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竜星の流れ人  作者: null
四部 五章 私の星
152/187

月明となって

明日の更新で最後になります。


ご興味のある方は、明日もよろしくお願いします。

 燐子と紫陽花の間に降り立った人影は朱夏だった。彼女は美しいアイオライトを光らせると、紫陽花の顔を一瞥した後、燐子のほうを向いて尋ねた。


「ねぇ、燐子ちゃん。このアバズレ、斬っていいんだよね?」

「朱夏、お前…」

「いいんだよね」


 最後の問いかけは、ほとんど確認としての意味を成していなかった。おそらく、自分がここで首を横に振っても、朱夏は自分のしたいようにするだろう。


 …己の心のままに。ある種、彼女も自分自身の中に神を宿しているのかもしれない。


「ああ」こくり、と頷く。「へへ、やったぁ」


 あどけなく笑うと、朱夏は突如として紫陽花に斬りかかった。彼女も予測していたのか、素早く上体を逸らすと、獄門刀を片手に距離を取った。


「…朱夏、貴方は本当に…お転婆がすぎるわ」

「うるさいよ、アバズレ」朱夏はそう口汚く罵ると、燃える城を見上げた。「ねぇ、パパは?一緒だったんだよね」


「ええ。でも、ここにはいないわ」

「どこにいるの」

「さぁ、お屋敷じゃないかしら?」

「ママのところ?」


 その後も朱夏は質問を重ねたが、紫陽花はそれ以上、もう何も答えなかった。ただ薄笑いを浮かべ続けるだけだ。


 鏡右衛門は無事ということだろうか、それとも、紫陽花が適当なことを言っているのか…。


 朱夏は、珍しくしばし無言だったかと思うと、おもむろに口を開き、燐子に天地家の屋敷へと向かうよう告げた。


「何を言っている。行くのならお前が――」

「ヤダよ。私はこのアバズレを殺る」


 そう言うと、朱夏は大太刀を肩に担ぎ直した。陽光を浴びて輝く刃は、美しくも荘厳な銀色をしていた。


「この女だけは、誰にもやんない」


 ――しかし…、朱夏はグラドバラン城で、紫陽花にあっという間に組み伏せられていたのではなかったか。


 もちろん、相手が同じだからといって、全ての勝負が同じ決着に行きつくとは思わないが、紫陽花の異様な強さを己の身で思い知った以上、決して高い勝算があるとは思えない。


 だが、鏡右衛門の無事が気になるのも確かだ。紫陽花は彼を敬愛していると言っていたが、収容所で彼にぶつけていた言葉からも、思うところがないわけではなさそうだった。


 もしかすると、鏡右衛門の身にも危険が及んでいるのかもしれない。エレノア共々、屋敷に囚われている可能性もある。


 どうするべきか、と燐子が逡巡していると、いつの間に来ていたのか、斜め後ろからシルヴィアが声をかけてきた。その後方には目を白黒させたミルフィもいて、こちらに近づいてきている。


「私も援護はしますから、燐子さんは朱夏の屋敷に行ってください」

「…やれるのか?仮にも同じ部隊だったのだぞ」

「ええ。ですが、私には関係ありません。それに…」シルヴィアは声を小さくして、独り言のように続けた。「前々から、彼女のことは気に入らなかった」


 冷静なときは能面のような顔をしているシルヴィアだが、今は明らかに私情のためか不快感情を面に出している。


 シルヴィアは気を取り直すふうに小さく頭を左右に振ると、理知的な瞳で続けた。無論、短刀にはしっかりと手をかけてあった。


「…できるだけ生け捕りにしたいですが、紫陽花さんの実力は折り紙付きです。殺すつもりでやって、どうにかなるかどうか…」


 ならば、やはり自分が残って紫陽花の相手をしたほうが良くはないか。そう問いかけると、彼女は改めてそれを否定し、「朱夏はもう、梃子でも動かなくなったから」と燐子に伝えた。


 それでこちらに合わせろというのか。些か、朱夏に甘いというか、なんというか…。


 ミルフィに合図を出して、そばへ来させる。聞きたいことが沢山ある、という表情をしていたが、我慢してくれたのか、険しい様子で隣に立った。


 当の朱夏については、まるでこちらの状況など目にも入らないようで、剥き出しになった白い肩を揺らして、邪悪に笑っていた。


「いひひ。ま、お前、顔とスタイルだけはいいからさぁ。四肢を斬り落として、たっぷり時間をかけて嬲ってあげるよぉ。それで、最後にそのアメジストを頂くね!」


「ふふ、いつも朱夏はねだってばかり。どれだけの女性を抱いても貴方の心ががらんどうなのは、一体どうしてなのかしらね?興味深いわぁ」


「はぁ?がらんどう…私が?」


「そう。貴方は大きくなるにつれて、心を空洞にしていったもの。今だってそう、貴方、本当はその空洞を埋めるために、ただ私に殺してほしくて――いいえ、かまってほしくて牙を剥けているのではないかしら?」


「こ、この…っ!うるさい、すぐにでも命乞いさせてやる!アバズレ!」


 狂気的な朱夏の発言を聞いて、ミルフィが眉をひそめる。「朱夏…!?」


 ここで説明を求められては、貴重な時間がもったいない。ミルフィの言葉は聞こえなかったふりをして、燐子は太刀を納めた。


「致し方あるまい。私がミルフィと共に様子を見てこよう」


 朱夏に言ったつもりだったが、もう彼女は目の前の獲物に夢中なようで、ぴくりとも反応を示さなかった。代わりにシルヴィアが、「お任せします」と言った。


 天地家に向かうには、来た道を少しだけ引き返す必要がある。軽くミルフィの手を引き、自分の後をついてくるように伝える。


 体を反転させる前に、もう一度だけ紫陽花のほうを見た。彼女もこちらを見ており、何が楽しいのか、微笑を浮かべていた。


 ――楽しんでいらっしゃい。


 歪んだ紫水晶の奥が、そう言っているような気がしたが、燐子とミルフィは言葉なく体を反転させたのだった。





 天地家への道中、燐子はミルフィに朱夏のことを説明した。


 あどけない少女が、己の快楽のために人を刻み、嬲り、そして最後は、自分の命を奪ってもらうために燐子と斬り結んだということを。


「信じられない…、朱夏が、シュレトールの事件の犯人だったなんて…」

「残念ながら事実だ。私もアイツを斬ったし、アイツも私を斬った」


 馬の手綱を離し、天地家の門のそばに繋ぐ。そんな燐子の背中を見つめながら、ミルフィが苦痛を想像させる声を出した。


「どうして言ってくれなかったの?あのとき、どうして誤魔化したの、なんて聞かないでなんて言ったのよ」

「ミルフィ、今はそれどころでは――」

「答えて。お願い」


 振り向いた彼女の瞳は、じんわりと濡れていた。大事なことを教えられていなかった疎外感に苦しんでいるのだろうか。


「もう、私を不安にさせないでよ…」

「ミルフィ…」


 このまま何も答えず、無視するのは簡単だった。それこそ、プリムベールのときのように背を向ければいいのだから。


 だが、それを繰り返していては、いつかミルフィは本当に自分から離れていくような気がした。その直感を一度信じてしまえば、燐子はもう本当のところを言わずにはいられなくなっていた。


 大きく息を吸い、ミルフィのそばに近寄る。彼女の真正面に立ってから、頬に触れる。


 一瞬だけ驚くように目を大きく見開いた彼女だったが、すっと目線を逸らして赤面した後、またこちらを真っ直ぐ見返してきた。


「子ども好きなお前に、子どもを殺した女だとは思われたくなかった。軽蔑されたくなかったのだ」


 心情を吐露した燐子を、ミルフィはじっと見つめていた。柘榴石の瞳が美しく濡れている。


「燐子が…理由もなくそういうことをするなんて、思わないわよ」

「かもな」浅く、低く笑う。「だが結局のところ、人の心の機微に疎い私では、それすら想像できなかった」


 そうだ、結局…、私にはまともな人の血は流れていない。


 私にあるのは、剣鬼と揶揄される、異様なまでの剣への執着。そして、侍の娘であること、日の本の剣士としてあるための使命感…、この二つのみだ。


 不意に、ミルフィの頬に当てた手に、じんわりと熱を帯びたミルフィの手が重ねられた。


 ゆるりと絡んでくる指先の感触に心を奪われていると、頬を紅潮させながらも、険しい顔つきのままだったミルフィが口を開いた。


「…もう少し、私を信じて。もう、あんなふうに突き放したりしないから。――どんな燐子だって、受け止めてみせるから」

「ミルフィ…」


 胸に湧き上がる筆舌尽くしがたい想いを天に放つように、燐子は頭上を見上げる。空で爛々と光の輪を成している太陽すらも、今は無粋に思えた。


 ――違う。それだけしかなかった自分、それはここに来る前の自分だ。今は違う。確信をもって言い切れる。彼女の前なら。


 何が正しいのかは、私には分からない。


 子どもを斬ること、救うこと。間違いだと思っていたことが二転三転してきた私の道には、もはや先を照らすものは何もないと思っていた。


 ――それでも…。


 ぐっと、燐子は目の前の彼女を抱き締めた。ミルフィが妙に高い声で悲鳴を上げていたが、気にせず両腕に力を込める。


「お前は、私にとっての月明かりのような存在なのかもしれない…」

「り、燐子?」


(何も見えない闇の中でも、自分自身が光を発せなくても…。ミルフィが、大事な人が月明となってくれるのならば…)


 そうして、わずかな時間、二人は体を寄せ合っていた。互いの心音が一つに重なった頃には、宙ぶらりんだったミルフィの両手も、燐子の背中に回されていた。


「すまん」名残惜しくも、ゆっくりミルフィから体を離す。「それと…、ありがとう」

「ふふ、こちらこそ、いつもありがとう。燐子」


 奥ゆかしい微笑を浮かべてそう告げたミルフィを見ていると、落ち着かなくなって、燐子は首の後ろをかいた。


 こうも素直だと、調子が狂う。これももちろん、ミルフィの魅力的なところだと分かっているが…。


(大事の前に、どうも気を抜きすぎているようだ)


 そう考えた燐子は、思い切り自分の頬を両手で挟み込むようにして叩くと、驚いた顔をしているミルフィに背を向けて、「行くぞ。この先だ」と伝えた。


 門をくぐり、玄関へと続く小道を抜ける。左手には日本式の庭園があり、ミルフィはそれを興味深そうに眺めながら歩いていた。


 勝手に入っていいものか、声を上げるべきかと逡巡するも、もし敵がいたら不都合だと思い直し、無言で屋敷の中へと上がる。


 屋敷の中は、不気味な静寂に満ちていた。厳かというにはあまりに重く、暗い。エレノアが明るく飯を作っていた場所と同じとは、とても思えない。


「気をつけろ。様子がおかしい」姿勢を低くしたままで、燐子が言う。「ねぇ、本当に誰かいるの?静かすぎると思うんだけど…」

「だからおかしいと言っているのだ。いいから、黙ってついて来い」


 すっかり無愛想さが戻ってしまった燐子の脇腹を、ムッとした表情のミルフィが強くつねる。


「いっ!?」なんとか大声を出すのはこらえたが、脇腹の鈍い痛みは消えそうにない。「おい…、何をやっている、何を」

「ふん、自業自得よ。偉そうにしちゃって」


 廊下にしゃがみ込んだままで、ミルフィを睨み返すが、彼女はそっぽを向いたまま、こちらを見ようともしない。


(…全く、先程の奥ゆかしさは、やはり幻か何かのようだな)


 ミシッ、という家鳴りの音を聞きながら、燐子たちは身を潜めて前進を始めた。


 まるで音はなく、廊下の隅に蹲る闇だけが饒舌だった。


 細心の注意を払いながら、角を曲がる。すると、そこには探していた鏡右衛門の姿があった。


「鏡右衛門殿!ご無事でしたか」


 急いで彼に近寄り、声をかける。しかし、鏡右衛門は依然として口を閉ざしたままだった。


 彼は正座をしたまま太刀を横に置き、瞳を閉じている。燐子やミルフィとは膜一枚隔てた先にいるような、そんな奇妙な感覚。


「燐子」不意に、彼の口が動いた。「少し、話せるか」

「は?いえ、しかし、城が――」

「いいのだ、もう」


 低い、抑揚のない声音に燐子とミルフィは顔を見合わせた。当たり前だが、これで良いわけがないと思ったのだ。


「そう仰られても、ライキンスの手勢のせいで、城下町にまで大きな被害が出ているのです。それに…、言いにくいことですが、紫陽花が離反したようです。逃げ惑う民を片っ端から斬り捨てています」


「なに、紫陽花がそんなことを?」

「はい。今は朱夏とシルヴィアが食い止めていますが、どれだけもつか分かりませぬ。どうか前線に戻られ、指揮を」


 鏡右衛門はしばしの沈黙の後、重々しく呟いた。


「そうか…。紫陽花め、ふざけた真似を…」


 それから、緩慢な動きで両目を開いた。半開きのまま庭を見つめる彼の横顔には、得も言われぬ物々しさが放たれている。


「燐子、そこに座れ」

「ですが…!」

「いいから、早う座れ。話さねばならんことがあるのだ」

みなさん、お疲れさまです。


みなさんのちょっとした楽しみになれればと、執筆しておりますが、


一ミリくらいはそうなれているでしょうか?


何はともあれ、ご覧になって頂きありがとうございました!

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