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竜星の流れ人  作者: null
一部 三章 駆ける、光
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駆ける、光 壱

久しぶりに本格的な戦闘シーンとなります。

 大きな樹木の上に登っていた数人の人間たちと目が合う。おそらくは例の商人だ。


 彼らはおかしなことに、誰一人として助けが来たことに喜ぶ素振りを見せず、みんなが一様に怯えた表情を湛えていた。


 何故、そんなところにいる。


 そう燐子が尋ねようとした刹那、母親らしき人物に肩を抱えられてこちらを見ていた、若い女の口元に意識が吸われた。


 う、し、ろ。


 その言葉が、やけにスローモーションに脳内で変換される。


 瞬間、燐子は凄まじい悪寒に肌を粟立たせながら、刀の柄に手をかけて素早く抜刀して背後を振り返った。


「ミルフィ!」


 燐子の行動に呆然としていたミルフィを片手で引き寄せて、燐子の目の前へ飛んでくる槍のようなものの先端を刀で弾く。


 胸の中でミルフィが悲鳴を上げているような気がしたが、今はそれどころではない。


 槍と錯覚するほどに鋭利な先端が、ゆらりと水草のように揺らめきながら、奴の背後へと戻っていく。


 その距離感を計算しながら、ゆっくりと腕を解き、言葉も失ったらしいミルフィを自分の背後へと下がらせる。


 完全に気配を感じなかった、と燐子は(ほぞ)を噛みながら、目の前の敵を素早く観察する。


 到底想像もしていなかった巨躯は、ハイウルフの数倍大きい。


 泥のようにくすんだ茶色の皮膚――いやあれは外殻か。


 細長い尻尾の先端についた槍のような武器、三本の指に装着された強靭な爪、加えてトカゲを肥大化させたような頭をしている。

 唯一、それと違うところがあるとすれば、口の間からはみ出している何本もの大牙だろう。


 まともな生物とは、とても思えないほどの馬鹿げた凶暴さがそこには存在していた。


 こいつは危険だ、ミルフィがあれほど言うのも分かる。


 とても個人の手に負える代物とは思えない。


 戦うか、逃げるか、その比重が後者に傾きかけたとき、頭上で誰かが呟く声が聞こえた。


 その声はほとんど掠れていて、はっきりとは聞き取れなかったものの、燐子には助けを求める声であったような気がした。


 ――腹を括る。


「ミルフィ、やるぞ」


 声をかけられたミルフィは、初めのうちはぼうっとして聞いていたのだが、もう一度燐子が強く声をかけると、今まで眠っていたかのように飛び上がり、小さく返事をして数歩後ろに下がりながら弓矢に手を伸ばした。


 相手を刺激しないように、少しずつ移動していくミルフィの姿を、ぎょろりとした爬虫類独特の瞳が追っている。


 こんな図体をしておきながら、気配を隠すのが上手い魔物だ。


 彼女が警告してくれなかったならば、背後からの一突きで勝負は決まっていた。


 命のやり取りを始める前の静けさが、辺り一面に霧のように立ち込めているのを感じながら、燐子は舌で、ぺろりと乾いた唇を舐めて微笑した。


 久しぶりに、自分よりも強大な相手と一戦交えることができる。


 確かにそれは危険極まりないことではあるが、自分を成長させる何よりもの経験になることを、私は知っている。


 私の刃はあの外殻を通せるだろうか。


 あの槍のような尻尾の一撃を、何度潜り抜けられるだろうか。


 見るからに凶悪な爪や、牙は、容易く私の体を切り裂くのだろうか。


 そんなことばかりを考えている。


 そうだった、ずっと、そうだった。


 強者と戦うことはいつだって、自分の中の、満たされない感情を埋めてくれるような気がしていた。


 馬で地を駆けるときと同じだ。何もかも忘れさせてくれる。


 身分も、性別も、血筋も、そういう私を悩ませる何もかもをだ。


「久しぶりに血が滾る」


 すっと、目を細め、怪物を見やる。


「お前はどうだ」


 魔物に通じるわけもないと分かっていながら、ついつい嬉しくて口から言葉が零れてしまう。


 すり足で間合いを詰めて、尻尾の一撃を誘う。


 まずは、どこからが有効射程距離で、どこまでが安全なのかを把握する。


 長物を相手取るときの基本だ。特に変則的な間合いが予測できる得物のときは。


 背後でミルフィが矢を番え、弦を引き絞るキリキリという音が聞こえてくる。


 その音が数秒鳴ったかと思うと、風切り音が自分の体を追い越して、瞬く間に魔物へと飛んだ。


 矢は脳天目掛けて、一直線に突き刺さったかのように思えたが、堅固な外殻に阻まれてその場に落ちた。


「そんな…!」


 そして、その一撃を皮切りにしたかのように、大トカゲが唸り声を上げながら姿勢を屈め、尻尾の先端を素早く燐子に向けて突き立ててきた。


 小さく息を吐き、呼吸を合わせて槍先を捌いて尻尾の伸び縮みを計る。


 思ったよりも尻尾の動きが鈍い。


 まだ余裕があるな、と燐子はわずかに後退し次の一射を放つようにミルフィに言った。


「でも、効かないわよ!」


「いいから早くしろ!」


 最初から、あのような簡易的な弓矢に、たいした殺傷能力など期待していない。


 肝心なのは、奴の気を逸らすことにあるのだ。


 よく聞き取れない愚痴を吐きながら、ミルフィが次の一矢を放つと、案の定、外殻に阻まれ、矢の中央から真っ二つにへし折れる。


 それでも魔物の関心を買うことはできたようで、一瞬だけミルフィのほうへと視線が動いた。


 今だ、と燐子は勢いよく地を蹴り、魔物のほうへと一直線に突っ込んで行く。


 刀は胸の前で斜めに構えて、いつでも先ほどの一撃に対応できるように備える。


 逸れていた注意が直ぐに燐子のほうへと戻って来て、再び尻尾の先端が彼女を狙うが、燐子の計算には何の狂いもない。


 攻撃の鋭さを感じさせないぐらい容易く刀で弾き、一気に眼前に飛び込む。


 おどろおどろしい爪や牙に視線が向くが、魔物の動きは予想よりも遥かに遅く、相手が前足を振り上げるよりも数段早く、首元目掛けて刀を横に振るった。


 殺った、と腕を振るうと同時に確信した燐子を襲ったのは、強烈な手の痺れであった。


「くっ!」


 喉元までこんなにも硬いのか、まるで岩のようではないか。


 危うく刀を取り落とすかと思った。


 じんと痺れる両手に喝を入れて、しっかりと刀を握りこんだのも束の間、体の感覚に意識を持っていかれていた燐子の聴覚に、ミルフィの悲鳴にも似た叫びが届いた。


「燐子!前!」


 弾かれるように視線を上げると、奴が右前足を持ち上げているのが見えて、咄嗟に後方に飛んだ。


 目の前を人の腕半分ほどの大きさの爪が横切り、心臓が一際大きく鼓動を打つのが分かった。


 危ういところであった。ミルフィの声がなければ死んでいたかもしれない。


 自分の頭上を、引き戻される尻尾の影と、ミルフィが放っただろう矢が過ぎ去り、それと逆行するように燐子は勢いよく後ずさりした。


「この馬鹿燐子!ぼさっとしてんじゃないわよ!」


「すまん、助かった!」


 意外にもきちんと謝罪とお礼を口にされて、ミルフィは目を白黒させたが、燐子が「もう一度仕掛ける!」と叫んだことで慌てて矢を掴んだ。


「ちょっと、一旦慎重に――」


「行くぞ!」

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