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竜星の流れ人  作者: null
終部 五章 約束の夜
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決戦の朝

 かくして、夜は明けた。


 明朝、天地家の庭で日課を済ませた燐子は、冷えた空気に少しだけ身震いすると拝借していた木刀を置いて門を潜った。


 清冽な空気が火照る体を冷やしていくのを感じつつ、城下町の外へ出て、小川に沿って歩く。城の中は未だに破壊の痕跡が残っているものの、一歩外に出ればそれも嘘のように整然としている風景が続いた。


 降り積もった霜に暁の光が差す。きらきらと輝く細やかな水の玉がとても雅だった。


 決戦の朝、燐子が目指しているのはほかでもない。鏡右衛門と渡り合うための太刀をフォージらから受け取るためであった。


 昨夜顔を出したときは、完成までまだ時間がかかる、朝まで待ってほしいということであった。最悪の場合は使い慣れた太刀とは別のものを探して、果たし合いの場に赴くことになるだろう。


 抵抗がないと言えば嘘になる。二つの国の、そして、自分自身の運命を決める戦いになるのだ。少しでも万全を期した状態で挑みたいに決まっている。


 とはいえ、あるものでどうにかするしかないのも事実。元はと言えば、ドラゴンとの戦いで無理をさせすぎた自分が悪い。もっと上手に躱せていれば、こうはならなかったはずだ。


 やがて、連合軍が本陣を敷いている場所の近くに辿り着く。早朝だというのに人が大勢、慌ただしく駆け回っていた。それを見て、燐子は目を細める。


(ライキンスというまともな指揮系統を失った敵軍は、もはや敗色濃厚。軍を率いたこともないヘリオスでは、総攻撃を仕掛けるぐらいが関の山だろう)


 あの男の必死な顔がちらつく。同時に、真面目腐った女の顔も。


「…ふん」口からこぼれそうになったため息を、鼻を鳴らすことで誤魔化す。


 今更何を考えても詮無いことだ。成るようにしかならないところまで、事態は進んでしまったのだから。


 燐子にとっては、優しいミルフィがこの残酷な現実に弓を引けるかが心配だった。戦場での躊躇は死に直結する。


 戦が勝利に終わっても、そこに彼女が残っていないのであれば、自分にとっては何の意味もない。


 物思いに耽りながら歩いているうちに、鍛冶場に辿り着く。外にまで聞こえてくる作業場の音に、やはり間に合わなかったか、と少し落胆しながら中へと入る。すると、ちょうど外に出て来ようしていたスミスと鉢合わせた。


「ん、こんばんは、燐子」

「こんばんは、だと?何を寝ぼけたことを言っている。もう日は昇ったぞ」


「え?」スミスは疲労の滲んだ顔で東の山から顔を出した太陽を見つめた。「あぁ、本当だ。そうか、そんなに時間が経っていたのか…」

「まさか、今まで作業していたのか?」

「そうだな」当たり前のように頷くスミスに、燐子は目を丸くした。「鍛冶師である私にとっては、今までが最終決戦だったというわけだ」


 そういうものか、と得心する。こうなれば、自然と一つのことが気になり出す。


「間に合ったのか」


 何のことだかすぐに分かったのだろう、スミスは意味深に微笑むと浅く頷く。それから、片手を開いて中に入るよう燐子へ呼びかけた。


 作業場は異様な熱気に包まれていた。炉で煌々と燃える炎のためではなく、職人たちが一箇所に集まって熱っぽく語り合っているからだ。


 中央の炉の前で座り込み、人々に囲まれていたのはフォージだった。彼はこちらに気がつくと軽く手を上げて挨拶してきたのだが、燐子の意識はすでに、フォージの手に握られている一振りの刀に吸い寄せられていた。


「ほらよ、お前の太刀だ」


 フォージから太刀を受け取った燐子は、息をするのも忘れてそれに魅入った。


 わずかに湾曲した瑠璃色の刀身。刀身のところどころでは白や青の弱々しい輝きがゆっくりと明滅している。

 刃は薄っすらと熱を帯びているようで、時折、縁が赤く光っていた。


 宵の空を映したような、麗しい太刀だった。


 芸術品としては文句なしの一級品。武器としては――。


「燐子、いくぞ」名前を呼ばれ、ハッと顔を上げると、フォージが鉄屑の塊を放り投げてくるところだった。


 ほとんど反射で太刀を振り下ろす。驚くほど容易く、刃は鉄塊に入り込んだ。そう、入り込んだという表現が適切だった。それほど滑らかに、太刀は鉄の塊を両断した。


 ほんのりと赤熱化した刀身が白い煙を吐く。どすんと音を立てて落下した鉄塊を見下ろした燐子は、信じられないものを見るかのように自らの太刀を凝視する。


「な、なんという切れ味だ…!?これほどのものは、未だ見たことがないぞ」

「そりゃあ、そうだろう。こんな刀をそうそう生み出されちゃ、鍛冶師としての立つ瀬がまるでなくなっちまう」


 そう言うと、フォージは鞘を放り投げてきた。これもわざわざ作り直したのだろう。曇り一つなかった。


 鞘を受け取りつつも、燐子は新たな太刀を隅から隅まで観察した。やがて、眉間に皺を寄せると、「刀身が発熱するとは、まるで仕組みが分からん。どんな奇術を使ったのだ」と尋ねた。


「はっ。言っただろ、こんな刀そうそう作り出せないってな」

「どういう意味だ?」


 すると、考えることを半ば放棄していた燐子の後ろから、スミスが淡々とした口調で彼の代わりに答えた。


「つまり、素材が希少ってことさ」


 いくら燐子でも、そこまで言われれば合点がいった。


「『竜の遺産』か」

「ご名答。その名も妖刀カグツチ」満足そうに笑ってみせたフォージは、大きな欠伸をしてから、燐子に背を向けて立ち上がった。「さて、俺たちは一眠りするからな」


 なにぶん、一睡もしていないもんで、と付け足す彼と職人たちの背中には疲労感と共に達成感のようなものが感じられる。


 彼らのこの努力、決して無駄にしてはならない。


 そのために自分にできることは、一つで、幸いにして、いつもと変わらなかった。


「承知した。世話になったな」そう言って立ち去ろうとした燐子に、今日の天気でも尋ねるみたいな口調でフォージが言った。「強いのか?その鏡右衛門とかいう男は」


「…ああ、おそらく、私が知る剣士の中で最強だ」

「ほぅ、それは大変だな」


 本当に思っているのか疑わしい口ぶりだったが、彼らがこの戦いにおいて、真剣そのものであることは太刀を通して伝わっている。


「それでも、行くんだな」相変わらず機械的な口調で、スミスが問う。「言っておくが、死ぬようなことは絶対に許さない。ミルフィがどれだけ悲しむか、分かったものじゃないからな」


「言われずとも分かっている。元より負けるつもりはないさ。それに――」


 燐子は未だ抜き身のままの太刀を納めると、ふっと、彼女らしくもない笑みを作って一同を見渡しながら言った。


「このように素晴らしい刀を授けられて負けたとあっては、末代までの恥だからな」


 お世辞を言ったつもりはないが、できるだけ感謝の気持ちが真っ直ぐ伝わるように言葉を選んだつもりだった。そして、それは功を奏したようで、燐子の笑顔を確認した誰もが、彼女に負けないくらいの笑顔を作り、その背中を送り出すのであった。





 最低限の荷物をまとめて肩にかけてから、天地家の玄関を開き、門を潜る。


 時刻は九時過ぎ、すでにヘリオスらの軍勢に動きがあったらしく、ミルフィも早くから出かけていた。ちょうどフォージらと話しているときだったようで、すれ違うこともなかった。


 不思議と、それについて何も思わなかった。


「別に、今生の別れになるわけではない…」無意識のうちに独り言が漏れる。自分に言い聞かせたわけでもなく、ただ、本当に思ったことが口からこぼれた。


 空は快晴。薄い雲一つない。まさに、今の自分の心を模したようだ。


 燐子の胸に広がっている、筆舌尽くしがたい充足感。それが自然と彼女の昂ぶる心を沈め、深く質の良い睡眠を取らせ、足取りを軽くしていた。


(調子はこれまでにないくらい良い。体の軽さもさることながら、意識も透明感があり、乱れがない)


 歩き続けながら、太刀に手をかける。普段と変わらぬ重みがそこにはあった。


(黒竜の角から作られた、妖刀カグツチ。そして、ようやく完成された『真の身躱し斬り』。心・技・体、それに加えてこれ以上ない武器も手に入った。負ける理由がないとは、まさにこのことであるな)


 満足そうに微笑みつつ、自分のポニーテールを結んでいる髪紐に手をやる。離れていても、彼女の髪紐が意志を支えてくれそうな気がして、燐子は一つ、気合の入った息を漏らした。


 昨夜の気恥ずかしい記憶は、思い出したいようでそうではないわけだが、少なくとも、その密度の濃い時間が自分を強くしたという確信だけはあった。


 鍛錬以外で自分を鍛えよといったセレーネの言葉は、あながちただの説教というわけでもなかったようだ。武人でもない彼女がそんな助言を行えたのも、ひとえに、あのお節介焼きのおかげかもしれない。


 お節介――アストレアは日が昇る前にグラドバランを発ち、王国に向かったとのことだ。彼女も、第一王女として自らの宿命に決着をつけるのだろう。


 やがて燐子は、郊外や城へと続く三叉路に出たのだが、そこで待ち受けている大勢の人間の姿を見たとき、思わず顔を曇らせてしまった。


 そんな彼女の顔を見て、先頭に立っていた女が言う。


「あら、どうしてそのようなお顔をするのですか?」


 満面の笑みでそう告げたのは、片腕を吊ったままのセレーネだった。彼女の後ろには連合の兵たちが大勢揃っており、彫刻みたいに彫りの深い顔を生真面目な雰囲気でたたえていた。


「いえ…、このように大層な見送りは不要だと思っただけです」

「まぁ、相変わらず無愛想ですね」きちんと動く左手を頬に添えて、彼女は続ける。「想い人と結ばれた朝を迎え、天の祝福に歓喜するだろう人間の言うこととは思えません」


「なっ…!」


 想い人と結ばれた、という言葉に燐子は絶句する。


「ど、どうしてそれを…!?」

「どうしてもヘチマもありません。あのような場所で睦まじくしていれば、こうもなりましょう。我が軍も貴方たちの浮ついた話で持ち切りになってしまっています。ごほん。以後、気をつけなさい。燐子」


 羞恥で体が熱くなる。顔は火照り、色んなところから変な汗が吹き出していた。


 言われてみれば当然だ。距離があったとはいえ月光は爛々と灯っていたし、海岸沿いだったのだから遮るものもない。


 追悼の場所であのような真似をしていたとなっては、非難轟々、正気を疑われてもおかしくはないのではないか。


 不安、羞恥、焦燥…、様々な感情が撹拌され、言葉を失って狼狽えていた燐子に対し、セレーネがやけに明るい声で言う。


「そんなに狼狽するくらいなら、あのような場所でキスなどしなければよかったのでは?」

「う、うるさい。私ではなく、ミルフィがしたいと言ったのだ!」

「へぇ…、意外ですね。それで、ミルフィの押しに負けたのですか?」

「…断る理由もないと思った」

「なんと情けのない言い訳を…。こんな甲斐性なしに二つの国の運命がかかっていると思うと、嘆かわしい限りですね」


 明らかにからかっている様子だったが、甲斐性なしとまで言われては大人しくしているわけにもいかず、力と誇りの限りセレーネを睨み返した。すると、彼女は随分と大人びた、ある種の儚さを感じさせる表情を作り、目を細めた。


「ますます、死ぬわけにはいかなくなりましたね」

「…ああ」


 唐突に生真面目さを蘇らせたセレーネは、一歩前へと進み出ると、しゃんと背筋を伸ばし、透き通るような声で高らかに告げた。


「ドラゴンすらも単騎で葬る異世界の者、竜星の流れ人燐子。貴方のおかげで、王国も帝国も、一つの大きな苦難を乗り越えることができました。

 それは貴方が貴方であるために必要なことであって、決して我々への忠義奉公というわけではないということぐらいは承知しております。ですが、二つの国を代表して、決戦の地へと赴く貴方にお礼を伝えたいと思います。本当に、ありがとうございます」


 そうして、女王が頭を深く下げるや否や、周りの騎士たちも平身低頭、頭を下げた。その姿を見て、自然と燐子は両膝を地面について正座していた。


 すでに、支配者としての貫禄を身に着けつつある。燐子は今のセレーネの威風堂々たる佇まいからそう確信した。


 それならば、礼儀を尽くすことは必然の理だ。時代が時代、いや、世界が世界なら、自分がこの女王陛下に仕えたこともあり得ただろう。


「身に余るお言葉、有り難く頂戴します」


 そのまま深く頭を下げ返してみせても、セレーネは驚きを露わにすることはなく、ただ美しい微笑を浮かべ、頷いている。


「無論、まだ戦は終わってはいませんが、各々が各々の役目を果たせば、勝利は約束されたものと言えるでしょう。…燐子、昨夜私が伝えた話、覚えていますね?」

「『侍』の位を与える、というものですか」


「そうです。貴方は拒みましたが、私の気持ちは変わりません。燐子には、それ相応の肩書も必要だと判断したのです。

 所属に囚われず国を、民を守り、竜を薙ぎ倒すだけの力を持った貴方がただの一介の兵士、というわけにはいきません。

 今後、この世界で生きていくためにも、必ず有用なものになるでしょう。それを踏まえた上で、貴方のお気持ちをもう一度お聞かせください」


 彼女の顔を見た時点で、この問いが来るのは予測していた。


 燐子は顔を少しだけ上げて、セレーネに対して恭しく応じる。


「私のほうでも、一晩、我が最大の理解者と共にと考えてみました。そして、女王の申し出を謹んで受けようという気持ちに変わっております」


「ほ、本当ですか?」


 不意に少女然とした顔つきに戻る。しかし、すぐに気を取り直すと、再び威厳のある顔に戻った。


「はい。ただし、条件があります」

「条件?なんですか、言ってみなさい」

「…私が、鏡右衛門を打ち倒すことができたならば、謹んでお受け致したく考えています」


 それを聞くと、セレーネは一瞬目を丸くしてから、どこか懐かしむように目を細め、かすかに笑った。


「そういうところは…、初めて会ったときから変わりませんね」

「まぁ、それが性分というものですから」


 燐子は、セレーネが申し出を承諾したのを聞くと立ち上がり、「それでは、時間もないのでそろそろ行って参ります」と背を向けた。


「ええ、お行きなさい、燐子。貴方が自らに架した役目を果たせることを祈っています」


「祈る必要はございません」燐子は振り返らずに言葉を紡いだ。「私と奴の戦いに、神の介入はありえませんから」

後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。


拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。


さらにご意見・ご感想、ブックマークや評価をして頂けている方、

いっそうの感謝を申し上げます!


今後とも、よろしくお願い致します!

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