黒竜との対峙
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馬は、燐子を騎手に変えて激しく燃える秋霜花の上を疾駆していた。逆流する熱風が頬を撫でると、たちまち吐き出す息まで熱くなったような気がした。
逃げ惑う兵士に本陣への後退を促しながら、浮遊した状態で火炎を吐き続けるドラゴンを目指す。
「り、燐子。本当に行くのよね…」
ミルフィは分かりやすく不安そうな声を発した。致し方あるまい、それだけの存在感を奴は放っている。
「ああ、アレを止めねば我々は鏡右衛門の顔を見ることなく終わる」
「そうよね…」
この距離でも肌がひりつく、以前見かけたときはここまでのものを感じなかったというのに、一体なぜだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。
問題は、どう斬るか、ただそれだけなのだ。
「安心しろ、完全な生命体などいない」
燐子はそう口にしながら、異世界に来て間もない頃に、ミルフィと共に対峙した大トカゲのことを思い出していた。
研ぎ澄まされた日本刀の刃すら通さぬ頑強な黒い甲殻に、燐子は苦戦を強いられていた。
あのときは、ミルフィの協力もあってなんとか弱点をつけたが、彼女がいなかったらどうなったかも分からない。
思えば、あの戦いが初めての共同戦線だった。
つい、懐かしくなって頬が緩む。
「どれだけ圧倒的な力を持っていようが、所詮は私たちと同じ生き物。首と胴体が切り離されれば死ぬし、心臓を潰しても死ぬ。血を流しすぎてもな」
「うわぁ…、初めてアンタのそういうとこ、尊敬できるって思ったわぁ」
「む、嫌味か」
「褒めてんのよ」
浅く笑ったミルフィも、次第に近づく魔物の群れと巨躯にいつしか真顔に戻っていた。不安や緊張がまざまざと伝わってくる表情だった。
「とどのつまり、何が相手でも私のやることは変わらんということだ」
「…と、言いますと?」
燐子はふん、と鼻を鳴らし、馬を急加速させた。一気に体にかかった加速度がミルフィの上体を後ろにのけぞらせる。
「相手が死ぬまで切り刻み続けるか、首を落とすか、それだけだ!」
「あぁもう、そんなことだと思ったわ!――はいはい、こうなったら、とことん付き合ってあげようじゃないのっ!」
魔物の先陣が二人の前に立ちはだかる。不安定な姿勢からでも正確な狙いで放たれた矢が、先頭の虫魔獣を蹴散らす。その衝撃で後方の数体も弾き飛ばされた。
ただ、この程度では陣形に穴を空けたとは言い難い。単騎で突破しようにも、数が数だ。
敵陣の最前線に沿うようにして馬を走らせ、どうにか隙ができないかとミルフィに攻撃してもらいながら様子を窺っていると、魔物の壁の向こうから声が聞こえた。
「また貴方ですか、愚かで粗暴な野蛮人め」ライキンスだ。「もう貴方の顔は見飽きた。そろそろ退場して頂きましょう!」
ライキンスがかざした右手が、魔物たちの向こう側で赤く輝いているのが見える。同時に、今まで静観を保っていた黒いドラゴンが再び動き出した。
竜の口が禍々しい赤光を灯す。火炎の渦が来る、と察した燐子は素早く馬の方向を変えて、ドラゴンの側面に回り込むようにして動いた。
たちまち放たれる炎に、魔物の絶叫が木霊する。
舞い上げられた塵と灰が魔物の残骸なのか、それとも美しい秋霜花のひとひらなのかも分からないまま、炎に追いつかれぬよう手綱を操る。
「這いつくばるため、自ら地べたに降りてきたか、ライキンス!」
「ほざきなさい!私の力の前に逃げ回るだけの虫けらが!」
「よく言うわよ!魔物の力を借りないと何もできない、情けのない腰抜けの分際で!」
ミルフィは、ライキンスの言葉に眉をしかめると素早く矢を番え、声のする方角へと勘で狙いをつけた。
「アンタみたいな卑怯者を討つことに、躊躇いはないわっ!」
怒りの言葉と共に放たれた鉄矢は、真っ直ぐに敵陣目掛けて飛んでいった。触れるもの全てを貫かんとする勢いだったのだが、敵陣に刺さるより先にドラゴンが吐いた炎に焦がされ、跡形もなくなっていた。
チッ、と舌打ちするミルフィの様子が透けて見えているのか、魔物の囲いの中のほうから、ライキンスの高笑いが響いてくる。
「無駄ですよ、ドラゴンという絶対的な存在の前には、貴方たちは文字通り無に等しい!」
自らの力の誇示ができて満足なのか、彼はいつまでも執拗に笑い声を上げていた。聞いているだけで辟易とする声だったが、今はそれに構っているところではない。
様子を見るために、再びドラゴンの周囲を旋回する。時折吐き出される熱線に肝を冷やしながら、燐子は苦い顔をして吐き捨てた。
「これでは埒が明かん、ミルフィ、どうにかアイツを地上に引きずり下ろせないか?」
「分かった。翼を狙ってやってみるわ」
言うが早いか、ミルフィは矢を番え、独特な金切り音を響かせながらドラゴンの翼膜に狙いを定めた。
鋭く光った矢の先端が、ミルフィの手元から離れた途端に急加速し、ドラゴンに迫った。しかしながら、その一撃は再びドラゴン自身が吐き出す炎によって阻まれる。それを二、三回と繰り返しているうちに、ミルフィはさらに大きな舌打ちを漏らす。
「ダメよ、ダメ。こっちの狙いがバレてる以上、撃っても撃っても防がれちゃうわ」
「とは言っても、ああして滞空されると、私は触れることも叶わない」
「分かってるわ。燐子、マロンを加速させて、常に相手の背後に回り込んで。そうしたら、炎に焼き払われることなく翼を射抜けるわ」
「また無茶を言う」
「最初に無茶を言い出したのは、燐子のほうじゃない!」
「…ふん、まぁ、それもそうだな」
燐子は再び馬を加速させた。その場に滞空しているドラゴンは、その図体の大きさから小回りが利くようには見えない。案の定、容易に側面へと回り込むことができた。
馬が二人分の重さを背負ったままで、一体どれだけこの速度が維持できるかは分からない。ここから先は時間との勝負になる。しかし、そう考えていた矢先、馬の行方を無数の魔物が阻んだ。
「チッ」と舌打ちしながら、突出してきた魔物たちを大きく迂回して進む。そうこうしているうちに、またドラゴンの顔が正面に来ていた。「燐子!」
黒竜の大きな口が、赤い光を放ち始める。ただちに方向を変えて、吐き出された炎の奔流から逃れたが、灼熱の吐息は二人と一頭の体力を確実に蝕んでいた。
肺の中に高温の空気が入り込んでくるのを懸命にこらえながら、こうも妨害されては加速もできん、と眉間に皺を寄せる。
それでも、馬を走らせ続けるしかなかった。止まれば、灼熱の炎が自分たちを容易く薙ぎ払うことを知っていたからだ。
「燐子、前!」後ろでミルフィが指したのは、陣形から大きく飛び出てきた魔物たちの姿だった。「ぶつかるわ!迂回して!」
「馬鹿な、そんなことをすれば丸焼きにされるぞ!」
方向転換したり、陣形に沿って迂回したりすれば、自然と速度が落ちる。先ほどはドラゴンがこちらを捉えきれていなかったからよかったものの、今回はすでにあの炎の射程内に入ってしまっている。
落馬するリスクを考慮しても、正面突破するほかはない。燐子は制止するミルフィの声を振り切り、馬を加速させた。
直後、凄まじい衝撃が二人を襲った。
防御を固めて待ち構えていた魔物の群れに衝突し、馬が横転したのだ。地面に叩きつけられ、息ができない時間がしばらく続いたが、すぐに燐子とミルフィは馬のことを思い出し、立ち上がった。
馬はふらつきながらも立ち上がろうとしていた。幸いなことに、どうやら足は折れていないらしい。馬にとって、走れなくなることは命を失うことと同義だ。それを知っている燐子は心底ほっとしていたのだが、それも束の間のことだった。
ふらつく愛馬に魔物たちがにじり寄っていた。蟻を人間大にしたようなおぞましい魔物は、顎をカチカチと鳴らし、新鮮な肉を求めて濁った目をギョロギョロと動かしていた。
昔、大事にしていた馬の姿が燐子の脳裏にチラつく。
とてもかわいがっていた、気性の荒い栗毛色の馬だ。
燐子は、戦場に連れて出た馬が戦火の犠牲になることが恐ろしく、結局は他人に譲ってしまった。その結果として、馬は自分ではない持ち主の元で命を落としてしまった。
あの馬は、あんなふうに死んだのだろうか。それとも、矢や刀傷を受けて、痛みに喘いだまま…。
見てもいない馬の死にざまを想像した燐子は、迂闊だと分かっていながらも、血相を変えて馬の元へ飛び出していた。
馬の前に躍り出て、寄って来る魔物を一閃、斬り伏せる。それでもいきり立つ連中を、少し離れた距離からミルフィの鉄矢が二匹まとめて貫く。
このままにはしておけない、人間の都合で戦いに巻き込んだのに、このような形で死なせるわけにはいくものか。
めげずにたむろしてくる魔物たちを、刀を乱舞させて斬り捨てる。
右から来る魔物を撫で斬りにし、次の敵を逆袈裟に葬る。後ろから襲い来る鋭い爪を、首を捻ってすんでで躱すと、その無防備な脇腹に刺突を繰り出した。
「来いっ!近づく者は撫で斬りにしてやる!」怒鳴り声を上げて威圧する燐子に、魔物たちはついに動きを止めた。
今のうちに馬を安全なところへ、そう思っていた燐子の頭上で、赤い光が灯る。
「燐子!ドラゴンが!」
「なにっ!?」
そうだ、忘れていた。
振り返り見上げた先には、煌々たる輝きを口に含み、自分を滅ぼさんとする破壊の権化が翼を広げてこちらを見下ろしていた。
その凄まじい威圧感と存在感。こうして対峙するだけで心拍数は異常なまでに上がり、肌がひりつく。
死をまき散らす者、その体現者として君臨する黒いドラゴン。陽光を遮ってできた巨大な影が、燐子や魔物の上にかかった。
体が動かなかった。いや、動けなかったと言うべきかもしれない。
死と見つめ合う時間が続いた。数秒にも感じられたし、何時間にも感じられた。
太刀がカタカタと鳴っている。刀そのものが身震いしているように見えたが、震えているのは燐子の指先だ。
恐れているのではない。むしろ、使命感で体が熱くなるような興奮を覚えていた。
完璧な生命体。紫陽花にそう言わしめた存在は確かに今、自分の目の前で凄まじい力と共に屹立している。
――これを野に放っては、また強者の一方的な都合で、多くの命が理不尽に奪われる。
燐子にとって、そのことのほうが重要だった。
崩れ落ちる小さな体、娘を庇い絶命した母、血の海に沈んだ二つの都市。
それらを思い出した瞬間、燐子は駆け出していた。馬のいる場所とは真逆の方向だったが、彼女がそれを意識して行ったかは定かではない。
ドラゴンの吐く灼炎が、燐子の足跡をなぞるように消していく。味方もろとも薙ぎ倒すそれに、魔物たちは慌てふためく間もなく飲み込まれていった。
頭の奥のほうで、ミルフィの声が聞こえた。何か叫んでいるが、それがどういう内容なのかは分からない。
巻き上げられる粉塵と灰が太陽の光を遮った。彼女らがいる場所だけが、薄闇に閉ざされたみたいだった。だが、それも一瞬のことで、視界が悪くなるのを嫌ったドラゴンの羽ばたきで、元の景色が広がる。
(未だ、奴は滞空している。届くかどうかは分からないが、この際、魔物を踏み台にしてでも斬りかかってみせる)燐子はそのまま素早く駆けた。
魔物の間を縫うようにして近づいて来る燐子に狙いを定め、ドラゴンは爆ぜる火球を何発も放った。
火球が地面に着弾した衝撃で、辺り一帯が揺れる。
その衝撃に肝が冷える一方で、燐子には見えていた。
生と死の狭間でのみ見ることのできる、狂気的で絶佳な煌めきが。
ある種、不謹慎とも思われる凄まじい昂揚感に頬を緩めながら、後、十数メートルという近さまで肉薄する。
(あと少し…、あと少しで…!)
そうして的を絞らせないよう小刻みに動いていた燐子だったが、少し前の方で火球が爆発したことで、後ろに大きく吹き飛ばされてしまった。
「ぐっ!」
受け身を取って衝撃を和らげるも、炭の塊にされた魔物の死骸に足を取られて、派手に転倒してしまう。
(まずい、急いで体勢を立て直さなくては)
火あぶりはごめんだ、と弾かれるようにして立ち上がった燐子だったが、ドラゴンがこちらから視線を逸らし、体の向きを変えようとしていたことに驚かされる。そして、すぐに身を焦がすような激情に駆られた。
――この程度で、私を倒せると思われたとは。
ところが、まだ勝負はついていないぞ、と叫び出しそうになった矢先、ドラゴンの向こう側に連合軍の旗が掲げられているのが目に入り、燐子はすうっと、我に返る。
どうやら、ドラゴンの注意が自分に逸れている間に、一部の勇敢な兵士が挟撃を図ったようだ。位置的にライキンスがいる辺りだろう。的確かつ効率的で良い判断だ。
やがて、燐子の背後から気迫のこもった叫びと共に連合軍の兵士が突撃を開始した。その先頭に立っていたのはアストレアだ。
彼女はすれ違い様に、「無理をするな」と声をかけると、恐れることなく魔物の一団に飛び込んで行った。
言い返す暇もなく、アストレアの後ろ姿を見送った燐子だったが、直後、背中に鉄の塊を叩きつけられたような衝撃を受けて、前のめりに倒れかける。
「あー、もうっ!だ・か・ら!勝手に突撃しないでよ、挟み撃ちするって言ってるよって、声かけたじゃないッ!」
声の主は怒り心頭といった様子のミルフィだった。
「…そ、そんなこと言われた覚えはないが」
背中に受けた衝撃が、まさかただの鉄拳制裁だとは信じられず、言葉に詰まりながら燐子が応える。だが、その返答もただミルフィの怒りの炎に油を注いだだけだった。
「言ったわよ、アンタが飛び出して行った後に!何度もッ!」
「す、すまん…」
「もう、後で拳骨だからね!」
「なにっ、拳骨だと?じょ、冗談ではない!こんなものを頭に受けたら死ぬではないか!」
必死になってそう訴えると、ギロリ、と鋭い目つきで睨まれた。
今にも怒鳴り声を上げそうなミルフィだったが、彼女は一つため息を吐いて冷静さを取り戻すと、「アンタの説教は後」と告げてから、鉄の長弓を構えて矢を番え、思いっきり引き絞った。
「これで…っ!」
キリキリとなる音が悲鳴みたいだった。やがて、限界を迎えた弦は多大なエネルギーをもって跳ね返り、鉄でできた太い矢をドラゴンの翼目掛けて解き放った。
「沈みなさいッ!」
目にも止まらぬ閃光となって、空を駆けた一撃は、何の躊躇いもなくドラゴンの右翼に穴を空けた。
刹那、耳をつんざくような絶叫がドラゴンの口から上がった。ぐらりと空中でバランスを崩すドラゴンの姿に、「やったか?」と燐子が独り言のように呟くと、ミルフィが目を細めてそれを否定した。
「いや、まだよ」
くるり、と掌の上で二射目の鉄矢を回した彼女は、鮮やかな動作で矢を番えると、「もう一発!」と一息にそれを引き絞り撃ち出した。
二射目も寸分の違いなくドラゴンの左翼を貫く。直後に鳴り響いた地響きは、王が地上に墜落したことを示していた。
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