが、どうしてだろう、この男が聞いたのはそういう表面上だけのものではなく、もっと人間の胸の奥底に触れた問いのように感じられた。きっと考えすぎだとは思うが。


 すると男は、心底明るい表情を浮かべて、馬の体を荷台に寄せ、答えたくないのなら答えなくて良い、という前置きをしてから口を開いた。


「燐子様は、流れ人なのですか?」


 質問の形式をとってはいたが、その実、男の口調からは確信に近いものが滲み出ていた。

 燐子は下手な誤魔化しは無意味だと判断し、短く肯定する。


 男は穏やかな笑みをして頷き、「他言はしません」と印象とは違って、きっぱりとした口調で断言する。


 それから燐子が何故分かったのかを尋ねると、彼は素早く返答した。


「その黒い髪と瞳は、この世界では珍しいです。それに――」と燐子の腰にぶら下がった二本の刀へ焦点を合わせて、「その武器はこの世界では一般的ではないと思います」と付け加えた。


「まあ、私のように商いで世界中を回るか、武器を取り扱っているかしなければ、それだけでは分からないかとも思いますが」


 なるほど、そういえばここに来てから、まともな武器と言う武器は見ていないが、他の人間が所持している剣とは、明らかに刃渡りが異なっていた。


 しかも、どうやら多くの剣が両刃の形状をしているようだった。片刃の剣は珍しいのだろう。


「それでは苦労も多いでしょう」


「人並みだ」と強がって見せる。


 そうすると彼は、自分の名前をサイモンと名乗り、何か困ったことがあれば、いつでもサイモン商団を頼ってほしいと言ってくれた。


 確かにツテができるのは有難い、遠慮なく頼らせてもらおう。


 そう燐子が告げると、続けてサイモンは妙案だと言う風に声を高くして告げた。


「そうです、この馬を差し上げましょう」


 思わぬ朗報に、「本当か?」と食いついた燐子の反応がよっぽど嬉しかったのか、サイモンは破顔して何度も頷き言った。


「この世界を巡るに、馬は必須です。美しい場所、他の町、きっとこの長い橋を渡り切るのだって馬がなければ大変ですよ」


 ふと脳裏に、美しい湖にかかったこの橋を、馬で駆ける自分の姿が浮かんだ。


 一度それを想像してしまったら、とてもではないが遠慮することなどできるはずもなかった。


 彼らとはアズールの町で分かれる算段になっていたので、そこで馬を頂戴する約束をして、サイモンは一団の先頭へと戻って行った。


 それから少しの間、身を乗り出したままで橋と湖を眺めていたのだが、不意に後ろから声をかけられて体を荷台の中に戻した。


「燐子、そんなはしたない格好で顔を出すんじゃないわよ」


 またそれか、とサラシの素晴らしさを理解できない哀れな女を横目で睨む。


「もう慰めてやらなくていいのか」


 半笑いを浮かべた燐子の皮肉を受けて、顔を真っ赤にしたミルフィは無言で彼女に近寄ると、思い切りその白い背中を平手打ちしたのだが、偶然サラシの上だったため、燐子は平気な顔をしていた。


「これがサラシの素晴らしさだ」と満足そうに語った燐子を無視して、ミルフィは、今度は直接肌の部分を思い切り叩いた。


 台車の中に乾いた音が大きく響き渡る。

 それに驚いたらしい御者が何事かと顔を覗かせて尋ねたが、ミルフィがどこから出しているかも分からない猫なで声で「何でもないです」と答えた。


 痛みに喘ぐ燐子に向けて鼻を鳴らしたミルフィは、「もうすぐで到着らしいから、準備しなさい」と偉そうに吐き捨てて、また御者のいるほうへと姿を消した。


 まともではないのは、私の戦い方ではなくお前の腕力だ、と心の内で呟きながら、燐子はひりひりする自分の背中をさすった。


 その白磁器のような背中に残った紅葉の痕は、こすっても、こすっても消えることはなかった。

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