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竜星の流れ人  作者: null
四部 三章 成すべきこと
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成すべきこと

三章、最後の部分です。

 夜が明けても、燐子の暗い気持ちが晴れることはなかった。それこそ、足元で日が傾くのを待っている、日陰の花のようには。


 たまには休むといい、そう鏡右衛門に告げられて、久しぶりに一日暇を貰った燐子だったが、こんなに悶々と考えを巡らせてしまう時間を与えられるくらいなら、魔物でも狩っていたほうがマシだった。


 横幅数メートルの細長い川の岸にしゃがみ込み、流れる水のせせらぎ、光の反射、泳ぐ魚の影に感覚を傾けようとするも、どうにも上手くいかない。


 理由は分かっていた。先ほど足を伸ばした、収容所の様子を目の当たりにしてしまったからだ。


 収容されていたのは、獣のように目をギラギラさせた野盗たちや、昨日の一件で捕まった竜神教の信徒。


 部屋は違えど、それらが同じ建物に入れられていることに、燐子は戸惑いを覚えた。両親を紫陽花と朱夏に殺された少女が、部屋の隅で蹲っているのを見たときは、憤りで叫び出しそうになった。


 しかし、同じように様子を見に来ていたガラムの憔悴しきった姿を見て、ぐっとこらえた。自分よりも深い悲しみの中にいる彼が耐えていることを、よそ者の自分が耐えられないというのは情けのない話だと思ったのだ。


 彼らは、国家反逆罪、という物々しい罪状と共に処罰を待っているとのことだが、果たして、実際に国家に仇成そうと思った者が、どれだけいたのだろうか?そして、あの少女がどういう形で国家に反逆しようとしたというのだろうか。


 分かっている。所詮、罪状などは形式上のものだ。目的はあくまで、少しでも疑わしい者を罰し、監視することにあるのだから。


 桜狼が言ったように、それが犠牲を最小限にする手法なのかもしれない。罪のない者を裁く資格が人にあると思えるのなら、それでいいのだろう。


 苛立ちと共に、石ころを川に投げ込む。小さな気泡はすぐさま水の流れに飲まれ、下流へと押し流されていった。


(これが…弱き者の運命なのか)


 脳裏に蘇るのは、ララの物言わぬ骸。


(彼女が今言葉を持ち得るのだとしたら、あの小さな口は私への呪詛を吐くだろう。そして、時が戻れば、むしろ、私の背中を突き飛ばすかもしれん)


 考えてもしょうがないことが、燐子の頭でぐるぐる回り始めたところで、ふと、後方から自分を呼ぶ声がした。


 振り返れば、堤防の上から自分に向かって手を振る朱夏の姿があった。その隣には、日傘を差したシルヴィアもいる。彼女のほうは、相変わらず能面みたいな表情でこちらを見下ろしていた。


「燐子ちゃん、どうしたの?こんなところで」


 勢いよく堤防を駆け下りた朱夏に、シルヴィアが手を伸ばしかけてやめた。それから、シルヴィアは燐子のほうをじっと睨みつけるように見つめていた。


「…別に、暇だったのだ」

「ふぅん」興味がないなら聞くな、と視線を逸らす。「それで、お前たちこそどうしたのだ」

「私?今日はお休みだから、シルヴィアとお散歩」


 確かに、今日の二人の格好は仕事という感じではなかった。朱夏は普段よりさらに丈の短いスカートを履いていたし、シルヴィアも黒のワンピースを身に着けていた。どうでもいいが、シルヴィアの黒と白の対比はとても美しかった。朱夏の背負った大太刀が酷く無粋だった。


「散歩じゃない…」ぼそり、といつの間にか上から下りて来ていたシルヴィアが言った。朱夏が意味を問い返すと、「何でもない」とはぐらかすように顔を背ける。


 燐子は、何となくシルヴィアの横顔を眺めていた。


 黒の日傘に、黒のワンピース。それに対比する白磁器のような肌。ほんのりと、頬は赤く染まっていた。


 あまりに無遠慮に見ていたせいか、じろり、とシルヴィアの赤い瞳がこちらを捉えた。顔は横に向いたままだったので、よく気付いたな、と変に感心してしまう。


「そんなに珍しいですか?私のことが」刺々しい物言いだったが、不思議と気にならなかった。無礼なのは自分だと分かっていたからだろうか。「いや、そうではない」


「嘘です。どうせ、気持ち悪いとでも思っていたのでしょう」

「なに?」


 相手が言っている意味がまるで理解できず、燐子は目を丸くしていると、間に入るようにして朱夏が口を挟んだ。


「ちょっと、シルヴィアってばー…。燐子ちゃん、そんなこと言ってないじゃん」

「そんなはずない。そいつ、私をジロジロ見てた。他の奴らと変わらない。そいつだって…!」

「もぅ、シルヴィアの考えすぎだってぇ、ね?燐子ちゃん」


 シルヴィアがヒートアップしかけたところで、朱夏がそう燐子に話を振った。誤解を避けるべく、本当のところを伝えるべきだと思っていたので、ある意味ではちょうど良かった。


「そうだ。むしろ、お前の姿には人間離れしたものを感じる」

「やっぱり!私を化け物扱いしてるんだ!」


 ――しまった。またやってしまった。


 思ったことを率直に伝えすぎたようだ。相手の気持ちを推察することへの苦手が、ここでも出てしまった。


 あの朱夏でさえ、呆れたふうに額に手を当てて、首を左右に振っていた。狂人代表のような彼女にそこまでされると、さすがにへこむ。


 物静かな第一印象とは裏腹に、今にも飛び掛かってきそうなシルヴィアを見て、燐子は火に油を注がぬよう注意しながら、自分の中の語彙を振り絞って彼女の容姿を称えようと試みる。


「すまない、誤解を招くような言い方をしてしまった。そうだな…、何と言えばいいのか、お前の容姿は、うぅむ…」

「言い訳なんか、いらない。朱夏、私はやっぱりこんな奴のことは認められない!」


 こんなとき、父ならどうするだろう、と考えていると、不意に、父が自分に教え込もうとして、結局は実にならなかった和歌や俳句、風流なもののことが思い起こされた。


 当時の記憶をありったけ集めて、自分なりに頭の中に言葉を描く。まとまりがあるかは別として、こんなところだろう、というところで言の葉に変える。


「シルヴィア、お前の姿は雪のようだ。誰も踏み荒らしていない、新雪。穢れなき白。夕日のように燃える瞳は、お前の白さを際立たせ、ある種、人間離れした美しさを放っているように見えるのだ。だから――」

「え、ちょ、ストーップ!」


 渾身の力を込めて、シルヴィアの容姿を褒め称えていたところで、朱夏が大声を発しながら燐子に体当たりしてきた。体幹は鍛えているはずだが、易々と弾き飛ばされる。


 危うく草むらの中に横倒しになりかけたところで、体勢を整える。意味不明な扱いに怒りを覚え、弾かれるようにして朱夏を睨みつけると、こちらが文句を言うより先に朱夏が凄まじい勢いで袈裟斬りを繰り出していた。


 呼吸の止まるような斬撃をひらりと紙一重で横に躱し、続けざまに振り抜かれる薙ぎ払いを、素早く抜刀した太刀の腹で逸らし、今度こそ朱夏を怒鳴りつける。


「おい、朱夏!何だいきなり、殺すつもりかッ!」


 すると朱夏は、怒りをぶつけられているというのに、平然とした様子で言った。


「えぇ、これ本物の燐子ちゃんだ」

「当たり前だろうが、この馬鹿者!お前、昨日私にした仕打ちを忘れて――」

「む。馬鹿はそっちじゃん。急にガラにもないこと言ってさ、燐子ちゃんの偽物かと思ってもしょうがないでしょ」

「わ、私は、私なりに必死にだな…!」


 やはり、下手な賛辞だったか。分かってはいたことだが、面と向かって否定されると、耐え難い羞恥の念に襲われるというもの。


 燐子が鞘に太刀を納めながら、小言を繰り返していると、同じように大太刀を納刀していた朱夏が、「ま、これで分かったでしょ、シルヴィア。燐子ちゃんはシルヴィアのこと悪く思ってないよ」と朗らかに笑って言った。


 とても眩しい、向日葵のような笑顔だった。昨日の殺戮も挑発もなかったことのように。


「…ふん」

「ちょっとぉ、まだ怒ってんの?」

「別に」


 淡白な物言いで返すシルヴィアを見て、朱夏が怪訝そうな顔つきになる。背の低い草木を揺らす風が、彼女のブロンドの髪も揺らしていた。


「…もしかして、照れてる?」人差し指を頬に当て、小首を傾げた。「おかしなこと言わないで」

「あぁ!ほっぺが赤ぁい!照れてんじゃん」


 添えていた人差し指をシルヴィアの顔に向けた朱夏を見て、行儀の悪い奴だと思ったが、その無神経さも年相応に映り、燐子は、しばし彼女が狂人であることを忘れた。


 穏やかな風が吹いている。水面は波紋を生み、秋の涼やかな光を反射し続けている。


 朱夏は、照れていないと言い張るシルヴィアに駆け寄り、飛びつくようにして彼女の腕に抱き着いた。なんとか逃れようと身をよじったシルヴィアだったが、朱夏の剛力の前にはなす術もない。


「ずるいなぁ、私だって、シルヴィアにこんな可愛い顔させたことないのに!」


 すると、朱夏は燐子にならって、シルヴィアの容姿を褒め称える言葉を並べ始めた。


 パール、ムーンストーン、ホワイトサファイア…。

 ホイップクリーム、マシュマロ、大福…。


 大福以外、何を言っているか分からなかった燐子は、誉め言葉としてお菓子を用いるのはどうだろうと、疑問を抱いた。

 しかしながら、シルヴィアの頬が雪に血の雫が落ちたみたいに赤く染まったところから、褒めること自体は成功しているらしいことが分かる。


(普通の女子は、大福の白さと比較されて嬉しいものなのか…。なんとも理解しがたいものだな)


 上の空で燐子がそんなことを考えていると、顔を赤くしたままでシルヴィアが顔をそちらに向けた。瞳の赤には負ける頬の色が、とても幼く映った。


「まぁ、私も誤解があったのは認めます。すみませんでした」


 素直に謝られて多少驚きはしたものの、やはり悪い気はしない。朱夏の友人だという先入観から、彼女も狂人なのかと思っていたが、そうではないらしい。


「いや、無理もない話だ。事実、私は何度か帝国兵と戦っているし、ジルバーや朱夏を斬りつけているのだ。仲良くしろというのが、土台難しい」

「それはそうかもしれませんが…、当人がこの調子ですし」


 そう言ってシルヴィアが一瞥した先では、すでに二人のやり取りに興味を失ったらしい朱夏が、泳ぐ魚に向けて石ころを投げつけている姿があった。


 的確に魚に石をぶつけ、ぷかりと浮き上がって来た魚を見て笑う朱夏には、うすら寒いものを感じざるを得ない。


 彼女は、弱者を痛めつけることに何の良心の呵責も覚えない。抜け落ちた歯車を今さら取り戻すことはできないのだろう。


 そう思うと、どこか朱夏が哀れにも思えたが、それは自分自身にも言えたことか、と自嘲気味な笑いを浮かべる。


「あ、そうだ」不意に、シルヴィアが小さく声を上げた。何かを思い出した様子で、目を少し見開き燐子のほうへと視線を戻す。


「貴方宛てに言伝を預かっております」

「私に?」


 そのときの燐子は、てっきり、鏡右衛門から新たな指示が来ているとばかり思っていた。シルヴィアがこの数日間どこへ行っていたのかなど、まるで頭になかったのだ。


 だからこそ、彼女の口があまりにも聞き慣れた言葉を紡いだとき、一瞬、頭が真っ白になり、何も考えられなくなってしまった。


「はい、ミルフィ、という赤髪の女性の方から」


 ミルフィ、という名前を飲み込むのに、一体、どれだけの時間を要したことだろうか。


 不貞腐れたようなしかめ面や、稀に見せる愛らしいはにかみ顔、慈しみを感じさせる優しい声音…。


 数えきれないほどの『彼女』が脳裏を走り抜ける際に、一体、どれだけの思い出が蘇ったことだろうか。


 凍てつく時が、思い出と朱夏の高い笑い声によって溶かされ、ようやく燐子は口をまともに動かすことができた。


「み、ミルフィといったか…?」

「え、ええ…。どうしました?このまま話を続けても大丈夫ですか?」


 燐子の困惑が伝染したかのようにシルヴィアも戸惑っている様子だったが、少しだけ間を置いて燐子が頷いたのを見て、ゆっくりと言葉を続けた。


「『色々と言いたいことはあるけど、これから会いに行くから無事で待ってなさい。それから、ごめんね、馬鹿燐子』…だそうです」


 シルヴィアの発した言葉が、ミルフィの声音となって頭の奥で再生される。どうしてだか、彼女がどんな表情で今の言葉をシルヴィアに託したのかも想像できた。


 彼女がそばにいる気がした。それだけで、自然と背筋が伸びた。心なしか、景色も明るく、鮮やかに、遠くまで見えるような気さえする。


 一つ、息を吐いた。ため息ではない、心の中に巣食っていた何かを斬り捨て、吐き出したのだ。


「…馬鹿は余計だ。全く」


 燐子の口元が綻ぶ。長い戦いが終わった後のような疲労感と、奇妙な清々しさを覚えて、燐子は太刀の柄に掌を当てた。


「あの…」と遠慮がちにシルヴィアが声を発した。その顔には、敵対的な色合いはまるで見えない。「一つ、お伺いしたいのですが…」


「なんだ」と燐子が短く応える。


 シルヴィアは、朱夏が未だに魚取りに夢中になっているのを確認すると、一つ声を小さくして尋ねた。


「貴方とあの女性は…そのぉ、どういう仲なのですか?」

「――相棒だ」


 大事な、と心の中で付け足した燐子は、活力に満ち溢れた瞳で風の吹いてくる方向を見つめた。


 そうだ、大事な相棒だ。


 背を預け、共に飯を食い、文句を言い合い、思い出を分かち合う、相棒。


 ふと、燐子は収容所のことを思い出した。そこで蹲る、少女の姿も。


 どうしてだろうか、今なら、不思議と自分がやるべきことがハッキリと分かる。


 遠くからやって来る相棒に胸を張るためにも、やっておかなければならないことがある。


「すまん、用事ができたので失礼する」


「え、あ、そうですか…」と物言いたげにしているシルヴィアに背を向け、燐子は来た道を引き返し始めた。


「燐子ちゃん、どこ行くの?」


 魚取りに飽きたらしい朱夏が、遠ざかる燐子の背中に尋ねる。すると彼女は、振り向かないまま、澄んだ声で答えた。


「忘れ物を取りに戻るだけだ」


 カチャリ、と太刀が鳴る。たぎる血潮に応えるように。


 置き忘れてきた誇りを再びその手にするため、燐子は踵を返すのだった。

こちらで三章は終わりとなります。


大事な人と仲直りするための話が、

四章より始まります。


今後とも宜しくお願いします!

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