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竜星の流れ人  作者: null
終部 三章 そして、秋霜花はまた燃える
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嘲笑する毒蛇

次回より次の章が始まります。

来週からは毎日更新できると思いますので、今後ともよろしくお願いします!


それでは、お楽しみください。

 ドラゴンの咆哮かと聞き間違えたそれは、ミルフィが放った鉄矢が彼の者の翼を貫いた音だった。


 本当に、彼女は一介の猟師にしておくにはあまりに惜しい。


 セレーネが彼女を騎士団の弓術指南役に推薦したい、と真剣な顔で相談してきたときはその真意を測りかねたものだが、今ならその理由が分かった。


 燐子という異常なまでに研ぎ澄まされた剣士に追従してきたミルフィにも、それなりの資格と素養があったというわけだ。


 頭の隅でそんなことを考えながら、アストレアは銀髪を振り乱して魔物の群れを斬り倒していく。


 ジルバーと自分が率いる部隊で、ライキンスとドラゴンを挟撃する。少数精鋭で挑みかかり、短時間のうちに撃破しなければならないこの即席の作戦は、思いのほか上手くいっていた。原因は分かっている。燐子とミルフィのおかげだ。


 悔しいが、ドラゴンが現れたときに誰よりも先に動いたのは燐子だった。


 こちらが戦術を練っている間も、彼女はあくまで『個』としてドラゴンに挑んだ。異常なことだ。アレに単騎で挑みかかるなど、正気の沙汰ではない。


 周囲の兵と連携し、エネルギーを温存しながらライキンスへと迫る。眼前に迫った魔物を一閃、居合い切りで両断すると、その向こう側に顔を歪めたライキンスの姿が見えた。


「ようやく追い詰めたぞ、ライキンスッ!」


 地を蹴り、彼に躍りかかる。すぐに魔物が間に入ったが、騎士団が果敢に道を切り開いてくれたおかげで、何の障害にもならなかった。


「しつこいですよ、アストレア王子!」


 ライキンスが構えたクロスボウの先端が鈍く光る。


 燐子が振るう太刀と同じで、この世界では稀にしか見ない武器だ。だが…、すでに自分はアレの発射を間近で一度見ている。


 プリムベール城の使用人であった少女を撃ち抜いた、許されざる一矢。


(燐子にはできたらしい…。それなら、僕にだって躱すことぐらいできるはずだ…!)


 銃口、射角、指の動き、全てに集中して発射のタイミングを予測し、撃ち出された矢を屈んで躱す。


「くっ、化け物どもめぇ!」


 忌々しげに叫ぶライキンスの数歩先に辿り着いたアストレアは、素早く納刀し、絶命の一太刀を放つ準備をした。


「僕は、化け物でも王子でもない!僕は――」

「何をしている、私を守れ!」


 ライキンスの号令を聞いて、魔物が数体、肉壁になるべく二人の間に立ちはだかった。


 醜い魔物が一斉に飛びかかってくる。ライキンスを追い詰めるのに必死になりすぎて、単騎で敵陣深くまで斬り込んでしまっていたようだ。


 だが、今更是非もない。ここさえ突破すれば、ライキンスの首はもう目の前だ。


 奴を葬れば、一つ、セレーネが望んだ世界の実現に近づく。そしてそれは、今や僕自身の望みでもある。


 剣の柄を握る手に、意識を深く落とす。

 鯉口を切り、音が追いつく前に剣閃を一つ、煌めかせた。


「僕は…ッ!」


 一体、敵を寸断する。重ねて、二の太刀でさらに一体葬る。


 さらにもう一体、眼前に迫る。息が上がって動きが止まりそうになるが、歯を食いしばって三の太刀を叩き込んだ。


 苛烈な袈裟斬りが空間ごと裂いたかのように、魔物の体を断絶する。


 たったこれだけの動きで息が上がる自分の体力に情けの無さを覚えつつも、腰を抜かしたライキンスの顔が見られたおかげで、ある種の誇らしさ、充足感を感じられた。


 自分の後ろでバタバタと魔物が倒れる音を聞きながら、血振るいする。


 矮小な虫がするみたいに、カサカサと手足を動かして後ずさるライキンスを見下ろしたアストレアは、万感の想いを胸に声を発した。


「僕は、アストレア・リル・ローレライ。王国第一王女にして、現女王、セレーネ・リル・ローレライの最強の剣だ」

「くっ…、お、お前ぇ…!」


 すっと、周囲の様子を確認する。ドラゴンの動きは明らかに鈍くなっており、燐子とミルフィによる撹乱が功を奏していることが窺える。他の魔物についても、両国の精鋭たちが次々と薙ぎ倒してくれているおかげで、問題はなさそうだ。


 再び、ライキンスへと視線を移す。


「…もう終わりだ、毒蛇。頼みのドラゴンも、たいして役に立たなかったな」


 がくりと項垂れたライキンスのそばに寄りながら、その首をはねるべく、剣を握る手に力を込めた。


 彼女の後方では、ミルフィの鉄矢を受けたドラゴンがまた一歩後退していた。二人の力が尋常ではないのか、それとも、ドラゴンの強さが空想の中で美化され続けてきただけの代物だったのかは分からない。


「さあ、覚悟してもらおうか」


 これだけのことをしでかした大罪人だ。小間切れにして殺してやりたかったが、状況が状況だけに、素早く首を掲げたほうがいいだろう。


 そう判断したアストレアは、銀閃を煌めかせるために剣を高く上げた。しかし、足元で蹲るライキンスが気持ちの悪い含み笑いをこぼしたことで、ぴたりと手を止める。


「ふふ、ふふふ…」

「…何がおかしい。時間稼ぎなら無駄だぞ。お前を助けるものはもういない」

「いえね、貴方があまりにもおかしいことを言うから、つい…」


 ゆっくりと顔を上げたライキンスの両目には、妖しい輝きが秘められていた。まだ、何か策がある――そう思わせるだけの何かが。


 不意に、彼の手が輝き始めた。流星痕だ、と気付いた瞬間、彼女は剣を振り下ろそうとしたのだが、後方から耳をつんざく地鳴りが聞こえ、手が止まった。


 振り返ると同時に、足元がぐらりと大きく揺れる。地鳴りだと思っていた音の正体は、体を大きく逸らして天を仰ぎ、目に見えない何かから解き放たれたかのように咆哮を上げるドラゴンだった。


「な、何だ…!?様子が、さっきとはまるで違う」


 大気を震わせる咆哮、天すらも灰燼と変えてしまいそうな灼炎。

 赤く光っていた瞳が、今、知性と怒りに満ちた青色に変わった。


 肌がひりつく感覚に、ドラゴンがライキンスの呪縛から解放され、真の力を取り戻したことを直感的に悟る。


「お前、まさか…ッ!」とライキンスのほうを振り向いた直後、再び、彼の手にしていたクロスボウが鈍く光った。


 油断していたこともあって、わずかに反応が遅れた。だが、天性の勘と、燐子すらも上回る反射神経のおかげで紙一重で凶弾を躱す。


「お前たちが悪いのですよ、もう、魔物も人も、この戦場からは消え失せる!」

「チッ、待て、ライキンス!」


 アストレアは、そのまま走り去るライキンスの背中を追いかけようとした。だが、すぐ後ろからうめき声が聞こえ、もう一度足を止めて振り返った。


 見れば、兵士が腕を抑えて蹲っている。自分が避けた流れ弾が当たったのかもしれない。不運なことだが、今更その程度のことに構っている余裕はない。


 そう思い、ライキンスを追うことを優先しようとしたその矢先のことだった。


 突然、兵士が苦悶に満ちた声を発した。かと思うと、彼の体はあっという間に膨れ上がり、醜い一匹の魔物に変わり果ててしまった。


「しまった…、例の薬物か!」


 ぬらりとした灰色の皮膚からは、正体不明の粘液が垂れている。二足歩行型の両生類のような風貌をした魔物は、唖然として身動きの取れない近くの兵士を、腕を振って薙ぎ倒すと、次は自分に狙いを定めた。


 飛びかかってくる魔物をひらりと横に躱す。


(こんなことで時間を取られるわけにはいかない。再びライキンスを取り逃すようなことがあれば、奴はまた力を蓄えて人々を脅かすだろう)


 すぐに決着をつけなければと焦れば焦るほど、瞬間の隙は見えなくなる。おまけに、ドラゴンがところ構わず暴れ散らすせいで、辺り一面が火の海になりかけていた。


 挟撃に当たっていた兵士たちも、次第にドラゴンの力に慄き、蜘蛛の子を散らすように後退を始めていた。いや、後退と言えば聞こえはいいが、遮二無二なって逃げ回っているだけだ。


 自分自身、こんなところに立ち止まっていては、いつ消し炭にされてもおかしくない。


「くそっ。撤退しつつ、化け物の相手をするしかないのか…!」


 見れば、ライキンスの姿は遠くなっていた。彼が小競り合いを起こしている小隊に近づいてくのを、アストレアは黙って見送るほかなかった。






 竜の咆哮を、紫陽花は冷えた秋霜花の寝台の上で聞いていた。


 どうやら、ライキンスはようやくあの美しく完全な生命体の手綱を離す決心をしたようだ。遅すぎるくらいだし、彼らを繋ぎ止めることは罪深いことでもある。


 寸秒、気絶していたらしい紫陽花は、ぼうっとする頭でそう考えた。痛む肋骨に神経を集中して、自分がまだ生きていることに閉口する。


「…どうしてこう、甘いのかしら…」


 嫌気が差して、紫陽花はそう呟く。それが誰に向けたものなのかは、自分でも判然としなかった。


 誰かが近寄ってくる気配がした。案の定、そこには、獄門刀を跳ね飛ばし、剣の腹で思い切り自分のことを打ち据えた男が来ていた。


「ジルバー…」


 なんとも形容し難い眼差しで見下ろしてくるジルバーに、ふっと紫陽花は微笑んで見せる。誰からどう見ても艶やかで美しい、いつもの彼女の微笑だった。


「なぜ、斬らなかったのかしら?」

「斬るさ。だがそれは、今じゃないし、僕じゃない。そうするべき、違う誰かがやってくれる」


 彼はそう言うと、すっと視線を逸らしてから早口で続けた。


「シルヴィアに聞いた。お前…、桜狼たちを見逃したんだって?」

「…たまたまそうなっただけよ。暇があれば殺していたわ」


「はっ、どうだかな」ジルバーは口元を歪めると、呆れたような口調で言った。「お前、なんだかんだ言っても、特師団の連中のことは気に入ってたろ?」


「私が…?」呆気にとられて、空いた口が塞がらなくなる。


 そんなこと考えもしなかった。いや、確かに彼らのことは嫌いではなかった。


 自分にはない眩しい光を持った特師団のメンバーのことを、ある種、尊敬していたし、妬ましく思っていたのも事実だ。


「…そうかもしれないわね」諦観混じりでそう告げた紫陽花は、黙って眠るように瞳を閉ざした。「でも、それは甘さよ」

「別に、好きに言えばいいさ。ただ僕は…、娘に嫌われたくはない」

「娘?あぁ…、シルヴィアが何か言ったのね」


 彼の言い分からすると、シルヴィアが止めを刺さないように口添えしたのだろう。


 酔狂なものだ。殺されかけたわけだし、それに彼女からすると、自分は目障りな恋敵のような存在だと思うのだが…。


(私が言ったこと、気にしたのかしら。朱夏が一番大事なあの娘らしいと言えばらしいわね)


 あるいは、朱夏自身に私を裁かせるように言ったのかもしれない。どちらとも考えられる。

 嫉妬深いシルヴィアのことだから、そうすることで、完全に私を断ち切らせたい、と考えた可能性もあるだろう。


(まあ、今更考えても詮無いことね)


 紫陽花は心地よい疲労感に目蓋が下りそうになるのをどうにかこらえ、むくりと上体を起こした。まだ体が動くなら、本気になったドラゴンを倒すのに手を貸そうと考えたのだ。


 しかし…、彼女はこちらに向かってくるある男の姿を目にして、ぴたりと動きを止めた。


 慌てた足取りで駆け寄ってくるのはライキンスだ。追い詰められていることがひと目で分かる、情けのない形相である。


 途端に鼻白んだ気持ちになった彼女は、これ見よがしにため息を吐きながら、まだ彼に気付いていないジルバーの名を呼んだ。


「ジルバー」

「ん?どうした、お礼でも言うつもりか?」


 そんなわけがないでしょう、と目を細めた紫陽花は、顎で示してライキンスの存在を伝えた。それによって、ライキンス自身も自分が守ってもらえそうにもないことを悟り、体の向きを変える。


「降って湧いた手柄だな。頂くとしよう」


 そう言って一目散に駆け出したジルバーよりも少しだけ早く、シルヴィアがライキンスの存在に気付いたようだ。


 彼女はライキンスの行く手を遮ると小太刀を抜き、これまた逃げ道を変えようとした彼の腕に投げつけた。


「ぎゃあ」と肩の付け根に刃を受けたライキンスは、ふらふらとした足取りで倒れかけたのだが、ややあって、観念したかのようにゆっくりとシルヴィアのほうを向いた。


 随分と諦めがいいのだな、とぼんやり思っていた紫陽花は、刹那、彼の手にしたクロスボウの銃口が光ったのを見て、反射的に大声を上げる。


「避けなさい、シルヴィア!」


 紫陽花の警告を聞いたシルヴィアは、一瞬、こちらを向いてしまった。


 戦場で、一瞬たりとはいえ敵から目を逸らすなどあってはならないことだ。


 凶弾が、シルヴィア目掛けて飛翔する。


 自分の予測が正しければ、撃ち出されたのはただの矢ではない。


 人を、魔物に変えてしまう薬物が含まれた矢だ。


 その身に受ければ、何もかもを失う。生きているのか、死んでいるのかも分からない、怪物に成り果ててしまう。


 そんな一撃が、今、シルヴィアの胸に突き刺さる。まさに、そのときだった。


 ライキンスとシルヴィアの間に二つの影が割り込んだ。


 一つは小さく、シルヴィアに覆いかぶさる。

 もう一つは大きく、凶弾から身を挺して盾になり、シルヴィアと小さな影の前に立ちはだかっていた。


 ――娘のピンチに駆けつけなくて、父親とは呼べないからね…。


 彼が吐いた気障な台詞が、脳内でリフレインする。その反響が消え去ってから、紫陽花は一言、一言確かめるようにして呟きを漏らした。


「ジル、バー…」


 何か、彼が二人に言っていた。


 それが、ジルバーという人間の最期の言葉だと、嫌でも分かってしまった。

後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。


拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。


さらにご意見・ご感想、ブックマークや評価をして頂けている方、

いっそうの感謝を申し上げます!


今後とも、よろしくお願い致します!


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