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竜星の流れ人  作者: null
終部 三章 そして、秋霜花はまた燃える
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”紫”の花

土日は続けてアップしますので、そちらもよろしくお願いします。


では、お楽しみください!

 空虚だった。かつては満ち満ちていた胸の中も、今はただ、がらんどうの暗闇の住処と成り果てていた。


 戦うことの高尚さを一欠片も理解できない、哀れで低能な魔物どもが無表情で佇む自分の横をすり抜ける。


 酷い獣臭に似た臭気を放つ魔物たちを眺めながら、ゆっくりと足を前に出す。


 右、左、右、左。


 無限と呼べる数を繰り返してきたその動作に自分が不確かさを覚えるのは、きちんと生まれ落ちることができなかった証なのかもしれない。あるいは、壊れた玩具みたいに、取り返しがつかないことの表れか。


 戦況はどこからどう見ても劣勢。ライキンスがドラゴンを制御下におくことは、その力にリミッターをかけることと同義だった。出し惜しみしている場合ではないはずだったが、もはや、戦いの行く末などどうでもよかった。


 自分にとって重要なのは、戦いに勝つことではない。

 かつて、自分の心を救ったあの人が、あの頃の輝きを取り戻せるかどうかが重要なのだ。


 そのためなら、自分はどれだけでも外道に落ちよう。

 血を浴びて、死肉を贄にして咲く一輪の花になろう。


 それが、あの日、彼に助けられた私の最後の役目なのだ。


 そうして、無心で戦場をさまよっていると、不意に横から数人の兵士が斬りかかってきた。


 あまりに愚鈍、あまりに無謀。


 ぶん、と空気を裂く音と共に、兵士たちの体が腰より少し上の高さあたりから両断される。


 彼らの血飛沫が頬にかかる。いつもは気にならないのに、今日は不思議と不愉快だった。


「味がしないわ」そう、紫陽花は呟いていた。「美味しくもないし、不味くもない。無味無臭、最悪の食事ね」


 次は左から敵が来る。魔物が味方で、兵士が敵か、と考えて口元が綻ぶ。


 ――歪だ。歪んでいる。だが、死に損ないの自分には、このアンバランスさこそが相応しい。


 繰り返し、何度も大鎌を振るった。


 右、左、右、左…。


 三日月の刃が閃く度に、一つ、また一つと命の花が散っていく。赤い残影を残して縦横無尽に暴れる大鎌は、笑い声を上げるみたいな音を立てて風を切り裂いていた。


 そうして有象無象を斬り刻んでいると、背後に強烈な殺気を感じ、反射的に振り返った。


 金属同士がぶつかり合う高い音と共に、それなりの衝撃が鎌を通して伝わってくる。それだけで、散々食い散らかしてきた小物とは格が違う相手が来たことが分かった。


「紫陽花ッ!」鍔迫り合いの中、こちらを睨みつけてきたのはガラムだ。「てめぇ、どの面下げて俺たちの前に現れやがった!」


 俺たちね、と薄笑いを浮かべながら紫陽花は答える。


「この面よ、目の前にある端正な顔立ちが目に入らないのかしら?」

「このっ、舐めんじゃねえぞぉ!」


 重なり合っていた刃が、弾かれ合うようにして離れる。怒りに満ちた瞳に答えるべく、紫陽花は稲妻の如く踏み込んだ。


 鎌の刃がギリギリ届く距離にまで達すると、力いっぱい左下から右上へと鎌を薙ぎ払う。

 大きく体勢を崩したガラムに、素早く回し蹴りを叩き込む。


 短い苦悶の声と共にガラムが吹き飛ぶのを横目にしながら、隙を見て、静かに背後から急襲しようとしていたもう一人に向かって、大鎌を投擲する。


「きゃっ!?」と驚きの声を上げたのはシルヴィアだ。手に持った短刀からは、姑息でもいいので確実にこちらを仕留めたい、という気持ちが感じられた。


「貴方たちだって、私を舐めないことね。付け焼き刃の奇襲作戦が通じるほど、私は甘くないわよ」


 的確に手元へと戻ってきた大鎌をキャッチしながら、紫陽花は嘲笑を含めてそう言った。


「くっ…、調子に乗っていられるのも今のうちよ」


「あら、心外ね。そんなものに乗っていないわ。それに…」紫陽花はわざとらしく舌なめずりすると、装束の隙間から覗くシルヴィアの白い肌を見つめながら言った。「どうせ乗るなら、貴方のほうがとっても心地が良さそうね」


「このッ、女狐!」頭に血が昇った様子でシルヴィアが突貫してくる。


 それに合わせて、後ろからガラムが同時に斬りかかってくるも、紫陽花は大鎌の両端で器用に同時にいなし、その場でくるりと回転斬りして二人揃って弾き飛ばした。


 とっさにガードはした様子だが、二人とも、立ち上がった頃には擦り傷だらけだった。ガラムにいたっては口内を切ったのか、赤い筋を口の端から顎にかけて描いていた。


「動きが単調すぎるわ。二人がかりであるということに甘えて、意表を突くことを忘れているのではないかしら?」

「うるせぇ…!いつまでも、隊長面してんじゃねえぞ!」


 ふうっ、とこれ見よがしにため息を吐いた紫陽花は、「まぁ、貴方たちなら多少は味もするわね」とぼやき、鎌の上端の部分を地面に叩きつけた。


「来なさい?まさか、この程度で終わるはずもないわよね?」


 それから三者は、激しく入り乱れた。不規則的ではあるが鳴り響き続ける鉄の音が、戦いの苛烈さを物語る。


 肉薄してきたガラムの袈裟斬りを大鎌の柄で弾き、そのまま柄の先端で相手のみぞおちを突く。

 くの字に体を曲げたガラムを投げ飛ばそうとすると、視界の端で煌めく銀閃が見えて、反射的に身を屈めた。


(シルヴィアの小太刀芸ね、本当に器用な真似をするわ。でも…)


 姿勢を戻しながら、頭の上を通っている糸を握る。このまま思い切り手繰り寄せてやろうと思っていると、糸を握った左手に鋭い痛みが走った。


「っ…」

「特製の糸よ、触れるだけで肌を切り裂くわ」

「なるほど…よくできているわね」


 熱くなると同時に、どろりとした感触に濡れた掌。迂闊だったわ、と他人事のように考えながら、それでも構わず左手に力を込め、当初の予定通り糸を引っ張った。


「え、きゃっ!?」


 シルヴィアが可愛らしい驚きの声と共に、紫陽花の間合いへと飛び込んで来る。すかさず装束の襟首を掴んで、地面に叩きつける。


「うっ…」


 苦悶の声、痛みに歪む白い頬。彼女は本当に雪女みたいだった。そして、その赤い両目が自分への憎しみと羨望に染まるのを見るのが、紫陽花は嫌いではなかった。


「あ、紫陽花、貴方、自分が傷つくのが怖くないの?」

「ええ、興味ないわ」


 膝小僧をシルヴィアの首元に押し込み、うまく呼吸できないようにしてから、反撃に出ていたガラムに大鎌を渾身の力で振るった。


 紙切れみたいに飛んでいく元同僚の姿を見送りつつ、紫陽花は眼下で顔を真っ赤にして喘ぐシルヴィアに笑みを向けた。


「分かるわ、私のことが嫌いなのね。貴方は昔からそうだった。朱夏の瞳が他の女を映すだけでも気に入らないのに、それどころか、朱夏は私に固執する始末だったものね」


 ひゅー、ひゅーと喉を鳴らしながらもこちらを睨みつけるシルヴィア。彼女の青臭い必死さに、思わず興奮して饒舌になってしまう。


「あぁ…、貴方の健気で愛くるしい感情の機微を見ていると、どうも私まで少女に戻ったような気がしてしまうわ!

 不可逆的なものを狂わせてしまうほどの魔力が、貴方の青臭さには秘められているのね。

 でも、だからこそ、この手で壊したくもなるというもの。貴方の亡骸を見たとき、朱夏がどんなふうになってしまうのか、楽しみでたまらないわ、シルヴィア!」


 膝に体重をかけると、みるみるうちにシルヴィアの顔が真っ赤になった。瞳からは大粒の涙がこぼれ出し、ますます、そそる顔つきになる。


 このまま壊してしまってもよかったが、それではあまりに味気ないし、朱夏がこれ以上、大事なものを失って耐えられるとは考えられなかったので、自分の背中に戸惑いを含んだ殺気が向けられたのを感じたとき紫陽花は、ただ、丁度良いと思った。


 カチリ、と鯉口を切る音が聞こえる。しかし、音がしてからも、背後の人物が行動を起こす気配はなかった。


「あら、斬らないの?」くるり、と首だけで後ろを振り返る。「早くしないと、シルヴィアが死んじゃうわよ?」


 紫陽花の視線の先にいたのは、おかっぱ頭の桜狼だった。硬い表情で抜いた剣先を紫陽花の背中に向けた彼は、唇を震わせ、葛藤の末に紫陽花の背中に太刀を振り下ろした。


「やあっ!」珍しく気合のこもった声だ。おそらく、自分を奮い立たせるために必要だったのだろう。


 ひらりと横に躱し、シルヴィアの上からどく。彼女は、酸素を求めるように激しい呼吸と咳を繰り返していた。


 向き合った桜狼からは、戸惑いと悲しみ、そして、わずかばかりの怒りが発せられている。彼のこうした真面目さや甘さも、紫陽花は嫌いではなかった。


 自分と同じように死の淵から鏡右衛門に救われた身でありながら、自分とは違って自分なりの幸せを掴んだ桜狼。


 今の彼は、愛し合う大事な人のために戦っている。目の奥で明滅する、熱い情動からそれが見て取れた。


 ――自分と同じ、死に損ないの命のくせに。まるで、ちゃんと生きているみたいだわ。


「どうして…、本当に紫陽花は僕たちを裏切ったんですか!?」

「裏切るも何も、私が仕えているのは鏡右衛門様ただ一人よ」


「そんな屁理屈!」

「屁理屈なものですか。それを言うなら、桜狼のほうが鏡右衛門様を裏切っているのではなくて?妙な男に心を許して、恩義を忘れた恥さらし」


「忘れたわけではありません!僕は、僕のような戦争孤児を生み出さないために、僕にできることを――」

「ああ、ストップ。勘違いしないで?私はもう、貴方と無意味な問答をするつもりはないの」


 大鎌の先端を光らせ、桜狼を睨みつける。自分の中にこうした言語化しがたい感情が宿っていたとは、少し意外だった。


「私に考えを改めさせたいのであれば、殺すしかないわよ」

「紫陽花…ッ」彼の憐れむような言葉の響きに、紫陽花は低い声で応じる。「行くわよ、桜狼。貴方が屁理屈と言ったものを、貴方の正しさでねじ伏せてみなさい」


 紫陽花はあえて桜狼が太刀を納め、居合の構えを取るまで待った。


 完膚なきまでに叩きのめす、その必要性があると思えて仕方がなかったのだ。


 やがて、紫陽花は地を蹴り、躊躇なく桜狼に接近した。


 少しだけ、彼の動きが鈍い。抜刀動作が一拍遅れている。


 鎌の上端部を桜狼の居合刀の柄に目掛けて、真っ直ぐ突き出す。そのため、彼は得意の居合を行うことができず、目を丸くして動きを止めてしまう。


「全く…、情けのない人!」鈍い反応でこちらの顔を見上げた桜狼の脇腹を、思い切り蹴りつける。「うっ!」


「甘さと優しさをはき違えるような人間が、私の前に立とうなんて、虫酸が走るわッ!」


 地面をごろごろと転がる桜狼を追い、止めを刺すべく鎌を振り上げる。対する彼も今の一撃で目が覚めたのか、素早く起き上がった拍子に一閃、抜き放った。


 激しい衝突に火花が散る。間近の距離で見つめた少女然とした桜狼の顔は、すでに男としての矜持を感じさせる気迫にみなぎっていた。


「そうよ…!それでいいわ、それでいいのよ!」

「紫陽花、僕は貴方を止めます!」


 二人同時に離れ、再び衝突する…、これを何度も繰り返した。


 逆袈裟と横薙ぎがぶつかったかと思えば、斬り上げと袈裟斬りが、大鎌の柄と鞘が逢瀬を交わすように交わる。


 こんなにも彼は強かっただろうか、と紫陽花は感心するような心持ちで考えていた。


 なんとなく、彼が築き上げた幸せな日々がその男にしては華奢な背中を支えているような気がしていたが、紫陽花はそれをあまり認めたくなくて、渾身の力で桜狼の刃を弾き返した。


「鏡右衛門様の望みを叶えることが、紫陽花、君の願いなんですか!」

「少し違うわね、私は、昔のような強さを鏡右衛門様に取り戻してほしいだけよ!」


「あの方は今も十分に強い!」

「そう見えるだけよ!」

「仮にそれが真実だとして、紫陽花はどうなるんです。鏡右衛門様が色んなものを犠牲にして力を得たとして、貴方は!?」

「そんなの、どうでもいいわッ!」

「それじゃあ、紫陽花の意思はどうなるんです、どこで示すというんですか!?自分を殺すか犠牲にするみたいな人生――無意味じゃないですか!」


 その言葉が、紫陽花の逆鱗に触れた。


 無意味だと語られた自分の人生が、がらんどうと自らの胸中で形容した人生が、途端に自分自身に牙を剥く。


 自分が自分に言うのと、他人にそれを言われるのとでは大きく違う。


 紫陽花の目には、自分以外の誰も彼もが輝いて見えていた。


 片思いを募らせ続けるシルヴィア。

 昔と違って、穏やかに微笑むようになった桜狼。

 スラムの人のためになら、身を粉にできるガラム。

 娘のことを溺愛し、生の活力に満ちていたジルバー。


 ――特に、朱夏が一番輝いて見えた。否、彼女が自分を見ているときが、最も輝いて見えていた。


 朱夏が私にだけ、特別な感情を抱いているのは分かっていた。


 だが、歳を重ね、青い少女として十分な素養を持った彼女の気持ちに答えることは、私にはどうしてもできなかった。


 鏡右衛門の血を引く彼女を、普通の人間がするような色恋沙汰に傾注させることだけは、私自身が許せなかったのだ。


 朱夏の家庭教師(学問だけではなく、武芸もだったが)に任命されたときも、嬉しさ半分、不安半分だった。だから、長くは続けなかった。


 それは、朱夏を弱くすると思っていたから。

 鏡右衛門様が、エレノアと結婚してから、平和な日々に葛藤して歪んだように。

 満たされた時間が、朱夏を、そして、自分自身を弱くすると。


 やがて、私からの静かな拒絶を受け続けた朱夏は、歪んだ性愛で自分を満足させるようになった。

 朱夏が私と同じ年くらいの女性を嬲る性癖を宿しているのを知ったときは、正直、戸惑いもしたし、天地の娘としては不適切だと分かっていたが、喜びも感じてしまった。


 あぁ、彼女らが放つ閃光を、私は放てない。

 私は夜の闇と同じだ。あるいは、深海の闇と。

 自ら光を放つ術をもたないから、自分の居場所も分からないまま光に憧れ続ける。


 そんな哀れな存在であることを桜狼に思い出させられて、紫陽花は声を荒らげた。


「今の貴方ごときに、一体、何が分かるというの!?」


 頭に血が昇る感覚を覚えつつも、紫陽花は強烈な唐竹を桜狼へと叩きつけた。


 たちまち、桜狼の構えていた太刀が間から半分に折れる。業物であったはずだが、紙切れ同然に両断されていた。


「なっ…!?」


 間髪入れず、ぶん、と大きく鎌を振りかぶる。


 腰を落とし、鎌の頭が自分の後方の地面につきそうなほど両手で溜め動作を作る。


 唐竹の後の、大ぶりの横一閃――これで、勝負を決める。


「…死の花を咲かせましょう。まずは、貴方からよ…桜狼」


 殺す気で用意した一撃だった。しかしながら、それを振り抜こうとした瞬間、ぐん、と大鎌が引っ張られる感覚を覚え、紫陽花は後ろを振り向いた。


 大鎌が、シルヴィアの操る糸に絡め取られていた。力を入れても、まるで動かない。よく見たら近くの魔物の死骸に括り付けられていた。


 直後、傷だらけのガラムと、瞳に決意を灯した桜狼が同時に攻撃をしかけてきた。


 折れた刃を、血を滴らせながら握り襲いかかる桜狼の必死さを見たとき、彼が、完全に自分とは違うものに変わり果てているのだと嫌でも悟った。


(あぁ、こんなことで、意表を突かれたわ。朱夏のことを思い出して、動転していたのかしら)


 迫る白刃に、紫陽花は歪んだ微笑を浮かべる。


 全身の血管が脈を打つ。生と死の狭間に見える光に歓喜しているようだった。


「…嫌だわ。これじゃまるで――」


 呟きの後、紫陽花は素早く大鎌の柄を引き抜いた。


「私もちゃんと、生きている人間みたいじゃないッ!」


 先端が丸くなり、刃渡りが異常に長い太刀が、二度閃く。


 左、右と交互に繰り出される一瞬の斬り上げ。


 鮮血が舞った。血を吸う獄門刀が、怪しく太陽の光を飲み込んでいた。

後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。


拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。


さらにご意見・ご感想、ブックマークや評価をして頂けている方、

いっそうの感謝を申し上げます!


今後とも、よろしくお願い致します!

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