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竜星の流れ人  作者: null
一部 二章 抜き身の刀
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飯と、戦争と 壱

 

 パンとはまた違った、肉が焼ける香ばしさが調理場に充満している。


 その匂いにつられて全身の臓器が活性化していくのをありありと感じながら、燐子はじっとミルフィが料理しているのを横から見ていた。


「ちょっと、そんなところに突っ立てられると集中できないんだけど」


「別にいいだろう」


「よくないわよ」


 エプロンに身を包んだミルフィは、「邪魔」と付け足してから、再び調理に意識を戻した。


 燃え上がる竈の火を不服そうに睨んだかと思うと、燐子は大人しくリビングのほうへと戻った。

 とはいえリビングと台所を遮るものは何もなく、数歩足を動かせば移動することができる。


 すっと音もなく椅子に腰を下ろした燐子は、自分の襟元に手を伸ばして煩わしそうにボタンを弄った。


「異界の人間は、こんな息苦しい服装に身を包むのか」


 獣が荒らした場所の後片付けを終えた村人たちは、即座に獣の解体に取り掛かった。


 そうして生きてきたことが容易く想像できるほどに見事な手捌きで、中でもミルフィの手際は目を見張るものがあった。


 獣をあっという間に皮と骨と肉と、臓器とに分解したため、もうそれが元々どんな姿だったかを思い出すのも苦労するほどだ。


 彼女が一匹捌き終わる間に、他の村人たちは何人がかりかでようやく半身という有様であったのだが、全くそういった経験のない燐子にとっては、どちらが一般的な基準なのかも分からなかった。


 しかし、それに対して燐子が特別興味を引かれることはなく、ただミルフィの技術に頭の中で称賛を唱えただけに留めた。


 燐子は別に、動かなくなった獲物に興味などない。


 返り血で染まった全身を洗い流すために、素っ裸になって川へ入ろうとしたのだが、直ぐにミルフィに止められて、渋々家の裏手で彼女が風呂を沸かすのを待ってから、その身を洗った。


 特別労苦を伴わない、獣相手の戦いではあったのだが、真剣勝負には変わりない。全身汗だくであった。


 心地よい疲労感と共にそれを流した燐子は、風呂の文化がこの世界にもあったことに跪いて感謝したい気分を味わいつつ、脱衣所に向かったのだが…。


 燐子はもう一度自分が着ている服を観察して、わざとらしくため息を吐いた。


 白いシャツの下に、薄い肌着。さらに黒のズボンを身に着けた燐子は、シャツの一番上のボタンを千切るように外して、とうとう先ほどの愚痴を垂れたのだ。


「文句言わないでよ、アンタが着てた服、ボロボロで焦げ跡だらけだったから、ちょっと洗ったら破れたのよ」


「破った、の間違いだろう」と彼女を睨みつけて、「後、私は燐子だ。アンタではない、何度言えば分かる」と殊更苛ついた様子で吐き捨てた。


 ミルフィはそれを聞くと、困ったように視線を泳がせてから適当な相槌を打った。


「動きやすくていいでしょ」


「いいものか。やたらと布は多いし、サラシのような頑強さもない。全てにおいて意味を感じない」


「頑強さなんて服にいらないでしょ。それに何よ、サラシって」


 これだから異世界人は、と鼻を鳴らして、自分たちの縮尺ばかりを押し付けてくる彼女を苦々しく思った燐子は、唐突にシャツと肌着をまくり上げてから「これがサラシだ、馬鹿者」と言い放った。


 ミルフィは、そんな真似をする彼女から顔を赤らめて目を逸らし、「ちょっと、恥を知りなさいよ!」と怒鳴りつけるが、『恥』という言葉に敏感に反応した燐子が苛烈な剣幕で反論した。


 立ち上がる際に叩きつけられたテーブルの天板が、痛々しく悲鳴を上げる。


「恥?恥だと、これのどこが恥だ!由緒正しい戦装束だぞ!」


 やけに興奮した様相で詰め寄って来る燐子に、両手を構えて拒絶の意思を示すミルフィだったが、彼女の熱弁は留まることを知らなかった。


「こうして何重にも巻くだけで、刃を通さず、急所を守ってくれるうえに、鎧などの何十倍も軽い、これがどれだけ私にとっての生命線になるか分かるか?」


「知らない、知らない、近いって!お肉が焦げちゃうでしょ、どきなさいよ!」


「どうして分からないのだ、男に比べて力のない私たちは、他のもので補うしかないのだぞ?敏捷性、指先の繊細さ、体格の細さを利用した身躱し斬りの技術、それらを十分に発揮するための軽装――」


 やや高い目線から、乱射されるように降り注いだ言葉に顔を引き攣らせていたミルフィは、彼女が言葉を区切って自分をじっと見つめていたことに嫌な予感を覚えた。


 竈にくべていた薪が、バチッ、と一際大きな音を鳴らして弾ける。それを糧にして煌々と燃え続ける炎が、鉄板を通し小気味の良い音を立てながら例のハイウルフの肉を焼いていた。


 つい数分前までは、その匂いと物珍しさに興味を引かれていた燐子も、今では自国の文化の良さを教え聞かすのに夢中だった。


「そうだ、お主にもサラシを巻いてやろう」


 やっぱりろくでもないことだった、とミルフィは断固拒否の態度を貫いて、燐子が自分の衣類に手を伸ばすのを抑えていたのだが、やたらと必死な燐子に耐えかねて、とうとう足を使って蹴飛ばしてしまった。


 燐子は小さく声を上げながら受け身をとって、「人を足蹴にするとは何事か」と口を尖らせて抗議するも、真っ赤になってこちらを睨みつけるミルフィに言葉を失った。


 明らかに怒り心頭といった表情の彼女にこれ以上何か言えば、火に油を注ぐことは完全に目に見えている。


 口を閉ざして彼女を観察している限り、一向にミルフィの機嫌が元通りになる兆しはなかったので、大人しく椅子に戻り、睨みつけてくる彼女からそっと視線を外した。


 戦いは素人に毛が生えた程度の彼女だが、単純な力だけは自分よりも上のようだった。

 しかも、気が短い。あまり刺激すべきでないと感じたときは、放っておいたほうが得策だろう。何をされるか分からない。


 ようやく落ち着いたらしいミルフィは愚痴を漏らしながら料理に戻った。しかし、鉄板にこびり付いた肉を見て、ますます苛立ったように舌打ちをする。


「燐子が馬鹿なことするから、折角のお肉が焦げちゃったじゃない」


 馬鹿なこと…と脳内で反芻して多少の不満を覚えたが、確かに楽しみにしていた肉が焦げてしまったことは残念であったし、それが自分のせいかと言われれば、否定できない気もしたため、大人しく黙って彼女の後ろ姿を見守っていた。


 自分より少し低い身長、あんな力が、どこに宿っているのかと不思議に思える少し日に焼けた細腕、かつての世界では見慣れない、濃い赤髪を結った三編みが揺れている。


 口と態度は最悪だが、器量もそこそこ良く、家庭的な女ではある。


 由緒ある家に生まれていれば、それ相応の大家に嫁いだのかも知れない、と下らない妄想を膨らませた燐子は、エミリオがドリトンを連れてリビングに来るまで、彼女の後ろ姿を飽きること無く見つめていた。

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