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竜星の流れ人  作者: null
終部 終章 流れの果てに
186/187

一本の繋がり

燐子の最後の戦いです。


どのような結末になっても、楽しんでご覧になって頂けると幸いです。

(やはり、強い)


 燐子は歪みそうな口元をきゅっと引き締めて、自分のほんの少しだけ遠目の間合いから迫る斬撃を紙一重で躱す。


 そのまま反撃に転じようと考えたが、それを予測して続く逆袈裟を受けて、否応なく後退する。


「反撃を許さなければ、お前の技は死ぬようだな!」

「私に当ててからほざけ、亡霊!」

「そうさせてもらう!」


 地面すれすれを描くような斬り上げが、足元から駆け上がってくる。それをひらりと飛んで避ける燐子を追って、鏡右衛門はさらに刺突を二、三放った。


 生と死の境界が、チカチカと明滅している。その間隙を縫うようにして、鋭い切っ先を上体の動きだけで躱す。


 当たれば臓腑まで貫通する攻撃も、今の燐子にとって、集中力を研ぎ澄ますための砥石に過ぎなかった。


 彼の太刀が手元に戻る。それを追うようにして、燐子も前進した。


 一閃、左手に持っていた刀を振り下ろす。激しい火花は、太刀の中で未だ黒竜が息づいているかのような印象を与えた。


 燐子と鏡右衛門は遮二無二なって剣撃をぶつけ合った。


 逆袈裟と袈裟斬り、右切り上げと逆袈裟、左薙ぎと唐竹割り…、幾重にも重なり、瞬く光はまるで星のようでもあった。


 鍔迫り合いの姿勢になった二人は、互いに同じ色を宿した瞳を覗き込み合うも、決して相容れない想いがそこにあるのを感じ合い、衝動に駆られて声を荒らげる。


「なぜだ?なぜ、そうまでも貴様は孤独であろうとする!?天地鏡右衛門ッ!」

「無論、私の器を試すためだっ!そのためには、己を弱くする足枷を外す必要がある。なぜ、それが分からん!?」


 強引に弾き飛ばされ距離ができるも、間髪入れずに地を蹴り、間合いを詰める。


「違う、それは絶対に違う!」


 自分が鏡右衛門相手に勝っているもの、それは、回避力と反応速度だ。


 力勝負の打ち合いになれば、すぐに限界がきて押し切られてしまうし、間合いが離れればリーチと瞬発力の差で先手を譲ることになる。


 彼相手に後手後手の立ち回りは危険だ。常に自分の得意分野で戦うこと、それが勝利のための絶対条件に違いない。


 もう一度、互いに必殺の間合いに入る。すると、すぐに死と隣合わせの打ち合いが始まる。


「貴様が足枷と揶揄する人と人の繋がりは、私たち剣士を弱くなどしないッ!」


 死の影すらも追いつけない、一瞬の意識の狭間こそに自分の勝機がある。


「ほざくな!事実、それが私を追い詰めた!」

「貴様を追い詰めたのは敗北だ、人の繋がりではない!」


 剣閃を下から閃かせる。容易く防がれる。

 防がれた体勢のまま、くるりと鏡右衛門を中心に左へと回る。

 同時に小太刀を逆手に持って右手で抜き、背面突きを放つ。


 キン、と鉄と鉄がぶつかり合う音がして、右腕が止められる。見れば、彼も器用に左手で持った鞘で小太刀を防いでいた。


「まるで私に届かなかった女が…、よくぞ、ここまで…」睨み合いの中、鏡右衛門が感情を殺した声で告げる。「だが、その強さこそが、怒りや恨みがもたらす力の証明になるのではないか?」


「いい加減、押し付けがましいぞ。私をこの高みまで導いたのは、貴様の言う陰鬱な感情ではない」


 下半身に力を込め、自分を絡め取る鎖を解き放つかの如く体をひねる。その力を利用した渾身の二刀回転斬りによって、鏡右衛門の体が立ったままの姿勢で後ろに大きく弾き飛ばされる。


「チッ…」と苦悶の表情で声を発した鏡右衛門は、どこまでも真っ直ぐ、揺らぐことのない眼差しを向けてくる燐子に言いようのない感情を抱いていた。


 そんなことは露知らず、燐子は小太刀を納刀しながら凛と背筋を正した。


「私は人の想いを知った。奪われる者の悲しみ、犠牲になる者の無念…、誰もが、戦いの中で生きていくことを誇りとは思わない事実。そして、死によって得られる誉を、無価値と思う者たちが決して少なくないことも」


 ふわり、と二人の周囲に小さな白い光が浮かび上がり始めた。蛍にも似た虫が、真夜中の訪れを謳い、乱舞しようとしていた。


 それらを横目で追いながら、彼女は続ける。


「世界には、死の誉すらも霞む、胸打つ光景が無数にあるということ」


 カチャリ、と太刀を霞の構えに持ち直す。

 敵の一撃をいなし、必殺の一撃を返すための構え。


「誰かを信じ、信じられることへの充足感。何より…、本当にそばにいたい、いてほしいと思う相手と、愛し、愛しされるということの喜びを知った」


 雪を思わせる白い光は、燐子の周りを踊り、幽玄に照らす。どうやら燐子の構えた太刀が時折、赤く発光するのにつられているようだった。


 燐子は、自分自身が何かの光を放つ存在になっていて、それが誰かを惹き付けているのだということには全く気付いていなかった。

 だが、誰のためでもなく、己のためにその身を焦がして夜空で燃える星にも似た彼女の生き方こそが、それを果たしたとも言える。


「私を支え、強くしてくれた全てと共に、私は貴様を討つ。そうして、貴様の全てを否定してやる。それが貴様と同じ日の本の剣士として――いや、『侍』として、貴様に手向けることができる唯一の花だ」


 怒りでもなく、哀れみでもなく。燐子は、先程から自分の胸にせせり上がってきている感情がどういったものなのか、判断がつかずにいた。


 使命感、という言葉ではあまりに大仰で。

 虚無感、という言葉にはあまりに熱っぽく。


 数秒、そうして頭を悩ませていた燐子だったが、ふっと、口元を綻ばせて目を細めた。


 ――理由など、どうでもいい。私にできることは、いつだって一つだったではないか。


 白光舞う冬の夜空の下、凍えることもなく見つめ合った二人だったが、不意に、鏡右衛門の顔が険しい色に変わった。


「燐子自身、『侍』にはなれないと…、頑なに言っていたではないか。なぜ、己の考えを変えてしまう?それは、お前の中の侍像に反するのではないか?だから、断ってきたのではないのか、それでいいのか、お前は」


 口調も、今までの傲岸不遜なものから、どこか、娘を心配する父親のような性質のものに変わっていた。だからこそ燐子も、打って変わって穏やかな声音で応じる。


「私が侍になれるのは、私自身が変わってからではない…。侍とは、生き方の名前だと、名前が変わっても、それで自分の生き方が変わるわけではないと、そう私に教えてくれた人がいる」


「…あの娘か…」と彼は遠い目をする。死に際のエレノアの行動とミルフィの発言で、ミルフィが朱夏の父違いの姉妹だと気づいたのかもしれない。


 こくり、と頷き返す燐子は、自分で話しながら、胸に詰まっていたわだかまりが消え去っていくのをまざまざと感じていた。


「私は、私らしく生きていけば良い。それが許される場所で、それを認めてくれる者の隣で」


 じん、と目頭が熱くなる。


 ――…あぁ、そうか。これで私は、ようやく本当の意味で…。


 彼は「そうか…」と感慨深そうに呟いた。その言葉にどれだけの意味が含まれていたのかは分からないが、再び構えを取った鏡右衛門の姿には、もはやこれ以上の問答が意味を成さないことが伝わってくる。


 互いの切っ先が、美しく煌めく。

 今度、接近し、離れるときが勝負の行く先の決まるときだと直感できた。


 初めから、覚悟は決めている。

 死神の手を握って踊ることになっても、私は決して目を逸らしたりはしない。


 今こそ、自分の集大成をぶつけるに相応しいときなのだ。


 夜の海を照らす夜光虫のような光の乱舞の中、とうとう燐子が駆け出す。対する鏡右衛門も、電光石火で距離を詰めて来ていた。


 最初に手を出したのは、鏡右衛門だった。


 鋭い袈裟斬りで、姿勢を低くして加速する燐子の首筋を狙う。とても無駄のない、洗練された動きに、場違いながらも感心せずにはいられない。


 並みの剣士ならば、防御することも間に合わず即座に首を斬られるだろうが、今回はその限りではない。


 彼女は、もはや防ぐことすら必要とはしない。


 誰も触れることのできない水の月のような存在として、達人の一刀すらもかすらせることなく躱し、鏡右衛門の背後に回り込む。


 そのまま、燐子は振り向く勢いのまま左薙ぎを放った。相手からしてみれば、不意に視界から消えた相手が、瞬時に死角から必殺の一撃を振り抜いてくるのだから、到底、さばきようのない攻撃だ。


 だが、鏡右衛門も並みの剣士ではない。


 彼は空振った太刀を戻し、体を反転させる勢いをもって燐子の振るった太刀を防いだ。いや、むしろ、弾いたと形容してもいいほどの威力がそこにはあり、燐子は衝撃を逃がすため、ふわりと後ろに飛ぶこととなった。


 間合いの先で、鏡右衛門の手が赤く輝くのが見える。流星痕だ。


(ならば、こちらも)


 燐子も左手に意識を集中させ、その力を引き出す。透明になっていく視界中で、白光をまとう虫が二人の戦いを讃えるように飛び交う。


 刹那、燐子は地面を蹴った。そして、それは鏡右衛門も同様だった。


 一瞬で互いに必殺の間合いに入ったかと思うと、二本の太刀が目で追うことができないほどの速度でぶつかりあった。


 一秒ほどのうちに、何度も鉄が重なり合う音が響き、星光にも似た火花が連続で散る。それは、ほんのわずかの間だけ咲く花にも似ていた。


 袈裟斬り、逆袈裟、当て身、薙ぎ払い、と燐子が技を繋げば、鏡右衛門も負けじと逆袈裟、袈裟斬り、流し、唐竹割り…と返す。


 計算され尽くした輪舞曲のような動きに、月も星も、光放つ虫たちも見惚れているようだった。


 ――速い、なんという反射速度だ。


 奇しくも、鏡右衛門と燐子の流星痕の力は似ていた。そのため、力を使っても結局は拮抗した乱打戦が続いた。


 しかし、やがて、二人の力の均衡が崩れ始める。


 息をする暇もないほどの、零距離での攻防。最初、動きに変化を見せ始めたのは燐子だった。


 相手の攻撃を、太刀の腹や反りで受け流す、あるいは、小太刀を使って弾いていた彼女は、次第に武器を用いることなく攻撃に反応するようになっていった。


 並外れた動体視力と天性の勘で、鏡右衛門の剣閃を上体の動きだけで躱す。瞬き一つしない異常なまでの集中力が、やがて、彼女の編み出した『身躱し斬り』の精度を、限界を越えてその楔から解き放っていく。


 鏡右衛門からすれば、信じられないものを見るような心地だったであろう。なぜなら、長年自分に比肩する相手はいないと自負していた一騎討ち、しかも、太刀を用いた戦いにおいて、自分の攻撃が間合いの内でまるでかすりもしないのだから。


 その事実に、冷静さを失いかけた彼は目の前の燐子を追い払い、間合いを図ろうと少しだけ大ぶりで力を込めて太刀を真横に薙ぎ払った。


 すると、燐子は離れるどころか太刀を盾にするように構えたかと思うと、鏡右衛門の斬撃を受けた反動を利用してその場で宙を舞い、横に回転する勢いのまま、空中で彼に一太刀浴びせた。


 一閃受けて、彼の着ていた袴が赤く染まり、次の瞬間には、左肩から右腰にかけてついた傷がぼうっと熱を帯びて焼けた。


「ぐっ…!」傷を負った鏡右衛門は、一歩、右足を大きく落とす。着地した燐子はそれを確認すると、得も言われぬ昂揚感を覚えた。


 自分が最強だと思っていた相手に、今、確実に手が届いている。

 生と死の境界が、光って見える。

 自分を魅了する輝きに誘われ、燐子はトドメの一撃を振り下ろすべく、低い姿勢から喉元に向けて突きを放った。


 直後、燐子は総毛立つような感覚に襲われる。言葉にし難い感覚だったが、この感じがあるときは、往々にしてよくないことが起こる。


 そこから先は、ほぼ無意識のうちだった。身躱し斬りを繰り返し、死の指の間からすり抜けていた燐子だからこそ、体が勝手に動いたと言えよう。


 自分の真下から駆け上がってくる切り上げ。鏡右衛門が右足を引いたのは、これを燐子の追撃に合わせるためだったのだ。


 急制動をかけ、弾かれるように後ろへと跳躍を試みるが、間合いが完全に離れきるより先に、彼の切っ先が燐子の右胸から這い上がるようにして、薄皮を刻んだ。


「…っ!」


 不意に、右の視界が壮絶な痛みと共に消えた。歯を食いしばり、叫び声を上げないよう抑える。


(くそっ、右目をやられたのか…!)


 半分だけになった視界に、鏡右衛門が真正面から斬りかかってくるのが映る。すぐに防ごうとしたが、片目の距離感にとっさに適応することができず、不十分な防御になってしまった。


 太刀を持った腕が弾かれ、姿勢が崩されてしまう。追撃の左薙ぎが来る。


「この、程度で!」


 隙だらけになってしまった正面をカバーするために、本能的に右手で小太刀を抜き、薙ぎ払いを防ごうと反応する。

 だが、小太刀程度で、しかも自分の腕力如きでは渾身の薙ぎは防げず、小太刀は遥か上空に吹き飛ばされ、燐子の体も衝撃で半回転し、鏡右衛門に背中を向ける形で倒れ込んでしまう。


 小石の海に四つん這いになった燐子は、すぐ後ろから感じられる殺意に体が凍りつくような感覚を覚えた。


 右目に広がるものと同じ色をしたおぞましい深淵から、死神の呼び声が聞こえる。


 ――負ける。


 ずっと、この瞬間を心待ちにして生きてきたはずだった。

 戦いの中で、自分よりも強い者の手にかかって敗れ去り、土塊に還る。

 そういうものを望んでいる自分が、昔は胸の中心にいた。


 今も見える、生と死の境界で煌めく燐光を道標にして、幾多もの死地を太刀と共に彷徨い歩いた自分。


 だが、今のこの胸の中心には、あの頃の自分とは違う自分が真っ直ぐ立っている。


 燐子は、右目の痛みも忘れて、真っ直ぐ顔を上げた。


(こんなもので…こんなところで、負けるものか、負けてなるものかッ!)


 体に力を入れる。

 間に合わないかもしれない。

 振り返っても、ただ斬り捨てられるだけかもしれない。


 それが、どうした。


 背中を斬られて死ぬのか。


 許せん。それだけは、許しはしない。


 なぜなら、私は…!


 体を起こし反転させながら太刀を構え、燐子は猛然と吠える。


「私は――侍なのだッ!」


 刹那、赤い華が大きく花弁を散らし、咲いた。


 途端に失われた、左腕の重み。

 ぞっとするような、くらくらするような、喪失の感覚。


 驚愕した左目が宙を舞う白い手を捉えたことで、燐子は、自分の左腕が切断されたことを悟る。


 意思に反して、がくん、と膝が沈んだ。あまりに激しい動きを繰り返していたからか、髪もばらりと解け、絶望の帳のようにして黒い長髪が垂れる。


 朦朧とした思考で両膝を着く燐子の頭上から、霧がかったような声が響く。


「…やはり、私が正しかったようだ」


 声は、酷く寂しく、無気力だった。


「余計なことに思考を割くから、ここぞというときに反応が遅れる。信頼だ、愛などと、自分以外の何かに固執することこそ弱さの本質だ。

 切り捨てるべきだったのだ、お前も。

 個として生まれ、個として死んでいく宿命にある人間が、他者と結びついて生きていくことこそ、その実、歪んでいるではないか」


 カチャリ、と鏡右衛門の持つ太刀が鳴る。燐子の首を落とすため、彼が頭上で太刀を振りかぶるのが分かった。同時に、ざん、と打ち上げられていた小太刀が彼の足元の地面に突き立った。


「剣士が利き腕を失うなど、死ぬより辛かろう。早々に幕を引いてやる」


 燐子だって、戦意は消えていなかった。だが、相次ぐ失血と、左腕と右目を失ったという事実が彼女の再起の意思を抑え込んでいた。


 断頭台に乗った燐子と、鏡右衛門の周囲を取り囲むように光虫が舞い、鮮やかに照らす。


 その光のおかげで、ここで潔く死ぬのが華か、と虚ろになりつつある彼女の左目の先、右手の甲の近くに、何かが乗っているのが見えた。


 意味もなく、それを凝視した。


 それは、小さく細い繋がりだった。


 臙脂色をした、ヘアゴム。


 この世界に来て、初めて出来た魂の繋がり。


 瞬間、燐子の脳裏にミルフィとのかけがえのない思い出が、走馬灯のように駆け巡った。


 初めて会ったときの、警戒心と敵意を丸出しにしたミルフィ。

 初めて轡を並べた、大トカゲとの戦い。

 私の髪を結った、あの夜。

 旅立ちの、眩しい朝。


 鉄竜炉の火炎に照らされる、ミルフィの顔。

 仲違いしたときの無愛想な瞳、仲直りした後の、甘い匂い。


 愛を囁く声、濡れた柔らかい唇。


 幸せとは、こういうことを言うのだと分かった月夜。


 ――…ずっと、私のそばにいてね、燐子。


 その声が再び彼女の心に届いたとき、意識は深海の底から急速に浮上した。


 弾かれるようにして顔を上げ、差し迫る刃を視認した左目が脳に回避を要求する。

 首の動きだけでその死刑執行の斬撃を躱すと、燐子は力を振り絞って目の前の小太刀を握った。


「なにっ!?」驚きで目を見開く鏡右衛門の懐に、迅雷の如く飛び込む。「ど、どこに、なぜそんな気力がある、燐子!」


「私はッ!生きなければ、ならないッ!」


 叫び、動揺した彼の懐で、小太刀を踊るように振るう。


 目まぐるしい剣閃は、光虫や月光を吸収してプリズムのように煌めき、とっさに防御の構えを取っていた鏡右衛門に怒涛のように襲いかかる。


「私を支えている全てと、私に帰るべき場所を与えてくれるミルフィのためにも!鏡右衛門――貴様だけには、誰かを想う気持ちを捨てた貴様だけには、負けるわけにはいかないのだっ!」


 気力、体力、全てを注ぎ込みながら、とめどない連撃を繰り出し、とうとう見つけ出した命の隙間。燐子はそこに、逆手に持ち替えた小太刀を渾身の力で突き刺した。


「ぐっ、がっ…!」彼の右肩に、白い小太刀の刃が突き刺さる。「り…燐子ッ!」


 強く振り払われる剣撃を、閃光のような速度でくぐり抜け、鏡右衛門の死角に回る。


 ぐらぐらする左側だけの視界、遠のく意識、疼く左腕。


 それでも、彼女は決して止まらなかった。


「愛などと、若さ故にほざく貴様に何が分かるか!?決して戻れぬ修羅の道を行くことこそが――」


 かつての己の姿を探し、鏡右衛門は振り返る。


 そこに立つ、凛とした剣士――いや、侍の姿に、鏡右衛門は言葉を飲み込んだ。


 右腕だけで、再び太刀を取った燐子。握った太刀の先が、熱で夕焼けのように赤くなる。


「…お終いにしよう、鏡右衛門」霞に構えた燐子が、熱の込められた声で告げる。「私は私の、貴様は貴様の帰るべき場所に帰るために」


 その言葉を聞いた鏡右衛門は、しばし、呆気に取られたような顔をしていたが、そのうちふっと微笑んだ。


 カチャリ、と二人の太刀が鳴る。終わりを知る、寂しい響きだった。


 地を蹴り、加速する。誰よりも速く、流れる星よりも鮮やかな軌道で。


 鏡右衛門が、燐子の体を寸断するために死角である右から斬撃を放つ。

 見えないはずの斬撃は、低く頭を下げると同時に払われた太刀に流されて、虚空を切る。


 すれ違いざまに、燐子は一閃、太刀を振り抜いた。


 確かな手応えを右手に感じながら、彼女はぴたり、と動きを止める。


 何か、彼が背中で呟いていた。同時に聞こえる、砂利に倒れ込む音。


 とても聞こえるはずのない声量だった。だというのに、燐子にはそれが聞こえた気がした。


 乱れのない動きで血振るいをして、逆手に持ち替えた太刀をすうっと鞘に納める。


 ――終わったのだ。


 カチン、と太刀が鞘に納まる音が夜闇に響いたとき、燐子の体もまた深い夜に崩れ落ちていた。

燐子の長い戦いもこれで終わりです。


本日中に最後の更新もしますので、

そちらもよければお願いします。

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