嵐の前の
さて、それではここから五章の始まりです。
離れ離れになっていた二人が再び会えるまで、
もう少しお付き合いください。
追伸
ブックマーク、評価等をつけてくださっている方、
本当にいつもありがとうございます。
今後もお楽しみ頂けるようなものをアップできるよう、
頑張って参ります!
砂漠を抜け、西向きの風を受けながら進んだ先は、涼やかな草原だった。遠くのほうには、秋色に染まった深い森が見える。
膝丈ほどの高さの草むらを歩いていると、足が痒くなって仕方がない…という者もいるが、自分はその限りではない。これも、長い猟師生活の賜なのか。
穏やかな水流の音も聞こえる。鳥の囀りは聞こえなかったが、今日は天も高く、雲は霧散した文句のつけようのない、美しい秋晴れであった。
騎士団の中に紛れた(自分も騎士団みたいなものだが)ミルフィは、愛馬であるマロンと共に歩調を緩めると、お目当ての人影を見つけた。
「やぁ、ルル。結構歩いたけど、疲れてない?」
「ミルフィさん…」
声をかけられたルルは、眠そうに目を開けてから、頭を左右に振った。それに伴って揺れる、身の丈に合っていない槍がどこかミルフィの心を苛む。それを慰めるみたいに、愛馬が鼻をミルフィにこすり付けた。
「いいえ、大丈夫です。ミルフィさんは平気そうですね」
「んーん、私なんて足が棒。歩くのもやんなっちゃったから、こうしてのんびり歩いてるうちに、後ろまで下がってきたわけ」
「ふふ、そうですか」さすがに方便だとバレたのだろう。ルルは疲弊の色を隠せない面持ちで微笑んだ。「実は、私も昨日の砂漠でのことがあって、ヘトヘトなんです」
「あぁ、とんだ目に遭ったわよね」
「はい。でも、ミルフィさんの活躍がこの目で見られて、正直、とても興奮してしまいました」
恥じるように頬を赤らめた少女は、ハッと思い出したように目を見開くと、がくりと項垂れ、大勢の人間に踏み分けられた草の根を見つめて呟いた。
「きっと、ララが生きていたら、飛び回って大喜びしたはずです…。あの子も、見たかったでしょうに…」
「ルル…」失意と絶望に染まった少女の肩に手を置く。
かける言葉などなく、ミルフィは押し黙った。こういうとき、気の利いた言葉一つ浮かばない自分が嫌になる。もしかすると、セレーネならば上手く鼓舞できるのかもしれない。
だが、王女は遥か前方。アストレアと共にこの一団の切っ先となり、草原を踏み分けている。
ミルフィの狼狽が伝わったのか、ルルは気丈に笑って、茜色に染まる世界を見送った。
「もうすぐですね」ルルが話題を変えた。気を遣ったのだ。「グラド草原、もう目の前ですよね?」
ミルフィは彼女の厚意に甘えて、話を変えることに決めた。どうせ上手い慰め方は知らない。それなら、少しでもララが明るくなれる話をしよう。
「そうね…。帝国領土はもう目の前よ。ほら、向こう側に秋霜花の群生が見えるわ」
指さす先で、白い葉が無数に揺れていた。積もり積もった霜のように白く、広く、地平線の彼方までに帝国特有の草花――秋霜花が続いている。
その白く美しい葉や、冬になれば青い花が咲く特徴から、王国領内でも人気がある。ただ、残念なことに、争いが始まって以降は手に入れることが難しい一品になってしまっていた。
そのため、ミルフィ自身久しぶりに秋霜花を目にしていた。白い花束が近づくにつれて、胸が高鳴る。
「やっぱり綺麗ね、秋霜花」
「はい。雪が積もっているみたいですね」
「あれが間近で見られるとなると、旅の疲れも多少は吹っ飛ぶってもんね」
明朗に笑うミルフィ。距離が近づけば近づくほど、まるで一枚の絵画のような風景が明瞭になる。マロンも知性に満ちた瞳を輝かせ、秋霜花を見ていた。
心奪われる雪景色に、ふと、ミルフィの頭の中に彼女が蘇る。
「燐子も、もうこれを見たのかしら…」
秋霜花の葉に手を伸ばし、触れようとした瞬間に、しまった、とミルフィは歯噛みした。おそるおそる隣を歩くルルの横顔を盗み見ると、想像通り、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
ルルの親友であったララは、燐子を庇って亡くなった。そこまでなら、ルルに宿る感情も悲しみと、ライキンスらへの怒りだけだったのだろうが、燐子がララの死を悼まず、報復を優先したことで、ルルは燐子への憤りを覚えてしまった。
(いや、憤りというか、これは…)
ミルフィはきつく吊り上がった少女の瞳の奥に薄ら寒いものを感じ、眉をひそめた。
(――呪いだわ)
ルルの青いガラス玉がすぅっと閉じられる。次に開いたときには、多少彼女の感情の昂りも収まっていた。
「もうすぐ会えますよ。望もうと、望まざると」
吐き捨てるように告げたルルを飲み込み、王国騎士団たちは進んだ。
目的地はグラド草原を越えた先にある傾斜の緩い丘陵地帯――ディプス丘陵。そこが、帝国特師団なるものとの待ち合わせ地点になっていた。
あの日、シルヴィアという名の女性が持ってきた密書には、帝国特師団という帝国内でも独自の権限を有した武装集団が、ライキンスを征伐するために王国と手を結びたいという旨が書き込まれていた。
かつては、その帝国特師団と手を組んでいたらしいアストレアがいるからこそ、彼らは協力に踏み切った…というのが、アストレアとセレーネの読みだったが、どうにもミルフィは釈然としないものを感じていた。
「…どうしてなのかな」気づいたら、ミルフィはそう呟いていた。「え?何がですか?」
独り言を聞かれて少し恥ずかしかったが、誰かと話を共有してみたいと思っていたので、ちょうど良かった。
「いや、どうして帝国の代表は、帝国特師団とかいう連中なのかなって思って」
「…えっと、それの何が不思議なのですか?」
「だって、帝国にだって王族がいるはずでしょ?ライキンスの件は国を挙げての大事であるはずなのに、どうして王族じゃなくて、武装集団に任せるのかなって」
ミルフィが小難しい顔をして問いかけるも、ララは困った顔つきで、「すみません、私には難しい話は分かりません…」と応じるだけだった。
考えすぎか、と手を振り、気にしていないふりをしてみせる。どうにも神経質になりすぎているようだ。
それもこれも、あの砂漠で遭遇した元人間の怪物のことや、燐子とどんな顔をして会うのかということに頭を悩ませているせいだ。
そうして、風に揺れる秋霜花の波の中を進んでいたとき、おもむろに、ルルが足を止めた。
後ろから来ている兵隊がぶつかりかけて迷惑そうな顔をしていたが、ルルは一切気にする素振りもなく、空の一点をただ見つめている。
「どうしたの?」ルルにならい、ミルフィも足を止める。「あれ…、なんでしょう」
そう言うと、ルルは目を細めた。ミルフィもその視線の先を追ったが、彼女には何も見えなかった。
猟師の目でも見えないものが、ルルには見えているのだろうか。確かに、自分は耳は抜きん出て優れているが、視力は多少良いぐらいだ。
しかしながら、そうして愛馬と揃って十秒ほど立ち止まっていると、ミルフィの目にも徐々に何かしらのシルエットが見えてきた。
頬を、生ぬるい風が撫でる。秋らしい涼やかな風はどこかへと逃げ出している。
「んー…鳥?」両脇に広がる翼のようなものが確認できて、そう呟く。「いえ、多分、違います。あれは…あれは…」
不意に、ルルが息を大きく吸う音が聞こえた。息が詰まっているような、胸が押し潰されているような、そんな感じであった。
「――…ど、ドラゴン」
燐子は正座した状態で、天地家の縁側にいた。秋晴れが織りなす陽だまりが膝に当たり、じんわりとした熱を帯びている。
彼女は、時を待っていた。
目蓋の裏側に宿る、逃れようのない闇を見つめたまま、心を研ぎ澄まし、ただ、ただひたすらに待っていた。
もうじき、特師団の誰かが自分を呼びに来るはずだが…。正午頃だと言っていたのに、時間はとっくに過ぎている。なので、おそらくは時間にだらしない朱夏がその担当なのだろう。
先日、竜神教の捕虜を勝手に解放したことは、とある条件と引き換えに不問に処された。その条件を承諾したがために、燐子はそこで待っていた。
――王国との折衝について、会議の場に同席して手助けを図ること。
それが、鏡右衛門が提示した条件だった。
本来ならば、重い罰を与えられても致し方がない勝手をしたことを考えれば、その条件は破格のものと言える。
そのため燐子は呆気に取られて寸秒、ものも言えなかったのだが、我に返ると、決然とした面持ちで首を縦に振った。
(どのみち、ライキンスを見つけ出し、打ち倒すためには必要なことだ。仮にアストレアやセレーネが私の顔を見て苦い顔をしようとも、もう逃げるつもりはない)
剣鬼、と王女は言った。あるいは、修羅とも。
きっと、それは間違ってはいない。
少女のために紫陽花と剣を交えたはずなのに、戦いの渦中にあっては、それを忘れていたことが何よりもの証拠となる。
(所詮、私は戦いの中でしか生きられんのかもしれん…その中でしか、充足を得られない存在…)
だが、たとえそれが事実だとしても…。
私の胸が虚ろな想いで満たされたこと、ミルフィからの言伝を耳にして、活力が満ちたことも偽りではない。
戦いを好む、剣鬼である自分と、美しい情景や大事な人を想う自分。
どちらも本当の自分だ。
(自分の中の陰陽が交わり、やがて、それが1つの魂に変わることがあれば…)
何かが見い出せそうな気がした。形のない、だが、狂おしいほどに自分が求めている何かが。
武の極みか、人と獣の分岐点か。
今はまだ分からぬ、と目をゆっくり開いた燐子の視界に、男の姿が映った。それがガラムだと気付くのに、数秒かかった。
「遅刻だな」皮肉をぶつけると、彼は一瞬だけ苦い顔をしてから、「寄るところがあったんだよ」と素っ気なく言った。
太刀を掴み、立ち上がる。白い鞘が太陽光を反射し、白く、眩しく輝いている。放たれる白光を恐れるように、ガラムが目を逸らす。
「お前が逃がしたスラムの連中に会ってきた」平坦なイントネーションだった。意識して感情を殺しているように思えた。「世話になったな」
「ほぉ」意外すぎて、間の抜けた声が出る。「お前のような人間でも、人に礼を言えるのだな」
「あぁ?馬鹿にすんな。今回限りだ、こんなことは」
くるり、と背を向けた彼の後を追う。足を地面に擦るような歩き方が気になるが、これも個性かと受け流す。
「それで、どこに向かうのだ」
「ディプス丘陵だよ」
「どこだ、それは」
「いいから、黙ってついて来い」
「黙れ、か」と肩を竦める。「そんなことで、女人をエスコートできるのか?」
思い切りの良い冗談のつもりだった。日の本の言葉ではない単語が、舌の上で気恥ずかしそうに踊る。
別に、彼にエスコートしてもらうつもりなど毛頭なかったのだが、上機嫌さ故に飛び出た皮肉だった。
ガラムは燐子の言葉を耳にすると、芝居がかった様子で両腕をさすった。
「チッ、気持ち悪ぃこと言うなよ。お前、どう考えたって朱夏の野郎と同じタイプだろうが」
「なに?どういう意味だ」
「あぁ?目線だよ、目線。自覚はないかもしれねえが、紫陽花や朱夏たちのことをジロジロと見すぎだ」
さすがにこの発言には黙っておられず、燐子は語調を荒げて問い質す。
「ちょっと待て、私が何をジロジロ見ていると言うのだ」
「何って…そりゃあ、なぁ…」
「この期に及んではぐらかすな。それでも男か、貴様」
今度は、ガラムが頭にきた様子で眼尻を吊り上げた。獣の唸りのような、言葉にならない声もセットだ。
「んなもん、乳や尻とか、太腿だとかに決まってんだろうが!」
あまりに直接的な表現に燐子は絶句したが、ややあって言葉を取り戻すと、烈火の如くガラムに反論した。
そんなつもりはない、貴様の勘違いだ、と繰り返せば繰り返すほど、心臓の鼓動が強くなっていく。
まるで、隠していたことを暴露されたかのような酷い焦燥に駆られ、燐子は自分の全身が熱くなるのを感じていた。
最終的には、「叩き斬るぞ、貴様ッ!」と激昂したことで、ガラムは発言を撤回した。
ただ、彼が心の底から納得しているようには思えない。相手の矛を収めるためのその場しのぎの釈明だということは明白だった。
なおも憤慨を続ける燐子の脳裏に、ミルフィの姿が浮かんだ。あまりに唐突に現れた虚像に驚いたが、親衛隊用のスカートを履いたミルフィの太腿が艶めかしく照っているのが分かって、燐子は歯軋りしてから、その妄想を打ち消した。
「もうよい、さっさと案内しろ」
「分かってるよ。来い」
そうして、ガラムに案内されて城下町を抜けた。やがて、五叉路にぶつかった。ここは、港やグラドバラン城、領地郊外などに続く道だ。
ガラムは城には寄らず、そのまま郊外へと至る道を進んだ。すでに、特師団の面々は城下町の外で待っているということだった。
彼の言葉通り、町の外れには朱夏たちの姿があった。
大太刀を意味もなく抜いて、その刃紋をじっと笑顔で見つめている朱夏に、それを盗み見ながら日傘を差して俯くシルヴィア。
桜狼の姿は見慣れぬ男性と共にあったが、相手の男性は燐子たちが来たのを見届けると、浅く頭を下げて反対方向へと消えた。
他の面々はまだ揃っていない。ジルバーは国境付近を調査していたはずなので納得だが、紫陽花や鏡右衛門に至っては、やや不可解ではある。
「あぁ!やっと来た!遅いよぉ」大太刀から目を離した朱夏が、大声で叫ぶ。「この男が遅れたのだ。私のせいではない」
ガラムが躾のなっていない犬のように喚き立てているのを無視して、一行は目的地であるディプス丘陵へと向かった。ちなみに後で聞いたことだが、桜狼が話をしていた人物こそ、帝国における王族、その第一王子であるらしかった。
二人の関係について明確にしておく必要もないが、どうやらただならぬ仲であるようだ。もちろん、彼らの立場の違いを考えれば、公にはしていないようだが…。
何はともあれ、燐子たちはディプス丘陵に差し掛かっていた。
青々とした草に混じって、秋霜花と呼ばれる不思議な色をした植物がいくつか生えている。一本の太刀のように白く真っ直ぐな葉が、燐子の感性を刺激した。
「気に入りましたか?秋霜花」桜狼が穏やかに問う。「秋霜花、というのか。うむ。美しいな」
燐子が素直な感想を述べている傍ら、朱夏とシルヴィアが珍しく剣呑な雰囲気で何やら揉めている。
「どうしてあの人を止めなかったの?朱夏は、燐子さんの狙いが分かってたんでしょ」
「だからぁ、そっちのほうが面白いかなぁって思ったんだってば」
「面白いって…、どうしてそんなに無責任なの。ルールはルールなのに」
「…はぁ、うるさいなぁ」朱夏は両手で耳を塞いだ。子どもそのものの仕草に、シルヴィアは目くじらを立てた。「うるさい?そんなの、朱夏が馬鹿だからしょうがないでしょ」
「は?馬鹿じゃないし。だいたい、何をそんなに怒ってんのさ。私が滅茶苦茶しちゃうのなんて、いつものことなのにさ」
「…怒ってない」
「怒ってるぅ。あー、もしかして、あれ?女の子の日?」
「違うっ!最低ッ!」
デリカシーに欠ける発言をした朱夏に、シルヴィアが怒鳴り散らす。
「朱夏が!昨日のデートの途中で、どっかに消えちゃったからでしょう!?」
秋の青空に轟くシルヴィアの高い声に、その場にいた誰もが彼女のほうを向いた。普段、彼女は小さい声で喋るため、あんなに可愛らしい声だとは知らなかった。
デート、という単語が燐子や桜狼、ガラムの注目を集めた。それが分かっていたからこそ、シルヴィアも頬を紅潮させて、さっと視線を逸らした。
だが、朱夏はそんなことは気にする様子もなく続ける。
「デートぉ?」ぽりぽり、と頬をかく朱夏。「なにそれ」
「…なにそれって、朱夏がそう言ったんじゃない」
小声になって、シルヴィアがぼやく。
「あー…、言ったようなぁ…。でもぅ、あれって冗談だよぉ?」
「じょ…っ!」驚いたような顔から一転、シルヴィアはムスッとした顔つきになった。もう、他の三人のことは見えていないようだ。「じゃあ、どこに行ってたの」
「んー、内緒。えへへ」
「どうせまた、綺麗なお姉さんがどうとかって言うんでしょ…!」
だいたい、朱夏は――とシルヴィアが積年の恨みでも晴らさんとするかのように、言葉を発した瞬間、眼前の丘の上から、一頭の栗毛の馬が斜面を駆け下りてきた。
「わ、なに!?」
すっと、反射的に一同は武器を手にした。しかしながら、それがただの馬で騎手もいないことを悟ると、不可解そうに顔を見合わせて、凄まじい勢いで疾駆する馬を観察していた。
やがて、距離が近づくにつれて馬は速度を緩めた。そうして、そのまま燐子の元へと距離を詰めてきた馬を見て、彼女は目を丸くした。驚くべきことに、その馬には見覚えがあったからだ。
「もしや、マロンか…!?」
明日も定時の更新を予定しています。
絶えず更新していますので、毎日見る暇などないよ!という方は、
週末にまとめて読んで頂けたらな…なんて考えてしまいます。
時間という対価に見合うだけのクオリティを生み出せるように、日々精進して参ります。
よろしければ、ブックマークや感想、評価など頂けると、励みになります…。
当然、目を通して頂けるだけでも十分ですよ!