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竜星の流れ人  作者: null
終部 四章 辿り着いた極み
170/187

破壊と狡猾の権化

これより四章のスタートです。


よろしければ、お楽しみください。

 ミルフィが翼を撃ち抜いてくれたおかげで、ドラゴンはもうまともに空を飛べる様子ではなかった。地に落ちた黒竜は、標的を最も目障りだっただろう燐子に定めると、ひたすらに炎を吐き散らし始めた。


 何度も横に転がり、死線を潜る。頭上を過ぎる炎で、チリチリと髪の毛がわずかに燃えているのが分かった。


「り、燐子!」ギリギリの回避を続ける燐子に、心配そうにミルフィが声をかける。「案ずるな!お前はそのまま援護を続けろ!」

「でも、これじゃあ燐子が危ないわ!」


「気にするな、慣れている」吹き荒ぶ火炎の風に目を細めつつ、接近する機会を窺う。「どのみち、このままではミルフィの攻撃しかまともに効かん」


 自分の腕力でドラゴンの外殻を斬り裂けるとは到底思えない。


 アストレアのような磨き上げられた居合なら話は別だが、基本的に急所を突くことを前提とした自分の戦い方では埒が明かないだろう。


「外殻を破壊しろ、そうすれば、私の太刀も通る」

「ちょっと、簡単に言わないでよ」火炎の届く範囲のギリギリ外から、ミルフィが返事をする。離れていても、彼女の声はハッキリと聞こえた。


「何だ、できんのか?」

「はぁ?できないなんて言ってないでしょうが!」


 じゃあ、黙ってやってくれ…と言いたくなったが、ミルフィの地獄耳に聞きつけられ、後で拳骨を食らうのだけは避けたかったため、口元を歪める程度に留めておく。


 それから燐子は、ミルフィが集中して攻撃に移れるようにドラゴンの撹乱を開始した。


 初めはその威圧感に足が重くなったものだが、慣れてしまえばどうということはない。


 確かにプリムベールで倒した個体よりも機敏で、怪力ではあるようだが、ただそれだけだ。


(ミルフィの破壊力と、私の手数をもってすれば、歯が立たない相手ではない)


 もっとあの図体を駆使されれば、大きく勝率は下がっただろうが、幸いなことにドラゴンは火を吐くばかりだ。


 吐き出される火炎を、またくるりと横に回って躱し、一定の間合いを取る。そうこうしている間に、一発、二発とミルフィの鉄矢が外殻に突き刺さる。


 初めは平気そうな顔をしていたドラゴンだったが、同じ箇所に何度も矢を受けているうちに、苦悶の声を上げるようになった。


 ヒビ割れた外殻の隙間からは赤い血が滴っている。この怪物が同じ生き物だと思い出させられたようで、どこか異様な感覚を覚える。


 首筋や右前足の外殻がポロポロと崩れ始めたのを確認した燐子は、「勝機」と駆け出した。


 妙に冷静さを取り戻したせいか、すでに、左の手の甲からは熱が消え去っていた。それでも、二人なら仕留めきれる確信があった。


 前方では、ドラゴンが火炎を吐くために息を吸っていた。放射状に広がる紅蓮を予測し、タイミングを図って相手の顎の下に滑り込む。


 直後、炎が放出された。


「くっ…なんという炎だ」


 姿勢を低くしたとはいえ、体のすぐそこを凄まじい熱が通ったのだ。熱せられる空気とは裏腹に、燐子の体には冷たい緊張感が走る。


 燐子は、そのまま体を回転させ、ドラゴンの首筋目掛けて斬り上げを叩き込もうと考えていた。だが、それを恐れた相手が上体を起こし、二本足で立ち上がったために間合いから離れてしまった。


「さすがに急所は守るか…。ならば!」すぐさま狙いを変え、やや高いところに移動した右前足に狙いを定める。「悪いが、少しずつ刻ませてもらうッ!」


 飛び上がりながら、体重を乗せた唐竹割りを前足目掛けて振るう。人間相手に跳躍斬りなど普通は使わないのだが、これが体格の差がありすぎるドラゴンなら別だった。


 想像以上の手応えと共に、右前足の外殻が陶器でも打ち砕いたかのように粉々になった。それと同時に、黒竜の体が半歩後退する。低い唸り声からして、痛みを感じないわけではない様子だ。


「チッ…、しかし、浅いか」


 さて、どうしたものか。


 すると、頭を悩ませていた燐子の頭上を、何かが物凄い勢いで交差した。


 片方は、ミルフィの鉄矢だとすぐに分かった。矢は露出したドラゴンの腹部に深々と突き刺さり、相手を大きく後退させるほどの打撃を与えた。先程よりも大きい、より悲鳴じみた声が上がる。


 問題はもう一方だ。


 燐子は、頭上を過ぎ去ったものの正体を見極めるべく、空を見渡し、直にそれらしい影が雲の間を縫うように飛んでいるのを発見した。


 細長い、瑠璃色の体躯。さらには、蝙蝠のような薄い翼を四つも生やした空飛ぶ魔物。


 見たこともない魔物だった。いや、小型だがドラゴンに近いのかもしれない。


 そのままじっと目を凝らして観察していると、驚くべきことに、その魔物の背中に人影が見えた。どうやら、魔竜に騎乗しているらしかった。


「何者だ…。鏡右衛門、ではないようだが…」


 距離が遠すぎて、ハッキリとは視認できない。しかし、本陣へと真っ直ぐ飛んでいく姿を見るに、味方ではない可能性のほうが高そうだ。


 問題ばかりが山積みだ、どうしたものか、と燐子がその行方を目で追っていると、唐突に肝が潰れるような咆哮が真上から聞こえた。


 地響きと間違えてしまいそうなその声は、身を反り立たせた黒竜から放たれているものだった。


「な、ぐっ…!」燐子やその周りの兵士たちは、多くが背を丸く畳み、歯を食いしばってその大音量に耐えていた。


 ひとしきり声を上げたことで満足したのか、ドラゴンは先程の赤い目から邪気が抜けたような、澄んだ青い瞳でこちらを見下ろした。


 その瞳から感じる知性と、怒り、いや、憎悪と言うべきか…それらが凝縮された眼差しを一身に受けた燐子は、自然と生唾を飲んでいた。


 重力が何倍にもなったかのような重圧は、そこにいるというだけで人間という生き物の矮小さを感じさせる。


「これと戦おうというのか…!?」


 刹那、ドラゴンの口腔が光った。今までと違う、フラッシュのような閃光。それが何度か明滅したかと思うと、背筋を刺すような寒気を燐子は感じて、反射的に横方向に駆け出していた。


 寸秒経って、ドラゴンは一条の光を解き放った。その光はすでに死骸やら灰やらでいっぱいだった地表を、さっとなぞったかと思うと、あっという間に巨大な爆発を起こした。


 心臓に直に響くような低い音と衝撃波は、容易く燐子の体を宙に送り出す。


 ふわりと内臓が浮き上がる感覚。とっさに受け身を取ったため、怪我などはしなかった。だがそれよりも、目の前に刻まれたクレーターを目の当たりにしたことのほうが、彼女をよっぽど追い詰める要因となっていた。


 深い穴の底は、踊り狂う灼炎で地獄のように煮えたぎっていた。煉獄と称するに相応しいその場所は、おおよそ人間が足を踏み入れていい場所ではないのだろう。


 やがて、ドラゴンは呆然としている燐子のほうへ向き直ると、穴だらけの翼を広げてみせた。その威風堂々たる佇まいに、無いはずの翼すらも見えるようだった。


 ――甘かった。私は、こんな存在と戦って勝てる気でいたのか。


 そもそも、生き物としての格が違う。羽虫が人間に挑んで勝てるはずがないのと同じで、人間がこのような存在に歯向かうこと自体が無意味だ。


「燐子っ!」上の空になってドラゴンを見つめていた燐子の耳に、ミルフィの声が響く。それで彼女もハッと我に返った。「待ってなさい、今、そっちに行くわ」


 よく辺りを見渡してみると、周囲には敵兵はおろか、味方すらもいなくなっていた。

 ドラゴンが屹立し、自らの存在を誇示するような咆哮を上げた時点で、みんな本能的に逃げ出していたようだ。


「よせ、来るなっ!」


 ドラゴンの視線がミルフィたちへと向けられたのに気が付き、燐子は慌てて叫ぶ。それとほぼ同時に、再び先程の熱線が放出された。


 地を割り、地獄の炎を呼び覚ます光は、瞬く間に連合軍の最前列を焼き払った。勘の良い者だけが先んじて後退を図ったようだが、彼らの足を二度と前に進めなくするのには十分すぎる一撃だった。


 ほどなくして、燐子と黒竜の周囲は炎の上がるクレーターで囲まれた。


 逃げ場はない。いや、逃がすつもりがないのだろう。ドラゴンはもう、完全に自分を葬るつもりだ。


 どうしてここまで舞台を整えたのか、相手の真意は分からない。たまたまそうなっただけなのか、それとも、意図されたものなのか…。


「燐子、聞こえてる!?燐子!」炎の向こう側から、聞き慣れた声が聞こえる。だが、ここまで切羽詰まった声音は初めて聞いた。「…ああ、聞こえている」


「良かった。待ってて、なんとかしてそっちに――」

「駄目だ、何度も言わせるな」

「でも、一人でそんな奴の相手をするなんて、無茶よ!」


 そんな奴か、と先程から目を逸らせずにいるドラゴンの瞳を真っ直ぐ覗き込む。


 ドラゴンは、まるで自分とミルフィの会話が終わるのを待っているかのように静観していた。不意を討つつもりはないとでも言いたいのかもしれない。


「その炎を越えてくること自体が難儀な話だ。仮に、なんとかして渡る術が見つかったとしても、道中、火でも吐かれたらそこまでだぞ」

「それは、そうかもしれないけど…」


「私のことより、お前は本陣に戻れ。…さっきの魔物が気になる。高く飛ぶ魔物は、お前抜きでは苦労しよう」


 すると、ミルフィはしばし沈黙を保った後、一際低い声で尋ねた。


「…私に、燐子を見捨てて行けって言うの?」

「見捨てるのとは違う。本当にお前の手が必要な場所へ行くだけだ」

「そんなの一緒よ。私がどんな想いでアンタのこと心配してるか、分からないわけじゃないでしょ…?」


 次第に泣きそうになる、ミルフィの声。それを聞いているだけで、自分が何か大罪を犯しているような心地になる。

 だが、意識を逸らしたくても逸らせない目の前の強大な存在が、無情な現実と向き合わせる意志を燐子に再び求める。


「ミルフィ、私が負けると思うのか」

「勝ち負けとか、そういう次元の相手じゃないわよ」

「それもそうだが…、それでもあえて聞きたい。ミルフィは、もう誰にも負けないと言った私が、敗北を喫すると…そう考えているのか?」


「…ずるいわよ、そんな聞き方」彼女が項垂れているのが、顔を見なくても分かった。「そんな言い方されたら、私…」


 燐子は、ミルフィが時折見せるしとやかさの正体を、今ハッキリと見ているような気がしていた。


 ミルフィはこうだった。どこまで行っても変わらない。

 結局は、優しく、慈悲深い女なのだ。


 口ではどれだけの暴言を吐こうとも、残酷になれず、人の善意を求めるべくして求める女。善人、と言うと若干安っぽい響きがあるが、彼女にはぴったりの言葉だと思う。


 思えば、プリムベールを去るときも似たようなやり取りがあった。あのときは、私が言葉の選定をしくじったことでミルフィの逆鱗に触れるようなことになったが、今はまた違う状況だ。


「ミルフィ」無意識でその名を呼んでいた。「私を…信じろ」


 その言葉でようやくミルフィも決心がついたらしく、彼女は精一杯の強がりを示すかのように、「まだ聞きたいこと聞けてないんだから、負け逃げするんじゃないわよ、馬鹿燐子!」と大きな声で告げた。


 次第に遠くなっていく、人々の気配。どうやら、こちらの提言に従い本陣へと撤退することを選んだらしい。


 分かっている、元よりそのつもりだ、と胸のうちだけで返した燐子は、とうとう単騎でドラゴンと相対することとなった。


 ドラゴンはようやく始められると言わんばかりに鼻息を二度、三度と勢いよく漏らした。鼻息に交じる火炎が、舞い上がっている灰を無に帰す。


「人間の言葉が理解できるかは分からないが…、それでも聞いておきたい。なぜ、連合軍の撤退を許した?その炎があれば、焼き払うのも容易かっただろうに」


 じろりと睨みつけながら燐子が問うも、黒竜は何も答えなかった。さすがに人間の言葉は分からないのかもしれない。


 足元に広がる灰燼を軽く踏みならしながら、妙なことを尋ねたものだと燐子は自嘲的に笑う。


(理由など、どうでもいいではないか)


 そんなものが必要なのは、あるいは、そんなものを無理やり捻出してでも考えなければならないのは、政を行う人間だけだ。


 自分のような剣士にはいらない。


 剣士には、ただ刃を振るう理由さえあればいい。それすらも失くしてしまっては、強欲な獣同然に成り果てるが、幸い、今の自分にはそれがあった。


 改めて、太刀を握り直す。


 天を突くように構えを取りながら、指先が震えた。肌は数刻前からずっとぴりぴりしているか、鳥肌が立っているかといった様子である。


 目の前には、尋常ならざる存在。

 神が破壊という言葉に肉と骨を付け足すのであれば、きっとこういう形をした生き物になることだろう。


 そんなことを考えてしまうほど、地力の差は歴然としていた。


 ドラゴンが再び羽を広げる。同時に、天地を揺るがすほどの咆哮が響き渡る。


 気圧されそうになるのをどうにかこらえながら、一歩、また一歩と前に踏み出す。


 ぴたり、とドラゴンの声が止んだ。


 突如として横たわった、死んだような静寂に、燐子は自らの心の内を見たような錯覚を覚える。


 心臓だけは、いつも通りだ。激しく鼓動することを随分前から諦めて、静かに、太刀を握る指先の震えを叱っている。


「私は燐子。由緒正しき、侍の血を継ぐ者。そして、お前を討つ者でもある」


 燐子の名乗りに、ほんの少しだけ黒竜の目が細められる。もしかすると、やはり、こちらの言葉が分かっていて、嘲笑を浮かべてみせたのかもしれない。


 だが、それでも構わず燐子は続けた。


「悪いが斬らせてもらうぞ。二度と破れぬ約束があるのでな」


 心音と同調するみたいに、静かな声で燐子は告げた。それが激闘の始まりを告げる鐘になるとは、到底思えないくらいに。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


読んでいて疑問に思った点、もっとこうしたほうが読みやすい、などありましたら

是非、お申し付けください!


評価やブックマーク、感想をくださっている皆さんに力を貰っております。


いつも本当にありがとうございます。


また、そうではない方々も貴重なお時間を使っていただいて、ありがとうございます。

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