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竜星の流れ人  作者: null
四部 五章 私の星
151/187

血溜まりに咲く花

いつもご覧になって頂いているみなさん、ありがとうございます。


四部も残すところわずかなので、

土日で更新しきってしまおうと考えています。


昼と夜に2回ずつ更新しますので、

よろしければお付き合いください。

 知らせを聞いて、燐子はすぐに馬を走らせた。筋骨隆々とした馬は、真昼の太陽を頭上に戴きながら、グラドバラン領に駆け戻っていた。


 燐子が塔を出た頃には、すでに魔物たちも動き出し、あの古びた砦に近付きつつあった。


 幸い、風化していても堅牢さを失っていない砦だ。あの程度の手勢であれば、しばらくは持ちこたえられる算段は立つ。それに、ガラムと桜狼も残してきている。アストレアの力と束ねれば、そうそう簡単に陥落はすまい。


「燐子、見て!」後ろに乗っていたミルフィが、行く先を指さす。「建物が…!」

「ああ、見えているさっ!」


 燐子たちが目指すグラドバラン城は、ガラムが言っていた通り、火の手が上がっていた。砦からも見えていたが、距離が縮まれば縮まるほど、そのぶん緊迫感は増す。


「さっきの魔物も飛んでるわ。先回りされてたの?」

「そういうことだろうが…」


 分からぬ、という言葉は飲み込む。


(あの程度の敵相手に攻め込まれ、本丸を落とされたのか?)


 帝国軍の兵卒は別としても、鏡右衛門や紫陽花は異常なまでの戦闘力を有している。それが、こうも容易く敗れるとはにわかに信じがたい。


 そこまで考えてから、はっ、と燐子は息を飲んだ。


 彼らは所用に出向くと言っていた。もしかすると、二人が留守にしている間に襲撃を受けたのかもしれない。


 だとしたら、情報が流されていた可能性もある。間者が忍び込んでいるとすれば、それは大きく戦況に影響を及ぼすだろう。


 こうしてはいられない、と燐子は馬を加速させた。人を二人乗せていても、烈風の如く加速する愛馬を誇らしいと思った。


「えぇー!ちょっと、置いて行かれちゃうよぉ」後ろから、朱夏の高い声が響く。「ねぇねぇ、シルヴィア。もっと速く走れないのぉ?」

「こっちの馬はこれで限界なの。無茶言わないで!」


「ぶぅ、そんなこと言って、また太ったんじゃなぁい?」

「太ってない!っていうか、『また』ってどういうことなの!?」


「いひひ、私知ってるよ?シルヴィア、また大きくなったよね」

「ちょ、きゃっ!やめて、やめなさいッ!危ないでしょう!」


 後方から聞こえる話し声には、若者らしい騒々しさと場を弁えない未熟さがあった。状況が状況でなければ、別に問題はないのだろうが…。


 燐子は手綱を握る力を緩めて、ため息を吐いた。


「なんと緊張感のない連中だ…。自分たちの城が燃えているとは思えん」

「うわぁ、すごい遠慮のなさ。あんなのセクハラだわ…」

「やめておけ、見ていると巻き込まれかねんぞ」

「…巻き込まれたの?」低い声でミルフィが問う。「いや、だが、そうなることは想像に難くない」


 朱夏たちを置いて、燐子とミルフィは先へ先へと向かった。


 丘陵を下り、蹄で草をかき分け、馬の荒い息と共に体を上下させる。水の流れる音も遥か彼方、やがて田園や畑が広がり、人の気配が濃くなる。


 誰も彼もが家に閉じこもっているようだ。恐怖に怯え、ウサギのように穴に引きこもっている。


 戸を叩き、事情を聞き出すよりも先にこの目で見たほうが早い。そう判断した燐子は、遮二無二なってグラドバラン領の城下町へと急いだ。


 やがて、遠くから悲鳴が聞こえ始めた。火中に近づいていることを、嫌でも感じられる。


「遠くはない、いつでも戦える準備をしておけ、相棒!」

「当たり前よ!燐子の背中は任せなさい!」


 頼もしい言葉に胸を熱くしながら、二人を乗せた馬はとうとう城下町の端に辿り着いた。


 巻き上がる砂煙、黒煙、それに混ざって聞こえてくる、人々の悲鳴と怒号、それから絶命の叫び。


 城下町はすでに無数の骸と血とで埋め尽くされていた。プリムベールを彷彿とさせる光景に、ミルフィは顔面蒼白になって息を飲んだ。

 地獄を見慣れている燐子でも、その凄惨たるありさまに目を見開くほどだった。


 胴体から真っ二つにされた人々は、もうどれがどれの手足や頭だか分からないほどに混沌としていた。ミルフィがさっと目を背け、口元を抑えているのを見て、思わず彼女を片腕で抱き締めた。


「大丈夫か、無理をするな」

「あ、ありがと…、私は平気よ」珍しく素直に感謝した彼女は、軽く燐子を押し返すと、横たわる死体の山に目を落とし、「ここから先は歩きましょう。マロンが死体に足を取られたらマズイわ」と気丈に告げた。


 ミルフィの言う通りに、二人は愛馬から降りて、血溜まりの中に足を踏み入れた。これだけの血が人間のものだと思うと、戦場の異常性を感じずにはいられない。同時に、それで血が騒ぐ自分の異質さも。


「この死体の数…、どれだけ魔物が入り込んでいるのよ」


 鉄臭い周囲から自分を守るように、右手で自分の左腕を抱くような姿勢を取ってミルフィが言う。しかし、燐子は死体の一つのそばに屈み込むと、少し経ってから小さく首を振った。


「いや、違うぞ、ミルフィ」

「違うって、何がよ」

「これは――刃物傷だ」

「はぁ?刃物傷って…」すぐそばの死体を一瞥してから、彼女は否定の言葉を放つ。「ありえないでしょ、常識的に考えて。そもそも、昔、シュレトールで燐子が言ったじゃない。人を半分にするなんて、簡単なことじゃないって」


 そうだ。確かに容易なことではない。


 …普通の腕前、普通の得物であれば。


 それはそうなのだが、と口にしかけたところ、近くで悲鳴が聞こえた。また生きている人間の声だった。声は曲がり角の向こうから聞こえた。


「燐子!」

「ああ、急ぐぞ!」


 ズボンや剥き出しの太ももが血で汚れるのも顧みず、二人は声のするほうへと駆け出した。そして、曲がり角を曲がったところで、彼女らは目の当たりにした。


 残酷さをそのまま形にしたような、血みどろの刃と、血みどろの着物、そして、鮮血を浴びてなお美しく歪む微笑を。


 ボン、と奇妙な音を立てて、目の前で男の体が両断される。ミルフィが悲鳴を発している傍らで、燐子はその刃の持ち主を睨みつけ、ゆっくりと唇を動かした。


「…紫陽花、貴様、何をしている」

「あら、思ったより早かったわね。馬でも使ったのかしら」


 真紅の三日月が、虚空を薙いでその身を再び白銀に戻す。そうして飛んできた血飛沫に目をつむることもなく、燐子は苛立たしげに呟く。


「なにをやっている、と聞いているのだ」

「なにって、そうねぇ…」


 気だるげに視線をさまよわせた紫陽花は、的確な言葉を探しているように見えた。しかし、浮かんだ薄笑いでそうではないと気付く。


「ゴミ掃除かしら?」


 優雅な顔つきで平然と言い放った紫陽花。彼女の邪悪さが透けて見えるような笑みだ。


「ゴミ掃除…だと?」


 燐子は激情に染まる自分を、どこか傍観しながら太刀に手をかけた。


 頭の一部が氷のように冷たく落ち着いていられるのは、剣鬼の性か、それとも、何かが麻痺しているのか。


「太刀を抜け、紫陽花」毅然と言い放つ燐子に、紫陽花は相変わらず表情一つ変えないで応じる。「あら?私がどうしてこんなことをしているのか、興味はないの?」


「問答無用。お前を斬ってからゆっくり調べさせてもらう」

「ふふ、そう。お喋りはご所望ではないのね」くるり、と掌で大鎌が回る。「それなら、私にまた抜かせてご覧なさい」


 上等だ、と八双に構えた燐子。そのとき、ようやく燐子は背後に控えるミルフィのことを思い出した。


 また戦いに夢中になってしまっていた自分を浅ましく思ったが、それを表には出さず、ミルフィに警告する。


「ミルフィ、下がっていろ」

「え、あ、駄目、駄目よ!私も手伝うわ!」


 そう言うと、ミルフィは長弓を構えた。慌てて燐子は彼女を制する。


「いいから、下がっていろ。この女は、お前を守りながら戦えるような相手ではないのだ」


 実際、自分でさえどうなるか分からない。


 紫陽花という女は、抜群の力量と、おぞましさを持つ女だ。これだけの所業をしてなお、笑っていられるのは、朱夏とは違う狂気を感じる。


 ミルフィは、何度かの説得の後にようやく少し距離を置いてくれた。明らかに不満そうだが、彼女が巻き込まれてしまうよりはマシだ。


 間合いを測り、息を深く吐く。紫陽花のまるで隙のない佇まいに、電流のような緊張感が絶え間なく背筋に流れていた。


 どこから斬りかかっても、またあの柔術でいなされ、大鎌の餌食になってしまう予感がした。こういうときの予感は大体的中する。


 いくらかの腕の差を埋めるためには…、燐子の頭の中には、一つの答えしか浮かんでいなかった。


(致し方あるまい。あの力を使う)


 自分が負ければ、紫陽花はミルフィの命も奪うだろう。それだけは絶対に避けたい。勝ち方にこだわっている場合ではないのだ。


 左の手の甲に意識を集中させる。それから、大きく息を吸って吐くと、流星痕が赤光を放ち始めた。


「今度は、初めから手段を選ばん」

「ええ、是非そうして頂戴」


 にんまり、と燐子の輝きを見て紫陽花は笑う。後ろでミルフィが何事かを呟いているが、気にせず、そのまま迅雷の如く紫陽花に踊りかかった。


 刹那のうちに懐に飛び込みつつ、逆袈裟斬り。受け止められる。それに構わず、横一閃、返し切り。

 その間隙を縫って迫る鎌の柄を首だけひねって躱し、普段の鍛錬のときと寸分の違いもない唐竹を放つ。


「ふふ、貴方の力は刺激的でいいわぁ」縦一閃を大鎌の柄で防いだ紫陽花が、ぞっとするほど丁寧なアクセントで続ける。「まだ速くなるのかしら?例えば、その子を殺したりしたら?」


 一瞬だけ、紫陽花の視線がミルフィに向いた。その言葉だけで、燐子は激昂し、太刀を殺気で染め上げた。


「やってみろ。今度また私から目を逸らしたら、その瞬間がお前の最後になるぞ」

「まぁ、怖い!」


 強く弾き返され、体勢が崩れかける。だが、すぐにその衝撃を利用してその場で一回転すると、彼女らしからぬ力一辺倒の回転斬りを解き放った。


「どうしたのかしら、頭に血が昇った?」


 振り抜く刃を紫陽花は軽くいなす。しかし、燐子はすでに次の回転に移っていた。


 回転の勢いを利用し、もう一撃、紫陽花に叩き込む。


 こちらには自分を動揺させるほどの腕力はないとたかをくくっていたのだろう、紫陽花は目を丸くし、衝撃を逃がすために後ずさりした。


「あら…!」

「抜け、紫陽花ッ!」


 体勢を崩した紫陽花に、容赦のない斬撃を繰り出す。


 袈裟斬り、逆袈裟、胴薙ぎ、袈裟斬り…。


 そのどれもが受け止められた。しかしながら、紫陽花の動きには明らかな焦りがあった。


 直に、ご自慢の獄門刀を抜かざるを得なくなる、その確信を胸に、燐子は連撃の最後の一振り――大ぶりの逆袈裟斬りを放った。


 振り下ろされる絶命の一太刀に、紫陽花は瞬時に獄門刀を鎌の柄から引き抜いて応じた。


「ふふ、お望み通りになったわね」


 煌めく火花が、二人の間に散った。後ろでミルフィが叫ぶ声が聞こえる。それが知覚できるだけ自分がまだ冷静でもあるということには、驚きを禁じえない。


 鍔迫り合いになった状態で、互いに睨み合った。と言っても、睨んでいるのは燐子だけで、紫陽花のほうはどこまでいっても不気味で妖艶な微笑のままだった。


「何が狙いだ、紫陽花!鏡右衛門殿への忠誠は捨てたか!?」

「ふふ、なぁに?やっぱり知りたいの?それは貴方自身の興味?それとも、侍の性?」

「お前好みの問答はいい!」力を込めて、互いに剣を弾き合う。「さっさと質問に答えろ!」


 そうしてできた隙間を縫うように、二人は刃をぶつけ合うべく乱舞した。


 何度も、何度も剣撃がぶつかる。まるで、宙を舞う蝶が睦まじく交差飛行を続けているかのように。


 再び鍔迫り合いの形に戻ったとき、紫陽花が口を開いた。


「私は、私の神様を探しているのよ、燐子」

「なに…?どういう意味だ」

「私は貴方が羨ましいわ。自分の中に、信じるべき神を宿している。だから、貴方はどんな迷いの中にあっても、自分を見失うことなく、いつだって自分に戻れる」


 燐子は、すぅっと細められる紫陽花の瞳に吸い込まれるような錯覚を覚えた。深いアメジストには、一つの悲しい銀河が広がっていた。


「買いかぶるな、私はそのように強くもなければ、頭の下がるような信仰心も持っていない」

「そう?…そうね、いつかは失われるのかもしれない。でも少なくとも、今の貴方はそれを持っている。だから、囚人だって解放した」


 言葉の区切りで、紫陽花が後退し間合いが遠くなる。そうして燐子が追うか下がるかを逡巡していると、彼女が大きく獄門刀を振りかぶり、左薙ぎの構えを取った。


 その状態で静止した紫陽花を見つめ、燐子も流れるように霞の構えを取る。大技がくると予想がついたからだ。


「紫陽花…私にも分かるように話せ。お前の話は宗教的すぎて、理解ができん」

「――分からなくていいわ」


 急に、紫陽花の口調が冷たく、無機質になった。


「いなくなった神様がどこにいるのか、それを知りたいだけなの。また戻ってくるのか、それとも、死んでしまったのか?死んでしまったなら、私はどうすればいいのかしら…」


 沈んだ紫陽花の瞳に、ぎらぎらした光が戻る。今までとは何かが違った。


「…いっそ、殺してしまったほうがいいのかしら?役に立たない神様なんて」


 燐子は口をつぐみ、一つ、自分以外には聞こえないだろう吐息を吐いた。


 自分の目から見ても、紫陽花の精神状態がまともではないことは分かる。彼女が何かに悩み、迷い、行動を起こしたのは一目瞭然だ。


 ただ…、と燐子は周囲に散らばる無惨な死体を一瞥する。


 そこにどんな理由があろうと、これらは決して看過される行為ではない。このような悪逆非道の所業、沙汰無しというわけにはいかないのだ。


 ゆっくり、視線を紫陽花へと戻す。いつの間にか風も強くなっていて、鉄臭さが渦を巻くように周囲に拡散した。


「知るか、そのようなこと」ぼそり、と唾でも吐くように言う。「お前の話は聞き飽きた、紫陽花。六文銭を握りしめて、お前好みの神の元へと向かうがいい」


 二人の間に緊迫した時が流れる。いつ斬り結んでもおかしくない雰囲気に、ミルフィが不安そうに燐子を見ていた。


 寸秒経ち、両者は前に飛び出した。


 そうして、燐子の首をはねるべく、空を引き裂きながら獄門刀が振り抜かれんとした、そのときだった。


 秋の光を背に、何かが空中をくるくると飛んだ。やがてそれは、紫陽花の獄門刀の切っ先を同じように長い得物で叩き伏せると、凄まじい砂煙を巻き起こした。


「くっ…なんだ!?」


 途端に視界が悪くなり、燐子は困惑した声を発した。一瞬、紫陽花の作戦なのかとも思ったが、今更彼女がこのような姑息な真似をしてくるとは、到底思えない。


 砂塵が薄くなり、視界が開ける。すると、そこには見慣れた顔がご満悦の様子で赤い三日月を描いていた。


「あは、なんか楽しそうなことになってんじゃぁん!」

後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。


拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。


さらにご意見・ご感想、ブックマークや評価をして頂けている方、

いっそうの感謝を申し上げます!


今後とも、よろしくお願い致します!

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