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竜星の流れ人  作者: null
終部 一章 連合軍、結成
156/187

心の根

プロローグは短かったので、連日続きを上げさせて頂きます。


次の更新は明後日になります。

 絹代たちに断りを入れて、ミルフィと共に外へ出る。シルヴィアはこちらの話を聞いても、一歩たりとも動こうとはしなかった。怪我をした朱夏のそばから離れるなど、論外だと言わんばかりに。


 雨は勢いを増し、とてもではないが傘なしではまともに出歩けそうにもなかった。しょうがないので、天地家の軒先に置いてあった番傘を拝借し、ミルフィと肩を寄せ合い砦へと向かう。


 無言の行進をしていると、ちょうど、グラドバラン城に向かう道と交差した辺りで、砦にいた面々と出くわした。あちこちに散乱した遺体を避けながら、先頭を歩いているのはジルバーだった。


「燐子か!?」


 銀の鎧をガシャガシャと鳴らしながら、彼が駆け寄ってきた。その後ろにはガラムや帝国兵が続き、さらに向こうには騎士団と王女らの姿があった。


 体の半分くらいを篠突く雨にさらしていた燐子は、すっとミルフィに傘を預けると、自分からもジルバーに近づく。


「戻ってきていたのか、ジルバー」

「ああ、国境付近をぐるりとしてきた帰り道に、あいつらがライキンスの手下と戦っているとこに出くわしてね」

「それは幸運だったな。奴らを殲滅できたか?」


 ジルバーは肩を竦めて首を振ると、「いいや、奴ら、旗色が悪いとなると蜘蛛の子散らすみたいに逃げ出しやがった」と皮肉めいた様子で答えた。


 残念そうな様子だったが、それは不幸中の幸いだったといえよう。もしもライキンスの手勢が執拗に攻撃を繰り返していたならば、この篠突く雨の中、犠牲はさらに増えていたはずだ。


「燐子、風邪引いちゃうわ」後ろから追いついてきたミルフィが、そっと燐子を傘の中に入れた。「ん、すまん」


 一人用の傘だから当然だが、二人一緒に濡れまいとすれば、必然的にぴたりとくっつく必要があった。背中に感じられるミルフィの柔らかな感触と温もりに、つい胸が高鳴る。


「ん?君は…」とミルフィの顔を覗き込みながらジルバーが首を傾げる。「確か、カランツで王女と一緒にいた子じゃなかったかい?」

「ええ…。その節はどうも」


 ミルフィは忌々しそうに低い声でぼやいた。かすかな敵意が感じられる。


 それにしても、ジルバーと彼女の距離が近い。怒り心頭になったミルフィに殴られてはジルバーが可愛そうなので、すっと二人の眼差しの間に立ちはだかるように場所を移す。


「おや、もしかして嫉妬か?燐子にも人間らしい感情があるもんだねぇ」

「違う。…全く、口の軽い男め。兵士を率いて辺りの警戒でもして来い」


 燐子はミルフィを引きずるようにして列の後ろのほうへと向かおうとした。すると、ジルバーが早口でその背中に問いかける。


「ちょっと待て、シルヴィアはどうした?ついでに、朱夏も」


 こちらが一番に報告しなかった時点で二人が無事だと思ったのだろうが、気を失ったままの朱夏と、白い肌に呪いのような青痣をつけられたシルヴィアを見たら、きっと彼は平気ではいられまい。


 燐子は足を止めずに応じた。


「天地家の屋敷だ。早く寄ってやれ」

「ふむ…。大将のところか。…ん?そういえば、こんなときに大将はどこにいるんだ?」

「すまんが、シルヴィアに聞いてくれ。私は責任を負えん」


「責任?」と不思議そうに目を丸くしたジルバーだったが、燐子が自分に目もくれず去っていくのを見て諦めたらしく、率いていた兵卒にそれぞれ指示を出し始めていた。


「いいの?」とミルフィ。「何がだ」

「あの人に、何も知らせなくて」

「構わんだろう。どうせ、嫌でもすぐに知ることになるさ」


 そうして二人が一団の流れとは逆流するように進んでいると、血相を変えた桜狼が横をすり抜けていった。


「桜狼!」


 声をかけるも、彼はまるで聞こえていない様子で、一目散に遠くへと走り去っていく。


「一体、どうしたというのだ…」

「こんな状況だし、家族とか、恋人とか、大事な人の無事を確認しに行ったんじゃない?」

「ふむ…」


 だとすれば、自分には関係ない。そう考えた燐子は、遠くからでも自分たちをすでに見つけているセレーネやアストレアのほうへと向かった。


「燐子さん、ミルフィ…!」パタパタと走り寄ってきたセレーネの顔には、はっきりと疲弊の色が表れていた。「良かった。無事でしたか」


 ホッとしたような表情になった彼女は、酷く痛々しい様子に見える。彼女自身軽傷を負っているようだったし、王国騎士団も酷い有様だった。

 半数近くが負傷しており、担架で運ばれている者も少なくはない。この様子では、砦に置いてきた者も少なからず存在するのではないだろうか。


「ああ、私とミルフィは無事だ」痛む肩口を悟られないよう、背筋を伸ばす。「見てのとおり、ね」


 軽い皮肉のつもりか、ミルフィが乾いた笑い声を上げたものの、声にあまりにも抑揚がなかったため、セレーネは怪訝そうに眉をひそめていた。


 すぐに話題を変えてやろうと気を遣った燐子は、太刀の柄に手を乗せ、普段よりもいっそう深刻な声音で、「しかし、事態は最悪と言っても過言ではない」と前置きし、鏡右衛門に関しての説明を始めた。


 王国と協力してライキンスという凶悪な毒虫を叩き潰そうとしていた鏡右衛門が、本当はただ自分本位な理由で戦線に混ざっていたということを伝えると、あっという間にひとだかりができてしまった。


『どういうことなんだ、帝国は味方じゃなかったのか』

『王国も帝国も、壊滅状態じゃないか』

『流れ人なんかを信用するから…』

『この後、どうなるんだ…』


 一団が上げた不平不満はそれぞれだったが、共通して言えることは、誰もが混乱の水底にいたということだろう。


 セレーネもアストレアも、青い顔をして視線を斜めに下げ、静止していた。


 国を救うための拠り所が失われたばかりか、ライキンス側の戦力ばかりが充実していくとなっては、こうもなろう。


 たとえ、それ相応の教育を受けて育ってきたとはいえ、二人は国を背負って戦うことなど今まで一度もなかったのだ。


 前女王の影で生きてきた若き女王も、暗く、孤独な道を選び続けてきた王女も、今回ばかりは経験したことのない状況である。責任感や精神力など、たいした助けにはならない。


 誰もがこの混沌とした空気に圧倒されていた。ミルフィも、周囲の異様な熱気に当てられたのか、不安そうに燐子の腕に触れていた。


 そんな中、ただ一人だけ、例外となる人物がいた。


 幼い頃から国を背負って自ら前線で戦い、国と共に生涯を閉じようとしていた者が。


「それで、どうするのですか」


 燐子が一言放つと、周囲は水を打ったかのように静まりかえる。特段大きな声を出したわけではないのに、不思議なものだった。


「ど、どうすると言われましても…」一拍遅れて、セレーネが反応する。「なんですか、まさか、何も考えていないと?」

「そういうわけでは…ただ、私も混乱していて…」

「なにを混乱することがありますか。こうなった以上、早々に準備をせねばなりますまい」


 要領を得ないセレーネの発言に対し、燐子はやや苛立たしげに言葉を重ねる。すると、見かねた様子で横からアストレアが口を挟んできた。


「おい、セレーネは疲れているんだ。そうやって急に話を詰め込むのはやめろ」じろり、と燐子がアストレアを睨む。「この状況で疲れを感じていない人間などどこにいる。甘やかすのもいい加減にしろ」


「ぼ、僕は甘やかしてなんて…」

「どう見ても甘やかしている。私情を持ち込むのはやめるのだな」


 この言葉には、アストレアもムッとした様子で眼尻を吊り上げた。何かと言い合う二人だが、剣以外のところで通ずるものは持たないのでは、と燐子は勝手に考えていた。


 互いに鋭い視線を交差させたところで、ようやく平静に戻りつつあったセレーネが真っ直ぐ顔を上げた。


「準備、とは何のことか教えなさい、燐子」


 ピリリとする物言いに、燐子はぎょっとした。セレーネの瞳の奥がごうごうと燃えているのを見てやっと、彼女がプライドを刺激されて怒っているのだと燐子は気がついた。


(騎士団の前ではさすがに不味かったか。これだから私は人の気持ち云々と揶揄されるのだ…)


 さて、どこから話そうか。燐子がそう考えていると、少し離れた場所から小さくも凛とした声が上がった。


「あの…、みなさま、風邪を引いてしまいますので、せめて屋根のあるところで…」


 声のほうを向けば、そこにいたのはルルだった。軽鎧を着けている姿が不似合いな少女は、一同を見渡した後、一瞬だけ燐子を見てすぐに顔を逸らした。


 その横顔に明確な憎悪を感じた燐子は、胸が詰まる思いを誤魔化すように首を傾けたのだが、それで自分たちだけが傘を差していることにようやく気づく。

 一同は鉛色の空を眺めた。その後、吸い寄せられるように燐子たちの頭の上の番傘を見やると、複雑な表情を浮かべた。中にはため息を吐いている者や、苦笑いを浮かべている者もいる。


 どうせ、王族が濡れているのに…、と思われているのだろう。これぐらいは自分でも分かった。とはいえ、これだけの人数が雨風を凌げる場所となれば、かなり限られてくる。


(この人数が入る場所といえば、あそこしかあるまい)


 体を反転させた燐子の視線は、雨で炎が鎮火され、白い煙を上げているグラドバラン城の方へと向けられていた。






 グラドバラン城の大広間は、濡れた衣類や髪の臭いでいっぱいになった。密集した人の気配に閉口したくなるが、戸を開ければ多少はマシになる。


 外は変わらず篠突く雨が降り続けている。土の濡れた匂いで、少しだけ心が鎮まる。広がる水たまりを穿つような雨。大きな雨音は喧騒を飲み込み、異質な静寂をもたらした。


 人が集まるまで、まだ時間がある。今、帝国兵が桜狼やガラムたちを呼びに行っている。帝国王族、スラム街の人々、実の娘…。一番に心配になるものは、人それぞれのようだ。


 目を閉じ、暗がりに飛び込む。目蓋の裏側に宿る闇は、脳髄を撫でて、左手の甲に集約する。


 ――何かが足りない。


 燐子の頭には、そればかりが浮かんでいた。


(紫陽花や鏡右衛門と戦ってみて分かった。今のままの腕では、奴らには勝てない。百回斬り合えば一回は斬れるだろう。しかし、残りの九十九回は斬られる)


 カチリ、と親指で太刀を押し上げて、鯉口を切る。ほとんど無意識で行った行為だった。


 すっと、その燐子の掌を誰かの冷たい手が抑えた。ビックリするような冷たさだった。


「物騒ですね、燐子」


 声をかけてきたのはセレーネだった。慌てて周囲を見やってから、何をそんなに慌てる必要があるだろうかと我ながらおかしくなる。やましいところはないのだ、堂々としていよう。


「すみません。少し考え事をしていました」


 セレーネはそれを聞くと、完成された微笑を浮かべてから急に真顔になり、耳を澄まして雨音を聞くみたいに目を閉じた。


「あの…」と声をかけても微動だにしないセレーネに、うむ、と燐子は顎を撫でる。


 どうやら、先程の怒りが消えていないらしい。わざとらしい微笑がその証拠だ。ここは言葉を選ばなければ、余計な痛手を負うことになるかもしれない。


 しかし、とは言っても、自分には上手に相手をなだめたり、おだてたりする話術は一切ない。何が言いたいかというと、どれだけ悩んでも時間の無駄だったということだ。


 結局、セレーネのほうから、無言のままで立ち尽くしていた燐子に声をかける。


「…私は、燐子も、私も、間違っていたとは考えていません」

「…何の話ですか?」


「それは…」と、一旦そこで言葉を区切ったセレーネは、誰にも気取られないよう辺りを見回した。そして、すぐに燐子へと視線を戻すと、「プリムベールでの一件です」と声を小さくして言った。


 プリムベールの一件…、と聞いて、燐子はすぐに事情を飲み込んだ。同時に苦い顔をして、小石を穿たんとする雨の線へと顔を向ける。


 セレーネが言いたいのは、間違いなくララの件だ。自分の身を挺して燐子を守ったララ。彼女の死を悼むことなく、戦場へと急いだ燐子を鬼となじった出来事のことである。


 あまり聞いていて心地の良い話ではなかった。だからこそ燐子も顔を歪めたし、セレーネのほうも言いにくそうにしていたのだろう。だが、それでも話しておかねば、と女王は考えたようだ。


「別に、私自身間違っていたとは思っていません」


 ため息混じりに告げられた言葉に、女王は少しだけ表情を険しくした。それを横目で見ながら、結局は反省してほしいのではないか、と燐子は鼻白む。


 ミルフィにあれだけ言われたのに、まるで考えが変わらない石頭と思われるのは癪だ。誤解されてはたまらない、と燐子は言葉を続ける。


「ただ、せめて言葉の選び方があったと、今は思っています。ララを大事に思う者たちの気持ちを一寸ばかりも考えていなかったのは…、さすがに冷淡過ぎました」


 あのときは、頭の中が使命感や怒りでいっぱいだった。一刻も早くライキンスを止めて、犠牲になる民の数を減らさなければと、そればかり考えていたのだ。


 セレーネは、珍しく人間らしいことを言う燐子に対し、驚きの目線を投げかけていた。ただし、それも束の間。すぐに毅然とした面持ちに戻ると、「成長しましたね、燐子」と呟いた。


「成長?」

「ええ、そうです。人の気持ちを慮った結果、そういう考えに至ったのでしょう?」


「それはそうかもしれませんが…」と燐子は体をセレーネに向けた。「成長と聞くと、妙な感じがします。私にとって成長は、鍛錬の結果、磨き上げられる武術のことでしたから…」


「それはそれは、燐子さんらしいですね」どうやら、機嫌も直りつつあるようだ。「ですが、成長とは何も上達のことばかりではありませんよ」


 そう言うと、セレーネは片目を閉じて指を一本立てた。この動作に何の意味があるかは分からないが、どこかあどけない様子に庇護欲が高まる。


(アストレアもこれにやられるのかもしれん)などと考えながら、燐子は先を促すように口をつぐんだ。


「簡単なことですよ。人は、木と同じなのです。

 幹を太くすることや枝葉を生い茂らせることのような、一見して分かる成長よりも、地に張り巡らせた根をより先へと伸ばすことのほうが、その者にとって重要な進歩となるのです」


「…はぁ」


 今の話のどこに関連性があったのか不思議に思ってセレーネを見返していると、彼女はどこか不服そうに唇を尖らせてから、「分かりませんか?」と尋ねてきた。


 何も考えずに返事をするのはよくない。これも、こちらの世界に来て学んだことだ。


 しばし、頭の中で考えを巡らせる。それから、なんとなく思い当たったことを口にする。


「肉体や技術ばかりを磨くのではなく、『根』を――心を研ぎ澄ませということですか」

「んー…、燐子さんが口にすると、どうしても武芸の話に聞こえますが…、まぁ、そういうことです」

「それはまぁ、口にするのは容易いことですが…」


 心技体を鍛えるというのは、言うほど単純な話ではない。特に『心』については。


 技や体は、鍛錬を繰り返すうちに自然と身に付くものだ。もちろん、飲み込みの速さや、肉体的成長については生まれ持ったものに大きく左右されるが、『心』のことよりかは幾分か単調である。


 技量については、日の元にいた頃よりも確実に成長している自信があるが、『心』については別だ。むしろ、太刀を抜いても迷いが消えないことが圧倒的に増えた。


(昔は、太刀を構え、敵を斬り伏せることだけ考えていればそれでよかったのだ。今のように、信念を脅かされることもなかった)


 ふと、燐子の頭に嫌な考えがよぎった。


 ――私は、『心』という面では弱くなったのではないか?


 朱夏が言っていた。今の私は弱いと。


(迷いは、どんな名刀もなまくらに変えてしまう。私という一振りの刀も、なまくらになってしまったのではあるまいな…?)


 守るべきものが変わった。考え方も変わった。それどころか、生き方もいくらか変わった。


 何が正しかったのか…、こうして迷い続けた果てに、鏡右衛門の選んだ道があるのだとしたら…。


 薄ら寒い感覚に、ぎゅっと拳を握っていると、人波の中からアストレアが現れた。彼女は立ち並んだ燐子とセレーネのことを面白くなさそうに見やると、一度咳払いをしてから言った。


「帝国特師団や王族も含めて、全員集まったようだ。さっさとお前の言っていた『準備』とやらの話を始めろ」


 あぁ、これが嫉妬か、と燐子はぼんやり思った。少しだけ、アストレアの感情ならば理解しやすい気がした。

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