懐かしい顔ぶれ
これより二章が始まります。
のんびりと進んでおりますが、広い心で待ってやってくださいね。
鏡右衛門が謀反を起こしてから、一月あまりが経った。
秋の風は少しずつ冷たさを帯びて、夜と朝の間には白い吐息が漏れる季節になった。グラドバラン城の天守閣から見える、かつて紫陽花と通った森は、段々と賑わいを失っていた。
後一ヶ月もすれば年の瀬だ。四季が巡り、この世界を旅して一年が経とうとしていると考えると、不思議と胸に響くものがあった。
燃え上がる城から舞台を変え、辿り着いたこの地で、随分と色々なことがあったものだ。
そんなことを考えながら、腕組した燐子は川沿いを歩いていた。グラドバラン本領の城下町が滅茶苦茶になっても、水の流れには何の影響もない。
人間など、大きな自然の流れの中ではほんの一瞬の存在に過ぎないのだろう。それが認められない者は、大きな何かになろうとする。歴史に名を残し、自らの存在を悠久の標に残そうとするかのように。
だが…。
燐子はぴたりと足を止めた。
視線の先には、アストレアが招集した王国の人間たちがそれぞれの作業に勤しんでいた。彼女自身はまだ帰っていないらしい。おそらく、かき集められるだけは全てかき集めるつもりなのだろう。
まあ、鏡右衛門とライキンス、その二人を討てば平和が訪れるのだから、戦力を惜しまず投入するのも当然のことだ。
そこまで考えて、燐子は目を細めた。鋭くなった眼光は遠くに広がる薄い雲に向けられていたが、心は違うところを見つめていた。
――平和、か。
もしも、平和な世界が訪れたとしたら、そこに自分の居場所はあるのだろうか。
剣と戦しか知らずに育ってきた私の居場所が、そのような場所に…。
不意に、物思いに耽っていた燐子の耳に懐かしい声が聞こえた。
「その黒髪、燐子か?」
声のしたほうを振り返ると、以前に見たときよりも肌が浅黒くなった彼女の姿があった。彼女は、こちらと目が合うと無表情を少しだけ崩して、口元を緩めた。
「やっぱり、燐子。お前だったか」
「スミス、久しぶりだな」
そこに立っていたのは、アズールで鍛冶屋を営んでいた女、スミスであった。最後に会ったのは、もう半年以上も前だ。あの頃より、いくらか髪が伸びて女性らしくなっている。
見た目にあまり気を遣っていないのだろう、作業着が破れて、お腹のあたりが露出している。健康的な小麦色の肌に自然と視線が吸い寄せられる。
スミスは燐子の視線にも気づかず、無表情のまま口を開いた。
「まさか、こんな形で再会するとはな」
「ああ、もう半年前になるか。変わらぬようで何よりだ」
ちらり、とスミスの視線が燐子の太刀に落ちた。彼女が何を言いたいのか察し、燐子は顔を歪める。
「すまん。スミスが打ってくれた太刀は壊してしまった」
「役に立ったか?」相変わらず、一定の調子で返してくる。「なに?」
「役に立ったかと聞いたんだ。あの太刀は、私が初めて打った『太刀』だからな。感想が聞きたい」
そうだった、彼女もまた一つの道を究めんとする人間の一人だった。そして、そのための努力を惜しまず、十分な才覚も持っている。
燐子はどこか嬉しい気持ちで答えた。
「ああ、随分と世話になった。あの太刀のおかげで死線を潜り抜けられたのも、一度や二度ではない」
時間があれば、また打ってくれ、と言葉尻に付け加えた燐子の言葉に、珍しくスミスが破顔した。あどけない表情に妙にドギマギする。
「そのために、私は来ている」
「なに?」
「あ、いや…というと、少し語弊があるな」
スミスの視線は、少し離れた野営地に向けられていた。着実に施設が整えられており、鍛冶場もあるのか白い煙がいくつか立ち昇っている。
「なるほど、戦道具をこしらえるために来たのだな」
「戦争は、武器を試すには絶好の場所だからな」
「おい、不謹慎だぞ。お前の言うことは確かだが、相手には気をつけたほうがいい。私のように、戦いの中で生きる人間ばかりではないのだからな」
辟易とした口調で告げながら、脳裏に浮かんだのはミルフィの姿だ。彼女が今の言葉を聞いたら、間違いなく苦い顔をすると思ったのだ。
すると、スミスはわずかに目を丸くして燐子の顔を見つめた。じっと、彼女の内心を探るような視線だった。
「ふぅん、意外だな。燐子がそんなことを言うなんて」
「…まぁ、そう思われても仕方あるまいな」
言われてみれば、確かにその通りだった。
特にスミスと出会った頃は、日の本の剣士としての思想に染まりきっており、戦争をすることの意味や、そこから生まれる犠牲について深く考えたことがない自分だった。
「変わったのだ、私も。文化の違う場所で一年も暮せば、そうなるのが道理であろう」
郷に入りては郷に従え――まぁ、意味もなく従うつもりはないが――ということになる。
それを耳にして、スミスは再び黙り込んだ。そして、またこちらを観察するような眼差しをしてみせると、ぽつり、と燐子に問いかける。
「それは、誰の影響だろうな?」
ほんの少しだけ、彼女の口元が綻んだ気がした。
「…何が言いたい」
「いや、別に」
「言いたいことがあるのならば申せ」
「別にないと言った。ところで…」とスミスはそこで言葉を区切り、周囲を見回した。「燐子の相棒はどこにいる?一緒ではないのか?」
ぴくり、と燐子の眉が跳ねた。
スミスに対して、ミルフィが相棒だと言ってみせたことはない。おおかた、野営地にいる人間にでも聞いたのだろうが、やはり、彼女の先程の発言がからかいを含んでいたことが明らかになった。
何か文句の一つでも言ってやろうかと考えるも、それではますます相手の思うつぼのような気がして、あくまで紳士的に、落ち着いた表情を装い応じる。
「ミルフィなら、妹のところにいる」
「妹?」とさすがのスミスもこれには驚愕の表情をした。「待て、どういう意味だ?ミルフィには妹なんて――」
「後は本人に聞け」
燐子は、仕返しのつもりで、足早にその場を去った。それ以上、何の言及もしてこないスミスが、少しだけ面白くなかった。
さらに川沿いを進む。風は冷たく、川幅は広くなった。カランツの村を思い出す水鏡から離れ、野営地へと向かった。
ここ一月、時折こうして野営地を散策していたが、日に日に増えていく人の姿に燐子は戦争の臭いを少しずつ感じ始めていた。
広い高原にいくつもの天幕が所狭しと設置されている。少し前にライキンスの配下である魔物たちと戦った場所だ。
秋霜花が揺れている。故郷で見た雪景色にも似ていたし、自分が抜き放つ白刃にも似ていた。
燐子の足は自然と煙が上がっている建物のほうへと向かっていた。剣士としての性だろう、と自分でもなんとなく想像がつく。
鉄を規則正しく叩く音が聞こえる。音に誘われるように足を向けると、中では何人かの男たちが赤く熱せられた鉄を槌で打っていた。
「だ、誰だ」一人の男が驚いたふうに問う。「失礼した。ここは鍛冶場か?」
「そ、そうだが…」
素早い切り返しに、男はたじろいで答えた。しかし、彼は燐子の顔をまじまじと見つめたかと思うと、やがて大きく目を見開いて言った。
「き、君はあのときの…」
「ん?」
燐子は彼の顔に見覚えがない気がして小首を傾げた。しかし、視線が彼の欠損した両足を捉えた瞬間、記憶が蘇った。
「あぁ、お前、シュレトールにいた鍛冶屋か」
たしか、朱夏に両足を奪われた男だ。足の仇がすぐ近くにいると知れば、どんな顔をするだろうか。
記憶の中の彼は絶望の雨に塗りつぶされたような顔をしていたはずだが、今、自分の目の前にいる男の顔には、そうした色は見られなかった。
「あのときは世話になったな」
「何のことだ。私は世話をした覚えはないぞ」
それを聞いた彼は、一瞬だけ呆気に取られたような顔をしたが、すぐに苦笑いになって、「じゃあ、別に気にするな」と言った。
燐子はすぐに彼から興味を失って、鍛冶場を歩き回り始めた。一言、二言しか話したことのない相手に時間を費やすほど、燐子は変わり者ではなかった。
いくつかの炉を見て回っているうちに、燐子はまた懐かしい顔に出会った。
正直、途中から彼がいないだろうかと探していたのだが、お目当ての顔と出くわしても、燐子は懐かしむ気持ちをおくびも出さなかった。
加えて、彼自身も燐子と目が合った後も、視線を戻して鉄を叩く手を止めずにいた。その隣にゆっくりと並び立ってようやく、燐子は口を開いた。
「騎士団の剣を打っているのか?」
「さあな」と彼は答えた。「さあ、だと?どういうことだ」
男はこつり、と持っていたハンマーを傍らに置くと、芝居がかった様子で肩を竦め、口元を歪めて皮肉な笑みを浮かべた。
「だってそうだろ?今までは騎士団のための剣を作っていたが、今じゃ、騎士団も帝国もごちゃ混ぜになった連中のために作ってんだ。もう、何がなんだかな…」
「ふん、不服か?フォージ」
フォージ――シュレトールの一件で世話になった鍛冶師だ。煙草を燻らす姿は、熟年の職人の姿そのものである。
「不服ってこたぁねえさ。鍛冶屋は何も考えずに打つだけだからな」
「職人らしい言葉だな」
「ただ、偉そうに呼び出しかけやがるのは気に入らねえ。無視してやろうかと思ったが、プリムベールの有りさまを聞いちまったら、さすがにその気も失せた」
そのまま、「しょうがねえから、協力してやろうと思ったのさ」と相変わらず皮肉な笑みのまま告げたフォージと、少しばかり鉄竜炉の調子について語り合った。
鉄竜炉は、あの日と変わらず鮮やかな火柱を上げているらしい。その話を聞いて、ミルフィと共に見たシュレトールの光景を思い出すと同時に、やはり、命を張って鉄竜炉のコアを取り戻したのは正解だったな、と誇らしくなる。
やがて彼は、一瞬の沈黙を作ったかと思うと、おもむろに燐子が腰に佩いている太刀を横目で見据えた。
「どうだ、そいつの調子は」
鈍く光るフォージの瞳に、これが本題だったのだな、と内心一人ごちた燐子は、慣れた手付きでゆっくりと太刀を抜き放った。
高い、独特の鞘滑りの音が鍛冶場に響き渡る。鉄を打つ音で騒がしかった鍛冶場が、水を打ったように静まり返った。
美しく蠢く刃紋を見せつけるように、刃を横に寝かせて構える。職人の嗅覚がそうさせたのか、他の作業場で鉄を打っていた者たちも寄ってきた。
各々が太刀を見つめて独り言を言っている。刀を初めて見る者には、フォージがその説明をしていた。
正気の沙汰ではない、と呟いているわりに、彼らの目は知的好奇心に満ちていた。呆れるほど、純粋な興味だ。
一通り講評会が終わったのを確認してから、燐子はため息混じりで言った。
「見ての通り、問題はない。あれから多くの敵を断ち切ってきたが、お前が言ったように刃こぼれ一つないままだ」
「そうか…」
「なんだ?不服か?」
燐子としては、てっきり誇らしげにされると思っていたから意外な反応だった。
「いや、そういうわけじゃないさ。ただ…」とそこでフォージは言葉を区切った。「どうしたら、もっと良い刀が打てるかなぁと思ってな」
「ほぅ、もっと良い刀、か。やはりお前は職人だな」
「まあな。それに、今は良い武器――もとい、刀を作る絶好の機会だろ?」
「…はぁ、お前らは揃いも揃って…」
「お前ら?」
きょとん、と目を丸くしたフォージにスミスの姿を重ねようとするも、彼女の機械みたいな無表情があまりに彼とは似ていなくて、もう一度ため息が出てしまった。
「何でもない。これが、私を変人扱いする者たちの気持ちなのかと思っただけだ」
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