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竜星の流れ人  作者: null
一部 三章 駆ける、光
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生傷だらけの

 ひりりとする痛みに、思わず小さな苦悶の声が漏れてしまう。


 非難めいた視線を目の前の彼女に送るが、逆に冷ややかに睨み返されてしまって、情けないことに怯んでしまった。


「もう少し、優し――丁寧にできないのか?」


「は?」


 無駄そうだ、と燐子は肩を落として、自分の傷の手当をしてくれているミルフィから目を逸らした。


 サラシだけになった自分の上半身に無数の生傷が刻まれている。


 古傷もいくつかあるが、その多くが半日前、例の魔物の口に飛び込んだことでできた傷であった。


「痛っ!」


「我慢しなさいよ、自分が悪いんだから」


「おい、いい加減に――」とあまりに乱雑に包帯を巻き直すミルフィの手を掴むも、もう片方の手で傷の入った肩を握り込まれ、声も出なくなる。


 あの後、助け出した人々を伴って、森の出口に向かった。


 燐子は、一番憔悴していた女性を馬に乗せて、先に森を駆け抜け、人々の元へと送り届けた。


 魔物の牙で傷だらけになった体から多少の出血はあったものの、致命傷には程遠かったため放置しておいたのだが、それを見咎めたミルフィが、カンカンになって治療と説教とを同時に施してくれているということだ。


 仲間を助けてくれた礼ということで、馬車の荷台にスペースを用意してもらい、そのままアズールの町まで一緒に運んでもらえることになった。


 おかげで残りの旅路は楽なものになりそうだったが、戦いの熱が冷めてしまったことで、あの魔物につけられた痛みが疼く。


 何を言っても乱暴な手付きを改めないミルフィから視線を逸し、馬車についた小窓から外の景色を眺める。


 鬱陶しい湿地帯は抜け、既に広い草原地帯に出ていた。


 遠く、緑に萌える山々をじっと見据えているうちに、馬車と並走する馬の顔が見えた。

 他の商人を乗せてはいるが、自分とミルフィが世話になった馬に違いない。


 その馬は燐子の視線に気がつくと、ゆっくりと小窓に近づいて、直ぐ側で鼻を鳴らして挨拶してくれる。


「お前は頭がいいな」とくすりと笑う燐子に、馬の背に乗った商人が手を振った。


 どうやら一座の長である男、つまりは二人に救援を依頼した少年の父親だった。


 最低限の礼儀として、小さく頭を下げる。


「どうしてあんな無茶をしたの」


「無茶…?」


 そうしてしばらく、こちらを批判的な目で見つめていたミルフィであったが、ややあって、両手を自分の膝の上に置いたかと思うと、途切れ途切れに声を発した。


「偉そうにごめん、この傷、私のせいなのにね」


 体についた傷を労るように優しく指でなぞられ、ぞわりとした感覚で体が震えた。


「ミルフィのせいではない。戦場での傷は全て、己の実力不足だ」


 慰めでも何でもなかったのだが、ミルフィは肩を落とすと、「違うわよ」とぼやいた。


 馬車の車輪が街道の石ころを踏みつけにする度に、体が上下に揺れる。


 ある程度は整備された道のようだが、それでもやはり、綺麗さっぱりというわけにはいかない。


 雨が降ればぬかるむし、強風が吹けば砂を巻き上げ荒れ、雪が積もることだってある。


 何だってそんなものだろう、人間だって、きっと。


 燐子は意味が分からない、といった様子で首を傾げて「何故そう思う?」と問いかける。


「私が行こうって、言ったから…なのに、大して役に立たなかったし」


 珍しく反省している、というより落ち込んだ雰囲気で呟くミルフィは、とても奥ゆかしい女性のようにも見えた。


 だが、それは草原を渡る春風が運んできた幻だと分かっている。

 本当の彼女は、傲慢で勝気なはずだ。


「妙なことを言う。あのような魔物に襲われて、結果的に死人が出なかったのはお前のおかげだろう」


「それは燐子が倒したからよ。私じゃなくて、燐子のおかげ」


 いじけたように肩を落として見せるミルフィに、「そもそもお前が行くと言ったことが、事の始まりだ」と燐子が返す。


 それでも納得しないふうに、ぶつぶつとため息交じりに呟くミルフィを見て、燐子は次第に呆れを覚え始めていた。


「お前が行くと言わなかったら、誰も助けに行くこともなく、あのうちの何人かは死んでいただろう」


 一体全体、どう言えば納得するのか。


 ミルフィが言い出したことなのだから、どう考えても彼女が救った命に変わりはないはずである。


 彼女が一体何に引っかかっているのか、それが燐子には全く理解できなかった。


 すると、今まで詮無いことをひたすら口にしていたミルフィが、急に真面目腐った声になって言った。


「この間も、今回も、結局、燐子一人に戦わせてる」


 それがどうした、と燐子が口に出しそうになったところ、かすかに瞳を潤ませた彼女と目が合って、燐子はぎょっとした。


 ミルフィは膝に置いた両手を固く握りしめている。


 それはまるで、掌中にある何か形のないものを、無理やりにでも押し潰そうとしているかのように燐子には見えた。


 どことなく、そんな彼女が哀れに思える。


「ごめん、最低だ、私。燐子が怪我したことじゃなくて、自分が何もできなかったことがショックなんだ、きっと」


 ミルフィが大きなため息を吐いて、項垂れたことで、その臙脂色の瞳が隠れてしまった。


 涙を吸収して輝きを放つ宝石のようなその目を、もうしばらく見ていたい。


 そう考えていた自分に気が付いて、燐子はむず痒い気持ちで顔を背けた。


 別に、そんなことで謝らなくていい――などと伝えたところで、彼女が満足するわけでも、前を向けるわけでもないことぐらいは分かっている。


 人の感情の機微に疎い自覚はあるものの、何も岩のように心が無いということでもないのだから。


 それでも、彼女が見せた感傷のようなものを無視して、外の景色を眺める余裕を、今の燐子は持ち合わせておらず、彼女は不器用なりにミルフィに泣き止むように言った。


「何もできなかったわけでもない。この間も、今回も。お前の弓で救われた村人もいたと聞いた。今回だって、ミルフィが放った矢で奴の弱点が分かったのだ」


「それでも、危険を冒したのは燐子よ」


「危険ではない戦いがあるのか?」燐子は少し笑いながら言った。


「少なくとも、今回みたいに、一歩間違えれば死ぬような真似はせずとも済んだはずでしょう」


「何を言う。戦いとはみな、一歩間違えれば死ぬものだ」


「だけど、あんなの…まともな人間の戦い方じゃないわよ」


 また批判されているのかと目を細めてミルフィを睨んだが、彼女は相変わらず荷台の床を見つめたままである。


 まともな人間の戦い方じゃない、と言われても…。


 困った顔をした燐子だったが、確かに大トカゲを仕留め終わって、馬に乗せた女性は、ずっとこちらを恐れるような目で見ていた。


 返り血塗れのせいだと思っていたが、もしかすると、本当に鬼か何かと勘違いされたのかもしれない。


 だが、だとしたら甚だ心外である。助けてやったと恩を押し付けるつもりはないが、もう少し、素直に感謝をしてほしいものだ。


 昔からああして戦ってきた。


 女の私では腕力では男には敵わないと、戦場に出れば嫌でも直ぐに学んだ。


 しかし、だからといって落胆はしなかった。


 ならばどうすればいいのか、それを直ぐに学んだからだ。


 活かせるものを活かす。


 持ち前の身軽さと動体視力を武器に、相手の攻撃を紙一重で躱し、心血を注いで磨き上げた剣の腕で斬る。


 それを戦場で繰り返しているうちに、自分の戦い方はある程度の高みに達したと自負している。


 当然、この程度で満足はしない。自分より強い者など数えきれないほどいるのだ。


 ミルフィはああ言うが、更なる高みに至るためにも、今回の一件があったことには、むしろ感謝すらしている。


「私は、どうせあのやり方しか知らん」


 そう告げた燐子の言葉を冗談か、気遣いと捉えたらしいミルフィは、少し上目遣いになって燐子を見据えながら、「とにかく、悔しいのよ」と身を切るように吐き出した。


 どうやら、今は何を話そうと無駄なようだ。


 そう判断した燐子は、彼女から窓の外へと視線を移して、「お前は猟師なのだから当たり前のことだろう」と呆れたように再び告げた。


 その言葉はミルフィを慰めたり、元気づけたりするどころか、かえって落ち込ませてしまったようであったが、それが分からない燐子は、あの魔物に止めを刺したようにもう一言付け足す。


「戦いは、戦えるものに任せればよい」


 荷台の隅にいた鼠が、二人に怯えたようにして一つ鳴き声を上げた。

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