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竜星の流れ人  作者: null
四部 四章 美しき獣の巣の中で
144/187

砂漠の歓迎

四章スタートです。


章始めはミルフィ視点となっています。

「ふぅ…」ミルフィは、額に浮かんだ珠のような汗を拭った。背中には、女王親衛隊の紋章が輝いており、翻るマントコートは秋風を頬張りはためいていた。


「大丈夫か、セレーネ」後ろから聞こえてくるのは、アストレアの声。「はい、お姉さま。私のほうは心配要りませんので、他の方を」


 そう答え、後方を振り返ったセレーネの視線の先には、砂に足を取られてのんびりとした行軍になってしまっている騎士団の姿があった。ここからは見えないが、一同の中に自分の愛馬であるマロンもいるはずだ。


 今、自分を含めた女王親衛隊や、騎士団員、それから一部の民間からの志願兵は東の砂漠を渡っていた。


 秋の昼間とはいえ、遮蔽物もなく、砂の照り返しをまともに受ける不毛の大地では、歩いているだけで大きく体力を奪われる。訓練を受けていない志願兵や、怠惰な暮らしを送っていた情けのない騎士団員は、なおのことこの苛烈な環境下で弱音を上げていた。


 先頭を行くミルフィは、王女と女王のやり取りを聞きながら、蒼穹を仰ぎ、一つ、誰にも聞こえないため息を吐いた。


(…東の砂漠か。お父さんも、きっとこの場所を通ったのね)


 帝国と王国の国境線に位置するこの場所は、両国が衝突する数の多い場所でもある。軍事的な要所でもある東の砂漠だったが、環境が悪いため、両国とも自国近くに壁を築いている以外、何も置いてはいなかった。


 もちろん、兵を派遣しての小競り合いは度々起こっていたので、徴兵された兵が派遣されることも少なくはなかった。実際、ミルフィの父がそうだ。


 お互い、国境をアピールするための派遣。父の死にどれだけの価値があったかなど、考えなくとも分かる。


(暑い思いをしたんだろうなぁ、食べ物だって、十分になかったのかもしれない)


 集団よりも少し離れた先頭で、ミルフィはぴたりと足を止めた。その横顔は悲哀に歪んでいたのだが、幸か不幸か、彼女の後ろ姿を見てそれが分かる者は、今はいない。


(戦争になんか参加させられなければ、今頃お父さんだって、カランツの山の幸を食べて、透き通った水で喉を潤して…)


 そこまで考えて、ミルフィは俯いた。


 これ以上は、考えるだけ時間の無駄だ。自分にとって、毒にしかならない。


「ミルフィ」


 追憶と虚しい妄想を断ち切ったミルフィの背中に、誰かが声をかけた。振り返ると、銀髪にうっすらと砂埃をつけたアストレアが立っていた。


 本当に、彼女はセレーネやヘリオスに似ていない。諦観を匂わせる面持ちもそうだが、二人の金糸のような金髪に比べ、アストレアは銀髪だったためだ。ただ、瞳に宿る灰色の円環だけは、彼女ら三人に共有して見られた。


「無理はしていないか」燐子に似た口調が、彼女の心をざわつかせた。「はい。大丈夫です」


 努めて冷静であることを装い、また進路の先へ視線をやる。


 目指すは東、帝国だ。


 長く、王国と争いを続けている国であり、カランツにいた頃は、森を焼かれたりと死活問題のレベルで迷惑をかけられた国だ。


 そして今は、燐子がいる国でもある。


(…全く、何がどうなったらそんなとこにいんのよ。燐子ってば)


 ミルフィ個人は、さして帝国に憎しみがあるというわけでもなかった。もちろん、帝国兵の姿を見れば嫌悪で眉間に皺もよるし、自分たちの生活を脅かしたことは許せない。


 ただ…、世界を少しだけ知った今のミルフィは、全ての罪を『帝国』という枠組みに押し付けるのはどうにも間違っているような気がしていた。


 事実、父が死ぬことになったのは徴兵をかけた王国のせい、もっと言うと、前女王のせいだ。


 人には人の行動理由がある。何が大事で、何を賭けられるかは人それぞれだ。


 燐子が自らの誇りとかいうもののために戦う一方で、ライキンスは、燐子との会話の中で、支配者となるために戦うと豪語していた。


 同じ流れ人なのに、こうも違うなんて驚きだ。いや、流れ人かどうかなど関係はないのだろう。


 ふと気になって、ミルフィはアストレアを再び振り返った。彼女は、すでにセレーネのほうへと顔を向けており、いかに頭の中が妹のことでいっぱいかが分かりやすかった。


「一つ、伺ってもいいですか?」

「え?あ、あぁ、なんだ」


 こちらから声をかけることが珍しいからだろう、アストレアは酷く驚いた顔をしていた。もしかすると、セレーネを凝視している姿を見られて焦ったのかもしれない。


「アストレア王女は、どうして戦っているんですか?やっぱり、国のため?」

「…いや、違う」


 彼女は後方を振り返った。視線は騎士団のほうに向けられているが、後に発せられた言葉から、アストレアがもう随分遠くなったプリムベールの都を頭の中に描いていることが分かった。


「僕は、あんな国なんてどうだっていい。民衆は愛すべきとも思うが、私にとって、それは大した意味を成さない」


 その王女らしからぬ発言にぎょっとして、ミルフィは目を丸くしたまま口をぽかんと開けた。


「じゃ、じゃあどうして?」

「…言わなくても、分かるだろう」


 少しだけ間を置き、そう呟いた彼女の頬は西日を受けてほんのり赤くなっていた。いや、太陽のせいだけではないことぐらい、自分にも分かっている。


「ははぁん。セレーネがいるからですね」

「…悪いか」

「いえいえ、全然」

「その割には、何か言いたげな顔に見えるがな」

「いいえ、分かりやすくて何よりです」


 からかいを含んだミルフィの言葉を受けて、アストレアはほんの少しだけ苦い顔をしたが、やがて諦めたようにため息を吐くと、肩から下げた荷物を大儀そうに担ぎ直した。


「言ったはずだ。僕はこの国なんてどうでもいいと。セレーネさえいなければ…、こんなところに戻ることはなかった」


 繰り返し、セレーネさえいなければ…、と呟く彼女を見ているうちに、からかう気持ちなど露と消えた。


 薄暗い澱を映したような瞳の奥に、ある種の呪縛が渦巻いているのが分かる。


 消えない怒り、行き場のない虚しさ、それから、ほんの少しだけ燃えている責任感。


 その呪縛は、きっと生まれという名のしがらみだ。そして、それに縛られることは、アストレアに限ったことではないだろう。


 女だから、男だから。

 王族だから、貧民だから。

 侍だから、そうではないから。

 普通だから、そうじゃないから…。


 誰もが何かに縛られている。自分自身も、きっとそうだ。


「ヘリオスも…同じなのかしら」ふと気になって、ミルフィは呟きを漏らす。「アイツも、王国なんてどうでもよくて…、ただ、自分のしたいことばかり考えたから…」

「愚弟のことなど、知らん」


 アストレアは急にぶっきらぼうに言い放つと、一定の速度を保ったままでミルフィを追い越した。


 突然どうしたのだろう、とその背中を見送っていると、彼女はおもむろに剣へと手を伸ばし、抜刀した。


「あ、アストレア王女?」

「静かにしろ」じっと、砂丘の向こうを睨みつけている。「嫌な気配がする」


 そう言われて、ミルフィも急いで長弓を構えた。ずしりと腕にくる重さが今ではちょうど良い。


 砂漠の熱に晒されながら、耳を澄ます。すると、確かに少し先のほうから何かが動いているような低い音が聞こえてきていた。


「…大きい」独り言にアストレアが頷く。「段々近づいてくるわ。これは…」


 低い地鳴りのような音が、振動となって骨身に広がる。地面が揺れている、と気づくのに、そうたいして時間は必要なかった。


 ようやく異変に気がついた騎士団のざわめきが、後方で騒々しく高まっているものの、ミルフィとアストレアは今やそれどころではなかった。


 地鳴りと振動がさらに大きくなったところで、ミルフィは弾かれるようにして叫んだ。


「王女、下っ!」


 声と同時に二人は左右に飛び退いた。砂に足を取られてミルフィは転倒したが、今まで自分たちがいた場所を飲み込むようにして現れた巨大な影に、砂を払い除ける余裕すらなくなる。


「無事か!?」

「え、ええ…」


 ミルフィは、王女が自分を案じる声を上の空で聞いていた。


 二人の目の前を横切り、再び砂中へと姿を消したのは、大きな鮫だった。砂を飲み込んだ大口のおぞましさに言葉を失っていた彼女だったが、やがて、騎士団のほうから悲鳴が上がっているのを聞きつけて、アストレアと共に全力で駆け戻る。


 蟻の巣が崩壊したみたいに逃げ惑う、騎士団と志願兵。砂上に残った赤い血痕を見るに、すでに数名の犠牲者が出ているようだった。


「セレーネ、僕のそばにいろ!」


 愛する妹の元に戻っていたアストレアがそう強く言う。だが、女王は凛とした表情を崩さないまま、首を横に振った。


「いえ、ダメです。すぐに戻って騎士団の指揮を行います」

「何を言っている、危険だ、巻き込まれるぞ!」


「お姉さまこそ、何を言っているのですか?巻き込まれるも何も、騎士団は私のものです。自分の脇腹を食い破られているのに、どうして逃げ隠れできますでしょうか」

「綺麗事を言っている場合か!離れられると、お前を守りきれないかもしれないんだ」


 ちらり、とセレーネの眼差しが様子を窺っているミルフィへと向いた。それから彼女は毅然とした表情を浮かべると、ハッキリとしたアクセントでアストレアに言ってのける。


「ならば、貴方も共に来て下さい。そして、私を守る剣となり、敵を葬って下さい」

「せ、セレーネ…?何を…」


 突然、妹から女王へと姿を変えたセレーネにアストレアが狼狽しているのを見ると、再びセレーネは凛とした声音で付け足した。


「何もヘチマもありません、これは女王の命令です。私が大事だと言うのなら、今すぐに私に力を貸しなさい!」


 きゅっと結ばれた唇は砂漠の空気のために乾いているようだったが、それでも、セレーネの美しさは保たれていた。


 彼女は槍を手に砂丘を引き返すと、「ミルフィ、貴方も力を貸して!」と叫んだ。


「お、おい、待て、セレーネ…」


 片手を伸ばし、語尾を小さくしていくアストレアの隣に移動する。彼女は何やらぶつぶつ小言を呟いているようだったが、やがてミルフィのほうへ顔を向けた。


「行かないの?私は行くわよ」肩を竦めてから、また言葉遣いが戻っている、と自覚したが、今更戻しても仕方がないかと諦め、皮肉な笑みを浮かべた。「逆らえば死罪になるかもしれないし、ね」


 アストレアが何か言いかけるが、構わず自分も斜面を滑り降りる。熱された砂の上はとんでもなく熱かったが、火傷したりするほどではない。秋の風が多少は冷やしているのだろう。


 混沌の最中に赴けば、すぐに声を張り上げて指揮を執っているセレーネの姿が見えた。


「みなさん、一個小隊で動いて!固まりすぎず、散らばりすぎないで!戦えないものは岩の上か遮蔽物の陰に入って、早く!」


 その声が鶴の一声となり、混乱していた騎士団にも統率が戻る。「さすがは女王」とからかうと、セレーネは冷たい横顔のままで、「死罪にしますよ」と表情一つ変えずに言った。


 冗談だと思いたいが、民の命が絡むと真剣すぎる彼女のことだ。案外、本気で怒っているのかもしれない。


 一応、謝っておくか、とミルフィが考えていると、再び黄色い川のような砂上が揺れた。


「仕掛けてくる」とっさに矢を番える。「食べられたりしないでよ、女王様!」

「分かっています!」


 振動の位置から、なんとか相手の居場所を突き止めようと試みる。しかし、流動性に優れた砂地のせいで、まともに感知できない。


(こうも慣れない場所だと、いつもの狩りみたいにできないじゃないのっ…!)


 聴覚を頼りに位置を探ることを続けるが、それもままならないうちに、少し離れたところで荷馬車が飲み込まれた。


 淡黄色の表皮はあっという間に砂へと染まり、また見えなくなる。刹那見えた鈍色の牙と、赤黒い目以外は、何も掴めないままだ。


「あんな化け物がいるのに、よく砂漠を越えようなんて思ったわね!ほんと!」


 愚痴を吐き散らしながら、索敵を続ける。


「あのような魔物、今まで報告になかったのです!」

「じゃあなに?海から歩いて来たわけ?」

「私に聞かないで!」ムッとした飾り気のないセレーネの声に、場違いにも頬が緩む。


 あの一件以降、セレーネもだいぶ心を許してくれたのかもしれない。もちろん、それはこちらとて同じことなのだが。


 いつまでも笑っている場合ではない。振動は絶えず続いており、あちこちで悲鳴が聞こえているのだ。


 そのうち、周囲が強く揺れた。自分たちが狙われていると直感する。


「セレーネ、来るわよ!」

「ど、どこから!?」


 神経を張り巡らせ、位置取りを追う。だが、明確に察知する前に、化け鮫が己の領域から姿を現した。


 狙いは真っ直ぐ、セレーネに向けられていた。


「よけて!」


 ミルフィの声が聞こえるより先に、セレーネが横に大きく躱す。かすりもしなかったわけだが、強く飛びすぎて、女王が砂の上に転がり落ちそうになった。


 そのとき、彼女の体を片膝立ちになって支える者がいた。銀髪を煌めかせた、彼女の姉だ。


「…もう、遅いです」唇を尖らせて、セレーネがそう言う。アストレアは真面目な表情を保とうとしていたが、ほんのり照った頬の色は隠し通せない。


「早くなんとかするぞ。このままでは、時間の問題だ」

「分かっています。…お姉さま、アレを斬ることは可能ですか?貴方の、い、居合?とかで」


「…無理だな」しばしの沈黙の後、彼女はそう答えた。「まぁ、どうしてなのですか?」


 セレーネを真っ直ぐ立たせたアストレアは、耳を澄ますために目を数秒閉じていたのだが、ややあって目を開くと、「奴が来る方角がまるで分からないからだ。僕の居合は、正面からの相手には強いが、それ以外では、むしろ不利だ」と淡々と告げた。


「そうですか…」と残念そうに呟く女王。それを合図にしたみたいに、また一つ、荷馬車が叩き潰された。


「貴重な物資が…。早くなんとかしないと」


 憂う女王の視線の先、粉々になった荷物の中に、キラリと光るものが見えた。

 目を凝らし、それが何なのかを悟ったミルフィは、深刻そうに小声で話し合う二人に不敵な笑みを浮かべ言った。


「私に良い案があるわ」


「何?本当か」アストレアが問うのに続き、セレーネも言葉を重ねる。「一体、どんな案なのですか」


 二人の縋るような眼差しにほんのちょっとだけ優越感を覚えながら、ミルフィは胸を張った。


「ふふん、私は猟師なのよ?魚を獲るとなれば、アレしかないじゃない」


 得意げな顔になったものの、もしかすると、二人はアレをしたことがないんじゃないか、とミルフィは変に不安になるのだった。

読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!


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