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竜星の流れ人  作者: null
四部 二章 紫陽花の花
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空腹の獣

今回は新キャラである紫陽花と、燐子の話になります。


燐子の相棒はミルフィなので、ご安心を。

 相変わらず、空には抜けるような青天井が広がっていた。思えば、こちらの世界に来てから、雨に遭うことは少ない。


 グラドバランを離れて、二、三時間あたりが経過したところだろうか。和風な城下町も今では石ころみたいな小ささになって、風景に溶け込んでいた。


 朱色に色づきつつある木の葉のカーテンを抜けて、それらの抜け殻たちを踏み越えながら森の奥へと進む。


 鳥は歌い、風は薫る。ぶら下げた太刀も、それを喜んでいるみたいにカチャリカチャリと、燐子の歩調に合わせて音を立てた。


 風情があるな、と舞い落ちる木の葉を見ながら、燐子が口元を綻ばせていると、不意に、パキッ、と小枝を踏みつける音がした。


 弾かれるように、音がしたほうを振り向く。流れるような動作で、太刀の柄にも手を当てていた。


 視線の先では、青い、くりくりとした目がこちらを不安そうに観察していた。見たこともない毛むくじゃらの小動物の姿に安堵しつつ、そっと手を太刀から離す。


(ただの獣か…。害は無さそうだし、放っておくか)


 燐子の身から放たれていた殺気が霧散すると、獣は金縛りでも解けたみたいに森の奥へと消えていった。


「いいの?あれも数が集まれば、まぁまぁ危険な魔物よ?」


 刃を格納した大鎌を肩に担いだ紫陽花が、逃げ去っていった獣のほうを見つめながら、そう言う。


 どこか名残惜しそうな口調だったが、そうした思わせぶりな話し方を好む女なのだと、ここまでの道程で燐子は把握していた。


「逃げる相手を、後ろから斬る趣味はない」少し先を歩いていた紫陽花を追い越しながら、ぼやくように答える。「群れを成して襲ってくるのであれば、そのときに葬るまでだ」


 それに、これだけ人里離れていれば、そう簡単に民が襲われるということもないだろう。楽観的かもしれないが、少なくとも、ここ数里に渡って人が暮らしている気配はほとんどなかった。


「ふふふ、そうなのね。鏡右衛門様も同じことを言うわ、きっと」

「そうだとしても、私には関係ない」


 何かと鏡右衛門と比べてくる紫陽花に閉口し、歩く速度を上げる。


「あら、冷たいのね?警戒されているのかしら」


 ぴくり、と燐子の眉が動く。紫陽花の言葉は的を射ていたから、反応してしまった。


(胡散臭い女だ。警戒するなと言うほうが無理がある)


 ゆったりとした口調の割に、ハッキリと鮮明な滑舌。

 美しい容姿に似合わない、禍々しい大鎌。

 そして、嫋やかな印象を与えるのに、朱夏を赤子の手をひねるように抑えた細腕。


 手練であることは間違いない。問題は、敵か味方かが明瞭ではないということだ。


 燐子は今、鏡右衛門が提案したように、紫陽花とペアを組んで件の薬が生み落とした魔物の討伐にやって来ていた。


 個人でライキンスを追うよりも、集団で臨んだほうが効率的だと判断した燐子は、ライキンスの居場所が分かり次第、自分にも教えるようにという条件付きで帝国に力を貸すことを承諾した。


 王国騎士団を相手取ったり、王国国民を苦しめるような真似に加担したりする気はないが、今回のように魔物相手であれば協力を惜しまないつもりだ。元、人間であるという点さえ除けば、幾分か気も楽だ。


「無駄口を叩く暇があるなら、早く先を案内してくれ」


 魔物が出没するのは、もう一つほど山を越えた先とのことだった。周囲には誰も住んでいないので、思い切り暴れていいと言い渡されていたが、そんなことに興味はなかった。朱夏だけは恨めしそうにしていたが。


「それは分かっているけれど…、随分とせっかちな人なのね。燐子は」

「さっさと終わらせたいだけだ。正直、私としては、人里離れた深山幽谷の地に住む魔物など、放っておけばいいと思うがな」


「そういうわけにもいかないのよ」紫陽花は愉快そうに言った。「元人間の魔物の生態なんて、誰も知らないでしょう?もしかしたら、勝手に単体で増えちゃうかもしれないわ」


「ツガイもなく増えるだと?そんなことはありえん」

「ありえなくないわ。そういう魔物もいるもの」

「何?一匹で増えるのか?」仰天した燐子は、歩みを止めて聞き返した。「ええ、そうよ。分裂、脱皮、産卵…、手段も色々」


「信じられんような話だ…」

「そこまで驚くことじゃないわ。次の世代を残せない生き物なんて、不完全でしょう?」


「不完全とは妙な言い方をするな。そもそも、完全な生き物などいない。私たち人間そのものがそうだろう」

「まあ、それには同感だわ。私たちは不完全が過ぎるもの。でも…」


 言葉を区切った紫陽花は、坂を登りきった地点で立ち止まり、燐子を待った。逆光を浴びて悠然と佇む姿は、凛と咲く花のようだ。


「貴方が知らないだけで、この世界には完全なる生命体がいるのよ?燐子」


 紫陽花の言葉に、無知を笑われたような心地になった燐子は、普段よりも険しい顔つきになってから、坂を一気に登りきって答える。


「知っている。ドラゴンのことを言いたいのであろう」

「あら、意外と物知りなのね」残念そうに、紫陽花は苦笑する。「ふん。だがな、アレだって完全な生命体などではなかったぞ」


「どうして?」


 きょとんとした顔で聞き返してくる紫陽花から目を逸らし、坂の頂上から見える光景に視線をやる。


 深く赤い森が広がっていて、情緒豊かな景色だった。しかし、時折聞こえてくる魔物の鳴き声を聞けば、どこか不気味にも映る。


 燐子は目を閉じ、太刀の柄に触れてから、つまらなさそうに返事をした。


「私は、すでにドラゴンと呼ばれるものを二頭斬り伏せている。思いのほか、手応えがなかったがな」

「へぇ」


 紫陽花は、再び愉快そうに微笑んだ。含みのある笑みに眉をひそめてみせると、彼女はまた曖昧に笑い、斜面を下り始める。


 信じていないのだろう、と燐子は自己完結すると、紫陽花に続いた。


 しばらく、互いに無言で山の斜面を下り続けていた。その間も、数匹の獣を(魔物かもしれない)見かけたが、歯牙にもかけず歩みを止めなかった。


 やがて、傾斜が緩やかになり、平坦にまでなると、目的地は目と鼻の先になった。紫陽花が言っていることを全面的に信用すれば、の話ではあるが。


 赤い森を足早に抜けると、まず二人の視界に半壊した小屋が映った。

 人が住んでいるような場所ではないと聞いていたため、それだけで燐子は少々驚いたのだが、続く光景に口を閉ざした。


 炭と化した家屋、灰に埋もれた畑、木の壁に黒く残った血痕。

 飛び散ったガラス片、置き去りの家財道具、群れ成す屍肉鳥…。


「…人は、住んでいなかったのではないのか」


 燐子が発した声に驚いて、屍肉鳥が一斉に高く舞い上がった。もはや、貪るものも残っていないのだろう。去り際の淡白さが、それを証明している。


「住んでいないわ。もう、ね」

「…だろうな」

「どっちにしろ、暴れるのに問題はないわ」


 この凄惨な破壊の跡を見て、よくもまあそんなことが平然と言えるものだ。


 紫陽花の無関心な発言を受けて鼻白んだ燐子は、ため息を吐きつつ、廃村の中に足を踏み入れる。


 村の中心部に移動しながら、周囲を注意深く観察してみたところ、そう大きな村ではないことが分かった。おそらく、三十人規模の共同体だったのではないだろうか。


 跳ね上げられた土砂のせいか、小川はせき止められ、濁った水が渦を巻いていた。水辺には虫が集まっており、不衛生な環境であることが窺い知れる。


 美しい空と反比例するみたいな小さな破滅が、燐子の足元に広がっている。目を閉じて意識を切り替えてから、燐子は口を開いた。


「どうやら、もうここにはいないようだ」

「そうね。でも、きっと戻ってくるわ」


 振り返ると、紫陽花は横にした大鎌を左右に小さく揺らしつつ、灰に押し潰された畑を足で掘り返しているところだった。


「獣はいつだって、血肉の味と、それをどこで食べられたのか覚えているものよ。だから、戻ってくるわ。現に、また餌が戻ってきているのだから」


「獣の話をする前に、それをやめろ」

「それ?」と紫陽花が小首を傾げる。「それだ。足で畑をいじるな。百姓が懸命に育てたものだぞ」

「おかしなことを言うわね。もう、ここには炭と灰以外、何もないのに」

「チッ、魂がある」苛立ち混じりで言い放つ。


 どんな言われ方をしても、表情一つ変えない紫陽花のそばに寄り、しゃがみ込む。それから、手で土を掘り返すと、分厚い灰と土の下から、小さな緑が顔を出した。


「作物の芽だ。世話をするものがいなくなった畑にも、緑が宿っている。これを百姓らの魂と言わずして、何と言う」

「へぇ、なるほどね」


 紫陽花は燐子にならうようにして屈んだ。麗しい着物が泥で汚れると思ったが、自分には関係ないことだと、素早く切り替える。


「でも、お言葉だけど、ただの自然の摂理よ?こんなもの。生産者の努力ではなくて、自然の偉大さを称賛するべきだわ」

「ふん、人間も自然の一部だろうに。…薄々勘付いていたが、お前とは馬が合わないらしいな」


「そうなのかしら?私は燐子とお喋りするのが、とっても楽しいのだけれど」

「そうか、私は不愉快だがな」


 敵視されることも恐れず、燐子はきっぱり言い切った。しかし、その拒絶の言葉を耳にしても、紫陽花は憤るどころか、むしろ嬉しそうに微笑む。


 至近距離で、紫の妖星が爛々と彼女の瞳の奥で瞬いていた。端正な顔立ちが、今は禍々しい何かに染まっているように思えた。


「やっぱり…、貴方は鏡右衛門様に似ているわ」

「またそれか…、いい加減に――」


 嫌気を覚えて、燐子が勢いよく立ち上がった刹那、赤い森の奥から、狼の遠吠えのような声が聞こえてきた。


 カランツの村で相手取ったような小物ではない。その程度の相手であれば、この距離から、こちらをひりつかせるような殺気を放つことなど出来るはずもないからだ。


「どうやら、お前の言い分は正しかったようだ」


 そう言いつつ、鯉口を切る。

 この道中、一滴の血も吸えなかった愛刀は、呼吸をするように刃紋を揺らめかせる。


 秋風すらも、どこか生臭く感じられる。漂ってもいないはずの死臭を嗅いで、燐子が深く集中を高めていると、不意に、紫陽花が燐子の行く手を遮るようにして立った。


「何の真似だ」

「ねぇ、燐子。鏡右衛門様の下につくつもりはない?」


 燐子は、自分の発言を無視されたことよりも、彼女が提案してきた内容に意識を引かれていた。


「帝国に属せ、と言うつもりか」

「いいえ、違うわ。鏡右衛門様の配下になるの。私のように」


「お前の意図は分からんが、どんな思惑があろうと、私が首を縦に振ることはない。もう主君は持たんと決めているからな」

「どうしても?」徐々に、魔物の気配が強くなる。おそらく、こんな話をしている暇はなくなってきているはずだ。「くどい。それを強いれば、お前を斬るぞ」


「斬る?」紫陽花は、丸々と目を見開いて繰り返した。「斬る?私を?」


 燐子が瞳の動きだけで肯定すると、紫陽花は酷く嬉しそうな声音で、鳥が歌うように高らかに笑う。


「うふふふ!そう、それは楽しみね!貴方にそれが出来るのなら」


 くるり、と紺、紅、黒の三色で織りなされた着物の裾をはためかせながら、紫陽花は体の向きを変える。


 そんな彼女の背中を苛立ち混じりに見つめる燐子だったが、突如、森の奥から姿を現した魔物の姿に度肝を抜かれた。


 強靭な二本の足で赤い落ち葉を蹴り上げた魔物は、人間に近い体の構造をしていた。ただ、それと大きく違うのは、背丈が異様に大きく、鋭い爪や牙を持ち、狼の頭をしているという点だった。


 赤い瞳が二人を捉えると、魔物は一気に加速した。自分と魔物との間に挟まる紫陽花のことが気になるが、素早く燐子は抜刀する。


「申し訳ないけれど、私がメインディッシュを頂くわ。燐子」紫陽花がぼやく。「なに?」

「貴方はそっち」


 紫陽花が指さした先を振り返れば、森の中で何度も見かけた小型の魔物が群れを成して、こちらの様子を窺っていた。


「こいつら…」


 焦げ茶色の毛を逆立てた、鞠ほどの大きさの魔物が、じっと二人を睨んでいる。


 確かに、奴らは自分たちを獲物と見なしているようだ。しかし、だからといって、例の魔物――人狼を紫陽花に任せきりにしていいとは到底思えない。


 横目で振り返り、あっという間に距離を詰め始めた人狼の姿を確認する。


 異様な速さだ。今まで見た魔物の中のどれよりも速いだろう。


「尋常ではないぞ、あいつは。私がそちらを受け持つ。だから、お前がこっちを――」

「あら、貴方もお腹が空いたの?」


 冗談を言っているのだと気づくのに、少しだけ時間を要した。紫陽花の顔色が、先程からまるで変わっていないからだ。


 しかし、続く言葉が紡がれると同時に、紫陽花の顔に影が差した。


「駄目よ。貴方は添えものでも食べてなさい」ぐるん、と体を勢いよく反転させ、紫陽花は駆け出す。「私はお腹が空いたの」


 一瞬だけ見えた、彼女の横顔。


 脳裏に、かつて日の本にいた頃の記憶が蘇る。


 強者も弱者も見境なく撫で斬りにして、自分が死ぬまで、滴る血で喉の乾きを癒すことを求める者たち…。


(知っている。あれは…)


 殺戮者の顔だ。

 


後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。


拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。


さらにご意見・ご感想、ブックマークや評価をして頂けている方、

いっそうの感謝を申し上げます!


今後とも、よろしくお願い致します!

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