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竜星の流れ人  作者: null
一部 三章 駆ける、光
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衝突 弐

 ショックを受けたのか、目と口を大きく開けて呆然と燐子を見ていたミルフィは、ハッと我に返ると、怒りで満ち満ちた瞳でこちらを睨みつけながら、燐子の胸ぐらを掴み上げた。

 言葉にならない激情のために、口を開閉して何事かを燐子に怒鳴りつけようとしていたのだが、ついにその言葉が吐き出されることはなかった。


 それよりも先に、二人に声をかけた者がいたからだ。


 ぎゅっと、彼女の震える片手を握りしめる小さな手に、思わず二人が目を向ける。


「お母さんとお姉ちゃん、死んじゃったの?」


 向こうの商人一座のほうで泣きじゃくっていた少年だと、直ぐに二人は気がついた。


 燐子は無視してその場を去ろうと考えたのだが、ミルフィがその場にしゃがみ込んで話を聞き始めたことで、燐子自身も動けなくなってしまう。


 少年の頭上に降り落ちた緑の葉っぱを指先で摘んだミルフィは、彼の潤んだ瞳を真っ直ぐ見据えた。


 先程までとは打って変わって、強い意思を感じられる瞳が、彼女らしく毅然と輝く。


 周囲の人間たちがじっと二人の会話の行く末を見守る中、燐子だけが居心地悪そうに腕を組んで薄く目を開けていた。


「大丈夫だよ、きっと生きてる」


「ミルフィ」


 何と無責任な、と呆れと怒りを撹拌した感情を抱いた燐子は、直ぐにミルフィの発言を咎めたが、逆に彼女に睨み返されて仕方がなく口を噤んだ。


 少年は何かに縋るように彼女の言葉を繰り返すと、それに深く頷いたミルフィは、少年のか細い肩を掴んで、弾けるような笑顔を無理やり作った。


「私達がみんなを連れてくるから、ね?」


「おい」


 反射的に鋭く燐子が呼びかけるも、少年がより一層縋るような顔を見せて「本当?」と聞き返したことで、それにまた明るくミルフィが答えてしまい、いよいよ取り返しがつかなくなってしまった。


 少年はほんの少しだけ微笑んで、駆け足で一座のほうへと戻って行った。


 燐子は、その後ろ姿を満足そうな顔で眺めていたミルフィの肩を背中から掴んで、厳しい口調で彼女を責めた。


「いい加減にしろ、どういうつもりだ」


「…いいじゃない」


「いいわけがあるものか、それに何だ、『私達』とは?」


「それは、その」


「全く、無責任なことをよくも言ったものだ」


「り、燐子は何も思わないの、こんな、こんなことを見過ごして平気なの?」


 一座のほうを横目で指し示すミルフィ。


 その人間性を責めるような言葉に青筋を立てた燐子は、声量を大きくして反論する。


「お前は、こうして誰かが不幸になる度に首を突っ込むのか」


 言葉を詰まらせたミルフィを追い詰めるように、言葉を重ねる。


「お前が死ねば、エミリオはどう思うだろうな」


 エミリオ、という名前に敏感に反応した彼女は言葉を失って俯いた。


 さすがのミルフィもこれは堪えたようで、完全に黙り込んで地面を睨みつけてしまっている。


 彼女の落ち込んだ様子に、少し言い過ぎたかと思ったが、ミルフィは素早く面を上げると、今度こそ明確な意思を持って燐子の目を真っ直ぐ射抜いた。


「じゃあ私だけで行く」


 燐子が声をかけて止める暇もなく、ミルフィがぐんぐんと商人の一団のほうへと進んでいく。


 先程の少年が嬉しそうにミルフィのことを報告していると、周りの大人達は表情を曇らせて、少年から、歩み寄ってきたミルフィのほうへと視線を動かした。

 仕方がなく彼女の後ろを離れて付いて行く。


 商人一座の代表らしい男性は、先程憑かれたように独り言を呟いていた男性だった。


 彼はミルフィと燐子を期待半分、憤りが半分といった瞳で見つめる。


「あの…息子がご迷惑をかけたみたいで」


 つまり、男は行方不明者の中に妻と娘を抱えているわけだ。


「いえ、構いません、それで何人馬車には乗っていたのですか?」


 事務的に尋ねた彼女に、男性は「え?」と間抜けな顔で返し、それからしばらくミルフィの顔と燐子の顔を交互に見比べると、「本当に行ってくれるのですか?」と瞳の奥を希望で瞬かせた。


 ミルフィはそれを耳にすると、滑舌の良い口調で肯定した。それによって、男性だけでなく、その周囲に居た人々も小さな歓声に湧いた。


 勝手に話が悪い方に進んでいる、と燐子はため息を吐く。


 こういうことは後になれば後になるほど、取り返しがつかなくなるものだ。


「お前一人で何ができる」


「ちょっと、燐子」


「本当に私でも手に負えないような相手なら、むざむざ死にに行くようなものだ」


 不安げな顔を覗かせた一座へと向き直り、燐子が苛立たしく舌を鳴らしながら言う。


「そもそも、何故人に縋る。自分の家族ならば、人に頼らず、自らの手で救い出そうとは思わんのか」


 これだけの人数が居て、どいつもこいつも、この世界の人間は腑抜けばかりか。


「自分たちよりも歳の若い女二人に任せて、恥ずかしくはないのか?」


 瞬間、ミルフィの平手が空を切りながら自分に向かってきたのが視界の端に映って、反射的にそれを片手で受け止める。


 渇いた音が空気中に響いて、辺りは凪のように静まりかえってしまった。


 今度こそ明確な憤慨に目を光らせたミルフィが、その馬鹿力で何としてでも私の頬を叩こうとしてくる。しかし、こちらも決して瞳を逸らさぬまま断固として譲らない。


 戦おうという意思を見せたのは、コイツだけだ。


 獣すらも、同胞が討たれれば命をかけてその復讐に乗り出すのに、こいつらときたら、助けてくれる誰かを待って震えるか、泣くだけだ。


 そんな連中を見ているだけでも反吐が出そうなのに、代わりに命を賭して戦うだと?

 そんなもの、死んでも御免だ。


 どよめく周囲のことなど気にも留めずに、二人は互いの瞳の奥を見透かそうとするかのように見つめ合った。


 それは状況さえ違えば、恋人たちの逢瀬のようにも見えたかもしれないが、この殺伐とした雰囲気の中では無茶な見方だった。


「誰もが戦う力を持っているわけじゃないのよ」


「それは弱者の理屈だ」ミルフィが毅然と返す。「それこそ強者の理屈でしょ」


「その弱者を守るのが、強者の仕事だとは思えないの?」


 力なき民を守る、か。


 確かに、侍のあるべき姿として正しいのかもしれない。

 だが、この世に侍はいない。そして、そこに讃えられるべき誇りもない。


「生きるに値しない、って言ってたわよね」


 じっと、ミルフィの言葉を待つ。


 私は何を期待しているのだろう、目の前の自分と変わらないぐらいの少女に、何を待っているのだろうか。


「だったら、つべこべ言わずに、その無用の命をかけて困ってる人を助けなさいよ!」


 何度言っても聞かないミルフィに、「この分からず屋め」と告げるも、同じ言葉を返されて再び睨み合いになってしまう。


「私がどうしようと勝手でしょ」


「エミリオはどうする」


「どうもしないわよ、人を助けて帰る、それだけよ。別に倒すわけじゃないから、アンタの力も必要ない」


「失敗すれば犬死にだ。慈善事業で死なれては私だって困る。第一、どうやってその場所まで行くのだ?数時間もかけて歩いてか?そんな悠長なことをしている間に、それこそ確実に全滅するだろうな」


 まだ生きていれば、と付け加えると同時に、ミルフィの腕に想像以上の力がこもって、思い切り引っ叩かれてしまう。


 してやったり、という顔で鼻を鳴らす彼女は、頬に手を当てて自分を睨む燐子を尻目に、不安そうな顔をしている一座のほうへと向かった。


 何と無礼な奴だ。異世界の野蛮人は本当に手に負えない。


「安心して下さい、私が行きます。あんな人でなしのことは放っておいて下さい」


 ちらりと少年がこちらを一瞥する。


 その目に明らかな落胆と、侮蔑の意思が込められているような気がして、燐子は思わず目を逸した。


 危険を冒すのが怖いのではない、ただ単にそうしなければならない理屈が分からないだけだ。


 彼らもなけなしの勇気を尽くすのであれば、私も率先してその矢面に立って力となるだろう。


 しかし、彼らが見せたのは情けのない醜態のみであった。


「それならば、うちの馬をお使いください」


 男は妙案だと言わんばかりにミルフィに一歩近づき、自分の掌を打った。


「あ、ええと、ごめんなさい」とミルフィが申し訳無さそうに、首を前に傾けて謝罪する。


 それもそのはずだ、彼女は馬には乗れない。


 その旨を伝えたところ、「そうですか…」と残念そうに男が俯いた。


 一瞬だけ、状況を観察していた燐子の視線とミルフィの視線がぶつかった。


 彼女は明らかに気まずそうな顔をして、勢いよく顔を背けた。


 さすがに私には頼まないか、と考えながら、商人が連れてきた馬を横目で見つめた。


 美しい毛並みの栗毛が木漏れ日に照らされて、その筋骨隆々とした体をゆっくりと上下させる。


 大人しく優しそうな瞳だが、そのうちに秘めたる気性の荒さが、鼻息に如実に表れている。


 不意に、故郷の平原が脳裏に蘇った。


 静かな風が草原の海を渡り、愛馬の嘶きが、どこまでも青い空の果てに響いていく。


 白い雲を裂いて降り注いでくる天の光に、手を伸ばしてはしゃいでいたあの頃。


 父に乗馬を教えてもらって、騎馬戦でのいろはを伝授された。


 だが、私は騎馬に乗って戦うのは不得手だった。


 怖かったのだ、大事な愛馬が傷つき倒れるのが。


 それを想像してしまってからは、騎馬戦は避けるようになったのだが、結局、愛馬は他の騎手を得て、戦場で死んだ。


 そういえば、あの馬もあんな毛並みで、大人しそうながらも獰猛であったな。


「大丈夫です、走っていけば――」とミルフィが無茶なことを口にしようとした瞬間だった。


「私が騎手をする」


 燐子が言葉を発したのがよっぽど驚きだったのか、ミルフィも含めた全員が目を見張り、彼女を見据えた。


「お前は、私の後ろに乗れ」


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