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竜星の流れ人  作者: null
終部 一章 連合軍、結成
158/187

半分を分かち合う姉妹

お読み頂いている方、いつもありがとうございます。


土日は2日間連続してアップしますので、

よろしくお願いします。


それでは、お楽しみください。

 雨の中、ミルフィは再び天地家の屋敷を訪れていた。屋根を叩く雨音のために、軒先からこぼれ落ちる雨粒の音も、鹿威しの音もまるで聞こえない。


 時刻は夕暮れ時のはずだが、あまりに分厚い雨雲のせいで黄昏の輝きは地上には届かない。もちろん、それを気にかける余裕のないミルフィにとっては、どうでもいいことだった。


 朱夏のいる部屋を探して建物を歩き回っていると、この家の家政婦である絹代と出会った。彼女はミルフィと目が合うと、とても驚いた顔で目を見開いた。


 絹代には太ももの傷を手当してもらった恩がある。そういえば、しっかりとお礼を言っていなかったな、とミルフィは立ち止まり、深く会釈をした。


「あの、先程は怪我の手当をして頂いて、ありがとうございました」

「え?あ、はい…」


 上の空といった様子で返事をする絹代を怪訝に思ったミルフィは、小首を傾げながら、相手のよりハッキリとした反応を待った。やがて、絹代はハッと我に返ったふうに瞬きを繰り返し言う。


「すみません。その…貴方が、とても…」


 そこで言葉を区切った彼女は、言いづらそうに顔を逸らした。そのうち、何でもないです、と言い出しかねないと思い、続きを促す。


「とても、なんですか?」

「いえ…」


 その様子を見て、ようやくミルフィはピンときた。同時に、胸にぐっとせり上がってくる想いを感じながら、どうにかそれを宥め、苦笑してみせる。


「もしかして、なんか、お母さんに似てましたか?」

「…ごめんなさい」

「謝らないでください。別に、変なことじゃないですし」


 肩を竦めてそう言ったミルフィには、元の気丈さが戻りつつあるように見えた。

 そこには少なからず空元気も含まれていたが、幸いなことに、強い喪失感に抗うだけの精神力と拠り所を彼女は持ち得ているようだ。


 それから、ミルフィは絹代に朱夏の部屋がどこかを尋ねた。彼女は初めのうちは困惑した様子で朱夏の部屋の場所をミルフィに伝えたのだが、ややあって、ミルフィが半分だけ血の繋がった妹を慰めに行くのだと気づき、深々と頭を下げた。


「今の貴方にお願いするのは酷だと、存じ上げた上で申し上げます。――お嬢様をよろしくお願いします。人が変わったように暗くなってしまって…」

「…はい、言えるだけのことは言うつもりです。ですけど、そこから先は、朱夏次第ですから」


 自分で振り返ると、やや冷淡な物言いかとも思ったが、絹代はそれでも構わないと答えて、台所の奥へと消えていった。


 きっと、彼女は今日も料理を作るのだろう。


 主を失ったこの家を死なせないために、あるいは、残った幼き新たな主を生き続けさせるために。


(生きるためのご飯、か。たしか、初めて燐子に会った頃、そんなことを説教したわね…)


 耳元で過去が囁きかけてくる声を聞きながら、教えられた朱夏の部屋の前まで移動したミルフィは、ノックも声掛けもせずに扉を開けた。


 中には、中央が不自然に盛り上がった布団が置かれていた。他には、大太刀を置いておくためのスタンドや、タンス、ドレッサー、金魚鉢なんかも置いてあった。


 金魚鉢の中には、紫の尾ひれが綺麗な金魚が一匹だけ入れられていた。上手く呼吸ができないのか、水面から顔を出し、口をパクパクとさせている。少しだけ、それが酷く見えた。


 扉を閉めたミルフィは、すぐに布団のそばに膝をついた。すると、意外なことに布団に包まった朱夏のほうから話しかけてきた。


「出てって」


 明確な拒絶の言葉に、一瞬だけ面食らうも、そういうわけにもいかないだろう、と膝の上に置いた両手に力を込める。


 そうして、ミルフィが第一声を考えていなかったことを後悔しているうちに、朱夏が布団から跳ね起きた。


「もうっ!出てってって言ってるじゃんッ!」


 瞬間、彼女の瞳が丸く見開かれた。おそらく、シルヴィアか、絹代が来ていると思っていたのだろう。


 朱夏は相手がミルフィだと気づくや否や、途端に憎悪に満ちた顔つきに変わった。シルヴィアに聞いていた話とは全く違うな、となんとなくミルフィは考えていた。


 こういう状態には、上がり下がりがあるとも聞く。私自身の存在が刺激になって、虚ろから引き戻したのかもしれない。だが、そうだとすれば好都合だ。


「赤髪のお姉ちゃん…ッ!」

「いい加減に名前を覚えなさいよ、私はミルフィ。ミ・ル・フィ」


 だが、朱夏はミルフィの話など聞いていなかったふうに、自分の話を続ける。


「よくも平気な顔で私の前に出てきたね、どういう神経してんのかなぁ?」

「は?どういうことよ」


 直後、ドン、とくぐもった大きな音が鳴った。ミルフィの反応が起きに召さなかった朱夏が、思い切り床を叩いた音だ。


 あまりの衝撃に、家が揺れた。揺れたのは錯覚かもしれないが、天井から埃や木屑が落ちてきたことからも、あながち間違いではなさそうだ。


「だって、ママはお前を庇って死んだんだよっ!?パパだって、お前のせいでママを殺すようなことになった!」

「ちょっと、落ち着きなさいって、朱夏」

「うるさいっ!私に命令すんな!気安く名前を呼ぶなっ!」


 朱夏は衝動的に近くの大太刀に手を伸ばしていた。幸い、それにいち早く気付くことができたミルフィは、相手が白刃を閃かせる前に太刀を持つ手を掴み、制止することができた。


(ちょ、なんて力なの…!?)


 凄まじい力に驚きながらも、なんとか抑え込む。自然と朱夏を寝床に押し倒す形になっていた。


 燐子には度々馬鹿力と揶揄される女らしさの欠片もない自分の腕力が、実は少しだけコンプレックスだったミルフィだが、今回ばかりはこれがあって良かったとつくづく思った。


「も、もうぅ!どいてよ!どいってってばぁ!」


 自分の体の下でジタバタと身動きをする朱夏に、これはゆっくりと説明している暇はなさそうだ、とミルフィは急いで言葉を紡いだ。


「朱夏!よく聞いて!」

「やだぁ!きーかーなーい!」

「ああもう!いいから聞くのよ。どうして貴方のママが、私を庇ったのかを教えてあげるから」


 ぴたり、と朱夏の動きが止まる。


「…ママが、庇った理由?」


 真下から自分を見上げてくる朱夏の年相応のあどけない顔つきに、不覚にも少しだけ胸がキュンとした。庇護欲をかき立てられたのか、はたまたそれ以外か、定かではない。


 こくり、と頷いたミルフィは、とうとう後に引けないタイミングが来てしまった、と喉をこっそり鳴らした。しかし、そんなことのために沈黙を保つメリットもなかったので、ミルフィはありのままを語ることにした。


「覚悟して聞いてね、朱夏」抑え込むために使っていた両手を、体勢を戻した朱夏の両肩に乗せる。「貴方のママは、私のママでもあるのよ」


「私のママが…お姉ちゃんのママ?」ぽかん、と呆気に取られたような顔で朱夏はミルフィを見つめた。しかし、ややあって、苛立ちを隠さない表情になったかと思うと、「はぁ?なに頭のおかしいこと言ってんのさ」と言った。


 朱夏にとって、突拍子もないことを口にしているとは分かっている。だが、これは逃れようもない事実なのだ。


 ふと、鏡右衛門の言っていた言葉が脳裏に蘇った。


(…運命、ね。ふん、仮にこれがそうだとしても…、私はそんな言葉を訳知り顔で言う人間のことなんて大嫌いだわ)


 ミルフィは心のうちで渦巻いていた怒りを表に出さないようコントロールしながら、不審感を募らせていた朱夏に諭すよう告げる。


「最後まで聞きなさい。繰り返すけど、貴方のママ――エレノアは、私の母親でもあるのよ」

「そんなわけないじゃん!馬鹿にしないで!お姉ちゃんは、王国の人間でしょ!」


「あの人の故郷のこと、聞いたことない?」

「は?えっと…んぅ、ない…けど」

「んー…じゃあ、二人の馴れ初めは?」

「…知らないよ、そんなの。聞いたことないし、そもそも興味ないしぃ」


 駄目だ、思ったよりも話のきっかけになる部分がない。


 どうすれば、朱夏にこの事実を信じてもらえるのだろう、と頭を悩ませていると、不意に、襖の向こうから絹代の声が聞こえた。


「あの、お嬢様、晩御飯を取られませんか?朝から何も召し上がられていませんし…」


 それは、ミルフィにとっても良い提案だった。人間、胃が満たされれば心も落ち着くものだからだ。


 だが、朱夏は素早く布団に潜り込むと、「いらないっ!」と怒鳴り声を上げた。「ママのご飯以外、絶対に何も食べないからっ!」


 駄々をこねている、と言ってしまえばそれまでかもしれないが、無理もないことだった。朱夏はまだ、幼い少女だ。このような喪失体験とは無縁の人生だったのかもしれない。


 それが、今日という一日で一度に二人も大事な人間を失ったのだ。


 ふと気付くと、ミルフィは両手が真っ赤になるほどの力で拳を握りしめていた。


(そうよ…、あの男、自分の妻を手にかけた挙げ句、その娘を一人ぼっちにするなんて…、一体、どういう神経してんのよ)


 許せない、という感情が強く燃えた。それが、正義感か、それともすでに朱夏のことを自分の姉妹と捉えているのか、はたまた、一方的な理不尽を嫌悪する自分の気質のためかは分からなかった。ただ、それが分かることが重要だとも思っていない。


 血圧が上がったためか、太ももの傷が疼いた。じんじんと鈍い痛みを鼓動のように発する傷を手で軽くさすりながら、冷静になるよう自分に言い聞かせる。


 そのとき、すっと、襖が少しだけ開いた。わずかな隙間の向こうから、絹代の青い目がこちらを覗いている。


 ミルフィは呼ばれるようにして朱夏の部屋を出ていった。その際、後ろから朱夏に、「もう来んな!大嘘つき!」と言われたことは、彼女の心に小さな疲労感もたらした。


 無言のまま、絹代と共に台所へと移動する。鍋の中の煮立ったスープの匂いに食欲が刺激される。嗅ぎ慣れない匂いだが、おそらく、魚を一緒に煮込んでいるのだろう。


「…やっぱり、話も聞いてくれませんでしたか」絹代が鍋の中をお玉でかき回しながら言った。

「はい、むしろ、私がお母さんを死なせたんだって、怒られちゃいました」


「まあ、そんなことはありませんよ」絹代はどこか怒ったふうに、表情を険しくする。「奥様は、とても優しく、勇敢な方でしたから…。あのときも、旦那様は私と奥様に部屋の奥へと引っ込んでいるよう命じていたのですが、貴方の声と名前を聞いて飛び出していってしまったのです」


 そうですか、とミルフィは俯いた。


 やっぱり、死なせたのは自分ではあるわけだ。もちろん、それで自分を責めるような気にならない。悪いのは何もかもあの男なのだ。ただ…、それでも胸の澱みは消えない。


 口を閉ざしたミルフィの態度を受けて、自分の発言が適切ではなかったと感じたらしい絹代は、すぐにフォローの言葉を発した。


「あ…、すみません、気が利かなくて」


 これ以上、変に気を遣われたくはなかったため、適当な相槌を打ったのだが、彼女は料理の手を止めて、自身の失言を悔いるように頭を下げた。


「そんなことより、鍋を火にかけたまんまなんですから、そっちに集中してないと危ないですよ」


 話の流れを変えるため、苦笑混じりでミルフィは言った。


 絹代はそれに対してもすぐに謝り、急いで鍋のほうへと向き直った。だが、数秒もすると感慨に耽るようなため息を吐き、しみじみと言葉を口にした。


「同じことを、よく奥様にも言われていました。なんだか、貴方に言われると…、もう、奥様が戻らないことを思い出してしまって…」


 次第に嗚咽混じりになってきた絹代の声に、ミルフィはぎょっとして相手に近づく。


「ちょ、ちょっと…大丈夫ですか」

「ええ、ごめんなさい…、泣きたいのは、貴方たちのはずなのにね…」


 どうしてか、その憐れむような発言がやたらと癪に障った。


 この女に、自分の何が分かるのだろう。自分と母の関係がどういうものだったかなんて、どうして想像できるのだろう。


 ミルフィは、絹代の肩に置きかけた手を止め、眉間に皺を寄せて口を開いた。


「あの、何か勘違いされているようですけど…、私、お母さんのことそんなに好きじゃありませんから」

「え、ど、どうして?貴方だって泣いていたじゃない」

「そりゃあ、かなりショックだったし、悲しくはありますけど…。実は私、母に捨てられてるんです。幼かった弟や、徴兵の控えた父と一緒に」

「そんな、奥様がそのようなことをするわけがありません!」


 この言葉には、いよいよミルフィもムッとした。自分の不幸な(あまり、ミルフィ自身はこの表現を好まないが)幼少時代を軽んじられたようで、許せなかったのだ。


「するわけないって言ったって、私が台所に立った十年あまりの時間は紛れもない事実なのよ」

「だとしても、きっと事情があるはずです」

「綺麗事ね、ありがたくって反吐が出るわ」


 後で振り返れば、言い過ぎだと自分でも分かったのだが、そのときは、今まで送ってきた人生を守るために、そう言うほかなかったのだ。


 絹代が鍋の中に放るようにしてお玉を手放した、ちょうどそのとき、廊下の奥から見慣れた顔が現れた。


「それくらいにしておけ」戸の向こうから顔を覗かせたのは、実に興味がない、と言いたげな顔をした燐子だった。


 彼女のこの無機質な、見様によっては冷ややかに感じられる顔立ちは、いわゆる生まれつきのものであって、他意はない。だが、頭が沸騰しかけていたミルフィにとっては、あまり愉快なものではなかった。


 じろり、と燐子を睨む。すると彼女は、困ったように片目を閉じてこう言った。


「それだけの気迫があれば、太ももの傷も早々に癒えるだろうな」


 皮肉だとすぐに分かり、思わず、ミルフィも口を開く。


「うっさい、スケベ燐子」


 鳩が豆鉄砲でも食らったような燐子の表情に、少しだけミルフィの溜飲も降りるのだった。

後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。


拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。


さらにご意見・ご感想、ブックマークや評価をして頂けている方、

いっそうの感謝を申し上げます!


今後とも、よろしくお願い致します!


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