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竜星の流れ人  作者: null
終部 四章 辿り着いた極み
173/187

生と死の狭間の輝き

 空間を両断するような一撃が、目の前の地面を叩き下ろされる。


 地が割れ、そのクレバスから火炎が立ち昇る。どういう理屈でこんな妖術紛いの現象が起きるのか、燐子は不思議でならなかった。


 炎が躍る中、続けて大きな爪が近づいて来る。引き付けてから、太刀を使って躱し、刃を閃かせる。


 身躱し斬りは型通り成功した。だが、予想通りというかなんというか、刃はまるで通る気配はない。


(やはり、外殻が剥がれた箇所か、柔らかい腹を斬らねば意味はないか)


 首筋、右前足、腹部…。攻撃するならそこしかない。それ以外の部位への攻撃は、むしろこちらの隙をさらすだけだ。


 素早く後退を図る。直前まで自分がいた空間を、丸太をいくつも重ねたような剛腕が薙ぐ。その空を裂く音を耳にするだけで、うなじの毛が逆立つ。


 太刀を片手にドラゴンの側面へと回り込む。


 力や頑強さで劣る以上、速さを活かして立ち回るしか勝機はない。


 ゆっくりと奴の顔がこちらを捉える。青い瞳が細められ、口腔に赤光が瞬く。


「む、あれは不味い」


 駆ける軌道を変え、ドラゴンの懐に転がり込む。直後、思わず顔を覆いたくなるような光がほとばしり、激しい衝撃波が燐子の体を襲った。


「くっ」ドラゴンの左側面にいたはずの燐子が、あっという間に右側面へと吹き飛ばされる。


 むくりと起き上がった彼女の眼差しが、再び、あの青眼と交わる。


 やはり、知性と狡猾さがありありと感じられる瞳だ。嫌悪感が駆り立てられるような、陰湿さが滲み出ている。


 奴が浮かべている表情は、成熟しかけている子どもが、虫を捕まえて、羽や手足をもいでいるときのものと似ていた。


 自分よりも格下だと確信している相手をなぶる、そういう性悪な行為に浸っているのだ。


 それは、古来より生命に宿っている、食物連鎖の原理をその身で確かめているかのようだった。


「舐められたものだな…!」太刀を霞に構え、ドラゴンの憎たらしい顔と正面から向き合う。


 燐子は、ドラゴンが威嚇のために咆哮したのを合図に、ありったけの力を込めて加速した。戦いに必要な情報以外が、軒並みぼやけていくのを感じる。


 再度、黒竜が光線を放つ準備を整え始めた。


 明滅する死の輝きが放たれるまで、しっかりと燐子は目を逸らさずに見据え、突進していた。


 強い光が、真っ直ぐ燐子に向けて撃ち出される。ジグザグに軌道を変え、的を絞らせないように動く。


(閃光で敵を貫かんとするか。まるで光の矢だな)


 あまりにも静かな閃光だった。どこかに着弾しなければ、破裂はしないらしい。もちろん、とはいってもぞくりとする一撃であることに変わりはない。


 間合いにして、数メートルといったところで、ついに光線の端が燐子の構えた太刀にわずかに触れた。


 刹那、苛烈な衝撃が燐子の体を襲う。


 自分の体が宙を待っていることに気付くのに、数秒かかった。四肢は痺れるような感覚に支配され、ぴくりとも動かない。


 受け身を取らねば、と頭は体に命令を発するが、それには一切の反応がないままに地面に思い切り叩きつけられる。


「がはっ…!」


 肺の中の空気が全て放出されて、戻ってこないかのように息ができない。全身を取り巻く痛みも酷く、じんじんと、胸の内側から外に広がっていく。


 かすっただけだというのに、あまりに強烈な一撃だった。


 上体を起こそうとするが首から上だけしか動かせず、その燐子の顔も口やら額から出血していて、酷い有様だった。


 視線の先で、黒竜は嘲るように口の端をもたげている。止めを刺そうと思えば、すぐにでもそうできるはずなのに、この状況を楽しんでいるかの如く、一歩も動こうとしない。


(くそっ、これは生き物としての質が違いすぎるぞ…!)


 どうにか呼吸を整え、ぎゅっと灰を握りしめる。

 己への悔しさと不甲斐なさ、そして、どこまでもコケにしてくるドラゴンへの憤りを力に変えて、どうにか片膝を立てて身を起こした。


 鼻につくのは、いつまでもクレーターの底で燃えている炎が何かを焼く臭いと、奴の舐めた表情だ。


 睨みつけた青い瞳が、無駄だ、と物語っている。


 人間を平伏させないと気がすまないのだろう。それが当然だと、自然の摂理だと、黒竜は思っているに違いない。それなのにライキンス如きに使役されて、腸が煮えくり返っているというわけだ。


 不意に、黒竜が鞭のように尻尾をしならせ、燐子へと叩きつけた。かろうじて太刀を間に挟んで防御するが、力に差がありすぎて、結局は真横に薙ぎ倒される。


 小石みたいにして地面を転がった燐子は、今度はもう声も出なかった。


 ――強すぎる。


 間合いを詰めるのも難しいとくれば、自分たち剣士には何も為す術がないではないか。


 視界が歪み、朦朧としかけていた意識の淵に弱音が忍び込む。それに気付いた燐子は慌てて歯を食いしばり、元の強さを取り戻そうとした。

 しかしながら、黒竜が倒れ込んだ自分を目掛けて、また光の矢を放とうとしているのが見えて、それすらも無駄な気がしてしまう。


 彼女の周りに残っていたのは、灰燼だけだった。


 戦場こそが、自分の死に場所だと信じていた。だが、夢見ていた死に方がこんなにも虚しいものだとは考えもしていなかった。


(妙だな、昔は死にかけても、そんなこと思いもしなかったのに。虚しいと思うようになったのは、どうしてだろう…)


 ぼうっとする頭が、何かを考えようとしている。その一方で、そんなことは無駄だと全てを投げ出そうとしている自分が確かに存在していた。


 少しだけ、視線を動かす。正面では、今にもドラゴンが光線を撃ち出そうとしているところだった。


 ふと、視界の隅で、太刀を握る自分の左手が弱々しく輝いているのが見えた。あまりにも脆弱な光だったため、思わず笑ってしまいそうになったが、次の瞬間、光は目まぐるしく色を変え始めた。


 金、銀、藍、菫、黒、桜、紫…。


 その鮮やかさに、言葉を失う。こんなにも美しい何かが、自分の中にあることが信じられなかった。


 やがて光は、一際強い赤色に染まった。赤、というよりも臙脂色に近い。胸を揺さぶる、またとない輝きだった。


 その光は、まるで自分に彼女のことを思い出せ、と言っているかのように激しく明滅すると、最後には元の赤に戻った。


 弱々しく見えていた流星痕の輝きは、どうやらドラゴンが放つ光の強さで錯覚してしまっていただけのようだ。今なら、暗い諦めの底を照らすには十分な輝きだと分かる。


(私は、一体何を考えていたのだ。ミルフィに、負けないと言ったのだ。誓ったのだ。どうしようもない、などというふざけた弱音を吐けた立場ではないだろう)


 歯を食いしばり、体を起こす。流星痕の力のせいか、体の痛みが弱まっていく。あるいは、これが根性というものの魔力なのかもしれない。


(まだ、四肢は動く。太刀も折れてはいない。いや、そんなことは関係ない。すでに私の生命は、私だけのものではないのだ。多くの者の助けがあって、希望があって、私はここに来ている。

 太刀が折れ、矢が尽きるとも、命ある限り戦い続ける。

 それが、私がずっと選んできた道ではないか。色んなものに支えられていながら、過去の自分にすら負けるつもりか!阿保め!)


 ドラゴンの口が大きく開かれる。木の虚のような口内が、死の光で満ちる。


 太刀を霞に構え、息を吐く。


(迷うな、燐子。過去、現在、未来…。その全ての自分を信じ、駆けよ、前に出るのだッ!)


 寸秒、光線が放たれる。かすれば次は耐えられない。そんな一撃を前にして、燐子は臆することなく加速した。


 いつもと何も変わらない。常に、死は自分の頭上にあった。


 何度も、何度も身を左右に振って躱す。光線が放たれる寸前に、ドラゴンの顔の角度がどうなっているかでおおよその敵の狙いは絞れる。


 前に出る燐子の足は一度足りとも止まらぬまま、先程弾き飛ばされた位置まで進んだ。


 黒竜の首の角度がわずかに下を向く。あまりに燐子が上手に躱すため、地面に打ち込んで、その衝撃で吹き飛ばしてしまおうと考えたのだろう。


(あの大きな爆発を避ける術はない。ならば、もはや一思いに飛び込むほかない!)


 閃光が爆ぜてからでは遅い。今までの記憶を頼りに、放たれる一瞬手前で飛び上がるのだ。


 口腔が激しく明滅する。やがて、目もくらむほどの光が灯る。


「ここだッ!」


 両足に力を込めて、高く舞い上がる。刹那、轟音と共に眼下が光に包まれて、爆炎と衝撃が燐子の体をさらに高く宙へと押し上げた。


 未だかつて、こんなに高く飛んだことはなかった。本当に小さい頃、度胸試しで崖から海へと飛んだときだって、これほど高くはなかったはずだ。


 宙に浮いた体が、ゆっくりと空中で静止する。それからほどなくして、地面に引き寄せられるようにして落下が始まった。


 徐々に加速する勢いのまま、こちらを見上げたドラゴンの脳天目掛けて太刀を振り下ろす。


「斬ッ!」


 振り下ろされた白刃は、ドラゴンに生えている四本の角のうち、一本だけを切り落とした。とはいえ、凄まじい硬度があるものだったのだろう。白の太刀の刃が欠けて、燐子の頬を浅く切り裂きながら飛んでいった。


 両足がじんと痺れる。普通ならそれだけでは済まない高さだったが、流星痕の力のおかげで無事だった。


 頭をぐらりと揺らしたドラゴンは、素早く体勢を立て直し、その丸太のような腕を地面に対し直角に叩きつけた。


 すっ、と体を開き、その絶命の一撃を最低限の動作で躱す。それから、間髪入れずに太刀を首元の外殻の剥がれた箇所へと閃かせる。


 黒竜がわずかに苦悶の声を上げる。これにも手応えがあった。


 再び、ドラゴンが腕を振るった。今度は横に薙ぐような動きだったが、素早く後退したため、空振りに終わる。燐子はいつもと同じように、すぐさま一太刀浴びせようとしたが、ギリギリのところで脆くなっている首の部分を隠されてしまった。


 ガツン、と高い音が響く。


「やはり、ここでは駄目か…!」


 傷を与えられるのは、外殻が剥がれている場所しかない。


 太刀を弾かれ、体勢を崩した燐子を噛み砕こうと黒竜が大顎を開けて前進してくる。

 体を屈め、その歯牙を避ける。体を戻す勢いと反動で首筋を狙うが、顔を背けられて有効打にならない。


「チッ!」


 躱す、切り返す、防がれる…。何度かこの流れが続いた。


 これではジリ貧になって、いつか粉微塵にされる。そうなる前に、打開策を打たねばならない。


 身躱しのタイミングは掴めている。問題は刃が到達するのが一歩遅いことだ。


『躱す』と『切り返す』。この間に寸秒の暇ができてしまうのが、そもそもの原因だ。


 ――躱すと同時に斬ることが、最適解であることは間違いないのだが…!


 そこまで考えて、ハッと燐子は思い出した。


 それは、燐子が初めて『身躱し斬り』を人前で使ってみせたときのことだった。





「さっきのアレはどういうつもりだ?燐子」父が私に向けて、感情を押し殺した声で尋ねた。口ごもり、上手く答えられない私に父はさらに続ける。「危うく、木刀で頭をかち割られるところだったぞ」


 父の声が、頬に残ったいくつかの擦り傷に響く。躱し損ねたためにできた傷だ。


「返事をせんか。燐子」


 どうやら、本気で怒っているらしい。それもそうだ。君主の娘である自分が、たかだか一兵卒の倅なぞに一本取られかねたのだから。


「…申し訳ございません、父上」

「謝れと言っているのではない。何故あのように危険極まりない打ち合い方をしたのだと聞いている」


「それは…、男には力で劣る私なりに色々と考えた結果でございます」

「色々と考えた、とな?馬鹿者。それなら、『躱しながら斬る』、などよりもっとマシなやり方があっただろうに」


 ぴしゃり、と叱られて肩を竦める。あまり罵るような言葉を使わない父に、『馬鹿者』と呼ばれたのはかなりこたえた。


 父も少々言い過ぎたと思ったのか、じっと身を固くして俯いている私に向かって小さくため息を吐いた後、「よく聞け、燐子」と優しい声音を発した。


「どのような攻撃であっても、基本となる構え、型があってのものだ。あのような無理な体勢から斬りかかっても鎧の隙間は抜けぬし、反撃を受けたときも、容易く姿勢を崩してしまうぞ」

「…反撃も躱すつもりでした」

「躱せておらぬではないか、馬鹿者」


 変に反論しなければよかった、と再び怒りで顔を歪めた父を見つめ、私はそう思った。


「いいか、燐子。お前には天賦の才と、それに驕らず努力ができる心の強さを持っておる。普通に鍛錬しても、十分立派な剣士となれるだろう。焦る必要はないのだ」


 父は突然、諭すような口調になると、苦笑に似た微笑みを浮かべた。下手くそなりに気を遣っているのが分かる、ぎこちない表情だった。


 それが気に入らなくて、私は眉間に皺を寄せた。


「私は、『立派な剣士』では物足りないのです」

「なに?」今度は父が眉をひそめる。「では、何になりたいと言うのだ」


 胸を張り、背筋を伸ばす。これから言う言葉に、それだけの覚悟が必要なのは知っていたからだ。


「侍です、父上」


 その言葉を聞いた瞬間、父は呆気に取られたように目と口を開け放った。しかし、ややあって、困ったふうに口元を曲げると、「燐子、女は侍にはなれんのだ」と申し訳なさそうに言った。


「そういうものだとは存じております。しかし、やってみなければ、目指してみなければ分からぬではございませんか」


 父の答えはだいたい予想していた通りだったが、それでも、ついムキになって私は両手の拳を握りしめた。


 そんな私を見て父は目を細める。まだ、お前には早いだろうが…、と言わんばかりの哀愁漂う顔にどこか悔しさを覚える。


「…とにかく、アレの使用は禁じる」

「アレ、とは『身躱し斬り』のことですか?」

「ほぅ、気の利いた名前までつけておったか」


 子どもを褒めるような口調だったため、これにも不満を覚えるが、まあ、褒められたと思えば無視することぐらいは容易い。


「まぁ、そうだ。ただ…、そうだな。お前も真剣に考えた結果なのだろうから、せめて、『同時に斬る』のではなく、『躱してから、間髪いれずに切り返す』というものであればよかろう」


「ですが、それでは…」


 それでは、確実に相手を仕留められないかもしれない。反射速度で負けたら、それまでなのだ。しかし、父は頑として許可してくれそうにもなかった。


 結局、私は父の条件を受け入れた。あからさまに渋々といった様相を呈していた私を見かねて、父は最後にこのように付け足したのを覚えている。


「燐子がもっと経験を積み、死線を重ね、熟練の剣士となったときには、アレが上手く使えるかもしれんな。的確な読みと反射を身に着け、十分ではない姿勢からでも相手の急所を一瞬で狙えるようになれば…だがな」


 そんな日は来ないだろう、そのとき父は腹の底でそう考えていたに違いない。


 戦場に出る直前、私がまだ十四歳の頃に迎えた夏のことだった。


 あれから、七年余りが過ぎた。


 無数の死線どころか世界の境界すらも越え、人ならざるものとも戦い、手練との戦いも経験した。


 今の私になら、アレができるだろうか。


 ――…真の身躱し斬りが。

みなさん、お疲れさまです。


みなさんのちょっとした楽しみになれればと、執筆しておりますが、


一ミリくらいはそうなれているでしょうか?


何はともあれ、ご覧になって頂きありがとうございました!

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