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竜星の流れ人  作者: null
四部 五章 私の星
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約束のある二人

 どれだけ斬っても敵は減らなかったが、燐子はそんなこと、さして気にしてはいなかった。むしろ、羽のように体が軽い今の自分の限界を試すのに、ちょうど良いとすら考えていた。


 撤退する部隊の殿を務める。誇らしいことだ。実力のある戦士にしか、任されることのない大任なのだから。


 そういえば、あの夜も同じような役に就いていた。


 燃える城、迫る火の手。城郭をぐるりと囲む敵兵。天守閣に戻ったときは、すでに自分と父だけになっていた。


 あのときと違うことと言えば、空はまだ明々としていて、敵軍は人ならざるもので、そして、孤軍奮闘というわけではないということだ。


 頭の上を矢が飛んでいく。ミルフィの放ったものだ。どうやら、彼女も少しは回復したらしい。矢は真っ直ぐ滞空していた魔物の腹を突き破った。


「もう大丈夫なのか?」一歩後退しながら、問う。「大丈夫なわけがないでしょ…。でもね、燐子一人の救援でどうこうできる状況じゃないんだし」

「いや、一人ではない」


 周囲の敵が怯んでいるのを確認してから、後方を振り返る。騎士団が構築していた陣形の先頭だ。


 そこには、騎士団の前進を手助けする帝国特師団の姿があった。


 朱夏とシルヴィア、桜狼とガラムがペアを組み、それぞれ両翼に広がっていた。


 朱夏の大太刀は何の抵抗もなく虫魔獣の腸を引き出し、上から襲い来る敵に対してもそのずば抜けたリーチで容易く両断していたし、シルヴィアは、器用に短刀を投げつけて敵を仕留めていた。

 彼女が手を引くと同時に短刀が手元に戻っているのを見るに、頑丈な糸か何かをくくりつけているらしい。


「え!あれって、朱夏なの!?ちょっと、燐子、どういうことなのよ」

「まぁ、待て。話せば長くなる。片付いたら説明するから、今は敵に集中しろ」


 燐子の殺気にあてられてか、止まっていた敵が動き出す。それに合わせて、燐子も前進した。


 すれ違いざまに最初の一匹を撫で斬りにする。後続の鋭い爪を太刀の峰で逸らし、その場で大きく袈裟斬りにする。


 大きく状況が改善したわけではないが、騎士団は絶体絶命の状況は脱したと見ていい。後は、ディプス丘陵に陣を移し、帝国軍の救援を待つのが得策だろう。


「アンタ、浮気してないでしょうねぇ!」

「急に何だ」

「アンタ、シュレトールでも朱夏に迫られて喜んでたじゃない」

「馬鹿を言うな、喜んでなどいない!そもそも、お前に何の権利があってこのようなことで私を責めるというのだ」


 向かってくる敵を軒並み斬り倒した燐子は、鮮やかに後退しながら不服そうに返した。すると、馬上でむすっとした顔をしているミルフィと目が合った。


「…今の言葉、覚えておきなさいよ」


 そうして、ミルフィは馬の手綱を引き、離れつつある騎士団の最後尾へと向かおうとした。それを聞いた燐子は慌ててその背中に声をかけ、彼女を引き留めた。


「ちょ、おい、待て。今のはそういう意味ではない」


 ぴたり、と愛馬の動きが止まる。相変わらず不貞腐れた顔つきのままで、ミルフィが首だけでこちらを向く。


「じゃあ、どういう意味よ」

「そ、それは…」


 答えあぐねていると、これを好機と思ったのか、空中より魔物が襲いかかってきた。振り向きざまに斬り捨てようとしたが、それより先にミルフィが早撃ちで仕留めてしまった。


「で、どういう意味」

「いや、今はそれどころではないだろう。後で教えてやるから、とにかく後退するぞ」


 上手に誤魔化したつもりだったが、駆け寄って見上げたミルフィの顔は依然として納得がいっていないふうだった。


「ふぅん」手綱を離すつもりのない彼女に、燐子もムッとしながら口を開く。「早く後ろにずれろ。私が――…」


 そこでようやく、ミルフィが馬を扱えていることに気づいた。共にいたときから、少しずつ馬術を教えていたのだが、たしか、一人で操るほどの力量は身に付けていなかったはずだ。


「お前、一人で乗れるようになったのか」

「ふふん、そういうこと。ほら、とっとと乗りなさい。みんなに追いつくわよ」

「それなら、ミルフィが馬上で矢を射られるほうが効率的だと思うのだが…」

「は、なに?なんか言った?」

「…いや、そういうことなら、仕方がなかろう」


 言われるがままに後ろに乗る。すぐにミルフィは馬を加速させた。


 戦火も恐れず、馬は秋霜花の波間を泳いだ。後方を振り返ると、おびただしい数の魔物の死骸のそばで、似たような外見の魔物が右往左往していた。


「臆したか」とつまらなさそうに燐子が吐き捨てる。「ええ、そうみたいね。どっかの誰かさんみたい」


「おい、今のは聞き捨てならんぞ。私がそうだとでも言いたいのか」

「そうじゃない、根性無し。自分の気持ちも素直に言えないなんて」


 冷静に考えれば、ミルフィだって天邪鬼なところがあるのだし、こんな言葉に動揺したり、ムキになったりする必要はなかった。だが、『臆病』だとか『根性無し』などと言われては、燐子のプライドが黙ってはいられなかった。


「…言えばいいのか、言えば」

「そうよ。でも、できないんでしょ」挑発的な声音に、「舐めるな」と反射的に答えてしまう。それから、しまった、これは罠だったか、と思い至った。


 ただ、罠に気づいたとしても、背に腹は代えられない。一度口にしたことは覆さない。それが武士の娘としてあるべき姿だ。


 馬が一団に追いつくまで、後三十秒もない。だから、このまま沈黙してやり過ごすこともできるのだが、それでは駄目だと、どうしてか燐子自身思っていた。


 乾いた唇を舌で湿らせ、少し緊張しながらも声を発する。


「つ、つまり、互いの色恋沙汰に口出しできる関係というわけだ…」

「ふふ、どうしてそう遠回しなのよ、馬鹿」


 言葉に反して、上機嫌なミルフィの声。それを聞いて、燐子はほっとしたような、むず痒いような気持ちになった。さらに、ミルフィがぼそりと独り言のように、「約束、忘れてないから」なんて言うものだから、ますます落ち着かなくなる。


 やがて、二人は騎士団の最後尾に追いついた。ミルフィを置いて行った連中は申し訳なさそうに彼女を見ていたが、ミルフィはまるで気にしていない様子だった。


「あ、赤髪のお姉ちゃんだ!」両翼に広がっていた朱夏が、シルヴィアと共に寄ってきた。二人の得物には緑と赤の血がついていた。しっかり役目を果たしてくれた様子だ。「朱夏、どうして貴方がここに…、それに、その武器…」


 にんまり、と朱夏が笑う。悪戯がバレるのを心待ちにしていた子どもみたいに。


 ぶん、と大太刀を振って血振るいする。それで再び輝きを取り戻した刃は、獲物を求めているかのようにギラギラしていた。


「お話は後で。ディプス丘陵の中腹に古い砦がありますので、そちらに移動しましょう」


 何事かを口走ろうとしていた朱夏を遮り、シルヴィアが言う。ただ、彼女自身、朱夏とミルフィの関係性を気にしているようで、二人の顔を見比べていた。


 砦までの道中は、想像していたよりも静かだった。騎士団のほうにも甚大な被害は出ていたものの、幸い、死傷者は少なかった。


 これも全て、アストレアの突破力と、セレーネの指揮力、ミルフィの精神力、そして、一部の勇敢なる兵士のおかげである。


 石で出来た高い壁にぐるりと覆われた砦は、その中央に二つの塔を据えた古い造りの建造物だった。


 城門らしきものは半壊していて、その役目を成さないだろうが、敵の進行方向を一箇所に絞れるという意味では有用だ。塔へと続く庭も土塁やら柵やらで、攻めるに難き、守るに易い造りになっている。


 入り口にはガラルが一人立っていた。少し離れたところに疲弊した騎士団が何人か集まっているが、どうやら彼らは互いに仲良くするつもりはないらしい。


「おう」ガラルは燐子と目が合うと、気怠げに声を発した。「ガラルか。みんなは無事か」

「さあな。少なくとも、俺たちは大丈夫だぜ。他の連中のことは知らねえな」

「ふむ。王女は見たか?」

「あぁ、桜狼と中で話してるよ。それにしても…、まさか、アイツが女だったとはな…」


 アイツ、とはアストレアのことだろう。帝国では男で通していたようなので、朱夏もシルヴィアも同調するように頷く。


「ほんと、ほんと。あんなに綺麗なお姉さんだったなんて、私としたことが、うっかりしてたよぉ」

「…また始まった。節操なし」ジロリと睨まれた朱夏は、珍しく肩を竦めて大人しく沈黙していた。どうやら、行きがけにシルヴィアに叱られたことは、ある程度こたえたらしい。


「どいつもこいつも秘密だらけだ。ったく、信用ならない同僚ばかりで、イライラするぜ」

「あはは、口悪ぅい。私、アンタのお仲間と思われるのは死んでも嫌だなぁ」

「あ?なんだと?」


「二人とも、見苦しい」再び、ガラルと朱夏がもめそうになったところで、シルヴィアが制止する。


 それでも二人とも聞く耳持たない様子だったので、燐子はミルフィに言ってそのまま素通りするよう伝えた。


 一つしかない出入り口に、彼女ら三人がいてくれれば問題はないだろう。曲者揃いの特師団だが、その実力は折り紙つきである。


 疲れ切った騎士団たちの横を通り過ぎ、青い顔をした志願兵たちのそばで馬から降りる。等の入り口はすぐそこ、というところで、燐子はこちらをじっと観察している視線に気が付き、振り返った。


 そこには、見覚えのある少女が立っていた。瞳には、得も言われぬ感情を荒立たせて。


(あの少女は…)


 表情を曇らせた燐子に、隣でそっとミルフィが告げる。


「燐子、行きましょう」

「いや、だが…」

「今のララと話しても、互いに苦しいだけよ」


 燐子を連れて中へと入ろうと、ミルフィが燐子の手を握った。柔らかく、温かい感触にハッとしたが、すぐに我に返り、頑なにそれを拒んだ。


「しかし、あの少女には私を責める権利があるのではないのか?」

「分からないわよ。でも、少なくとも今は喪失の痛みを癒やすべきだわ」


 アンタもよ、とミルフィが真剣な顔で告げたことで、ようやく燐子も促されるようにして塔の中へと入った。どこまでも付きまとうような少女の視線が、背中でじりじりと燃えている。


 中には、負傷した兵とそれを手当する人間とで溢れかえっていた。幸い、死の臭いは薄い。大怪我を負っている者もいるが、壊滅的被害を被ったわけではなさそうだ。


 塔は聖堂か教会のようにいくつもの長椅子が並べられていて、奥には教壇が置かれていた。どれもこれも古びていて、埃が積もっていた。


 その教壇を中心にして、セレーネやアストレア、それから、桜狼が話をしていた。燐子は戦いの疲れなど感じさせない足取りで彼女らに近寄った。


 三人が、燐子たちの足音を耳にして振り向く。その瞳に、一瞬だけ驚愕の色が浮かんだのも知らず、彼女は平然と口を開いた。


「首尾はどうだ」

「首尾はどうだって…」ミルフィが呆れ返ったふうに言う。「もっとないの、ほら、久しぶりとかさぁ」


 そんなことを言われても、と燐子は顔をしかめたが、王女らが自分を見る目に呆れが含まれているのが分かり、ため息を吐いた。


「久しぶりだな、二人とも。息災だったか」

「え、ええ…、燐子さんもお元気なようで」微妙な顔つきでそう応じたセレーネに続き、アストレアも口を開く。「…お前も、まるで変わっていないようだな」


 皮肉だとすぐに分かった。人の気持ちが分からないと揶揄されがちな、私への。


「ふん。お前こそ、髪を隠さなくていいのか?お前の上手な嘘にみんな騙されていたようだが」

「黙れ、余計なお世話だ」


 二匹の狼が、互いに縄張りを主張しているような睨み合いが続いた。どちらも、飼い主に手綱を引かれるまでそうしていた。


「やめなさいよ、燐子。今はそんな場合じゃないでしょ」

「しかしだな…」

「言い訳は結構。ほら、この後どーすんのよ」


 それは桜狼たちが決めるだろう、と匙を投げると、桜狼が目を丸くして、「え、自分ですか?」と苦笑した。とはいえ、彼自身も予測していたのだろう、滑らかに口を動かし始めた。


「伝書鳩を飛ばして、援軍を要請しているのですが返事がありません。鏡右衛門様も直にディプス丘陵に来られるとは仰っていましたが…」

「どういうことだ。鏡右衛門殿には何か考えがあるのか?」


「いえ…」と桜狼は首を振る。俯く表情が女児のようだ。「僕は何も聞き及んでおりません。所用を済ませて来るとのことでしたので…」

「所用だと?セレーネたちとの談合に間に合わないとなれば、事だとは思わなかったのだろうか」

「…きっと、上手くいかないことなどないとお考えなのでしょう。王国は…その、甚大な被害を受けているとのことでしたから」

「だから、申し出を受けざるを得ない…か」


 少し姑息にも思えたが、これが外交というものなのかもしれない。少なくとも、前線で剣を振るうことしか知らなかった自分の出る幕はないだろう。


 王国の王女らも苦い顔をしていたが、否定はしなかった。事態はそれほど困窮しているということだ。


 プリムベールの町のことを思い出す。灰燼と化す一歩前までの打撃を受けていた、あの町を。


(自らの領地が焼かれているのだ。セレーネたちも、内心、憤激と焦燥で気が気であるまい)


 それを表に出さないのは、さすがと思った。

 王族としての意識が希薄なアストレアはまだしも、良い領主たらんとするセレーネは己の身を斬られるかのような苦痛を味わったはずだ。


 その話を聞いて、ミルフィが横から口を挟む。


「それで?アンタがその代表者なわけ?」明らかに憤っている。当然と言えば当然だが、少し桜狼が不憫である。


「あ、いえ、そういうわけではないのですが…」

「じゃあ、どうするのよ」詰め寄るミルフィの手綱を、今度は燐子が引いた。「よせ、ミルフィ。そやつも思わぬことなのだ。問い詰めても出ぬ答えを、無理やり聞き出そうとするな」


「はぁ?こっちはね、遠路はるばる砂漠まで超えてここまで来てんのよ!死ぬ目に遭ってね!二回も!」

「おい、落ち着け…」

「これが落ち着けると思う?呼び出しに応じてやったのに、そっちは遅刻どころか来る気配もない。寝坊でもしてるっての?呑気なもんね」

「分かった、私の言い方が悪かった。頼むから落ち着け」

「アンタは悪くないでしょうがっ!」


 ぐっ、とミルフィが燐子に一歩近寄り、顔を寄せた。


 彼女の瑞々しい香りから、燐子は自然とカランツの村のことを思い出す。あの豊かな水源や雄大な山々は、まさに彼女そのものだった。


 どうしても、意識せざるを得ない。ミルフィという女に、自分が惹かれているということを。


 高鳴る鼓動を抑え、優しくミルフィの肩に手を置く。そうして、彼女の身を惜しみながらも遠ざけようと思っていた、そのときだった。


「おい!やばいことになった!」声の主はガラムだった。

「なんだ、騒々しい。敵が攻めてきたのか?」


 その程度のことでパニックに陥るなど、なんとも嘆かわしいことだと白けた目をする燐子に向かって、ガラムは声を荒げた。


「違ぇよ!城が、城が燃えてんたよっ!」

読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!


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