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竜星の流れ人  作者: null
四部 二章 紫陽花の花
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天性の殺戮者

ブックマーク、評価を残してくださる方が意外と多くて驚いています。


とにもかくにも、まずはお礼を言わねばなりませんね。


みなさん、いつもありがとうございます。

 燐子が小型の獣の相手をしながらも、まず驚いたのは、例の人狼の異様なまでの反射速度だった。


 凄まじい勢いで突進していたはずの人狼だったが、刃を展開した大鎌の薙ぎ払いを受けて、一瞬で後退した。


 人間の体で行おうとすれば、必ず、一瞬は静止してしまうだろう動きであるが、人狼はそれを事もなげにやってみせている。


 やはり、尋常ではない。そう燐子が感じ取った、その直後のことである。


「どこへ行くの?」彼女にしか聞こえない呟きと共に、紫陽花はしなやかに大鎌を投擲する。


 弧を描き、陽光を反射した大鎌は、空気を切り裂きながら横に回転し、木の葉の上に着地した人狼に迫った。


 かろうじて、それを浮き上がって躱す。大鎌を飛び越えた人狼は、一目散に丸腰の紫陽花へと駆け出す。


「何をやっている…っ!」


 望んで武器を手放し丸腰になってしまうなど、まともな戦い方とは思えない。一撃で絶命させられる確信があるならまだしも、この状況では自分を追い詰めるだけだ。


 助太刀に向かおうと燐子が体の向きを変えると、すかさずその隙を突いて、小型の魔物たちが一斉に彼女の背中に飛びかかる。


「くそ、邪魔だ!」


 一番近い魔物を袈裟斬りにして、続くもう一匹も逆袈裟で両断する。


 煌めく白刃が朱色を帯びて輝くも、それで恐れをなすようなことはなく、魔物は際限なく燐子に向かって襲いかかった。


(これでは、あの女の援護にいけない…!)


 燐子は、今すぐにでも、得物を手放した紫陽花の元に駆けつけたかった。別に、彼女のことを心配しているわけではない。だが、万が一にでも死なれると、自分が疑われないとも限らない。


 ただ、小型とは言え、毛むくじゃらの魔物の動きは統率がとれており、一筋縄ではいかなかった。一体一体はたいした脅威ではないが、なにぶん、数が多すぎる。


 一歩、大きく後退し、魔物との距離を置いてから、紫陽花の様子を窺った。下手をすると、すでに抵抗できずにやられているかもしれない。


 しかし、燐子の予想は大きく外れていた。


 紫陽花の体が、ふわり、と背面宙返りで浮き上がる。

 攻撃を避けるには、人狼との距離はまだ遠い。


 一体何を、と燐子が不思議に思った直後、人狼の体が前のめりに倒れた。

 崩れ落ちた、というよりかは、飛び込んだような形だった。


 人狼の背中から鮮血が舞う。どういう原理か、投げた鎌が戻って来たようだ。

 紫陽花が曲芸じみた真似で敵に手傷を負わせた一方で、人狼も凄まじい反射速度で致命傷になるのを避けたのか。


 死角から受けた傷が致命傷になる前に回避する、というのはありえない話なのだが、実際に目にしてしまった以上、受け入れるしかあるまい。


 人狼の背中から首筋にかけて傷を残した大鎌は、そのままの勢いで紫陽花の手元に戻って来た。


 慣れた動作で鎌を掴んだ紫陽花は、後退したことで出来た間合いを詰めるように跳躍し、両手で思い切り振りかぶった大鎌を人狼に叩きつけた。


 鋭い爪と湾曲した刃がぶつかり合う。

 青空を焼くようなオレンジ色の火花が飛び散り、大きく見開かれた紫陽花のアメジストの瞳に映る。


 全体重をかけた一撃でも、互いの力は拮抗していた。徐々に押し返されつつあった紫陽花は、そのまま、もう一度宙返りして空中に戻ると、鮮やかに着地した。


 燐子は、もう何体目かも分からない魔物を斬り捨てると、血振るいしてから息を吐いた。すでに何体もの同胞が葬られていて、彼らは腰が引けている様子だった。


 この程度の獣では、自分の相手にはならない。

 集団の力で、抜きん出た個を破壊するのは確かに定石ではあるが、それはあくまで、優れた統率者があってからのこと。


 燐子は、戦上手と自負する軍師たちの布陣を幾度となく越えてきた。言語を用いず、音のみで意思疎通を行うだけの獣に、彼女は仕留められない。


 彼女のような、異質までに研ぎ澄まされた個を打ち破れるのは、結局のところ、同じように研ぎ澄まされた個の力だけだ。


 その点、あの人狼は十分すぎるほどの力を保持していた。それこそ、燐子と対等か、それ以上に渡り合えるほどに。


 自分の役目を終えた燐子は、人狼と紫陽花の激戦を眺めていた。


 当たれば大木すら薙ぎ倒してしまいそうな一撃を、大鎌の柄で弾き返す。


 彼女の腕に、魔物以上の腕力があるとは思えない。おそらくは、タイミングを図り、流しの要領で逸らしているのだろう。


 互いに手傷を負わせられない時間が続いていたが、やがて、人狼の爪先が紫陽花の肩口をかすめた。


「ふっ…!」


 苦笑を浮かべた紫陽花は一瞬だけ姿勢を崩したが、素早く立ち直し、続く魔の手を拒むように一閃、薙ぎ払った。そのおかげで、深刻な一撃を受けることはなかったが、肩口はじんわりと血が滲んでいた。


 やはり、助太刀するべきか。そう考えた燐子は、魔物の群れを睥睨した後、踵を返して紫陽花が戦っている場所へと向かったが…。


「来ないで」冬の流水のように、凍てつく声音だった。「しかし――」


「空腹の獣から獲物を奪おうとすれば、貴方もただじゃ済まないわ」


 首だけで振り向いた紫陽花が、ハッキリとした丁寧な口調でそう言った。艶やかさを失わない微笑みをたたえていた彼女だったが、その程度では、あふれ出る殺意を隠せはしない。


 ぴたり、と無意識で足を止めたことに、燐子は遅れてぞっとする。


(私が、恐れたのか)


 自らの死すら恐れず、ただひたすらに剣と誇りのために生き続けた自分が。


 紫陽花は、燐子が自分の邪魔をしないことをしっかり確認すると、再び獲物へと眼差しを向け、疾走した。


 彼女が踏みつけにした畑の灰と土が舞う。

 廃村という、破滅の象徴を背景に、人狼と紫陽花が衝突する。


 人狼の剛腕が唸り声を上げて、紫陽花の頭上を薙ぐ。

 命が明滅する瞬間に、彼女の口元が綻ぶ。

 屈めた上体を起こすと同時に、大鎌が空を裂く。

 これも、凄まじい反射で躱される。だが、紫陽花もそれを予期していたようで、素早く振り上げた鎌を唐竹に振り下ろした。


 刃が肉を抉る前に、交差された両腕で鎌の柄を押し留められる。

 敵に届く寸前で止められた刃は、獲物を食べ残った獣が唸るように震えていた。


 紫陽花の端正な顔に、だらしなくヨダレを垂らした人狼の口が近づく。少し身を乗り出せば、彼女の頭を丸呑み出来てしまいそうな距離だ。


「…貴方も、お腹が空いているのね」


 鎌を容易く弾き返された紫陽花は足を揃えて真っ直ぐ立つと、くるりと大鎌を回転させながらそう呟いた。


 黒い刃が描く円は、汚れた満月のようだ。


 もう一度、彼女が高く跳躍する。

 どこまでも高く、青空を背景に飛ぶ。


 自重を乗せて、高い打点から振り下ろされるそれは、まともな相手であれば、まず防ぎきることは不可能だろう。


(だが…、奴はまともな相手ではない)


 このパターンの攻撃は、すでに一度防がれている。

 それでも繰り返し空を駆け上がった紫陽花の意図が、燐子には分からなかった。


 人狼が防御の構えを取る。おそらくだが、今度は防ぐだけではないはずだ。きっと、すぐさま反撃がくる。


 紫陽花は、地表に到達する寸前で人狼と交錯した。重なった二つの影が次に離れるとき、それが雌雄の決する瞬間だと燐子には分かっていた。


 叩きつけられた鎌の柄を、先程同じように防いだ人狼は、大きく口を開けて彼女に噛みつきかかろうとしていた。


 だが、その直後、人狼の左肩からおびただしいほどの鮮血が舞った。


 絶叫、悲鳴。

 紫陽花の血色の良い顔を、鮮烈な赤が染める。


 大鎌の刃がカマキリの鎌のように内側に折れ曲がり、人狼の左肩を強く挟み込んでいたのだ。


 必死に身をよじって、死の鋏から逃れようとする人狼。そんな相手に対して、紫陽花は微笑と共に言葉を贈る。


「どこへ行こうと言うの?ようやくメインディッシュが皿の上に乗ったのに、逃がすわけがないじゃない」


 言い終わるや否や、とうとう鎌の刃が人狼の左肩を両断した。轟く絶叫に耳を塞ぎたくなる。


 人狼は崩れ落ちかけたが、何とか踏み留まった。死を目前にしても、まだ戦おうという姿勢に燐子は不思議な感銘を受けた。しかし、紫陽花は何の躊躇もなく人狼の右膝から下を斬り裂く。


「食べやすいサイズにカットしなければね。鏡右衛門様や朱夏が喉に詰まらせては大変だもの」


 それから先は、見るに堪えないものだった。


 左腕の肘から先、肩の付け根、左足首、付け根、右の太ももを三等分…。


 達磨斬りにされた人狼は、もはや声を上げることも出来ないほど衰弱していた。血溜まりに沈んだ獣は小さく痙攣を繰り返していて、命の終わりを告げるラッパを待っているようだった。


 だが、それでも紫陽花は、もっと細かく刻もうと前傾になって鎌を振り回している。


 ――…残酷過ぎる。


 全力で、真正面から戦った相手への敬意など、微塵も感じられない。戦いの礼節は今、彼女の手によって葬られてしまったようだ。


 衝動に駆られ、燐子は飛び出した。そのまま紫陽花と人狼の間に入ると、太刀を使って鎌の軌道を逸らしてから、じろり、と彼女を睨みつけた。


「やめろ」

「…まぁ、どうして?」


 質問には答えず、人狼に向き直った燐子は、一寸違わず正確な斬撃で人狼の首と体を切り離す。


(もっと、早くこうしてやるべきだった…)


 苦い後悔を胸に燐子が黙祷していると、ひんやりとした感触が首筋に当たった。


 見なくとも分かる。紫陽花が鎌の刃を自分の喉元に当てているのだ。


「横取りなんて…、どうなっても文句はないのよね?」

「勝敗は決していた。相手を必要以上に痛めつけるなど、獣以下だ」


「ええ、そう。私は獣だもの」


 すっと、紫陽花の体が背中に寄せられた。間合いを一気に詰められたはずなのに、体の感触があるまで気付けなかった。


「それにしても、おかしな人ね。この魔物は多くの人間の命を奪ったのよ。それなのに、そんなものの尊厳を気にするの?」

「獣がすることは、全て生きるためのものだ」


 ぐっと、首元に押し付けられた刃を押しのける。


 刃は押す動作ではなく、引く動作によって対象を斬り裂くため、これだけで掌がスッパリ切れるわけではない。だが、一度紫陽花が腕を引けば、自分の指は焦げた大地にこぼれ落ちるだろう。


 ただ、彼女がそれをしないことは予測できた。

 一騎討ちにこだわるような人間が、そのような真似をするはずがない。


「お前がやっている、浅はかな拷問と違ってな」


 首だけで振り返り、紫陽花の瞳を覗き込む。彼女は、歪な三日月を口元に浮かべていた。


 すっと、構えていた鎌を下ろした紫陽花は、それから背を向けて大鎌を振るった。派手な血振るいのせいで、人狼の血が燐子の頬にまでかかった。それでも、燐子は眉一つ動かさない。


 ガチャリ、と大鎌の刃が内側に折り込まれ、格納される。この仕掛けで人狼を葬ったと考えると、機転の効くタイプのようだ。


「ふふ、怖い顔」鎌を腰と平行に持ち直した紫陽花は、小首を傾げて言葉を続ける。「許してね?獣がやることだから、生きるためなのよ」

後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。


拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。


さらにご意見・ご感想、ブックマークや評価をして頂けている方、

いっそうの感謝を申し上げます!


今後とも、よろしくお願い致します!

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