私の星
今回はミルフィ視点となっております。
そろそろ四部も後半戦に差し掛かります。
もう少しだけお付き合い頂けると嬉しいです。
それでは、お楽しみください。
戦いの火蓋は、何の前触れもなく、唐突に切って落とされた。
空の果てからやって来た、一匹の巨大な黒竜と、無数の空飛ぶ魔物。
こちらの数を遥かに凌駕する魔物の群れを前に、戦線はズタズタになりかけながらもどうにか持ちこたえていた。
一本、また一本と、矢を番えては放つを繰り返し、上空から猛禽類のように一方的に攻撃を仕掛けてくる魔物を、地へと叩き落とす。
ミルフィの鉄矢は、尽く獲物を貫いていた。しかし、戦場において一人で挙げられる戦果などたかが知れている。
「離れないで!固まって!死角から襲われないよう、みんなで気を配るのよッ!」
不運にも、騎士団は縦に長く広がって歩いていたため、瞬時に連携を図ることが難しかった。いや、熟達した兵隊たちなら、もっと上手くやれていただろう。志願兵や戦い慣れしていない団員たちが混ざっているのが、この混沌を招いた。
こんなことなら、プリムベールに残した騎士団員たちも連れ来るべきだった、とセレーネが後悔しながら連携を図っている傍らで、ミルフィは訓練を受けた兵士でもないというのに奮戦していた。
檄を飛ばし、単純ではあるが陣形を組み、統率の乱れた個の兵隊を吸収しながら、少しずつ、少しずつ前方へと移動する。
「み、ミルフィ様!私は、どうすれば…!」背後に張り付いたルルが、不安に怯えながらそう聞いた。「槍を構えて、私の後ろに向けて構えてればいいわ!」
「ほ、本当にそれだけで――」
「それだけでいいの!何か来たら、教えてよね」
戦いは混乱を極めていた。なんとか持ちこたえてはいるが、徐々に劣勢になっていくのがハッキリと分かる。
そのうち、陣形の後方から悲痛な叫びが聞こえた。避けようもない犠牲が生まれてしまったと同時に、その悲鳴に怯えたのか、愛馬であるマロンが手綱を振り切り草原を疾駆してしまった。
「ま、マロン!」
燐子との思い出が一つ、私の手元から離れていく。
どれだけ呼びかけても、愛馬は足を止めず、自由と死の臭いに満ちた秋霜花の海を切り裂いていった。
なおも呼びかけ、マロンを引き留めようとしていたミルフィだったが、ルルの悲鳴に我に返り、後ろ髪引かれる思いを抱えながら、再び矢を番えた。
こちらに目掛けて滑空してくる怪物に素早く狙いを定め、矢を放ち、穿つ。
容易く葬ることができたようにも見えたが、偶然だ。ララが叫ばなければ、もっとハイリスクな攻防になっていたに違いない。
「まずいわ…、このままじゃ…!」
不安を口にしかけていたところで、ようやく前方にいたセレーネの後ろ姿が見えた。そばではアストレアが剣閃を振るっている。すでに汗だくであることから、ずっと矢面に立って戦っていることが窺える。
アストレアの上空を旋回しながら、攻撃の機会を窺っている一体に狙いをつける。的確な一射で敵を射抜き、二人が中心となって構築されている陣形に合流する。
「セレーネ!無事!?」
「ミルフィ!良かった、貴方も無事なのね」
セレーネの青白い顔に、わずかながら安堵の光が灯った。彼女が手にしている槍の穂先が赤い血で濡れていることからも、彼女自身、前線で戦っていたことを物語っていた。
指揮系統を女王に委ねつつ、その隣に並ぶ。
「一体全体、どうなってんのよ!この状況!」怒鳴りつけるように発された言葉にも慣れたセレーネは、臆さず、しかし、少し余裕のない様子で応じる。「私にだって分かりません!どうしてライキンスがここで罠を張っていたのか…!」
「ライキンス?」セレーネの視線を追う。黒い竜が、空の彼方でホバリングするように羽ばたいている。「はは、高みの見物ってわけね。本当、陰湿な奴ッ!」
「それだけ文句が言えるのであれば、まだまだ戦ってもらえそうですね、ミルフィ」
「当たり前よ、騎士団には弓の名手がいないみたいだしね!」
「ええ、一つ課題が見えました。プリムベールが復興したら、貴方を弓術師範にでも雇おうかしら」
「ふん!給料が倍なら考えてあげないこともないわ!」
やがて女王の指示に従って、騎士団は丘陵地帯へとにじり寄るように移動を開始した。
同盟を申し出ていた帝国軍が、約束通りディプス丘陵に来ているのであれば、援護してくれるに違いないと判断したからだ。
「罠だったら、どうする」
陣の先頭で敵を斬り続けているアストレアが、息も絶え絶えに問う。
「そのときは…」
言いにくそうにセレーネが声を出す。そのときは終わりだ、と口にするのは、さすがに憚れたらしい。そんな彼女に助け舟を出すようにして、ミルフィが応じる。
「そんなはずない。燐子がいるなら、そんな卑怯なことは絶対にしないわ」
ミルフィは、燐子との思い出を胸にそう告げた。矢を撃ち続けたことで腕に疲労が溜まっているのが分かる。しかし、彼女はそれを一切表に出すことはなかった。
気丈な面持ちのまま弓を高く構え、前進を続けるアストレアから離れるように後方へと周る。
「ミルフィ、どこへ行くのですか」すれ違いざまにセレーネが聞いた。人波に流されて、彼女との距離は開くばかりだ。「後ろから来られたら、どうにもなんないでしょ。追っかけてくる連中は私がなんとかするわ」
「そんな、何も貴方がそんな無理をしなくとも…」
「変な気遣いはいらないわ。どのみち、誰かがしなくちゃいけない無理だもの」
ミルフィはそう言うと、くるりと背中を向けた。流れに逆らうようにして離れるミルフィへ、少女の声が響く。
「ま、待ってください、ミルフィ様!」
ルルの声だ。聞こえぬフリをして、ミルフィは躊躇いなく後方へと下がる。
どうせ、もう前方に戻れはしない。あっという間にルルやセレーネが遠くなることからも、それは明らかだ。
ただ、ミルフィは彼女らに勘違いしないでほしかった。自分は決して犠牲になるつもりはないのだから。
殿は騎士団員が務めている。その援護をするだけなのだ。
それからしばらくの間、騎士団はディプス丘陵に向けて移動を続けていた。その間、ミルフィは絶え間なく矢を放ち続けていたので、鋼鉄の弓を持ち上げる腕がぷるぷると震えだしていた。
すでに、騎士団の半分ほどが手傷を負っていた。そのうちのどれだけが命を落としたのかは分からない…。いつ自分がその一員になってもおかしくはない状況が続く。
肩で息をしながら、ちらり、と陣形の前方を見やった。先頭は丘陵の斜面を登り始めていたが、騎士団全体が丘陵を越えるのにはまだまだ時間がかかりそうだった。
(燐子…、そばにいるのよね)
なぜだか、ミルフィはそう確信していた。
丘を越えれば、燐子に会える。
傷つけ、拒絶してしまったまま離れ離れになっていた燐子に。
会って、話したいことが山ほどあった。
謝りたいこと、怒りたいこと、聞いてほしいこと。
カランツの村で燐子に会ってから、もう半年以上が経っている。いや、まだ半年しか経っていないと言うべきか。
(不思議だわ。もう、ずっと一緒にいた気がする。それだけ密度の濃い時間が流れているのね)
これからも、燐子とは一緒にいられる。そう信じていたのに、一度は違えてしまった約束があった。
今度、燐子に会ったら…、もう、二度と離れないでいよう。
たとえ、彼女が剣鬼だろうと、修羅だろうと…。
その隣で、不器用な彼女を、不器用な私が支えられるなら。
きっと、それ以上の幸せはないから。
気づけば、ミルフィは陣の最後方に立っていた。彼女より後ろの者は、例外なく動かぬ骸となっている。
飛来する魔物に矢を連射する。一匹、二匹と地に落ちても、際限なく魔物は湧いてくる。
そのうち、敵は羽の生えた魔物だけではなくなっていた。二足歩行で前進を続けてくるのは、虫と人が合体したような魔物。
頭の隅で、ああ、こいつらも元は人だったのかしら、とぼんやりと考えながら、矢を番え、もっとも近い虫魔獣に狙いを絞り、放つ。
ミルフィの手元を離れた矢は、いつものように敵を貫くかと思われた。だが、矢は潰された顔を持つ虫魔獣のわずか隣をすり抜け、秋霜花の腕の中に落ちていく。
「あ…」後退を図ったミルフィの足がもつれ、その場にへたり込む。「あ、足が…、嘘」
体力の限界だった。当然だ。戦いが始まって、ゆうに一時間は過ぎている。その間、彼女は常人ならば連射不可能な鋼鉄の長弓を撃ち続けていたのだから。
立ち上がるべく両足に力を入れるも、ガクガクするだけでまるで動かない。
ふっと、視線が惨たらしく血を流している騎士団員の遺体に向いた。自分も今からああなるのだ、と考えしまって、ミルフィはとても恐ろしくなった。
粟立つ背筋、張り付いて声も出せない喉。
頭の中を塗り潰す、『死』という鮮烈な文字の群れ。
ドスっと、虫魔獣がミルフィのわずか数メートル先で立ち止まった。
カチカチと鳴らされる、蟻の顎のような牙。腸を容易く引き裂き、引きずり出すだろうそれを見ると、頭がくらくらするようだった。
ドス、ドス、と硬い爪が生えた足を器用に動かし、虫魔獣が残り一メートルほどに迫る。
死の吐息が、辺りを満たした。充満した毒のようなそれは、やがてミルフィの体にへばりつき、命を暗い冥界の底に連れ込もうとしていた。
ふわり、と虫魔獣の体が飛んだ。飛びかかってきている奴の動きは、酷くスローモーションに映っていた。
――もう、会えない。
走馬灯も見れないミルフィの頭に浮かんだのは、たったそれだけの言葉だった。
反射的に目をつむる。刹那、顔面に、体全身にドロリとした冷たい液体が浴びせられた。
毒でもかけられたのか、とすぐに手で液体を拭って払う。刺激臭や肌に違和感があるわけではなかったが、何が起こっているのかは分からない。
目を開けて敵の様子を窺おうとしていたミルフィは、秋の日差しを遮る精悍な後ろ姿を目にして、息をすることすら忘れた。
栗色の体毛を風で揺らし、筋骨隆々とした体をぶるぶると震わせたのはマロンだった。
その背中に、烏の濡れ羽色をした長髪をポニーテールで結った剣士が跨っている。
すっと伸びる背筋には、彼女の強靭な精神に宿る真っ直ぐな美しさと、敵に囲まれようと怯むことのない不撓不屈の強さが表れていた。
彼女は、先程そうしたように、ミルフィへと飛びかかる虫魔獣を一閃のもとに次々と斬り伏せた。
白刃が、一つ、二つと閃光を刻む。今が夜であれば、彼女はある種の恒星とすらなり得たかもしれない…。そう思わせるほどに、強く、眩しく輝いて見えた。
胴体から、あるいは首から寸断された虫魔獣の死体がゴロゴロと転がる。血を吸う秋霜花が見上げた彼女は、一閃、血振るいを馬上でしてみせると、ゆっくりと馬から降りた。
彼女が放つ異様な雰囲気に魔物すらもたじろぎ、間合いの中に踏み込めずにいる。気持ちは分からないでもなかった。
なぜなら、太刀を抜いた彼女の背中には、魔物たちが撒き散らした『死』すらも弱く感じられるほどに強烈な『死』が宿っていたからだ。
そうして、彼女はミルフィに背を向けたままで明朗に告げる。
「動けるか」
「り、燐子」ようやく声が出た。ただ、それと同時に今にも爆発しそうな感情の濁流がミルフィの喉を突き破る。「燐子!アンタ、どこに行ってたのよ!私を、私を置いて行くなんて、どういうつもりだったのよっ!」
分かっている。置いて行けと、勝手に消えろと言ったのは自分だ。だが、そんなことは今の自分にとってはさして重要じゃない。
こんなにも、自分の気持ちは貴方に突き動かされている。
こんなにも、あの日の別れは自分の心を苦しめていた。
こんなにも、ただ、貴方に会いたかった。
ここが地獄だろうと地の果てだろうと関係ない。
そう、伝えたかったのだ。
燐子は、しばし沈黙していた。無視しているわけじゃないことくらい、自分にも分かる。彼女が一つ大きく息を吸ったことで、肩が上下したのも見えていた。
「お前こそ、どうして来てくれなかったのだ」
自分を責める言葉にも関わらず、ミルフィはむしろ胸が昂り、喜びに目頭が熱くなった。
(だって、今の言葉は、燐子自身、私に来てほしいと思っていたことの証拠だから)
――離れていても、心は繋がっている。
手垢のついた陳腐な言葉すらも、今の自分に感銘を与えるには十分すぎるほどだった。
「私の気持ちも知らず、藪から棒に責め立ててくれるな、ミルフィ」
「うっさいわよ、馬鹿燐子」
膝に力を入れて立ち上がる。それを手助けするように、愛馬がそばに寄って来た。よろめく体を鼻で支えてくれたマロンの鼻面を撫でながら、唇を舐める。
まだ生きている、戦える。
燐子がそこにいてくれるなら、この手は、弓は、彼女の敵を払う武器として存分に力を振るうだろう。
「馬上に避難しておけ。そこからでも、矢は射られるだろう」
逃げろ、と言われなかったのが少しだけ意外だった。きちんと燐子が自分を戦力として捉えてくれているのは、素直に嬉しい。もちろん、嬉しさを真っすぐ言葉にできるのとは別だが。
「へぇ、こんなになってるのに、手の一つも貸してくれないんだ」
「貸せと頼まれればそうするが、お前は別に、それを望みはしない」
燐子が、天を穿つように太刀を構えた。虫たちも、彼女を警戒するような奇声を発する。
「憎まれ口なら後で聞く。私がお前を傷付けた事実は、しっかりとこの胸に刻んでいるつもりだ」
「燐子…ら、らしくないじゃない」
「かもな」
ぼそり、と独り言のように呟いた燐子は、やがて毅然とした口調で後を続けた。
「つまり、らしくないことをしてでも、お前とまた一緒にいたい、お前のことを理解したい…というわけだな」
思わず、絶句する。燐子がこんな気障な台詞を吐くとは思ってもいなかったのだ。
何か言葉を紡ごうとするも、頭が真っ白になって何も浮かばない。
帝国で過ごした数カ月の間に人が変わってしまったのか、と一瞬だけ不安になるも、燐子の耳が真っ赤になっているのが分かって、少しだけ安心する。
「わ、私も――」
「今はいい」
裏返りながらも、ようやく絞り出せたミルフィの言葉を燐子が素早く遮った。
「言っただろう、後で聞くと」
短く告げた燐子は、稲妻のように駆け出した。
目の前の虫魔獣を袈裟斬りにし、返す刀でその横の一体も骸と返す。
踊る緑の血飛沫を潜り抜け、離れた距離で威嚇しかできていない相手に肉薄し、その首を落とす。
ミルフィは、あの頃を、思い出していた。燐子と会って間もない頃、カランツの村を襲った魔物を彼女が叩き潰したときのことを。
思えば、あのときから自分は燐子に釘付けになっていたような気がする。
太刀を振るい、返り血をドレスに、絶命の声を福音として舞う彼女に。
(あぁ…、やっぱり、燐子は私の星なんだ)
とうとう再開した二人ですが、もちろん、この波乱もすぐには終わりません。
続きが少しでも気になった方は、ぜひ明日以降もご覧になっていただければ幸いです!