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竜星の流れ人  作者: null
四部 五章 私の星
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鏡の中の自分

 燐子とミルフィは、並んで鏡右衛門の左側に座った。正座に慣れている燐子は鏡右衛門にならって正座だったが、ミルフィはすぐに断念して両足を崩していた。


「ねぇ、燐子」

「なんだ」

「私、本当にここにいてもいいのかなぁ」


 ミルフィが、申し訳なさそうな表情で告げるのには理由があった。一つは、いつまで経っても鏡右衛門が口を開かないため。そしてもう一つは、先程、鏡右衛門がミルフィに席を外すようお願いしていたためだ。


 流れ人同士の私的な話であるため、席を外してほしい。そう告げられ、困惑していたミルフィを見た燐子が、「ミルフィは私の相棒です。私の話は、こいつの話も同然なのです」と言ったことで、彼女は同席が許可されていた。


「気にするな。鏡右衛門殿もそれなら構わんと仰られただろう。それより、少し静かにして待っていろ」

「…はぁい」


 この厳かな雰囲気の前には、さすがのミルフィも強気で反発できないのか、唇を尖らせ肩を落とし、目を閉じていた。


 そうして再び静寂が戻る。すると、それを待っていたかのようにようやく鏡右衛門が口を開いた。


「燐子、お前に話しておかなければならないことがある」


 とうとう本題に入った、と燐子も足を正し、彼に向き直って相槌を打つ。


「はい。どのようなお話でしょう」

「うむ」つるりと、鏡右衛門が顎を撫でた。「私が、いや、私たち侍が、何に殺されたのかという話だ」


「侍が…」想像以上に重たい話題が出たことにも驚き、燐子は目と口を見開いて鏡右衛門の顔を見つめた。


「ねぇ、サムライって、燐子がたまに言うやつだよね…?」ミルフィが、下から上目遣いで見上げるように尋ねる。「…そうだ。私の父がそうだった。そして、鏡右衛門殿も」


 信じられないものでも見るように、ミルフィが鏡右衛門の横顔を見つめた。そんな視線もまるで気にせず、彼は続ける。


「私はお前が察しているように、燐子が生きていた日本よりも後の時代の人間だ。つまり、お前が知りようもなかった未来を、私は知っているということになる」

「覚えております。ですが、鏡右衛門殿はそれについて知らぬほうがいいと話されました」


「いかにも。しかし、お前の戦い、思想に触れて気が変わった」

「…と、言いますと?」


 燐子が訝しがるように眉間に皺を寄せると、鏡右衛門は膝を動かして体の向きを変え、腕組みしながら燐子を真剣な眼差しで見つめた。


「燐子、お前は『侍』だ。時代や周囲の人間が、あるいは、お前自身がなんと言おうと、その気高い生き様は紛うことなき侍のものだ」


 はっ、と息を呑んだまま、呆気に取られて押し黙る。言葉が出ないとはこういうことなのだと、改めて知る。


 どんなに足掻き、嘆き、悔しさに苛まれようとなれなかった存在に、思わぬところで、思わぬ人物から認められてしまった。


 そんなに簡単なことではない、と燐子は半ば憤りかけた。しかし、鏡右衛門の顔があまりにも真剣だったため、最後まで話を聞かずにはいられなくなる。


「侍とは、目先の利益や保身、義にあらざるものとは真逆の道を行く存在。お前が罪なき囚人たちを解放したときに、私は確信した」

「お言葉は嬉しいのですが…私は、侍にはなれませぬ。このまま精進を続ければ、心はその領域に辿り着けるかも知れません。ですが、それはあくまで慰めの一つにすぎません」


「なぜだ」鏡右衛門が顔つきを険しくして問う。「清水の如き気高い魂を持っていても、注ぎ込む器が、初めから欠けていれば、清水はこぼれ落ちるばかり。…私には、初めからその資格がないのです」


 少しだけ顔を俯かせ、燐子はいつになく諦観に満ちた声で呟いた。


 それを聞いて、ミルフィがそっと燐子の肩に手を置いた。彼女にはほとんど話の流れは分からないはずだが、それでも、こちらの気持ちの変化は察してくれているようだった。


 だが、鏡右衛門の反応は違った。彼の切れ長の瞳に同情はなく、むしろ、何かに苛立ちギラギラとしていた。


「器が変われば、中身も変わるというのか?」

「少なくとも、周囲からの見え方は変わるでしょう」

「ふん。器にばかり気を取られ、中身の美しさを見ようともせん者の言うことなど、放っておけ」

「…そう言われましても」


『女では侍にはなれない』。それは、燐子の人生に影のように付きまとった戒めだった。


 成人してしばらくするまで、その呪いに苦しめられた。幼少時代などは、道場でどれだけの結果を出しても、影で疎ましがられるだけだった。


 そんな中、戦場だけが唯一、私に対して平等だった。


 弱ければ斬られ、強ければ斬り続けられる。

 男も女もなかった。私を女として特別扱いするものは、敵であれば両断したし、味方であれば戦果で黙らせた。


 積み重ねた骸の数と、磨き上げた剣術。

 それらだけが、侍にはなれない自分の拠り所だった。


 そう。簡単ではないのだ。たとえ誰がなんと言おうと、私はこの呪縛から簡単には逃れられない。


 魂が自由になり、世界の端々にまで己の意思で歩ける体を手に入れても、それだけは変わらなかった。いつも、目蓋の裏に張り付き、私を見ていた。


「やはり、私は侍にはなれぬ宿命に生まれついた女。鏡右衛門殿の言葉一つで、私の人生が変わることはありません」


「…そうか。いや、それでいい。お前はまだそれでいいのだろうな」誰かに問いかけるような呟きを漏らし、鏡右衛門は立ち上がる。「話を戻そう」


 彼は太刀を持ち大股で庭に出ると、背中を向けたままで停止した。


 爛々と輝いていた太陽を分厚い雲が隠し、彼の背中に影を落とす。


「私たち侍は――」妙な合間があった。言葉を言い切るための勇気を探しているようだった。「日本という国に殺されたのだ」


「国に?」とっさに膝を立てて、燐子は問う。「どういう意味ですか?幕府に討たれたということですか?」


「そうだ。幕府によって集められた私たちが、あろうことか、幕府によって見捨てられ、滅ぼされた。それだけではない。侍とは名ばかりの者たちも、寄って集って私たちを討たんとしたのだ」


 鏡右衛門の声色がはっきりと変わった。底知れない恨みや、研ぎ澄まされた刃の如き憤りが彼の中で渦を巻いているのが分かる。


 …それにしても、と燐子は眉をひそめて考える。


(幕府によって討たれた、だと?掌返しを受けたということか。一体、鏡右衛門殿はどういった身分のものだったのだ…?)


 燐子は彼の背中越しに、当時の姿を見抜こうとした。だが、当たり前ではあるが、すっと伸びた背筋以外、何も見えない。


 不意に、燐子の視線を感じ取ったのか、鏡右衛門が体ごと振り向いた。その眼差しには、今までの石のような無感情さは見受けられず、むしろ、烈火の如き激情が揺れていた。


「我々は時代に殺された。そしてそれは、未来のお前を殺すものでもあった」

「未来の…私を」

「そうだ。お前には侍として十分すぎる素質がある。だからこそ、私と同じ時代に生きていれば、確実に時代に葬られただろう」


 彼の話はあまりにも抽象的すぎて、燐子には理解できなかった。しかし、鏡右衛門が『侍』として生き抜く道を選んだ結果、お上に始末されたことは間違いなさそうである。


 だとすれば、なんと酷いことをするのだろうか。御恩奉公、忠義を尽くして主のために剣を振るおうとしていたはずなのに、まさか、お上のほうから裏切るとは。


「それは、測り知れぬ痛みだったことでしょう…」


 その呟きには答えぬまま、鏡右衛門は燐子を真っ直ぐ見据えた。どこか決然とした表情に、燐子は無意識で喉を鳴らした。


「こちらの世界にやってきた私は、何度も頭の中で反芻していた。あの日、最後まで義を重んじ、死ぬと分かっていながら刀を取った自分は間違っていたのかと」


 そのようなことはない。喉の奥まで出かかった言葉は、続く鏡右衛門の言葉に飲み込まれて消える。


 そう、さしずめ、小さな波紋が、巨大な波にかき消されるように。


「『侍』という在り方を、義や誉れを捨てていれば、私は使命を成し、大願を果たせていたのだろうか。『魂』を重んじる者と、『野望』を叶えることを重んじる者、どちらが強いのかと」

「なん…ですと?」

「私も男だ。天下統一、夢見たことがないと言えば嘘になる」


 天下統一、という言葉が妙に遠くに感じられる。すっかり異世界に染まりつつある自分に気づかぬまま、燐子は鏡右衛門が放つ異様な空気に警戒させられた。


「だが、侍のいない異世界において、それを知る術などなかった。――いや、なかったはずだった。燐子、お前が来るまでは」


 鏡右衛門が目を閉じたとき、燐子は全てを悟った。彼が続ける言葉が予測できた彼女は、素早く庭に駆け出し、太刀の柄に手を掛けた。ミルフィから距離を取らねば、という考えが先行した結果である。


「燐子!?」ミルフィが立ち上がりながら、驚いたように叫ぶ。「そこにいろ!絶対に来るな!」


 ぞわりとする感触と同時に、鏡右衛門が太刀を抜く。鞘滑りの音が静寂を引き裂き、刃は触れた陽光を斬り裂かんとするかの如く銀色に輝いていた。


 相手が八双に構えたのに呼応して、燐子も抜刀する。そのまま、流れるように霞に構えると、加速する鼓動に急かされるように言った。


「どういうつもりですか!?ご説明頂きたい!」


「…私は知りたいのだ、燐子。『侍』であることが私を名もなき剣士として、野良犬同然に死なせたのか。それならば、大義など捨て、手段も選ばず野望のためだけに事を進めていれば、自分が天下統一を果たせる器だったのかを」


「それを、私で試すおつもりか!?」

「そうだ。忠義の侍として相応しい資格を持つお前を、薄汚い、義もくそもない野望だらけの男が打ち破る。そして、この異世界を統一することができれば、それはかつての私への手向けともなる」


 あまりに一方的な物言いだった。だが、それがどれだけ彼にとって重要なのかが分かってしまう、鬼気迫り方だった。


 しかしながら、到底認められるものではない。燐子は当然、声を大きくして反論した。


「もしやそのために、このようなことを起こしたのですか!?紫陽花の蛮行も、貴方の指示だと?」

「いかにも」平然と言ってのける鏡右衛門に、怒りと剣先を向ける。「そのような勝手、まかり通るわけがございません!そもそも、貴方が鍛え上げた国を焼いてしまえば、天下統一などできるわけがないッ!」


「他人の支配する国など、もう無用。それに、もっと便利な力もある」じりっ、と鏡右衛門が動き出す。「言っただろう、燐子。私は手段を選ぶつもりはないのだ」


 その言葉に燐子はハッとした。やがて、血が出るほど歯を食いしばると、「ライキンスか…ッ!」と呪詛の如く呟いた。

 


本日、20時にエピローグをアップ致します。


よろしければ、そちらもお願いします!

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