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竜星の流れ人  作者: null
終部 三章 そして、秋霜花はまた燃える
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がらんどうな刃

 よくよく成長したものだと思う。彼ら相手に本気を出すことなど、今の今まで一度もなかったのに。


 紫陽花は、力なく倒れ込んだ二人を見下ろし、上の空でそんなことを考えていた。


 後方で、シルヴィアが甲高い悲鳴を上げるのが聞こえる。気丈な彼女がこんな声を上げるのが、少しだけ意外だった。


 ガラムも桜狼も、死んではいないようだ。わずかに身動きしながら、痛みに悶えている。


「三人がかりとはいえ、よく私に獄門刀を抜かせたわ」冷ややかな視線と口調で、紫陽花は言った。「成長したわね。私もある程度は満足したわ」


 紫のロングヘアを風に乗せ、紫陽花はくるり、と踵を返す。


 別に彼らを殺したいわけではないため、止めを刺す必要はない。ただ、逆も然りだ。別に彼らを生かしてく必要もない。


 このまま魔物の餌になるか、失血死で土くれと化すか、それとも幸運にも一命を取り留めるか。全ては彼ら次第だ。


 気付けば、ライキンスとドラゴンのいる辺りが騒がしくなっていた。


 ここからでも、燐子と赤髪の女が馬を駆っている姿が見える。どうやら、無謀にもたったあれだけの人数でドラゴンを討ち取るつもりらしい。ジルバーやアストレアの軍勢が助力のために近付いているのは見えるが、それでどうこうなる存在ではあるまい。


 だが、そうは言っても紫陽花にはそちらに向かわなければならない理由があった。


 ライキンスが用意していた薬も底を尽きかけてはいたものの、まだいくらか手元に残してあるはずだ。


 あれは、到底ライキンスでは敵わないような強力な個の力を歪め、操り人形にできる必殺の道具だ。鏡右衛門と協力して二つの国を取った後、それらを独占するために今度は鏡右衛門や自分が邪魔になる。邪魔者を始末する道具として、まだ確保しているに違いない。


 もしも、彼が燐子に追い詰められ、それを燐子に打ち込もうと目論んだ結果、万が一にも彼女がその犠牲になったら…。鏡右衛門は身も心も凍るような虚無に憑りつかれてしまうだろう。


 それだけは絶対に避けなければならなかった。


 燐子という一振りを砥ぎ上げるための砥石になり、なおかつ、彼女を五体無事のまま鏡右衛門の元へと連れて行く。


 ――それが、自分の最後の役目だ。


 その後のことは知らない。自分は見届け人になることも望んではいないのだ。


 生きていようが、死んでいようが、どちらでも構わない。


 心の赴くままに動こう。


 幽鬼の如く、ゆったりとした歩調で次の戦場に向かおうとする紫陽花。その背中に、シルヴィアの涙交じりの声が響く。


「待ちなさいっ!」


 首だけで振り向けば、シルヴィアが不安と憤りの入り混じった瞳をして小太刀を構えているところだった。


 すでに彼女に対しての興味を失っていた紫陽花は、辟易した心持ちで肩を竦めて言った。


「何か用かしら?私、忙しいのだけれど」

「ふざけないで!行かせるわけがないじゃない…、貴方は、私がここで止める。止めなきゃいけない」

「へぇ」

「時間稼ぎでもなんでもいい、ドラゴンとライキンスを討つまでは、絶対に貴方を行かせたりしない!」


 小生意気な、と眉をひそめた紫陽花は、一つ大きなため息を吐いてから体をシルヴィアへと向ける。


「せっかく拾った命でしょう、その死に損ないたちでも助けていなさい」

「断る!」


 紫陽花は、そう、と半分予測できた答えに生返事すると、獄門刀を音を立てて血振るいした。


「不憫なことね」

「不憫…?」シルヴィアは馬鹿にされたと感じたらしく、苛立ちを露わにして噛みつくように言い返す。「お前はいつもそうやって、人を見下すような真似をする!私には、お前みたいな裏切り者に哀れまれるようなことは何一つない!」


 言葉と同時に、糸が縫い付けられた小太刀が投擲される。それを体を半身にしただけで避けた紫陽花は、嘲笑交じりで言った。


「何を勘違いしているの?私が不憫だと言ったのは、朱夏のことよ」

「朱夏…?」

「だってそうでしょう?ただでさえ母親が死んで辛い想いをしているのに、その上、親友まで失うことになるのだもの」


 こんなことまで教えてあげなくてはならないのか、と飽き飽きした気持ちで紫陽花は地を蹴り上げる。秋霜花の真っ白い葉がふわりといくつも宙を舞った。


 小太刀が彼女の手元に戻る前に、大きく袈裟斬りを繰り出す。シルヴィアはもう一本の小太刀を抜いて、辛くもその一撃を防いだ。


 背後から小太刀が戻って来る気配を感じ、横に素早くステップを踏む。案の定、自分がさっきまでいた場所を貫いて、小太刀が戻って来た。


「お前が、朱夏の名前を口にするな!」今度は小技には頼らず、小太刀二本でシルヴィアが斬りかかってくる。「私の大事な親友の名前を!」


 燐子の二刀流に比べると、キレもあり、手数もある。なにより、慣れ親しんだスタイルのためか、連携に澱みがなかった。しかし…。


 袈裟、逆袈裟、突き、突き…、全てを受け止めながら、紫陽花は失望するように薄く笑った。


「そう、貴方は親友止まりだものね。貴方本当は、ただ私を排除したい、殺したいだけなのでしょう?」

「うるさい、お前のようなサイコ野郎と一緒にするな!」

「ふふ、一緒なわけがないじゃない、当たり前のことを言わないで頂戴」

「くっ…どうして当たらないの…!?」


 シルヴィアの連携はあまりに教科書通りすぎる。そのため、予測も容易で、こちらの命を脅かすような脅威は微塵も感じられなかった。


 燐子が放つ一撃、一撃は、一瞬の隙も油断も許さぬ、死をまとい、急所を狙う一斬必殺のものだった。彼女が身躱し斬りと呼ぶ一閃が自分の懐を切り裂きかけたときは、表情には出さなかったがさすがに肝を冷やしたものである。


 二人が絡み合う姿を、ドラゴンが吐き出した炎が赤々と照らしていた。灰が舞い上がり、降り注ぐ度に、薄暗い闇に閉ざされたかつての故郷を思い出す。


 友だちも両親も殺され、自分さえも殺されかけたあの場所は、今の自分に何をもたらすのだろう。


 分からない。もはや、何の意味もないのかもしれない。


 ただ、その記憶が釈然としない怒りを自分に与えたのだけは確かだった。


 渾身の薙ぎ払いによって、シルヴィアの小太刀を二本まとめて弾き返す。両手を上げて隙だらけになった彼女の胴に思い切り回し蹴りをしてみせるが、すんでのところで躱される。


 それがさらに苛立ちを加速させ、紫陽花は半ば強引にシルヴィアの胸倉を掴み、秋霜花の絨毯の上に叩きつけた。


 素早くシルヴィアの上に馬乗りになった紫陽花は、彼女の腰から伸びている糸を掴み、掌から血が滲むことも気にせず、両手でそれを伸ばして見せた。


「肌も切り裂く…、素敵な武器ね」じろり、と見下ろすシルヴィアの顔が青ざめる。「貴方のその白くて綺麗な首筋に巻いてあげたら、きっと真っ赤で綺麗なマフラーができるわ」


 紫陽花の言葉には、聞くものの背筋を冷たくさせる恐ろしさがあった。何の光も浮かばない、水底のような瞳に見つめられ、シルヴィアは強く身をよじってみせるが、すぐに上から押さえつけられてしまう。


「無駄な抵抗はよしなさい。こうなることを覚悟して私に歯向かったのでしょう。大丈夫、朱夏にはちゃんと伝えておいてあげるわ。貴方が最後の最後まで美しかったことを――」


 不意に、強烈な殺気を感じた紫陽花は顔をそちらのほうへと向けた。刹那、強烈な一撃が叩きつけられ、とっさに獄門刀を間に割り込ませたにも関わらず、彼女の体は軽く数メートルは吹き飛ばされてしまった。


 勢いよく地面を転がった紫陽花は、こんな無様なことになるのは、とても久しぶりだとどうでもいいことを考えていた。


 それから、ゆっくりと立ち上がると、自分をこれだけの目に遭わせた相手の顔を睨みつける。


「本当、酷いことをするわね。かつての同僚に遠慮もなにもないのかしら?」


 しかし、相手はまるで紫陽花の声が聞こえないと言わんばかりに、返事もせずにシルヴィアを助け起こしていた。


「立てるかい、シルヴィア」

「あ、はい…。でも、お父様、どうしてここに…」


 シルヴィアにそう問われた男――ジルバーは普段とは違って静かに品のある笑みを浮かべると、「娘のピンチに駆けつけなくて、父親とは呼べないからね」と答えた。


「お父様…」

「シルヴィアはそこの二人を助けてやってくれ。近くに衛生兵がいるはずだ」


 でも、と躊躇する様子を見せたシルヴィアだったが、ジルバーの有無を言わせぬ眼差しを受けて、渋々と彼女は二人のほうへと足を向けた。立ち去る際、紫陽花を恨みがましく睨みつけていた。


 立ち去る彼女に手を振って挨拶してみせると、憎しみに満ちた瞳で返された。嫌われたものだと肩を竦めていると、ジルバーがこちらに構えるよう告げた。


「へぇ、貴方は何も尋ねないのね」

「聞きたいことは山ほどあるが、聞いても意味があることは一つもない」

「うふふ、随分と寂しいことを言うのね。貴方のこと、もう少し暖かな血の通った人だと思っていたわ」

「通っているつもりだよ」


 彼らしくもなく淡々とした物言いをするジルバーは、相変わらず流派も何も感じられない構えを取ると、最後の言葉だと言わんばかりに吐き捨てた。


「だからこそ、話す意味はないと言ったんだ。シルヴィアを殺そうとした時点で、お前の運命は決まった」


 ドン、と土煙を上げてジルバーが突進してくる。葉も土も何もかも蹴り上げる彼の踏み込みには、さすがに目を丸くしてしまう。


 飛び込みざまに放たれた強烈な唐竹割りを獄門刀で受け流す。しかし、思った以上のパワーだったため、体がふらつく。


 うなじが粟立つ死の気配に反応し、とっさに後ろへと跳躍する。

 わずか先の前方を薙ぐ大ぶりの両手剣。風を切り裂く音を聞き、本能的に神経が昂ぶりつつ、舌なめずりする心が抑えられなかった。


 ジルバーがさらに鋭い踏み込みで迫ってくるのを見てから、紫陽花自身も対抗するみたいに加速し、前進した。


 獄門刀を左下から斜めに振るい、斬り上げを放つ。刃はジルバーの頬をかすめながら彼の剣を弾き返した。


 このまま畳みかけようとした紫陽花だったが、こちらの攻撃など意に介さない苛烈な袈裟斬りを反撃に受けて、そのまま後ろへと転倒した。


「くっ!」


 鮮やかな着物が泥に塗れる。膝立ちになって起き上がった紫陽花は、こうも容易く自分が押し負けていることが信じられず、目を大きく見開いて顔を上げた。


 すると、情け容赦の一切ないジルバーが、体勢を立て直せていない彼女に向かって斬りかかろうとしているところだった。


 慌てて横に転がり、強烈な一撃を躱してみせるも、息を吐く暇も与えない豪快無比な連撃に再び弾き飛ばされてしまう。


 彼の攻撃は一撃足りとも当たってはいない。むしろ、こちらの返す刀のほうがジルバーの肉体に、浅いとは言え傷を残していた。


 だというのに…。


 ふらり、と立ち上がりながら、紫陽花はジルバーが一旦攻勢の手を緩めていることに安堵してしまい、そんな自分に虫唾が走って大声を発した。


「ジルバーッ!」

「…不思議か?自分より弱いはずの相手に圧倒されることが」


 ゆったりと間合いを詰めながら、ジルバーは紫陽花を厳しい目つきで見据えていた。


「僕は何も不思議ではないよ。紫陽花、お前には理解できんだろうがなぁ。本当に大事なものを持つ剣士の強さが」

「本当に、大事なもの…?」これもまた、紫陽花の感情を荒立てた。「そんなもので、貴方と私の力量差が埋まるとでも言うの…!?」


「それは分からない。だが、今の僕はがらんどうなお前に負けるつもりはないよ」


 彼が放つ殺気とも、怒りとも言えない闘気を目の当たりにして、紫陽花はある種、これが自分の求めていたものの正しさ、その証明だと思い至った。


 ――これが、形なき想いの強さなのだ。


 そんな戦場ではナンセンスなものが、実際の強さに影響するのかどうか。


 それをかなぐり捨てて、実用的な強さ、冷酷さを求めた鏡右衛門がかつての強さを超えられるのか。


 それとも、それを頑なに重んじ、捨てることなく信じ続けるあの女が鏡右衛門を打ち破るのか。


(鏡右衛門様が欲しくてたまらないその答えの一端を、今、私は見ているのね)


 ふふ、と少女のような笑みを浮かべた紫陽花は、改めて自分の中の神経の昂りを認めると両手を左右でクロスした構えを取った。


「ごめんなさい、鏡右衛門様。先に、答え合わせをさせて頂きます」


 ぺろりと舌なめずりしてから、良い風が吹いているわ、と場違いにも考える。なんとなく、自分が初めてグラドバラン城に、帝国に来た頃の風に似ている気がしたのだ。


 そんな記憶がまともに残っているはずもないのに。


 鏡右衛門の逞しく、物悲しい背中が蘇る。揺れる秋霜花の平原を、目を細め見つめていた彼の姿。


 あの頃から、彼の苦悩が始まっていたかと思うと…。


 ジルバーの体が、間合いに入った。追憶を彼方に追いやり、すぐさま戦いに意識を戻す。


 迅雷の如く、飛び込み斬りを繰り出す。


 ジルバーがこの攻撃を防ごうとすれば、獄門刀の異常な刃渡りの長さを活かして、手足を斬りつける。そうして斬りやすい場所から傷付けて、最後は本命の急所を突く。


 肉薄するわずかな間に、頭の中で攻め入り方を組み立てる。


 こうくれば、こう応じる。ああ切り返されれば、ああ斬りつける。


 頭の中でありとあらゆるシミュレーションを繰り返した紫陽花は、これ以上ないというキレの良さで斬撃を放った。


 刹那、甲高い金属音と共に遥か天空を剣が舞った。


 陽光を反射して、舞い上がった刃がきらきらと美しく輝いている。


 紫陽花は、この結果に驚きを覚えなかった。どちらかというと、そうなれば良い、とさえ思っていた結果だった。


 だが、手を抜いたわけではない。


 ――鏡右衛門様が否定した、人の想いとかいう『甘さ』が…。がらんどうな私の剣を凌駕したにすぎない。…ただ、それだけなのよ。

読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!


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