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竜星の流れ人  作者: null
四部 二章 紫陽花の花
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紫陽花の花

お読み頂いているみなさま、いつもありがとうございます。


二章はここまでになっております!

明日からは三章が始まりますので、そちらもよろしくお願いします!

「ガラムが、敵の尻尾を掴んだようよ」カチン、と太刀を納めた燐子の背中に、紫陽花が言った。「本当か?」


 息一つ乱さぬまま、血溜まりの上に立つ燐子を見て、紫陽花はゆっくりと微笑んだ。相変わらず上品な仕草だが、彼女が朱夏とは違う種類の毒花であることを知っている燐子からは、とてもおどろおどろしく見える。


「ええ。竜神教の信徒がスラムのほうで集会を行っているらしいわ」

「なるほど…。隠れキリシタンのようにか」

「カクレキリシタン?」紫陽花が小首を傾げたのを見て、燐子は軽く首を横に振る。「いや、何でもない。忘れてくれ」


 燐子と紫陽花は、もう何度目かになる魔物の討伐を行っていた。今回の場所は、グラドバラン領から数キロしか離れていない草原だった。


 麦に似た作物が揺れているのが見えるこの街道で、かつては人だった命を斬り捨てた燐子は、迷いなく踵を返し、グラドバラン領へと向かう街道を辿る。


「あら、気が早いのね」今回は出番を譲ってくれた紫陽花が、隣に並んで言う。

「…どうして、町を発つ前に言わなかった?」

「さっき伝書鳩が飛んで来たのよ。そうじゃなくても、言ったら貴方は仕事を放棄しちゃうじゃない?」

「私は侍の娘だ。約束を反故にするような真似、死んでもせん」


 そう口にしながらも、燐子は頭の中で、侍か、とぼやいていた。


 侍という言葉すらも、すっかり使う機会が少なくなっている。


 日の本では、女剣士として歩く人生は暗い夜道に似ていた。そんな夜道を照らす光が、侍という言葉だった。


 自分の中で激しく瞬いていた一等星が、こうして、時間の流れに光を奪われていくのは、とても心苦しい。


「侍って、鏡右衛門様のような方のことを示す言葉よね?」


 当然のように隣を歩き続ける紫陽花が、そう問いかけた。あまりに気安くその言葉を使われて、燐子は少し不愉快だった。


「そんなに簡単なものではない。侍とは、誇り高い血筋に生まれ、武士としての誇りを重んじて、正道を歩む者のことを言うのだぞ」


「ええ、分かっているわ。でも、それなら鏡右衛門様はまさに侍でしょう?」

「どうしてそう思う」


 そう口にした燐子は、どうせ根拠のない話が紫陽花の口から飛び出てくるものだとばかり考えていたのだが、実際に彼女から語られた話に、燐子は驚きを禁じ得なくなる。


「上品な振る舞い、剣士としての異質な強さ、そして、弱者にも分け隔てなく手を差し伸べる懐の深さ…かしら」

「弱者にも?鏡右衛門殿は、何かそうした政策を取られているというのか?」


「もちろん。鏡右衛門様は戦争で家族を失った孤児のお世話をしているの」

「ほう。それが真のことなら、確かに鏡右衛門殿は仁義のある御方と言えるだろうな」

「ふふ、意外と疑り深いのね、燐子は」


 艶やかな笑みを浮かべた彼女は、燐子の少し先へと足早に移動すると、不意に立ち止まり、くるりと体を燐子へと向けた。


「でもね、これは本当の話よ。だって、ここに生き証人がいるもの」


 西日が彼女の紫の髪を照りつけ、鮮やかな色彩を生み出している。身を包む着物と調和して、隙のない美しさを放っていた。


 燐子はそんな紫陽花を怪訝に見つめると、「お前が?」と聞いた。


「ええ。私は十年以上前に、鏡右衛門様に拾われたの。王国騎士団が焼き討ちにした村の生き残りとして、嬲られかけていたところをね」


 人の醜悪さと善良さを同時に感じさせる話を耳にして、燐子は視線を逸らすほかなかった。どうにか呟いた、「そうだったのか…」というぼやきは、秋の風に追い越されて、紫陽花に聞こえたかどうかも定かではない。


 それにしても、と燐子は無意識に太刀へと手を掛けながら考える。


 つい先日まで自分が属していた一団が、そのような愚行を犯していたとは…。

 いや、元来、人間とはそういうものか。清廉潔白な集団など、得てしてありえたものではない。


 どれだけ清らかな水にも、澱みがあるように。

 あるいは、栄養の行き届かない木が、葉先から枯れ落ちるように。


 カランツを襲った帝国軍だってそうだった。村人たちの尊厳を脅かすような真似をしていた。


「それは、なんとも不幸な目に遭ったな」


 お前のことを誤解していたかもしれん、と言葉を続けかけていたところ、紫陽花が苦笑と共に首を左右に振って言った。


「そんなことないわ。おかげで、すごいものを見られたのだもの」

「すごいもの?」と燐子が問う。


「――…あのときの鏡右衛門様ときたら、まるで死神のようだったわ。人の命は大事、そう教えられてきた私の前で、その両親を殺した騎士団たちの首を、羽虫でも払うように斬り落としたのだから」


 恍惚とした表情をする紫陽花に、どこか不気味さも感じていたが、きっと、無理もない話だと思い直す。


 そのときの彼女にとっては、鏡右衛門は救世主だったのだ。ある種、神と呼んでもいいかもしれない。


「あの頃の鏡右衛門様は、今よりずっと強かったのよ」

「なに、今よりもか?」勝ち目がない、とまで思った相手の実力を否定されるようで、思わず、声が大きくなる。「ええ、そう。さすがに、寄る年波には勝てないのかもしれないわ」


 それでも十分に強いのだけれど、と付け足した紫陽花はようやくまた道を歩き出した。


 小一時間歩いた後、グラドバラン城が肉眼ではっきり見える距離まで来ると、思い出したように話の続きを口にした。


「私の名前、不思議でしょう。紫陽花なんて、変な名前で」

「別に変ではないだろう。美しい花の名前だ。色の移ろいに関して、武士の中には嫌う者もいたが、私は好きだ」


「まぁ、お上手ね。…そう、そうだったわね。貴方は鏡右衛門様と同郷だから、紫陽花っていう花、見たことがあるのね」


 そこまで口にされて、燐子はようやく紫陽花の言いたいことが分かった。


 ミルフィ、ドリトン、エミリオ、セレーネ、ローザ、アストレア…。


 こちらの世界の住人の誰もが、日の本では聞き慣れない名前を持っていたが、帝国側はそうではなかったのだ。


 鏡右衛門に始まり、その娘である朱夏、そして、紫陽花、さらに桜狼…。


「まさか、名前も貰ったというのか」


 燐子の問いに、こくりと紫陽花が頷いた。


「その通り。それに私と同じように、桜狼も孤児なの。だから、二人揃って、鏡右衛門様の故郷に咲く花の名前を与えられているの」

「しかし、元の名前もあったろうに」

「そんなもの、何の意味もないわ。だって、その名前の女の子はもう、両親と一緒に土の下に埋められたのだから」


 そう口にした紫陽花の表情は、とても穏やかだった。人狼を解体した人物と同じとは到底思えないが、彼女のバックグラウンドを聞くと、どこかそれにも納得ができるような気がした。


「それでお前は、鏡右衛門殿を心酔しているというわけか」

「心酔と表現されるのは、どこか納得がいかないけれど…、まぁ、そうなるのかしらね」


 納得がいっていない、という表情ではなかったが、真偽のほどは分からない。ただ、その後彼女が告げた言葉には本心が込められているようだった。


「そういう経緯もあって、私は自分の名前がお気に入りなの。だからね、私のことは、『お前』ではなく、きちんと紫陽花と呼んで頂戴」

「…そうか。名前は、お前にとって新しい人生の象徴なのか」


 独り言のようにぼやいた燐子は、カランツでの夜を思い出していた。


 あの夜に戦いの中で感じた、本当の自分に出会ったような感覚。

 異世界という異色の輝きが照らし出した、陰の自分。


 そうして知った自分が、自分にとって大事なものに変わってしまったように。紫陽花のほうも、きっとかけがえのないものになっているのだろう。


 燐子は、今まで紫陽花に対して一度も名前を呼ばず、『お前』と呼び続けていたことを心苦しく思い、表情を曇らせた。


「承知した。紫陽花、今までの無礼、詫びさせてくれ」

「あら、意外と丁寧なのね。それじゃあ、どう?改めて、鏡右衛門様の下につくという話を考えてみない?」

「いや、何度も言うが、それは無理だ」


 青空に透ける、グラドバラン城の天守閣を見つめながら、燐子は言う。


「お前が名前を変えて、鏡右衛門殿の下で生きる道を選んだように、私も新たな道を選んだのだ。それを奪うことが難しいのは、今の紫陽花になら分かるであろう」


 紫陽花は一瞬だけ足を止めると、酷く困ったふうに笑ってから、「そうね」と呟いた。頬を撫でる風が畑の作物も揺らしている。その音が、とても懐かしいものに思えた。


 やがて彼女は、諦めに満ちた横顔のまま燐子の隣を通り抜けると、真っ直ぐグラドバランの城下町のほうを見つめて言った。


「残念ね、とても」


 それからすぐに、グラドバラン領の城下町に入った。どこへ向かうのか、と燐子が問うと、紫陽花はこのままスラム街のほうで落ち合う約束になっていると答えた。


 どうやら、スラム担当のガラムがすでに動いているらしい。


 狭い路地を抜けると、一気に人の気配が消えた。誰もいないというわけではなく、蠢くような気配だ。まるで、息を殺しているような…そんな感じだ。


 廃材の中に残る、生活の臭い。

 ボロボロの服が掛けてある、折れた角材で組んだ物干し。

 うろついている猫の、誰かの死を待つような卑しい瞳。


 ただでさえ暗い路地なのに、それらを見ていると心まで暗くなりそうだった。


 曲がり角が近づくと、わずかに人の気配を感じた。正確には、気配を殺していない気配である。


 角を曲がった先には、見知った顔があった。睨みつけるような粗野な形相、ガラムだ。彼の奥には怯えたような顔つきの浮浪者がいた。高齢で、とてもこの環境で生きていられるとは思えない様子だ。


「待たせたかしら、ガラム」


 紫陽花が言った。この世界の果てみたいな暗がりには、不似合いな美しい微笑だった。


「別に待ってねえ――」そこで言葉を区切ったガラムは、燐子の顔を見た途端、不快感を隠そうとしない声音で言った。「おい、何でその女がいんだよ」


「あら?鏡右衛門様にお聞きしていないの?燐子は今、危険と判断された魔物のハンティングを私と一緒に行っているのよ」


 狩猟のつもりがなかった燐子は、その表現に異を唱えたかったが、それより早くガラムが声を発する。


「よそ者と馴れ合うのかよ、紫陽花」

「それが鏡右衛門様のご命令ならば、私は家畜にだって尻尾を振るわ」

「…お前の悪い癖だぜ。何でもかんでも大将が中心で…」


「ふふ、貴方の言う通りだけど、それだけじゃないわ」紫陽花は首だけでこちらを振り向いた。「この子、朱夏やジルバーが気に入るだけはあるわ。不思議な人。鏡右衛門様に似ているのに、あの人が持っていない何かを持っている」


 おそらくは褒められているのだろうが、どうにもむず痒い気分だ。


 紫陽花の言葉を受けて、ガラムはじろり、と燐子を睨んだ。どうせ文句を言われるのだろう、と言い返す準備をしていると、彼は意外なことに、「それは何となく分かるし、腕も認める」と前向きな答えを返した。


「でもよぉ、絶対に味方だと納得できるまで、俺は認めねえぞ」

「貴方が認めなくても、鏡右衛門様が認めちゃったのよ」

「んなもん関係ねぇ。だいたい、紫陽花は――」

「ストップ。わざわざ呼びつけておいて、言いたいことは小言なの?」


 呆れたようなため息と共に言葉を発した紫陽花に、ガラムは目を閉じて小さく吐息を漏らした。それから、浮浪者然とした男に耳打ちしてから追い払うと、釘の突き出た廃材に腰をかけた。


「例の集会だが…、どうやら、ここスラム街で定期的に行われているみてぇだ。一体、どうやって俺の監視をくぐり抜けて…」


 悔しそうな声音にも共感を示さず、紫陽花は彼の言葉を遮る。


「ガラム、必要な部分だけ報告して」


 彼は苛立ったふうに眉を曲げたが、いつの間にか握り込んでいた石ころを壁に投げつけて気を晴らすと、話の続きをした。


「連中は週に一回、曜日はランダムで集まってやがる。詳細は分からねえが、スラムの人間から、町民、挙げ句は帝国兵までが参加してる。そいつらは全員、ライキンスの手先と考えたほうがいいだろうな」

「王国も、似たようなものだった」


 つい口を挟んでしまった燐子を、二人は無言で見つめた。一瞬、話を続けていいか迷ったが、ガラムのほうも先を促すように黙ってこちらを見ていたため、気にせず続ける。


「騎士団がどうだったかは分からないが…、貧困層を中心に、ごろつきや傭兵崩れのような連中もいた」


 セレーネと共に訪れた喫茶店の店先でこらしめてやった連中のことを思い出しながら、燐子はそう説明した。すると、ガラムはどこか悲しそうな顔をして俯くと、「やっぱりな…」とぼやいた。


「やっぱりということは、何か心当たりがあるのか」と聞き返すと、ガラムの代わりに紫陽花が髪を払いながら答えた。


「どちらでも、貧しい者が引き込まれているということよ」


 あぁ、と燐子は納得する。


 仕方のないことだ。形のない神に強く縋り、依存し、狂信し、命まで捧げられるのは、いつだって貧しい者だった。


 彼らの中には、どんなに真面目に生きていても、支配階級から一方的な搾取を受け、畜生同然に死んでいく者もいる。

 もちろん、父が統治する領地でそんなことはなかったが、よそでそうした話を聞くことは決して少なくはなかった。


 結果として、彼らは反乱を起こす。命を賭けて、自らを取り巻く世界を変えようとする。


 どうせ変えられないと知っているのにか、あるいは、新世界の産声を聞けると信じているのか…。それは定かではない。


 そうした歪みは、力のない者の生活を守れない、あるいは、守ろうとしない支配者たちが生み出すものと考えるべきなのだろう。


「なぁ、紫陽花」不意に、ガラムが言った。「何かしら」

「大将は、この件についてどう言ってんだ」

「…もちろん、疑わしき者は斬り捨てろということよ。町民だろうと帝国兵だろうと…スラム街の人間だろうとね」


 冷たい紫陽花の声を聞いて、ガラムは弾かれるようにして立ち上がった。その顔には、焦りや怒りが滲んでいた。


「待ってくれよ、ここの連中は学がねぇ。だから、簡単に騙されちまってるんだ!俺が説得する、だから――」

「駄目よ」


 ぴしゃり、と紫陽花が言った。明確な拒絶の意思を感じる、有無を言わさぬ声音だ。


「鏡右衛門様の命令は絶対。やれと言われたことはやらないと…私は、貴方も疑わなきゃいけなくなるわ」


 結局、ガラムの懇願は受け入れられず、今夜にでも集会所に討ち入りすることが決まった。今夜にしたのは、今日が週末で、今週はまだ一度も集会が行われていないからである。


 後で聞いた話だが、ガラム自身、スラム街の出身らしい。だから彼はスラムの人間を家族のように扱い、その環境の改善に尽力するべく帝国軍に仕官したらしいのだが…、こうなってしまうのは皮肉であるとしか言いようがない。


 少しでも無関係な人間をはっきりとさせて、危ない場所に立ち寄らせないようにする。


 そう言い残し、城に戻ろうとする燐子たちとは逆方向へと進むガラムの背中に、紫陽花が忘れ物でも思い出したように告げた。


「まぁ、貴方の好きにするといいわ。命令に逆らって、スラムの人々全員を庇うのであれば…それはそれで、面白いことになりそうだから、ね」


 燐子は、紫陽花の邪悪さに辟易としながら、顔面蒼白になっているガラムから目を逸らさずにはいられないのだった。

後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。


拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。


さらにご意見・ご感想、ブックマークや評価をして頂けている方、

いっそうの感謝を申し上げます!


今後とも、よろしくお願い致します!

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